2009(h21)925(金)  
  「コクコクの会」代表 
土屋公献 弁護士 御逝去

      当会代表 土屋公献 先生 悼む 


 後藤昌次郎弁護士と共に「
日の丸・君が代の強制者を告訴・告発する会(略称:コクコクの会)の現共同代表であり、また、司法研修所刑事弁護教官(1979)をはじめ第東京護士会会長(1991)や日本弁護士連合会(日弁連)の会長(1994〜96)などを歴任され司法改革の礎を築いてこられてきた 土屋 公献 弁護士が、2009(h21)年925日(金)午前7時50分、腎がんのためご逝去されました。満86歳でした。 
  「コクコクの会」の会員一同は、茲に謹んで心より土屋先生へ哀悼の意を表しご冥福をお祈り申し上げます。

           
【石原訴追と土屋公献弁護士】
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土屋先生は、「人権派」、「平和擁護派」弁護士としてつとに知られ、常に「権力」により人生を翻弄され人権を蹂躙される国民(弱者)の側に立ち切り、弁護士法第一条にあるように「人権擁護」と「社会正義」の実現を使命とした真の「弁護士魂」が生涯に渡ってぶれないお方でありました。

人権擁護活動に心血を注ぐ弁護士としての先生のお姿は、「在野法曹の鑑」とも評される斯界の重鎮ではありましたが、その業績への国家からの栄典(叙勲)は固辞されるなど気骨ある姿勢を貫かれていました。
 それは、人間は皆それぞれに掛け替えのない人生を生きており、個の尊厳は何としても護らねばならぬ、そのためには(国家)権力と闘わねばならぬ時もあるからという不屈のご意志の現れでありました。


 特に、学徒出陣で赴かれた小笠原諸島・父島でのご自身の戦争体験などから、個の尊厳を完全に抹殺する「戦争を憎むお気持ちは人一倍強く、「戦争」を容認するような動きに対してはいつも果敢に先頭に立ち闘っておられました。  
 そして、先の大戦へのお座なりな反省だけでなかなか戦争責任を認めようとしない日本政府(自公政権)を被告とした戦争犯罪や戦後補償問題にも積極的に取り組まれ、
日本の過去の清算を求める国際連帯協議会日本委員会代表、「《慰安婦》問題の立法解決を求める会」の会長、旧日本軍731部隊が実施した細菌戦をめぐり中国人遺族らが日本政府に損害賠償を求めた訴訟重慶無差別爆撃訴訟の弁護団長なども務められていました。

また、米国での同時多発テロ(2001/9/11)では、これは戦争ではなく「犯罪」として裁くべきとして、戦争屋・ブッシュ米国大統領(当時)を担ぐ小泉首相(当時)を厳しく弾劾しました。
 そうした反戦・平和への思いから、「
アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」の検事団長、「九条の会」アピール賛同者、「9条ネット」共同代表なども務められました。

過去には「吉展ちゃん事件」の国選弁護人を務めたり、「死刑制度は新たな殺人」として執行停止を呼びかけたり、また、オウム真理教事件での坂本堤弁護士問題阪神・淡路大震災の被災者救済被災地復興にも精力的に取り組まれました。

更に、先生は「市民運動」にも力を注ぎ、数々の市民集会の発起人に名を連ねるばかりでなく、ご病気が重くなるつい最近まで諸集会に足を運んだりメッセージを届けたりなさっていました。
 そして、当「
コクコクの会」の共同代表はもとより、「戦争を許さない市民の会」集会《2008/10/13》を妨害するために公安警察が「盗撮」していたこと告発した「国賠請求訴訟」では病をおして原告も努めておられました。
 朝鮮総連中央本部の土地建物が登記上売却され詐欺事件に発展した問題(2007年)では、現在、日本と国交のない北朝鮮の日本で唯一にして事実上の「在外公館(大使館)」としての機能を果たしている同本部を、「在日朝鮮人」の生活の便宜のために確保するという人道上の観点から
朝鮮総連の代理人を務められました。 
 土屋先生のこの行動は、北朝鮮の現・金正日体制による昨今の日本人拉致事件や核開発やミサイル発射などへの警戒心や疑心感から、日本の世論の一部からは北朝鮮を利する行為として非難されました。
 しかし、土屋先生は、北朝鮮国家の現在の政策は批判しつつ一般国民の生活は別物としていました。特に、戦前における日本の「朝鮮半島の植民地支配」が現在の分断された朝鮮半島や在日朝鮮人・在日韓国人問題の根幹であるとして、その責任から北朝鮮や韓国の一般庶民への援助や支援は日本人の責務であるとのお考えは揺らぐことがありませんでした。
 また、2009年5月から施行された「
裁判員制度は「問題点が多すぎる、これでは改革ではなく後退だ」として強く反対なさっていました。

