NO.2



「な、…何で此処に室井さんが?」

困惑した頭の中で、取り敢えずその言葉だけをやっと口にする。室井の方も、青島の何時に無いキチンとした格好に呆然としていたのか、声を掛けられてやっと我に返ったと言う感じで答えていた。

「あ、ああ。先週、恩田刑事から電話があって、今日この時間に此処に来てくれと用件だけ言って電話を切られたんだ」
「すみれさんが?」

何考えてんだよ、すみれさん…。

くらくらとする頭を抑えながら青島は落ち着きを取り戻すと、所在無げに立っている室井に慌てて道を開けて言った。

「と、取り敢えず立ち話も何ですから、中に入って下さい」
「しかし…」
「さ、どうぞ」

半ば強引に部屋に招き入れると、青島は扉を閉めながら「さてどうするか」と頭を悩ませ考え込んだ。室井は考え込んでいる青島をちらりと見て、さり気なく周りを見回した後、眉間に皺を寄せてきゅっと唇を噛んだ。そんな室井の様子に全く気付かずに、青島は「取り敢えずお茶でも煎れますね」と言ってそそくさとお茶の用意をし始めた。
青島がお茶を煎れている間、室井は鞄をテーブルの脇に置いて、コートをクローゼットに仕舞い込んだ。

「はい、室井さん。パックのお茶ッスけど」
「……有難う」

青島は二つの湯飲みを持って近付き、丁度ソファに座った室井にタイミング良く差し出した。受け取ったそれを室井は口にせず、そのまま黙って立ち上る湯気を見続けていた。

「……えっと」

何を話して良いのか困惑していた青島に、室井はゆっくりと顔を上げて言った。

「先週、退院したんだったな」
「え? は、はい」
「……済まなかったな、見舞いに行けなかった」

目を閉じて小さく頭を下げる室井に、青島は大いに慌てた。

「そんな。良いんですよ、仕事忙しかったんでしょう? 俺なんかの見舞いに来るより、そっちの方が大切ですもん、気にして無いッスよ」
「……」

青島のフォローの言葉を聞いて、室井の眉間の皺が僅かに深くなった。

「それより、すいません。…俺、退院した事留守電に入れただけで、あの後もう一度連絡しようと思ってたんスけど」
「いや、構わない」

『構わない』と言う言葉の割に、何処となく怒った様な口振りの室井に、青島の眉間にも軽い皺が寄った。

「……」
「……」

またもや二人とも沈黙してしまい、気まず気な雰囲気が暫し漂っていた。青島は視線を彷徨わせた後、意を決して室井に話し掛けた。

「あの」
「……何だ?」
「……怒ってます?」
「…何故だ?」
「だってココ(自分の眉間を指差して)、皺寄ってますよ」
「……地顔だ」
「……」

何となく納得出来ないでいる青島を無視して、室井が静かに声を掛けた。

「青島」
「はい」
「今日は…恩田刑事と……デートだったんじゃないのか?」
「え…」

遠慮がちに訊ねた室井の台詞に、青島は幾分動揺してしまった。

「すみれさん、室井さんにそんな事迄言ったんですか?」

呆れて言う青島に、室井は少し怒った様に睨み返した。

「この間の約束を守ったんだろう? …私の目の前で彼女を誘ったのは君の方だ」
「……」
「但し、君はすっかり忘れていた様だと恩田刑事は言っていたがな」
「……すみれさん、酷い」

本当の事だから文句言えないけどさ〜、と小声で文句を言っている青島を見て、室井は軽く溜め息を吐いた。

「そのデートの日に、彼女が私を態々呼びつけた理由を、君も知っているんじゃないのか?」
「……!」

ゆっくりと瞳を覗き込まれて、青島は一瞬言葉を飲み込んだ。そのまま黙り込んでしまった青島を即す様に睨んだ室井に、青島は目を閉じて静かに言葉を続けた。

「……俺ね、室井さん。入院している間、何度も室井さんに電話をしようとしてたんですよ。公衆電話の前に立って、受話器を取って、ダイヤルを回そうとして……でも、何時もそこで手が止まるんです」
「……」

