- IMMATURU 4 -
  

多望極めるスケジュールに裏から手を回して半ば強引に電話で呼び出された俺は、ようやく仕事を終えた深夜、久し振りに馴染みのバーに来ていた。
古めかしい飾りの付いていないシンプルな扉を開けると、年代物のシャンデリアが控えめに部屋を照らし、その下に円を描く様にカウンターが備えられ、数人の客が静かに酒を飲んでいた。相変わらずの落ち着いた雰囲気に、知らず張っていた緊張が解れてほっと息を吐いた。さして広くも無い店内を見回すと、ゆっくりとグラスを持った手を軽く挙げてこちらに合図する人物に目を留めた。さり気なく近付いて来たウェイターにコートを渡し、その人物の隣に視線を合わさず座った。何か言いた気な視線を寄越して来るが、それを無視して注文をしようと正面を向くと、こちらから声を掛ける前にカウンター内に立つ初老のマスターが微笑を浮かべて声を掛けて来た。

「いつものですね」

そう言って、昔よく俺が好んで飲んでいたボトルを手に取り、軽く持ち上げて見せた。昔は常連だったとはいえ、此処何年も訪れていなかった客の顔どころか好み迄を未だ覚えいているとは思っていなかったので、虚を突かれた俺は一瞬動きが止まってしまった。その後驚きと喜びと照れ臭さが同時に襲い、その結果無表情で頷くしかなかったのだが、そんな俺の様子を眺めていた隣の人物は、面白そうに笑みを浮かべながらグラスを傾けた。

「何の用なんだ?」

俺の唐突な台詞に、僅か目を見開いた後、苦笑しながら言った。

「久し振りに会った友人に対する台詞とは思えないな」
「この間会っただろうが」
「あれは仕事でだろう。今はプライベートの時間だ」

グラスに入った氷をカランと鳴らし、薄く笑う男をじっと見詰める。

「だから、何の用なんだ」

尚も問い詰める俺の台詞に、呆れた顔をした男はグラスに入った酒を一気に呷った。

「だから、それが友人に対する台詞じゃ無いと言っているんだ。たまにはお前と静かに酒を飲み交わしたいと思って何が悪い?」
「……そんな殊勝な玉か、お前が」

マスターが邪魔にならないさり気なさで静かに酒の入ったグラスを目の前に置き、ついでに隣の男にも新しいグラスを黙って入れ替える。そして男が軽く目配せすると、マスターは無言で会釈をし、会話の聞こえない位置迄離れて行く。そんな様子を俺は何とも無しにぼんやりと見詰めていた。

「最近、頓に忙しそうだな」

ようやく話の鉾先を向けた相手に、ふと視線を向ける。笑いを納めた男は、真剣な表情でこちらを見ていた。

「…ああ、本部を5つ抱えているからな」

会話が聞こえる範囲内に誰もいないとはいえ、なるべく小声で返事を返す。

「官舎に帰っていないそうだな」
「…帰っている暇が無いんだ」

言い訳じみた言い方だが、しかし事実だった。捜査本部を全て把握する為に立ち回っているだけでも時間的に余裕が無いと言うのに、その合間を縫って狙った様に政治と言う名の雑事(俺にとっては雑事としか言い様が無い内容だ)を押し付けて来る上の連中の頼み事を処理する為に、此処暫くは殆ど寝る暇すら取れないでいた。

「上層部の連中の頼み事か? あんなもんはお前が出向いて迄やらなきゃいけないモノばかりじゃ無いだろう。適当に部下に任せれば良い」
「…直々の命令だ、他の連中に頼む訳にはいかない」
「……相変わらず頭の固い男だな、お前は」

何やら俺の周辺の出来事を、この男は把握しているらしい。この男が薬物対策課から異動したと言う話は聞いていないから、まさか俺をマークしていると考えるのは不本意だったが、何が目的で俺に接触して来たのかを知る為、感情を読み取られない様に気をつけながら訪ねた。

「俺が忙しいからと言って、何か問題があるのか?」

すると、奴は真直ぐに俺を見返して真顔で言った。

「……何で上層部の連中が、お前に直接そんな程度の仕事を持って来ると思う?」
「…他に頼める人間がいないだけだろう」
「こんなくだらない事柄はな、頭の固いお前に頼むより、もっと出世に貪欲な連中に頼んだ方が簡単だと思うがな」
「……」