日常の土屋先生は、こうした「権力」と「果敢に闘う弁護士」のイメージからはほど遠く、いつも大らかで明るくとても謙虚でしかも逞しいお方で、誰彼の分け隔てなく公平に優しく接して下さるお方でした。
 また、
いつも、とても姿勢が良くキチンと身なりも整えていらして正に紳士gentleman」そのものでした。愛妻家としても有名で良き家庭人でもありました。

上述したように、土屋先生は、生来の弁護士としての資質や卓越したご見識はもとより、人間的にも素晴しいご人格を備えておいでになりました。そうした土屋先生のご謦咳に接することの出来た私たちはそれを誇りとするものです。
 そして、生涯、人道的精神を貫かれた先生のご遺志を受け継いで、「戦争やそれに繋がる動きに強く反対」し「世界平和」や「人権擁護」、「社会正義」の実現に向けて微力なりともそれぞれの最善を尽くしていかなくてはなりません。


 告訴告発ブックレット

 在りし日の土屋公献先生
「コクコクの会」代表

 土屋公献
      弁護士を偲んで

 土屋先生、長い間いろいろと本当に有り難うございました。
 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

 「コクコクの会」共同代表
 土屋公献氏と後藤昌次郎氏

 石原起訴への上申書提出

 告訴告発一周年集会

 地裁へ「付審判請求」へ

 「付審判請求」記者会見

 「検察審査会」へも申立

 司法記者クラブで記者会見

 ガンバロウ集会での挨拶

 石原訴追 ガンバロウ集会

 ガンバロウ集会

 学習指導要領学習会

 学習指導要領学習会

 理由補充書等提出

 付審判請求、高裁へ「抗告」

 「抗告」記者会見

 最高裁へ「特別抗告」

 「特別抗告申立書

 「特別抗告」理由補充書

 「新たなたたかい」集会

 新たな闘いに向け「挨拶」

 新たな闘いへ決起集会



   
    石原訴追 と 土屋公献弁護士

T、「10.23通達」と「コクコクの会」
 
 東京の公立学校における「
日の丸・君が代」への尊崇表出形態を定めたいわゆる「10.23通達」(2003(h15)10/23)を「職務命令」で強制することで始まった石原都政の「日の丸・君が代強制教育政策に対し、土屋公献弁護士は、当初より、「平和の危機」、「戦争への足音」であり、それに向かう国家主義・全体主義教育の復活であるとの強い懸念を示されていました。 
 
 そこで、土屋先生は、後藤昌次郎弁護士をはじめとする数多くの弁護士や教師、市民と共に200
4(h16)121日に「日の丸・君が代の強制者を告訴告発する会(略称:コクコクの会)を立ち上げました。そして、土屋先生は、後藤氏と共に、最終的には5000名を超える「コクコクの会」の共同代表として、平和憲法を蹂躙し民主教育を根底から破壊する石原都知事と都教委幹部らを「人権擁護」と「社会正義」の名において刑事訴追する闘いの先頭に立たれました。

U、石原ら訴追 と 「不起訴」決定

極右政治家として有名な石原都知事らが進める「日の丸・君が代」強制に対して、多くの教職員は、そこに民主教育の破壊」や「国家主義・国粋主義教育」、「人権の蹂躙」と「全体主義的統制」、「思想良心の自由の蹂躙」や「表現の自由の抑圧」等々を感じ、それは即ち、平和への脅威」や「戦争への地ならし」であることを敏感に感じ取りました。

