大石良雄、通称内蔵助。播州赤穂藩主=浅野長矩の国家老で、吉良良央に対する仇討を遂げて大義を成就した赤穂浪士四十七士の頭領。儒学を伊藤仁斎に、兵学を山鹿素行に学んだ外、画も能くした。忠臣蔵の英傑として、フィクションの世界を含めての歴史上の人物であるが、その義は、『君のために、臣としてそうしなければならないもの』から、『金のためでも名誉のためでもなく、とにかくそうせずにはいられないもの』へとニヒリズム――超我の論理にまで止揚してみることで、現代的意義を賦与されてくるのではあるまいか。
本四行書は、腹心――吉田忠左衛門に宛てた書簡――
御状令二拝見一候無レ滞
入府被レ致候儀為二御知一
願亦(舟?)被レ入二御念一儀
弥重存候 恐惶謹言
大石内蔵助
<花押>
正月
吉田忠左衛門殿
で、吉田忠左衛門からの、滞り無く入府――江戸に着いたとの便りに対する弥(いよいよ)慎重に構えて対処してほしいとの存念を書き添えた、京都よりの返信である。続いて入府した同士の手に託されたものか。正月は、大義を成就する当該年――元禄一五(1702)年のこと、つまり討入り十一か月前のことになる。