河鍋暁斎、名は洞郁、字は陳之、通称周三郎。別号は周麿・狂斎・惺々斎など。下総―― 古河藩士の次男。江戸に出て歌川国芳に入門して後、駿河台狩野家七代狩野洞白陳信にも学ぶことで、狩野派流に浮世絵風を交えた独自の画境を確立。とりわけ、強頸・奇矯な劇画を能くした奇人画家でもある。
本図は、江戸(芝)愛宕神社の毘沙門(天)の使者を描いたもので、そのわざは、上部の弘国(注・姓名不詳 ―― 浮世絵師?)の賛に、以下のように表現されている。
愛宕山 神につかふる わざ見れど
むかしの春の おもしろきかな
ちなみに、現在では見ることのできない愛宕祭は、愛宕山内円福寺における強飯式のことで、正月三日(注・旧暦)の春の祭である。杓文字(しゃもじ)を手にした使者の、参拝客に飯を振舞う強気のわざが、何ともおもしろかったのであろうか。 右下方に、落款(署名)惺々暁斎画と朱文方印(白文蛙人形含む)惺々暁斎とがある。