―― 揺るがない瞳 ――


「本部をお願いします」

廊下で擦れ違う時に掛けた新城のその一言で、彼が室井を心から信頼しているのだと…期待していたのだと………気付いた。





自分から望んで得た『女性初の管理官』と言う肩書きを、沖田はあっと言う間に失った。
入庁して以来、女性であると言うだけで差別され続けていた己の立場に甘んじていられず、我武者羅に仕事の事だけを考え尽くして来た彼女は、ようやく巡って来たチャンスを逃すまいと、全てを賭けて管理官の職に就き無心に勤め上げようとした。それで上手く行くと信じていた。けれど実際には沖田の思惑とは反対に必死になればなる程空回りして、事件は解決どころか状況は悪化する一方だった。
何故思い通りに事が進まないのか、余裕の無かった彼女は全てを周りの所為にした。

皆が言う事を聞かないから事件が解決しないのだと。
自分が女だから信頼されないのだと。

そして自分とは正反対に捜査員全ての人間に信頼されている室井警視正を目の当たりにして、嫉妬を抑えられなくなっていた。更にはそのパートナーとして存在する青島巡査部長をも憎悪した。

処分を受けた負け組みの癖に、と。

本庁に向かう車の中で、隣に座る新城補佐官に視線を移す。本庁で働く人間は無表情でいる事が常であるけれど、先程の室井に向けた表情は単なる同僚として見る姿では無かったように沖田は思う。
どうにもならない状況に追い込まれ、余裕無く混乱した頭で捜査を立て直そうとした自分に向かって「本庁へ帰ろう」と言ったこの人は、今何を思っているのだろうと思考を巡らす。沖田の視線に気付かず、無心に手元の書類を読み続けるその平然とした態度に、悔しさと憤りに自然言葉が吐いて出た。

「……やっぱり女には勤まらなかったと思ってらっしゃるんでしょうね」

皮肉の篭った沖田の声に気付いて、新城は表情を変えずに彼女を見詰めた。その顔には蔑みも同情も含まれてはおらず、沖田は内心戸惑う。

「そんな事は思ってない」

単調的に返された言葉を素直に聞き入れる事も出来ず、皮肉を籠めた笑みを益々濃くする。

「隠さなくても結構です。事件を解決出来ずに本部長を降ろされたのですもの。あの人が代わりに事件を仕切る事を、貴方も内心喜んでいるのでしょう?」

そうだ。彼は口には出さずとも最初から室井を支持していた。期待していなかった者が予想通りの結果に陥っただけだ。新城の心に何も影響等ありはしないのだろう。そんな沖田の嫌味も意に介した風も無く、書類を一枚ペラリと捲る。

「そんなに自分を卑下しなくても良いだろう。誰でも初めての仕事では失敗はある」
「慰めてくれなくて結構です。…どうせ今後は昇進を期待出来ない身ですから」

視線を逸らして窓の外を見詰める。流れて行く移り変わる景色に、世の中も人事も似たようなモノだと思った。
利用する価値もない人間に、媚を売るような真似など必要ない。それが本庁の人間の暗黙の了解だと、経験上嫌と言う程思い知らされていた。役に立たない人間は切り捨てる。今まで自分もそうしていた。だから今回は自分が切り捨てられる番なのだと、そう思った。だが、新城は沖田が思ってもみなかった言葉を告げた。

「出世を諦めるのか? 随分諦めの早い人間なんだな」

驚いて振り返り、彼の人を見る。新城は沖田をちらりと見ただけで、手元の書類に再び視線を注ぐ。呟かれた台詞は咎めるような突き放したような言葉なのに、何故か声には温かみが感じられた。

「室井さんは特別なんだ。あの人と対抗しようとする事自体、無駄な事は無い」

淡々とした口調と表情からは、本心が窺えない。己の洞察力の弱さに内心舌打ちしつつ問い返す。

「どう言う意味?」
「歴代の管理官の中で、あの人程捜査員に信頼されている人はいないと言う事だ」


ほんの一瞬、嫉妬と羨望の入り混じった表情をした。その顔を見ただけで、それが本心からの言葉だと彼女にも判った。けれど素直に同意する事は、凝り固まったプライドを持つ沖田には出来る筈もない。だから何だと言うのだ、と、半ば八つ当たり気味に睨み付けた。

「貴方に何が判るの?」

食って掛かりそうな顔で自分を睨め付ける沖田を無言で見やると、新城は複雑な表情をした。

「私も、以前あの人に対して劣等感を抱いていた事があるんだ」
「え…」

言い難そうに、けれど誤魔化さずに自分の過去を吐露する。何故新城がそんな事を自分に話すのか、沖田には理解出来なかった。けれどそれを止めようとする気持ちは湧き上がって来なかった。それどころか、その理由を――先を知りたいと思っている自分の心境を、沖田は不思議に思う。
彼女の気持ちの変化に気付いているのか気付いていないのか、新城は構わず言葉を続ける。