確かにその通りだ。だが、それを敢えてやる必要が彼等にある事を、俺は気付いていたからくだらないと思ってはいても黙って受けざるを得なかった。

「お前、公安に目をつけられてるぞ」
「……っ」

何故それを?と言ってしまいそうになった自分をぎりぎりで抑えたが、僅かな表情の変化で奴には気付かれてしまっただろう。軽い溜め息を吐きながら小さく呟いた。

「…知っている」

今度は相手がはっとした表情をして、その後思いきり呆れた顔をして頭を押さえていた。

「知ってるって、お前な……」

自棄糞になってグラスを一気に飲み干すと、もう一杯お換わりを受け取ってから暫し沈黙が流れた。

「だったら、何故誤解を解こうとしない? お前は連中に疑われているんだぞ?」
「…下手に動けば、それだけ不審を買うだけだ」

手を組んで額を寄りかかせながら呟くと、奴は僅かに怒りを含んだ口調で言った。

「お前、出世を諦めるつもりか?」
「…まさか」

心底意外だと言う俺の意志を読み取ったのか、睨み付けて来る視線が幾分弛んだ。出世を諦める事なぞ、今の俺には全く考えられない事だった。少し前の俺ならいざ知らず、今の俺には上に行ってやらなくてはならない事がはっきりとしていたからだ。

「事件を任されてから既に半年経っている。なのに全く状況は進展せず、今では捜査をしている様子すら窺えない。一体、どういうつもりなんだ?」
「……他に優先すべき事件がひっきりなしに入って来るんだ、仕方無いだろう。引き続き調査は部下にやらせている。何かあったら俺の方に、直接連絡が入って来るだろう」
「お前らしく無いじゃないか。どんなに忙しかろうと、部下に任せっきりでいられる様な性格でも無いだろう」
「……」
「何を考えているんだ?」

視線を反らさず問い詰める男に、俺は軽い溜め息を吐いて言った。

「それこそお前らしく無い。何故、其処迄俺の事を気にするんだ?」
「俺はお前を唯一のライバルだと思っている」

男の何時に無く真剣な表情とその台詞の内容に、思わず目を見張った。キャリアの世界では同期であろうと周りの人間全てがライバルで有り、仲間だと言う認識は全く無い。利用できる人間は利用し、自分の出世だけを考えるのが常識だ。
だが、この男は警察学校時代同室だった時に気付いた事だが、入庁した時から上手く立ち回って周りと上手くやっていたその内で、他人を小馬鹿にしている節があった。だから誰かをライバルとすら感じていないのだろうと、漠然と思っていた。奴に取ってライバルとは対等と同意語なのだろう。そんな男に自分がライバルと思われていたのだとは、はっきり言って晴天の霹靂だった。

「…ライバルだと思っているなら、俺が脱落するのは喜ばしい事なんじゃないのか?」

敵が減るのは誰でも嬉しいモノだ。それをわざわざ忠告する様な酔狂な真似をするこの男の気が知れない。しかし俺のそんな極当たり前の疑問に、奴は思いきり不機嫌そうに顔を顰めて呟いた。

「訳も判らず戦線離脱されるのは気に入らん。脱落されるのならそれなりに納得の行く理由が欲しいだけだ」
「…勝手な話だな」
「お前が脱落しようと俺は上を目指すのを止めたりしないが、理由如何によっては俺のこれからのやる気に関わるからな。ちゃんとした答えを貰いたい」

そんな事を聞く為にわざわざ裏から手を回して迄今日の時間を作り出したのかと呆れたが、相手は大真面目で言っていたので再び溜め息を吐く事で言葉を飲み込んだ。
俺自身、この男をそれなりに評価していたし、気に入ってもいた。どうやら今回の接触は個人的なモノで、俺の進退を奴なりに気に留めてくれている様だ。どうせこのまま黙っていてもその内耳に入るのだろうから、この際話しておこうと腹を括って話し始めた。

