時は平安時代、一条院の御代、丹波の国大江山を根城とする鬼神が都に出没しては良家の姫君を拐かすことがあった。ある時、池田中納言くにたかの一人娘が行方知れずとなり、村岡まさときという博士に占わせたところ、大江山の鬼神に連れ去られたとのこと。池田中納言の奏上を聞いた帝が公卿たちに謀ると、関白殿が言うには頼光ら武勇の誉れ高き者どもに鬼退治の宣旨を下すべしという。宣旨を承けて頼光以下、定光、末武、綱、公時、保昌らは、八幡、住吉、熊野の諸宮に祈願をかけて鬼退治に出かけることとなった。
さて、山伏に姿をやつして大江山に入った一行、行き会った柴刈人に鬼の岩屋を尋ねてみるや、どこそこの場所にあるがそこは人の行かぬ所という。そしてその場所に向かうと、今度は三人の翁に出会う。一行がそなたたちは何者かと問うと、翁三人はそれぞれ、津の国、紀の国、京近き者であり、酒呑童子に奪われた妻を取り返しに来ているとのこと。そして続けて言うには、あなた方は勅命を帯びて来た者たちとお見受けする、われらが案内しようと。さらに頼光らをもてなしては神便鬼毒酒なる酒を与える。翁が言うには、これは鬼が飲めばその力を奪い、あなた方が飲めば薬となるものであるという。一行はすでに、この三人こそが住吉、八幡、熊野の御神であることを知り、深く頭を垂れるばかりであった。そして翁たちの教えに従って行くと、川の畔で血に染まった衣を洗う姫君を見かける。事情を尋ねると、この姫君は花園中納言の娘であり、やはり酒呑童子にさらわれてきたものであった。花園の姫君が言うには、酒呑童子の所行、酒と称して血を飲み、肴と称して屍を食らうと言い、今朝方も堀河中納言の姫君が生け贄に供され、いまその衣を洗っているのだという。
そこで頼光一行は姫君に素性を語り、鬼の居所を聞く。すると、この河上に鉄の築地に鉄の門構え、鬼どもの固める邸がある、そこは瑠璃宝玉でしつらえられた宮殿、四方四季の屋敷、「鉄の御所」であるという。そして屋敷の主こそが酒呑童子であり、眷属にほしくま童子くま童子、かねくま童子かね童子ら四天王が控えているという。花園の姫君の話を聞いて、一行は河をさかのぼって行くと、確かに鉄の門を構えた屋敷に至る。番の鬼どもはめざとく一行を見つけて、めずらしく人間が迷い込んできたことを喜び、愚人夏の虫飛んで火にいると言っては今にもとって食わんとするが、中に一人、最初に首領の仰せを賜るべきと言うものがおり、他の鬼どもにそれに従った。そうして頼光らは酒呑童子と対面し、訪問の旨を告げる。われらは役行者を流れを汲む山伏であり、道なき道を辿っては道すがら出会う鬼神にも呪文餌食を与えることを行とする、生国の羽黒を出て大峰に籠もりしも一目都を見るべく山を下りたところ、道に迷いここまで来たのである、童子に拝謁できるも役行者の導きか、酒もあるので一晩酌み交わしたいと思うと。話を聞いた酒呑童子は、頼光らの素性を試すつもりか、それではまずここの酒を振る舞おうといい、盃に血を搾って勧めてくる。頼光、それを受け取り、一息で飲み干し、さらに綱も続く。次に、肴はどうかと言い、今し方切り取ったとおぼしき腕と股を差し出してくる。それに対して頼光は、こちらで料理しようといい、腰の差添を抜いて肉を四五寸に刻んでは軽く口に入れる。そして続いて綱もまたうまそうに屍をほおばってみせるので、酒呑童子も心を許すようになる。そこで頼光は件の酒を取り出して勧めてみると、酒呑童子、それをさらりと飲み干した。その味、甘露のごとく美味いものであって、酔いが回った酒呑童子は己が出自を語り出す。
自分はもとは越後生まれで山寺に住んでいたが、他の法師のねたみによって多くの者を殺してしまった、それでその夜の内に比叡山までやってきたのだが、その後に伝教という法師によって追い出されてしまい、この大江山にやってきた、しかしここでもまた弘法大師というものの力によって封印の憂き目にあっていたが、弘法亡き今、戻ってきてここに四方四季なる鉄の御所を築き、都の女房を侍らしているのである、かようにわが世の春を謳歌していても近頃は気がかりなことが一つある、それは都にいる頼光という大悪人とその郎等ども、定光、末武、公時、綱、保昌らが恐ろしくて都に近づき難くなったことだ、先頃もわが配下の茨木童子が綱によって片腕を切り落とされたことがあった、その後どうにか腕は取り戻したものの、やはりきゃつらが目障りでならぬ……
