-- 乙女心 --


とあるイタリアンレストランにて「久し振りに女三人で一緒に食事をしようよ」と約束していた彼女は、急いでその場所に辿り着き、割とお洒落なドアをチリン、と軽やかな音を立てて開けた。

「雪乃さん」

賑わう店内に入って来た雪乃に直ぐさま気付いたすみれは、軽く立ち上がって手を振りながら声を掛けた。

「すみれさん」

キョロキョロと周りを見回していた雪乃は、すみれに気付いて笑顔になり、綺麗な足取りで席に近付いた。

「すみません、遅くなっちゃいました」

ストン、と椅子に座りながら言った雪乃に、ウェイターがさり気なくお冷やとメニューを差し出した。それに会釈を返しつつ、「お疲れ様です」と声を掛けて来たすみれの隣に座る人物に目を向けて笑い返す。

「お疲れ様。何だか夏美ちゃんと会うの、凄い久し振りな気がする」
「同じ署内にいるんですけどね。雪乃さん、最近とっても忙しそうだから、見掛けても声を掛け難くて…」

はにかみながら言う夏美に、雪乃は「そう?」と首を傾げながらすみれに問い掛ける。聞かれた方のすみれも笑いながら同意したので、雪乃は苦笑するしかなかった。

「もう、署の方は平気なの?」
「ええ。今日も私は生活安全課の方を手伝っていたんで、強行犯係の方は滅茶苦茶忙しそうだったんですけど。明日もあるから帰って良いよって青島さんが…」
「青島君、毎日残業三昧だもんね。格好付けて、そのうち倒れなきゃ良いけど」
「刑事課の雪乃さんが、生活安全課にお手伝いされてるんですか?」

夏美の素朴な疑問に、すみれが渋い顔をしながら応える。

「そう。向こうが大変なのも判るんだけど、こっちだって人手が足りない位忙しいんだから、いい加減人員増やして欲しいわよ」
「大きな事件は無いんですけどね」
「小さい事件は山程ある。毎日朝から晩まで働き詰めで、過労死したらどうするのよ」

ぷう、と膨れた顔をするすみれに、雪乃と夏美はクスリと笑い合う。

「あ、二人とも、何を注文したの?」

メニューを開いた雪乃は、ずらりと並んだ料理に目移りしてしまって困惑していた。

「あたしと夏美ちゃんは『店長お薦めディナーコース』にしたわよ」
「……えっ。これって結構な量じゃないですか?」
「毎日動き回っているんだもん、その位栄養を採っておかないと身体が持たない」

きっぱりと言い切るすみれに納得した雪乃は、近くに居たウェイトレスに結局同じコースを注文したのだった。

「良い雰囲気のお店ですね、此処」

夏美が周囲をぐるりと見回しながらそう言うと、すみれが満足気に微笑んだ。

「そうでしょ。本場イタリアのシェフが新しくオープンしたお店なの。グルメマップに掲載されてるのを見てから、ずっと来てみたかったのよね」
「すみれさん、こういうの詳しいですもんね」
「こういう場所に恋人と来れたら素敵ですね」

夏美のごくさり気ない台詞に、他の二人はピシリと固まった。

「どうしたんですか、二人とも?」

不思議そうな顔で見詰める夏美に、雪乃とすみれはお互い困惑した表情のまま黙ってしまっていた。こういう場所に恋人と来たいと思うのは、女としては当然の意見だとは思うのだが、何しろ夏美の想う相手はあの……。
しん、と静まったテーブルに、ナイスタイミングでウェイターが食前酒を持って来た。それをぎこちなく手に取り、「取り敢えず乾杯しようか」と言って顔を見合わせる。皆で「お疲れ様でした」と言い合ってグラスを傾け、人心地つくと意を決した様にすみれが問うた。

「夏美ちゃん、その後進展は?」

恐る恐ると言う感じで訪ねると、雪乃も複雑そうな顔をしながらも夏美を伺う。

「進展って…私ですか?」

小首を傾げて言う夏美に、二人は声に出さない迄も「どうしてこんな可愛い子の想い人が新城さんなんだろう」と思わずにはいられなかった。

「取り敢えず、名前は覚えて貰ってたみたいなんですよ。あの初夏の事件を新城さん覚えていてくれたんです。嬉しかったけど…あれって覚えていて欲しい様な欲しくない様な、ちょっと今複雑です、私」
「ああ、あの事件ね。夏美ちゃん大活躍だったもんね」