 教職員の多くはこの「日の丸・君が代」強制に批判を強めましたが、石原や都教委当局は、職員会議等でのあらゆる議論での「
挙手や採決」を禁止(2006/4/13「通知」)し、都教委の直接管理下にある学校長の専断的権限を強化することで、教職員等がこの「日の丸・君が代」強制批判の議論を集約することを封殺」しました。
(※ 都教委は、「挙手・採決の禁止」に疑問を持ち公開討論を求めた都立高校長の定年退職後の非常勤教員採用試験を「不合格」としました('09/4)。定年退職後の嘱託採用は通常、希望者全員が合格する試験です。都教委に異を唱えたことによる「報復人事」としか云いようがありません)
 こうした「自由にモノ言えぬ雰囲気」は、「日の丸・君が代」強制に関わる議論のみならず、学校での様々な場面での自由闊達な議論を妨げる足かせとなり、民主的なルール作りの障害となるばかりでなく、教職員や生徒たちの自主的自発的活力を削ぎ学校教育の意義を後退させています。

  そこで、多くの教職員は、
「学問としての真理に携わる教員としての誇り」と、「戦後の民主教育を守り育ててきた責任」と、「憲法や教育基本法(1947)保護者や生徒に直接、責任を負う教員としての責務」から、「日の丸・君が代」強制に抗いました。
 そして、こうした理不尽な「日の丸・君が代」強制を批判する意志を表明する手段として、卒業式等での「君が代」斉唱時に「
不起立」であったり、「君が代」のピアノ伴奏を辞退したりしました。
 しかし、石原都知事をはじめ都教委幹部らは、それら教職員を問答無用に「
懲戒処分」にしたり退職後の「再雇用不採用」にしたりすることで応えました。そして、教職員の名誉を貶めるだけでなく生涯所得も減じることを圧力に、当局への批判を押さえ込み、「恭順」させようとしています。

 「コクコクの会」は、「《日の丸・君が代》強制の職務命令に従わねば懲戒処分する」という石原都知事をはじめ都教委幹部らを、「権力をもって教員に義務なきことを強要」しているとして、憲法19条違反(思想良心の自由)はもとより公務員職権濫用罪、脅迫罪、強要罪等で6次に渡り原告数420名をもって東京地検に刑事告訴・告発(2004/12/1〜2005/12/26)し「日の丸・君が代強制事件として受理されました。

  その石原都知事らへの刑事訴追に関しては、当時の自公与党に阿った「国策司法」の下、東京地検は2005(h17)年1228日に被疑者・石原らを「不起訴処分」としました。
 そこで、土屋・後藤両代表が率いる当会は、すかさず裁判所への
付審判請求検察審査会への申し立ては勿論、数多くの証拠補充書類、及び、有識者による意見書等々の提出などで訴追運動を強めました。

しかしながら、最終的には2007(h19)年423日に、最高裁で「日の丸・君が代」強制事件の付審判請求特別抗告・棄却」の決定がなされ、残念ながら被疑者・石原らは「罪とならず」として「不起訴」が確定し一応の司法決着が謀られてしまいました。

V,「日の丸・君が代」強制 と 思想良心の自由

 今から僅か60数年前の大日本帝国憲法下の戦前の日本では、国民は「内心」に天皇や国家に対する批判の念を持つことすら許されませんでした。そして、国民の言論や思想や表現は、司法、行政当局により厳しく統制され天皇や国家(政府)へのに絶対的な忠誠を強いられました。
 そうした専制君主・軍国主義体制の中で批判勢力が厳しく弾圧される中で、国民は強制的に侵略戦争にも駆り出され無惨な苦悩を強いられたばかりでなく、中国を始めとするアジア諸国の人々へも多大な惨禍をもたらしました。(一説では日本軍により約2000万人が殺戮されたと云われ、また、日本人も約300万人が戦没したと云われています)

 そこで、
これらは当時の国民に言論や思想の自由の無かったことが軍部や政府の暴走を招き戦争への惨禍に繋がったとする反省等を踏まえ、戦後、ようやく基本的人権の根幹として新憲法19条に「思想良心の自由」が採り入れられました。

 こうして国民がようやく手にした「思想良心の自由」を、石原らは「10.23通達」一つで事も無げに蹂躙し、懲戒処分を背景に「職務命令」で教職員に義務無きことを強要する暴挙を行いました。それは、正に、戦前と同じ国家主義・全体主義体制の復活そのものであり、断じて許せるものではありません。
 
 現在、この「日の丸・君が代」強制の「職務命令」に従わなかったとして懲戒処分された多くの教職員らが「
処分撤回」等を求める行政訴訟を続々と提起していますが、その多くが控訴審等で係争中です。