「捜査本部を抱えていながら、合間に引っ切り無しの用件が入ると言ったろう」

唐突に話し始めた俺に、少し驚いた顔をした。

「ん? ああ、上層部からの頼み事だな」
「何故、捜査一課の管理官をしている俺にそんな用件を直接言って来ると思う?」
「お前に反抗の意志が無い事を確かめる為なんじゃないのか? お前が奴を使って上の連中を一掃しようとしているんじゃないかと言う噂は実しやかに流れているからな。奴に対してお前から連絡や指示等していないかどうかを知る為に逐一見張る必要があるんだろう。携帯に盗聴器をつける訳にはいかない立場にいるからな。仕事上なら側に誰かがいても不思議は無いが、プライベートな時間は難しい。出来るだけお前の行動を把握したければ、仕事をさせていた方が監視しやすいからな」

判ってはいたが、よく把握しているなと思わず内心で感心してしまった。

「確かに上層部は俺と奴とが繋がっているんじゃないかと疑っている事は確かだ。だが、それだけじゃない。一番彼等が心配しているのは、奴から俺に余計な情報が流れない様にする為でもあるんだろう」
「…どういう意味だ?」
「判らないか?」

暫し考え込んだ奴は、はっとした様に顔を上げて押し殺した様に呟いた。

「まさか?」
「そうだ、俺を監視している連中の思惑は、俺を疑っているのと同時に、多分何事かを俺に知られる事を恐れているらしい」
「奴らにとって不味い情報が、彼奴に握られている可能性があるって事か?」
「……」
「そうか、だから連中はあんなにお前と彼奴を警戒している訳か。彼奴が他の人間にその手の情報を漏らしたなら揉み消す事も可能だが、頭の固い事で定評のあるお前に話されでもしたら、自分達の身が危ないと感じても不思議は無い事だな」

なる程、と感心しながら考え込んだ男は、徐に俺に向き直って声を潜めて言った。

「まさか、上層部はお前に奴を捕まえて欲しく無いと思って妨害策を立てているってのか?」
「可能性として無くは無いな」
「だからつまらない用件でお前の時間を潰し、余計な詮索や捜査をさせない様にしているのか」
「…まだ、そうと決まった訳じゃ無い」
「彼奴から連絡は無いのか?」
「……ああ」

此処長い間彼からの連絡は全く無く、周囲に音沙汰も無くなっていた。一部では、捕まる事を懸念して手を引いたんだろうと言う連中と、単独行動を止めて力のある組織に入ったんだとか言う勝手な噂が流れていた。
俺の知る僅かな彼の性格上、組織に身を委ねる様な人間では無いと思えたので、後は私事で何かあったのか、単に興味を失ったのか、将又何か事件に巻き込まれたのか……。

「室井?」

考え込んでしまった俺を、訝しそうに覗き込んで来た。

「何でも無い。今の所俺に青島からの連絡は無い。その上層部の連中と取り引きでもしているのでなければ、その内何か行動を起して来るだろう」
「その時が来たらどうするつもりだ?」

真剣な眼差しで見詰めて来る男に、俺は負けずに見返して言った。

「正しいと思う事をするだけだ」

すると奴はふっと笑い、緊張した空気が弛んだ。

「…ったく、偉い面倒な事に関わったな、お前」
「……」

答え様が無かったので、俺は黙ってグラスを傾けた。そんな俺をじっと見詰めた男は、徐に立ち上がって静かに言った。

「潰されるなよ」

そう言って勝手に支払いを済ませて出て行く男を見送り、ぼんやりとグラスに映った己を睨み付ける。

こんな所で潰される訳には行かない。もっと上に行って、この腐りかけた警察機構を立て直さなくてはならないのだから。
そう己に言い聞かせるが、ふとした瞬間胸にぽっかりと穴が開いた様に感じる時がある。

…青島。

自分の将来を大きく左右させる男の名前を心の中で呟いて、グラスに残った酒を一気に飲み込んだ。



NEXT5 ??
   






リクエストを頂いたので、重い尻を叩いて頑張ってみました…が、やはり
頭の中が平和ぼけしている私には事件が思い浮かばず、何となく誤魔化し
みたいな話になってしまいました。テヘ。<<(怒)         
そして続き思いつかずとうとう断念してしまいました。いつか書き終える日が
来る事を祈りつつ、読んで下さった皆様すみません…。m(_ _)m



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