からかう様に言うすみれに、夏美は「言わないで下さいよぅ」と拗ねた様に怒る。そんな二人を笑って見ていた雪乃は、ふと言葉を漏らした。

「そう言えば、すみれさんの方はどうなんですか?」
「え?」
「あっ…」

いけない、と慌てて口を噤んだが、訪ねられたすみれと状況を把握出来なかった夏美はじっと雪乃を見詰めてしまった。

「……青島君ね?」
「あ、あの、その」

目が座ったすみれに、雪乃は慌てて弁解しようとするが、怯んでしまってなかなか言葉が出て来ない。そんな二人の様子を気にも留めずに、夏美は更に突っ込んで訊ねた。

「すみれ先輩、恋人がいらっしゃるんですか?」

その悪意の無い質問に、雪乃は頭を抱えてしまい、すみれは困った様な顔をしながら苦笑した。

「恋人って訳じゃ無いのよ。時々会って一緒に食事に行く位だし…」
「どんな方なんですか?」

多少遠慮がちながらも、やはりそこは女の子である。興味津々と言った体で身を乗り出して訊ねていた。雪乃も緊張を解いて、そのままのノリで話しはじめる。

「すみれさんの相手、凄く格好良い人よ。夏美ちゃんが湾岸署に配属になる前の年末に付き合っていた人でね、偶然署に来てた時に刑事課が殺人犯に占拠された事があったの。その時、単なる一般人だった彼は逃げる事も出来たのに、すみれさんを心配してその場に残ってくれて、しかも犯人に銃口を向けられたすみれさんを庇う為に、自ら前に立ってくれたりしたのよ」
「うわ〜、格好良いですね!」
「ちょ、ちょっと雪乃さん」

勝手に盛り上がっている二人に、すみれは慌てて会話を止めようとする。

「なのに結局すみれさんってば、あの後彼を振っちゃったのよね」
「ええっ。何でですか、勿体無い」

素直な意見をすっぱりと言う夏美に、すみれは何とも言い様の無い顔をした。

「……女心はイロイロあるのよ」

不貞腐れた様に言って食前酒を一気に飲み干したすみれの様子に、夏美は小首を傾げる。雪乃は苦笑しつつ、フォローを入れた。

「でも、彼はすみれさんが諦められなかったみたいでね、彼女を守れる位強くなる為にって警察官になって追い掛けて来てくれたのよ」
「えっ。それって凄いじゃないですか」
「んもぉ〜、何でそんなに詳しく雪乃さん知ってるのよ! そんなにベラベラ喋ったの、青島君は!!」

照れ隠しに怒ってみせるすみれに、雪乃は笑いつつも否定した。

「違うんです。実は青島さんに掛けて来た藍原さんの電話に、私が偶然出たんです。で、何処かで聞いた名前だなと思って、青島さんに問い詰めちゃったんです。だから青島さんを怒らないで下さいね」

そうは言っても、腹の虫の納まらないすみれは、後日青島にこのネタでランチを奢らせる事は確実だろう。
何時の間にか目の前に置かれていたサラダを、すみれはさくりとフォークで刺して口に運んだ。

「でも、どうしてその彼が青島さんに電話を掛けて来るんですか?」
「捜査で外に出ていた青島さんが、巡回中の藍原さんを見掛けて声を掛けてから、時々すみれさんの様子を連絡していたらしいわよ」
「ちょっと、青島君たらそんな事してたの?」

「も〜、ランチ一食じゃ許せない」と呟くすみれを見て、「御免なさい、青島さん」と雪乃は心の中で謝った。

「そんな人の事ばかり言って、雪乃さんは真下君とは巧く行ってるの?」

反撃に出たすみれに、雪乃は「えっ」と驚いた顔をして、夏美に突っ込まれる。

「雪乃さん、真下警部とお付き合いされてるんですか?」
「えっ、ちょっとヤダ、すみれさん!」

慌てる雪乃に、すみれはにんまりと人の悪い笑みを返す。その隙にスパゲティーがテーブルに運ばれ、「美味しそう〜」と目を輝かせた三人は、会話を一時中断して、暫し食べる方に熱中する。半分位食べ進んだ雪乃は、先程の誤解を解くべく話を始めた。

「別に私、真下さんと付き合っている訳じゃありません。そりゃ、時々一緒に食事に行ったりはしますけど…」
「でも、真下君は本気でしょ」
「もう、すみれさんたら、意地悪言わないで下さいよ」

困った顔で否定する雪乃の様子に、夏美は訝しそうな表情で訊ねた。

「雪乃さんは、真下警部の事が嫌いなんですか?」

何となく人の良さそうな真下の顔を思い出して、夏美は「悪い人じゃないと思うんですけど…」と呟いた。

「え、別に嫌いな訳じゃ無いのよ。私が刑事を目指して勉強し始めた時もいろいろ教えてくれたし、今も何かと面倒を見てくれたりしてるんだけど…」
「あの年末の時に、雪乃さんを置いて逃げたのも敗因の一つね」
「……逃げちゃったんですか?」
「そ、私の手を振り払って」

