■□ 大切 □■

「本当に警察官になったんだ」

青島から聞いてはいたが、実際にお巡りさん姿の彼を目の前にして、すみれは立ち竦んでいた。あんな風に別れたと言うのに、初めて会った時と少しも変わらない優しい笑顔で彼は微笑んでくれた。

「うん。有難う、わざわざ見に来てくれたんだ」
「……」

言い淀むすみれを他所に、彼は自分の腕時計をちらりと見てごく自然な口調で言った。

「ちょっと待っててくれるかな、そろそろ交代する時間だから。時間があったら一緒に食事でもどうかな」

俯いていた顔を上げ、吃驚した表情で自分を見詰める彼女を安心させる様に微笑んだ。

「……ええ、あたしは平気だけど…」
「じゃ、待ってて。あ、でも交番の中って訳にもいかないか」
「駅ビルに幾つかお店があったから覗いてる。終わったら連絡して」

一瞬逡巡した後、携帯の番号変わって無いからと俯いて呟くすみれに、彼は嬉しそうに笑って頷いた。


* * *



美味しいお店があるんだと言って連れて来られた店は、アジアとヨーロッパを足して割った様な不思議な造りの店だった。料理は至ってまともなイタリアンだったのだが、盛り付けがアジア風と言う所が不思議さを醸し出していた。見た目に楽しく味も美味しくてグルメなすみれにとても好評で、案内した彼も良かったと胸を撫で下ろしていた。

「前はどんな仕事をしてたんだっけ?」

一通り料理を楽しんだ後、落ち着いて珈琲を飲みながらすみれはふと気になった事を訊ねてみた。確か以前にも聞いた筈だったと、覚えていない自分に軽く自己嫌悪を感じたが、彼は気にせずにこやかに答えてくれた。

「コンピューターのサポートの仕事をしてたんだ。色々問題も多かったけど、結構やり甲斐はあったかな」
「ふうん」

そのやり甲斐のあった仕事を辞めて、彼は警察官になってしまった。やはりこれは自分の所為なんだろうと、すみれは暗い気持ちになってしまった。そんなすみれを見て、彼は慌てて付け足した。

「あ、でも無理に辞めた訳じゃ無いよ。他にもね、いろいろ原因はあったんだ」
「でも…」
「むしろ感謝してる位だよ。次の目標を直ぐに見つけられるなんて、普通は無いからね」

いまいち納得しかねるすみれに、にっこりと笑って言い綴った。

「青島さんも警察に入る前はコンピューター会社の営業をしていたんだってね。同じ会社だけど技術屋と営業マンってあまり話をしないから、話してるととても勉強になるよ」
「そうなの?」

不思議そうに首を捻るすみれに頷いて、少し肩を竦める。

「うん。僕達技術屋は増え続ける仕事の数を何とかこなそうと必死になってやっているんだけど、量とは別に人は減らされるし黙ってるとどんどん無茶な期限で作業をやらされる羽目になるから、営業マンとは何時も言い合ってたんだ。その時は営業マンって何て自分勝手なんだと思ってたけど、実はその営業マン達もお客さんと上司との間に挟まれて大変だったんだって青島さんから聞かされて。お互い理解しあわないから問題が多かったんだなって…今思うと笑えるよね」

そうして笑顔で話せる彼を、すみれは強いと思った。そして同じ様に苦労を乗り越えて変わらない笑顔を持ち続けるもう一人の人物を思い出す。

「そっか。サラリーマンも公務員もあんまり変わらないのね」
「そう言えば、本店と支店も似た様な感じだって彼も言ってたかな」
「理由は違うけど、相手を理解してないって所は一緒ね」

溜め息を吐くすみれを見詰め、藍原はクスリと笑った。

「何?」
「あ、ごめん。何て言うのかな…。女の子にこんなに真剣に仕事の話を聞いて貰ったのって初めてだから、ちょっと嬉しいと思ったんだ」
「初めて?」
「うん。女の子って…相手の収入は気にしても、仕事の内容はあまり気にしないから。仕事によって会う時間が多いか少ないかとか、付き合うのに不便かどうかって事位しか気にしないよ。僕が知ってる女の子がたまたまそうだったのかも知れないけど」

苦笑しながら言う彼に、すみれは少し考えつつ頷いた。

「…ん〜、でもそれ普通かも。私は警察官だから、色々知らない情報を知りたいと思っちゃうのかな…」
「興味無い人の事でも?」
「……え?」

突然言われた台詞に戸惑う。じっと見詰められて、すみれは内心焦り出していた。そんな彼女に微笑んで、彼は静かに言葉を続けた。

「前に『女に守られるなんて嫌でしょう、自分も男を守るなんて嫌』って言ってたよね」
「……」
「君は嫌がるかもしれないけど、あの時君に守って貰えて本当に僕は嬉しかったんだよ」
「え…」

