浄土宗、は、円光大師こと法然上人を開祖とする。したがって、浄土宗を代弁する名号 ――
南無阿弥陀仏
の墨跡がその開祖自身の手になるものであることさえ証明できるなら、本書の歴史的価値は、芸術性において至高の書とされているものの価値を超えるものになるのかも知れない。そこで、痛みのはげしい本書の修復にはいささかの躊躇もあったが、あくまでも想定される法然上人の「字形」に合わせることで、虫食いによる欠損の部分に敢えて無謀とも思える墨入れを行っている。 さらに、二つの鑑定書を左・右に配しての額装を試みた理由は、言うまでもなく、法然上人の「真迹」・「正筆」であることの信憑性を、箱書や裏書としてではなく、より直接的に鑑賞者の眼に訴えようとするやむを得ない方便を考えてのことである。
(右)は浄土宗・江戸大本山増上寺章誉大僧正(嘉永(1848〜1864年頃)の鑑定 ――
此御名号 (三)縁山(増上寺)
円光大師 真迹也 大僧正章誉(花押)
嘉永己酉(二(1849)年)霜月
(左)は、古筆分家一四代了仲(〜明治二四(1891)年)の鑑定 ――
名号円光大師字形正筆
とその鑑定書にかかわる第三者(?)の覚書――
法然上人名号正筆
古筆了仲翁証墨
とである。
絹本の前者には、左下方に朱文鼎印「真〇〇」があるが、紙本の後者には印章はない。
なお、二つの鑑定の依頼は、前者は当家二十三代・中村有道軒一世(万五郎政敏)、後者は同二十四代・中村有道軒二世(七郎右衛門正廸)によるものと想定されるが、本書そのものの入手時期については、当家が中興(=十七代)以後において、特に、「南無阿弥陀仏」を念とした一時期があったことから推して、二十代の伴侶とされる戒名「吽照院泰誉智貞法尼」(〜寛政三(1791)年)当時にまで遡るものと思われる。