拗ねた様に言う雪乃に、夏美は心底同情した。そんな二人にすみれは一応真下のフォローもしておいてやる。

「でも、あの後SATを呼んでくれたじゃない」
「……呼んでくれたのは室井さんです。真下さんは単にSATが見たかっただけ」
「……」

つれない雪乃の台詞に、すみれと夏美は顔を見合わせて苦笑した。雪乃は決して真下の事を想っていない訳では無いのだが、色好い返事を貰えないのは彼の自業自得であるから仕方無いのだろう。「まぁ、へなちょこだしね」と呟いたすみれの言葉に、膨れていた雪乃も一緒になって笑った。

「そういえば、あの年末の時だったわよね、新城さんが管理官として初めて湾岸署に来たのって」
「そうそう、青島さんってば、初めて会った時から新城さんに目をつけられていたんですよね」
「……何でなんでしょう?」

二人の仲が悪いのは夏美も知っていたが、何がきっかけだったのだろうと思っていたので聞いてみる。

「何か、どうやら室井さんが青島君を信頼しているのが気に入らなかったみたい」
「……」
「エリート意識が高いですもんね、新城さん。キャリアがノンキャリと仲良くしてるのが我慢出来なかったんでしょうね」
「……」
「その上、あの年末の事件の犯人、青島君が捕まえて来た容疑者だったのよね。あれで完全に敵意を抱かれたんだろうな」
「何だかんだ言ってても、新城さんって室井さんの事気に入ってたみたいですから、焼きもちも入ってるんでしょうね。青島さん、可哀想」

じっと黙って聞いていた夏美は、何気なくぼそりと呟く様に言った。

「でも、今は青島さんに構って欲しくて絡んでいるんじゃないのかな、新城さん」

小さな声ではあったが、しっかりと聞いてしまった他の二人はピシリと固まってしまった。……そんな恐ろしい発言が出来るのは、湾岸署内広しといえども夏美位だろう。

「夏美ちゃん。それはちょっと…」

雪乃が遠慮がちに言いかけると、夏美はきっぱりと言い切った。

「だって、新城さんの青島さんや室井さんに対する態度って、小学生の『好きな子虐め』って感じしません?」

それを聞いた雪乃とすみれは、ついプッと笑ってしまった。あの仏頂面の新城を小学生と同等にして考えてしまう夏美は大物だと思い、更に変な想像をしてしまった様で、二人は笑いが止まらなくなった。

「……そんなにおかしいですか?」

困惑した様に訪ねる夏美に、二人は涙を拭きながら「ごめん、ごめん」と謝った。
食べ終えたお皿を下げたウェイトレスは、食後のデザートとコーヒーを静かに置いて立ち去る。

「美味しそう!」
「うわ、これ凄い美味しいです」
「え、どれ? あ、本当だ」

どんなに話に夢中になっていても、ついつい新しい食べ物が来ると食べる方に熱中してしまう三人だった。

***



「お腹一杯!」
「あ〜、美味しかった」

すっかり満足した彼女達は、久し振りのお喋りの時間を名残惜しいと思いつつ、けれども翌日の仕事の為に早々に店を出た。

「わあ、綺麗なお月様」

無邪気に夜空を見上げて感嘆している夏美に微笑んで、ふと雪乃は思った事を口にした。

「青島さん、まだお仕事してるんでしょうか」
「してるんじゃない? 書類沢山溜めてたしね」

心配気に言った雪乃に、すみれはあっさりと返事を返す。何気ない二人の会話に振り返った夏美は、しかし言葉とは裏腹に、ちょっと切ない顔で空を見上げている彼女等の姿を見てしまった。

……? もしかして、二人が好きな人って。

「さ、明日も早いし、帰ろ!」
「そうですね」

淡い慕情を振り切るかの様に、打って変わった明るい声ですみれと雪乃は言った。

「帰ろ、夏美ちゃん」

にっこりと微笑んで声を掛けるすみれに、夏美は一瞬じっと見詰めてから全開の笑顔を向けた。

「はい!」

私達の為にも、早くお互いの気持ちも共有しあって下さいね、お二人さん。

此処には居ない、乙女心を悩ませている根源を思って、夏美はそうっと夜空の月に願いを掛けた。


END





女の子が沢山書けて楽しかった〜…けど終わりが辛かった。だって終わりが見えな
いんですもん(爆)。特に何て事の無い話なんで、オチがつかなくて弱りました。
自業自得?! …面白味の無い話ですみません。でも女の子達、可愛いでしょ?