黙って青島の言葉を聞いている室井を見て、青島は僅かに苦笑した。

「声が聞きたかった。無性に会いたくて堪らなかった。なのに……」

一旦言葉を切り、室井が今迄見た事も無い様な切ない目を向けられて、室井は内心動揺した。

「俺、本当は、室井さんに会うのが怖かったんです」

俯いてボソリと呟く様にして言った台詞に、室井は驚いて目を見開いた。

「室井さんに会わせる顔が無いって…自分がこれ程嫌になったのは初めてだった」
「青島…?」

理由が判らない室井は、青島の苦悩した顔を覗き込む様に近付けて真正面から見詰め、二人は暫く互いに見詰め合っていた。

「室井さん、降格したって聞きました」

静かに言った青島の言葉に、室井は瞳を大きくして驚いた。

「――! それは」
「俺の所為です」
「違う! 君の所為じゃ無い」
「俺の所為です。…俺があんな我が儘を言わなければ、あんたは責任を取らなくて済んだんだ」
「違う、あれは私が自分の意志で言ったんだ。私の言った言葉に従った為に、君は怪我をした。責任を取るのは当然だろう」
「あんたに責任は無い。あの命令は、俺があんたに無理矢理言わせた様なモノだし、この怪我だって俺の油断が招いた事だ。俺の勝手な感情であんたを振り回して、挙げ句に責任を追わせて……俺って最低だよ」
「青島……」

悲痛な表情をした青島を見て、室井は言葉を詰まらせた。項垂れて、今にも泣きそうな顔をした青島は、まるで親に置いてかれた子供の様だと室井は思った。

「入院している間、ずっと考えてた。あんたは俺との約束を守ろうと一生懸命頑張ってくれているのに、俺は約束を守るどころか、あんたの足を引っ張ってばかりいるって」
「……」
「俺は、あんたの手伝いなんか出来る程の人間じゃ無い。俺は…あんたの側に居ない方が良いんだって…もう会わない様にしなくちゃいけないって思って、俺…」
「…そうしてお前は、俺との約束を無かった事にするのか?」

静かに言った室井の低い声に、思わず青島は顔を上げた。そこには無表情な顔をした、感情を読み取らせない『冷酷な監察官』状態と化した室井の姿が在った。

「お前は何時でもそうだ。勝手に決めて、勝手に行動する。他人の事等お構い無しに、物事を進めて行くんだ」
「……」

室井の静かな声に反論出来ずに、青島は黙ったまま項垂れた。

「お前は、お前が俺の足を引っ張っていると言う。確かにそうなのかもしれない。だが、それで遠回りをしているんだとしても、俺は昔の様に何も見ずに、何も知らずにただひたすら上を目指すつもりなんて無い。上の指示一つで現場の人間が死ぬかもしれないと言うのに、現場の事を何も知らない人間が上に立つ現状を、自分が理解しないまま上に行って何の意味があるんだ。俺が、俺達が目指した警察は、そんなんじゃ無かっただろう? 俺一人では無理なんだ。現場の人間の気持ちを知って、そして伝えてくれる人間がいなければ、俺だって何時の間にか他の奴らと同じになってしまだろう。お前は…生き残って迄、俺を一人にするつもりなのか?」

最後の室井の台詞に、青島ははっとなって顔を上げた。室井の瞳に涙は無かったが、奥歯を噛み締めてぎゅっと握りしめた両手拳を睨みつけている姿は、青島を切ない気持ちにさせた。青島は無意識に手を延ばし、そのまま室井を抱き締めた。

「…っ!」
「御免なさい、室井さん」

いきなりの青島の行動に驚き、僅かに身じろぎした室井は、しかし抵抗はせず、大人しく青島の腕の中に居たままだった。そんな室井に安心して、青島は室井の肩に顔を埋めて、小さな声で謝った。

「御免、俺、ホント最低だね」
「……ああ、最低だな」

震える声で返事を返した室井は、自分の両手を青島の広い背中にそっと回した。

「俺、怖かったんです。迷惑ばかり掛けてる自分に呆れて嫌われる事が…あんたに嫌われる事が、何より怖かった」
「…もう慣れたって言っただろ。呆れてはいても…俺はお前を嫌いになる事なんて出来ないんだ」
「…どうして?」

力を緩めて顔を覗き込もうとした青島の視線を避けて、室井は青島の胸に黙って顔を埋めた。そんな室井の様子を見て、青島は又そっと抱き締めて呟いた。

「……何か、俺達って莫迦みたいッスね」

くすりと笑った青島に、室井は少し安堵しながら反論した。

「お前だけだろ」
「あ、酷ぇ」

室井の憎まれ口にムクれつつも、青島は腕をそっと離して笑顔を見せた。

* * *

気持ちが落ち着いた二人は、折角だからとそのままホテルに泊まる事にした。交互にシャワーを浴びた後、普段お目にかかれないパジャマ姿の互いの姿を見て、青島も室井も口には出さなかったがかなり動揺していた。
頭を拭きながらビールを飲む青島の姿をじっと見詰めていた室井は、此処に来てからずっと気になっていた疑問を口に出してみた。