そこまで語った酒呑童子はふと頼光に目を留め、いきり立つ。ようよう見るにおぬし頼光ではないか、その隣は茨木の腕を落とした綱、ほかは定光、末武、公時、保昌ではないか、ものども気をつけよ。それを受けて頼光、一計巡らして言う。われら山伏風情がかかる強者に似ているとはもったいない仰せごと、それに話を聞くに、その頼光なる者、無道の悪逆人とのこと、それに似ているとはこれまた不都合の限り、われらは命あるものを救わんがためその身を与えても惜しまなかった釈迦牟尼の流、われらが命が欲しいのであれば早く召さるるがよい、という。さしもの酒呑童子、この言葉を聞いては顔色を直し、つねづねきゃつらが姿を思い描いているがため見間違えてしまった、どうか許してもらいたいと詫びを入れた。そうして酒宴はさらに盛り上がり、頼光らは神便鬼毒酒をすべての鬼どもに振る舞い、それぞれ大いに盛り上がる。饗応に舞う鬼が歌うには「都よりいかなる人の迷ひ来て酒や肴のかざしとはなる、おもしろや」。ここにいる山伏たちを酒や肴にしてしまおうということだったので、綱が舞に立って歌う。「年を経て鬼の岩屋に春の来て風や誘ひて花を散らさん、おもしろや」。鬼どもを花の散るごとく打ち果たさんという心の歌であったが、すでに酔いの回っている鬼どもには深く通じることもなく、おもしろや、おもしろやと感じ入る。しばらくして、酒呑童子は酔いがまわりすぎたか、頼光らの接待役に二人の姫君を残して臥所に入り、残された鬼どももその場に死人のごとくの有様で横ほり伏せる。
さてはここぞとばかり、頼光らは鎧甲に身を改め、二人の姫君に案内させて酒呑童子の臥所に向かう。途中を守る鬼どもはみな酔うて寝ており、まったくの無防備である。しかし臥所の前には鉄の扉が鎖され、人力では開きそうにもない。するとそこに三神が姿を現して頼光に告げる。鬼の手足はわれらが鎖で縛り付けた、頼光は首を取れ、他の者どもはこまかく切り捨てよ。そう言うや三神は扉を押し開いてすっとその姿を消してしまった。三神の加護に深く謝して、教えのままに頼光が首を切りつけると、酒呑童子、「おのれ、山伏とは偽りなきものと思っておったのに」と雷電がごとき雄叫びを挙げて起きあがろうとするも、すでに手足の自由は利くものではない。続けざまに綱以下、定光らがその巨体を切り刻む。すると、刎ねられた首が天に舞い上がり、頼光めがけて食いかかるものの、頼光が兜は三神より与えられた星甲、さしもの酒呑童子の牙も寄せつけるものではなかった。
首領の急を聞きつけて現れた中には、かの茨木童子もおり、相手には綱が名乗り出る。互いに手の内を知り尽くした敵であり、なかなか勝負はつかない。三百人力を誇る綱が組み伏せられてあわやというところ、頼光が茨木の首を刎ねあげた。続いていしくま童子かね童子、他の鬼どもも襲いかかってくるが、六人の武者たちによって方々に蹴散らされてしまう。
すべての鬼どもを討ち果たし、頼光らは囚われの姫君を救出にかかる。鬼たちが討ちとられたと聞き、たくさんの姫君が牢獄より転がるように出てきたが、屋敷の奥にもまだいる様子。そちらの方へ歩を進めると、あるいは白骨が散乱し、あるいは酢漬けにされた屍がいる。その中に片腕と股をそぎ落とされ、虫の息ながら生きながらえている姫君が一人。聞くに堀河中納言の娘であり、かかる浅ましき姿となっていまだに死にきれないでいることがうらめしい、自分の黒髪と小袖を父母への形見に持ち帰り、そしてあなた方が帰る前にぜひわたしにとどめを刺していって欲しいと言う。だが頼光、さすがに姫君に手をかけることは叶わず、きっと迎えの者を寄越しますのでご辛抱くだされと言い残し、鬼の住処をあとにして麓の郷に戻った。しもむらの郷で乗り物を調達し、姫君たちを都に送り届けると、池田中納言も二度と会えないと思っていた娘と対面し、感涙にむすぶ。頼光らは帝よりその手柄を称えられ、それより国土安全長久の御代となったという。
【補足】
大江山の鬼伝説にはいくつかのバリエーションがある。詳しく知りたい方は『日本妖怪異聞録』(小松和彦,小学館ライブラリー,1995)がおすすめ。
ところで、最後に出てくる堀河中納言の姫君だけれど、結局救われたのだろうか? この点については御伽草子を読む限りでは不明。また酒呑童子を油断させるために頼光が食らった腕と股は、他ならぬこの姫君のものではなかったのだろうか……