驚くすみれの視線に照れつつ、藍原は素直な気持ちを話した。

「嬉しかったから、出来れば今度は僕が君を守ってあげたかったんだ。だけどあの頃の僕は君を守るだけの力は全然無くて、傷付いている君に言葉を掛ける事さえ出来なかった。だから君を守るだけの力を手に入れたら、もう一度君に会いに行こうって思ってたんだ」

だから連絡はしなかったんだと、言外に含められた言葉にすみれは考える。確かにあの後彼から責められたとしたら、自分は深く傷付いたかもしれない。だが、全く連絡が無かった事に少しも傷付いていなかったかと言うと、素直に頷けないと言うのが本音だ。女の心は厄介なものなのだ。少し意地悪な気持ちも込めてすみれは聞いた。

「……もし、もしもその時あたしに相手が居たらって…思わなかったの?」
「そりゃ、思ったよ。君はとても魅力的な女の子だからね」
「……」
「間に合わなかったからって君を恨んだりしないよ。だってそれは自分の力不足の所為なんだから。それに君は僕を新しい世界へ向かわせる勇気をくれたんだ。感謝こそすれ恨むなんてとんでもない」
「藍原さん…」

本当に優しく見詰める彼の眼差しに、言葉に嘘偽りの無い事を知ってすみれは動揺する。

「今だって、責任取って付き合って下さいなんて言うつもりは無いよ。ただ…君が振り向いてくれる位良い男になれる様頑張るから、頭の隅にでも僕の存在を置いて欲しいってお願いしたいんだ」
「……」
「駄目かな?」
「……どうして」
「……」
「どうしてそんなに優しいの? あたしは貴方に酷い事を言ったのに」

泣き出すのを必死に押し止めているかの様な彼女の表情に驚き、珈琲カップの側に置いた手が震えているのに気付いて、藍原はそっと労る様に自分の両手でそっと包み込んだ。

「酷くなんて無いよ。傷付いている君を慰める事も出来なかった僕の方が悪いんだから」

包み込まれた手をぎゅっと握り締め、すみれは頭を振って言った。

「藍原さんは悪く無い。…あたし、自分の事しか考えて無くって…なのに…」
「僕だって自分の事しか考えて無かったよ。もっと早く君に説明していれば、君はこんなに自分を責める事も無かったのに」
「違う…藍原さんは悪く無い」

俯いてしまった彼女に、藍原は静かに訊ねた。

「僕じゃ…駄目かな?」

君を守りたいんだ、と優しく真剣な目をして言われて、すみれは長い間棘が刺さって傷付いていた心が癒されるのを感じた。

「あたし、全然藍原さんに相応しい女じゃ無いよ」
「そうかな。勿体無い位だと思うけど」
「弱い癖に強がって可愛く無いし」
「僕には充分過ぎる位可愛いよ」

怯む事も無くにっこりと笑顔で返す彼の言葉に、すみれは勇気を取り戻す。

「……藍原さん」
「はい」
「まだ……弱い自分が許せないの、あたし。だから、もう少し強くなったら…そうしたらもう一度付き合ってくれますか」
「……」

すみれの言葉に藍原は一瞬呼吸が止まってしまった。真剣で真直ぐに見詰める瞳に見蕩れ、予想外の嬉しい答えを聞いて言葉が出なかったのだが、そんな彼を不安げに見詰めて返事を待つ彼女の表情に気付いて、藍原は今迄でとびきりの、全てを許す天使の様な笑顔で返事を返した。

「はい、喜んで」

***


「で、強くなったら寄りが戻る事になったの?」
「はい!」

協力者である青島に事の次第を簡単に説明した藍原は、本当に嬉しそうだった。すみれも最近は今迄以上に張り切って仕事をこなしており、今迄以上に元気一杯だった。確かにそれは同僚としても友人としても嬉しい、嬉しい事なのだが………。

「……あれ以上強くなってどうすんだよ、すみれさん…」

青島の深い溜め息はすみれには届かなかった。



END






ずっと書きたかった藍原君とすみれさんの話です♪ 絶対彼は振るには勿体
無い男だと思います! 幸せになりたいなら青島は止めとけと、親の気持ち
になってみたりして(笑)。<<室井さんは好きで苦労してるけど?(爆)