「優秀で周りから褒めそやされていた癖に、所轄の人間に感化されて出世街道を外れるなんて、そんな人間に負けるものかとムキになっていた時期があった。そう、私が今の君と同じように管理官として捜査一課に配属になった時だ」
「……」
「有能な人物だと、彼の経歴を調べて私は密かに尊敬していた。それなのに今迄の苦労を全て水の泡にしたあの人と、その元凶となった青島を軽蔑して、事ある毎に突っかかっていたな」

昔を振り返っているのか、薄らと苦笑を浮かべる彼の姿は沖田のイメージからかけ離れている気がした。が、それでいて何所か自然に見える。冷たい官僚としての仮面が外され、これが本来の彼の姿なのだろうかと彼女は思う。

「あの二人の考えを長い間認められずに居た。そんな甘い事を言っているから処分されるのだと。理想と現実は違うのだと、いつかお互い失望する日が来るのだろうと嘲笑っていた」

すっと視線を沖田に向ける。その眼差しは、揺るがない強さを秘めていた。

「私も君と同じく、所轄の人間は兵隊だと思っていた。使い捨ての…換えのきくモノだと」
「……」

だが、今は違うと……口には出さずともその目が伝えていた。確固たる信念は、相手にも共鳴させる強さがあるのかもしれない。以前の自分なら失笑して採りあうこともしなかっただろうその言葉に、心が揺れ動き始めている自分を沖田は感じる。

「失敗したのなら、二度と繰り返さないよう努力すれば良い。もっと自分を磨き、認められるように。それが成長すると言う事だろう?」

挫折してこそ人は成長するのだと新城は言う。敗北感を味わった事の無い人間が良いリーダーを務め上げる事など出来る筈は無いのだと。

……彼はもしかして、自分を励ましてくれているのだろうか?

「あの人は他に類を見ない程不器用だ。もっと政治的な事に力を入れて、今はまだ足を引っ張り続けている所轄から一旦手を切るのが一番望ましい姿だと判り切っている筈だが……それはとうてい無理な話のようだ。だが、私は違う」

計算付くで切り捨て利用し、まずは出世してから自分の信念を貫き通せば良いと新城は思う。自ら率先してそれを実行し、着実に地位を高めて実績を積み上げている彼だ。それも出来ずに出世街道から外れてしまっている室井を、以前の新城なら軽蔑していてもおかしくは無い筈だったが、今の彼にはその気持ちは全く無かった。寧ろ、その純粋さを好ましく、羨ましく思っているのだ。口が裂けても本人に伝えなどはしないが。

――だからこそ、捜査員は彼に着いて行こうとするのだから。

黙り込んで僅かに苦笑する彼の気持ちが沖田には判らない。

自分は彼とは違うと室井を否定するような事を言いながら、その表情には彼を切り捨てようとしている素振りも、官僚としての冷酷さも見当たらない。迷いの無いその瞳は、一体何を胸に秘めているのだろうか。何を期待して…?

「私は、あの人を支えられる立場になろうと思っている」

今迄見た事も無い程優しげな瞳で微笑する新城のその台詞で、彼がどれ程室井の事を信頼し、憧れ、理想を託しているのかを知る。
室井の事を『全ての捜査員が正しいと思った事の出来る警察組織を作り上げよう』等と、夢物語のような莫迦げた事を目指している人間だと多くの人は思っている筈。当然沖田もその中の一人だ。本来なら新城もその一人に入るべき立場の人間であるのにも関わらず、彼は驚くべき事に室井に共感し、あまつさえ、その理想を実現出来るのならば自分の手を汚してでも室井を守り抜こうとそう言っているのだ。


「…羨ましいわ」

そんな風に莫迦みたいに夢を理想を持ち続ける事が、この警察内で出来るとは思っていなかった。けれど確かにそれは着実に存在していて。考える事を放棄して、出世の為に言いなりになっていた自分を恥じた。女だからと拘っていたのは、自分の方だったのかもしれないと沖田は思う。もっと良く周りを見て、何が自分にとって必要なのか、何が信頼足り得る物なのかをこれから見極めて行けば良い。自分なりに、精一杯出来る事を。後悔なら、それこそ何時でも出来るのだから、立ち止まってなんかいられない。そしていつか目指すものを見つけたい。この人のように。

自分よりずっと先を歩む彼を見詰める。立場的にも精神的にも彼女とは比べ物にならない程上に居る彼。この人の隣に、いつか並ぶ事の出来る自分でありたいと、今心からそう思った。

「そうね。とりあえず、私は公私共に貴方を支えられる立場になれるよう頑張ろうかしら」
「……何だって?」


面食らった様に驚いた顔で凝視する彼に向かってニッコリと笑う。今迄の作り笑いでは無く、晴れやかな心から零れた笑みだった。







END






強力なライバル出現。夏美ちゃんピンチ!(苦笑)
踊る
2を観てから考えていたネタを今更書いてる私〜。
室井さんの映画を観たら二度と書けなくなりそうだか
らとは口が裂けても言えない…。←言ってるよ(爆)


20050705

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