貝多羅の部屋
「貝多羅」とは
『佛教語大辞典』(中村元,1975,東京書籍)によると以下の通り。
pattra(葉の意)の音写。貝多羅樹とも、貝葉ともいう。ターラ(tala 多羅樹)の葉で、古代インドではこれを紙の代わりに用いて、この上に針(鉄筆)で経文を彫って書物として保存した。棕櫚の葉に似て、幅七〜八センチメートルぐらいで、葉質が堅くて密である。→多羅樹 →貝葉
ここでは「古代インドでは」とあるが、南伝仏教の世界ではもっと近年まで用いられていた。「紙の普及によって写経は一部紙に替えられたが、伝統的な聖典の観念は、チベットや南方諸国のように貝葉本にあり、いまだにそれがもちいられている」(『仏教文化大事典』,金岡秀友・柳川啓一編,1989,佼成出版社【項目執筆担当,里道徳雄】)という。この「いまだ」というのは、現在まで含むにせよ、どのレベルでの使い方を指すのかは判らないが、東南アジアの寺院では少なくとも19cには用いられていた。森鴎外『航西日記』明治17年9月18日条では、コロンボの寺院に蔵されている貝多羅を鴎外が目した旨が記されている。市内観光の途次に一寺院に立ち寄るくだりに「一仏寺に入る。釈迦涅槃像有り。陶盤に華を供す。香気、堂に溢る。僧の貌、阿羅漢像の如し。黄なる袈裟を挂け、革鞋を穿く。寺院には貝多経を蔵し、字は巫來由体を用ふ。此の地、釈迦隆興の所なり」(原漢文)とある。ここに見られる「貝多経」が貝多羅のことである。思うに、現在では広く一般に普及している経典は紙に記されているにせよ、寺院などではより聖なるものとしての認識により、貝多羅が保存されているということであろう。
さて、この貝多羅であるが、知人のもっている貝多羅の実物を見る機会を得た。いわくミャンマーで入手したものということだが、そこに書かれている文字はわたしには判らない(上下の判別さえおぼつかない)。いわんやその価値を判断することなど、とうていできるものではない。ごくありふれた二束三文的な代物なのか、経典の古形を伝えるものなのか、空想はいろいろの方向に膨らみはするが、どうにもお手上げである。ただ撮影およびネット上に公開する許可をいただいたので、以下それを掲載する。ここに書かれている文字、あるいはその内容について知見をお持ちの方がおられるならば、ぜひご教示をいただきたいと思っている。
なお所有者は、このような貝多羅を約50巻、「パラバイ」と呼ばれる黒塗りの紙に白地で経文の書かれたものを約70冊ほどもっているということであるが、今回はそのうちの一巻、その一部を撮影したのみのである。
写真について
まずこのページにはサムネイル(120*90,gif)掲載する。それぞれの写真は拡大版(640*480,jpg)にリンクされている。
撮影に用いたのはNIKON coolpix700である。
全体
二巻構成+一枚
タイトルか?
右端を写す
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右隅にあるはページか?
巻の横を朱塗りにする
三枚が結わえられている
余りにつき、纏めたものか
結わえられたのは三枚のみ
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裏面は全幅に記入
以降は同じ
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