 
2009年8月18日現在、文科省の新聞発表では1999年8月9日の国旗国歌法成立以降、国旗国歌を巡って懲戒処分を受けた公立学校の教職員は全国で延べ1123名に達しています。
 また、「10.23通達」(2003)が発出されて以降、「同通達」に基づく職務命令違反で
懲戒処分を受けた都の教職員は、2009年4月の入学式後の段階で延べ423名に上ります。そして、「同通達」をめぐる行政訴訟の原告数は、2009年10月5日現在で延べ763名となります(東京新聞)。 更に、この数に、刑事訴追をしていた「コクコクの会」の原告420名を加えると原告の総数は1183名にも上ります。(但し、この「コクコク」による刑事訴追は2007年4月23日に最高裁で被疑者・石原都知事らの「不起訴」が確定し一応の司法決着がつけられています)

 この「日の丸・君が代」強制・教育政策への行政訴訟の多さ、つまりは不当な懲戒処分の多さは他の先進国には見られない正に
異常事態です。石原らによるこうした恣意的な教育施策により、学校現場は自主性や活力や民主的ルールが奪い取られ、どれほどの教職員や生徒のエネルギーが削がれマイナスの教育効果がもたらされているか計り知れません。

W,国策司法

 「日の丸・君が代」強制に関するこれまでの行政訴訟等での裁判所の判決では、《10.23通達》や《職務命令》は違憲と明快に判示した東京地裁の難波判決(2006/9/21)のように真っ当なものもありますが、多くは、(国旗国歌への「起立斉唱」の通達や職務命令は)「日の丸・君が代」への個人の「内心(思想良心)」まで変えようと意図されたものではなく、ただ「日の丸や君が代」への「外形的行為」(マナー)を求めているに過ぎないので「合憲」としています。
 しかし、「内心」の自由は認めるがその「表出(外形的行為)」は職務命令通りでなければ許さないとする
巧妙な詭弁論理で実質的に憲法19条の思想良心の自由(の表出)を封殺しようと策することは憲法の根本理念に全く反することです。

 本来、憲法を積極的に護るべき立場にある検察や裁判所が、時の政治権力に不利となる司法判断を避けるために統治行為論等による「
国策不捜査」を貫き憲法の根本理念を歪める解釈に腐心する姿は誠に醜いものです。

 また、石原らを「不起訴」とした司法判断も、現憲法の民主的平和的条項の「改悪」を党是とする当時の自民党政権に阿ったものであり、論点をすり替え詭弁を尽くすことにより憲法19条の適用回避だけが主眼となったような司法の「決定」内容は国民主権の現憲法の下で到底納得できるものではありません。 

 こうした手練手管を駆使する「国策司法」と一体化し、
自らの権力を使って教員を恭順させることにより公教育を私物化することで反民主的な国粋主義教育を学校に押し付けようとする石原都知事らの「権力犯罪」そのものが糾弾されなければなりません。 

X,土屋先生の御遺志

 こうした時期に、「コクコクの会」の代表たる土屋公献先生を失うことは私たちにとって計り知れないほど大きな損失です。
 しかし、私たちは、今また
戦争政策へうごめく策動を断固阻止し、日本に真の平和人権擁護社会正義の実現を目指した土屋先生の御遺志をこれからもしっかりと引き継いでいかなければなりません。

 その為には、いまなお反動的な「日の丸・君が代」強制を続けている石原都知事らの権力犯罪を断罪し、彼をその地位から引きずり降ろすための闘いを継続していくことで、この民主教育の危機を克服し、憲法19条をはじめとする民主条項の形骸化を許さず、真の憲法理念の定着を図っていかねばなりません。 



 故・土屋公献 氏 葬儀日程        (喪主: 土屋冨美子(妻))

  ○ 通  夜 2009(h21)年102日(金)午後6時〜7時
  ○ 告別式 2009(h21)年103日(土)午前11時〜12時 
      : 東京都文京区湯島4-1-8 天沢山 麟祥院(りんしょういん) Tel. 03-3811-7648  【地図】


 連絡先:: 土屋総合法律事務所 (新代表: 高谷 進 弁護士) 【URL】
       〒104-0061 東京都中央区銀座1-8-21 第21中央ビル6階
           Phone 03-3567-6101(代)  Fax 03-3567-6110