「青島」
「何スか?」
「君は…恩田君と、この部屋に…泊まるつもりでいたのか?」

げほっ、とビールを噴きそうになって慌てた青島は、声を整えつつ即座に否定した。

「まさか! 幾ら何でも、恋人でも無い女性とホテルに泊まる程、俺は非常識じゃ無いッスよ。それに俺は……」

じっと見詰める室井の視線に、青島は焦って視線を反らし口籠った。

「いえ、その。…そう、すみれさんが今日、室井さんを呼び出した理由なんスけどね、多分さっき話した俺の考えに勘付いていたんだと思います、彼女。だから、俺が逃げられない様にホテル迄取って、室井さんを呼びつけたんですよ」
「……」
「すみれさんって本当に勘が良いからなぁ。どうせ『うざったいから何とかして』って感じで押し付けられたんですよ、室井さん」
「……」
「このホテルだって、別に普通の部屋でも構わなかった筈なのに、こんな高そうな部屋を使って……これって嫌味なんだろうなぁ」

溜め息を吐きつつ、くすりと苦笑しながら呟いた。

「本当、すみれさんには適わないや」
「……そうだな」

素直に感謝しつつも「又何奢らされるのかなぁ」とぼやいている青島を見て、室井はすみれの行動の奥にある優しさと切なさに瞳を閉じ、心の中で感謝しながらも詫びていた。

「室井さん?」

黙ってしまった室井を覗き込む様にして近付いた青島の顔を至近距離で見て、僅かに室井は動揺した。

「いや、何でもない」
「そうッスか?」

飲み終わったビールの缶をゴミ箱に入れている青島をじっと目で追っていた室井は、一瞬躊躇しながらも青島に声を掛けた。

「青島」
「はい?」
「…その、頼みが有るんだが」
「何スか?」
「傷を…見せて貰えないか?」
「はぃ〜?」

いきなり言った室井の台詞に、青島は目を丸くして驚いた。

「傷って…あの時の?」
「…駄目か?」

頼り無気に再度訊ねた室井のその真意を読み取る事は青島には出来なかったが、まあ良いかとあっさり考えて、頭をぽりぽりと掻きながらにっこり微笑んで了承した。

「良いですよ」

パジャマのシャツを捲り上げてもまだ見え難かったので、青島はズボンを少し下げて室井に見せた。

「これッスよ。…もう少し経てば、そんなに目立たなくなると医者は言ってました。まあ、女じゃ無いから痕なんて残っても別に構わないんですけどね、俺は」

じっと傷痕を見詰めた室井は、そっと手で其所に触れた。

「む、室井さん?」

室井の行動に困惑した青島は、慌てて声を掛けた。

「この傷痕は、他の誰かに見せたりしたのか?」
「…いいえ? 今の所病院の医者と看護婦さん位ッスよ、こんなの見せたのは」

静かに問いかける室井に、青島は首を傾げながら答えた。

「なら、もう一つ頼みが有る」
「はい?」
「これからも…この傷痕は、他の誰にも見せないでくれ」
「…はぃ?」
「この傷は……」
「……?」

室井が何を言いたいのか判らずに、青島は室井の顔を覗き込んだ。室井は青島の視線を正面から受け止め、真剣な眼差しでこう言った。

「これは、俺のモノだ」
「え…」

傷痕に触れている室井の掌の熱さがダイレクトに伝わり、数センチの距離しか離れていない程近付いている大きな瞳で見詰められて、青島の頭は混乱していた。してはいたが、それとは別に、やけに冷静な自分が室井の手を取らせ、指先にそっと唇を寄せた。

「……!」

室井は驚いて瞳を大きく見開いたが、手を引いたりはしなかった。そのまま青島は室井の手を握りしめ、上目遣いでにやりと笑った。

「何か…それってプロポーズみたいッスね」
「青島」
「良いッスよ。室井さんが望むなら、この傷は誰にも見せません。その替わり…」

耳元で囁いた青島の言葉に、室井は首迄真っ赤になった。

―――責任、取って下さいね?



END
  






嫌〜〜!! こんな筈では無かったのに(号泣)。このシリアスは何事?!
おかしい、ギャグだった筈なのに何処でどう間違ったのだろう…って、え?
これも一種のギャグ? でもでも、此処で終わっても…良いよね?? 普通
のパターンで行けば上手く行って、そんで裏ページとかに続いてたりするん
だろうけど…私にはそんなの無理〜(殴)なんで御想像にお任せ致します!