ロス研


澄み渡った綺麗な青空に、飛行機が一機羽ばたいていた。
その反射した光を浴びて、男は信号待ちの車の中、眩しそうにそれを見上げた。


新東京国際空港、通称・成田空港


騒然としたフロアを、賑やかに子供達が駆け回っていた。

「待ってよ〜。あっ!」
「おっと」

その内の一人の女の子が余所見をしていた為に、丁度前を歩いていたモスグリーンのコートを羽織った男にぶつかってしまった。倒れそうになったその子を、男が素早く支えて助けてくれた。

「危ないよ? 遊ぶんだったら、もっと広い所でね」
「うん。ありがとう、おじちゃん!」
「――」

一瞬笑顔が凍り付き絶句してしまったが、気を取り直して(多少引きつって)微笑んで訂正をする。

「…お兄ちゃん、ね」
「は〜い!」

聞いてるのかどうかは怪しかったが、また元気良く走って仲間の所に戻って行く女の子を、その『自称お兄さん』は苦笑しながら見送った。

「さて、と」

頭を掻きながらベルトコンベアに近付いた彼は、流れてきた大きなトランクを一つ「よいしょ」と持ち上げ、ゴロゴロと重そうな音を立ててタクシー乗り場の道程を歩いて行った。
しかし、辿り着いた場所には沢山の人が集まっていて、そのあまりの長い行列に、彼は盛大な溜息を吐いてしまった。

「…何時に着くかな」

ぼやきながら思わず腕時計に目をやると、急に後ろから声が掛かった。

「送って行こうか」

突然の聞き覚え有る声に驚いて振り向き、その人物を確認する。

「……室井さん」
「元気そうだな」

生地は幾分薄めとはいえ、相変わらずきっちりと着込んだスーツ姿の室井が目の前に立っていて、彼は慌てて荷物を引き摺りながら、駆け寄って行った。

「ど、どうしたんスか? こんな所で」

驚いた顔で尋ねた彼の視線に目を逸らして、少しバツの悪そうな顔をしながら呟いた。

「ちょっと、…近くまで来たんでな」
「近くって……成田に?」

不思議そうにじっと見詰められた室井は、居心地悪そうな様子でいたが、深く突っ込まれない内にと思ったのか、殊更に憮然とした表情で言った。

「署に戻るんだろう?」
「え? は、はい」
「ついでだ、送ってやる」

そう言って肩に掛けていた鞄を取り上げ、さっさと待たせていたタクシーに向かってしまった室井を、彼はついぼんやりと見送ってしまった。そのまま唖然と立ち竦
んでいると、付いて来ない彼に気付いた室井は振り向いて声を掛けた。

「青島?」
「え、あ、はい」
「何してる。乗らないなら置いていくぞ」
「え、あの、ちょっ、の、乗ります!」

我に返った青島は、慌てて室井の後を追って行った。


タクシーの運転手に荷物を渡して後ろのトランクに押し込んで貰い、青島と室井は仲良く(?)後部座席に乗り込んだ。走り出した車の中、外の景色を眺めている室井を見て、青島はほっと一息吐いた。

「なんか成田空港って、『日本』っていう気がしないッスよね」
「……」
「さっき、室井さんの顔を見て、『やっと日本に帰って来た!』って感じがしましたよ」
「……」
「いや〜、向こうもなかなか良かったッスけど、やっぱり日本が一番良いッスよね」
「……」

明るく話し掛ける青島を余所に、ずっと黙り込んだまま返事の無い室井の横顔をちらりと見て、控え目に声を掛けてみる。

「あのぅ〜」
「……何だ」

返事はしてくれたが、相変わらず視線は外を見たままの室井に、苦笑しつつも青島は言葉を続けた。

「有難うございました」
「……何の事だ?」

振り向きもしない室井を気にせずに、嬉しそうな顔で青島は言った。

「迎えに来てくれたんですよね、室井さん」

その言葉に、室井は一瞬動揺して視線を青島に向けたが、直ぐに外に向き直り、不機嫌な声で念を押した。

「――勘違いするな。ついで、だ」
「仕事の、ですか? だったら何でタクシーなんスか? 仕事だったら運転手がいる筈でしょ」
「〜〜っ、たまたま、だ」
「はいはい。……素直じゃ無いんだから」

最後は小声で言ったのだが、如何せん隣に座っているのだから聞こえない筈も無く、室井は眉間に深い皺を寄せて青島を睨み付けた。

「……何か言ったか?」
「い〜え、何でも無いッス」

目線を反らしながらも、今にも鼻歌を歌いそうな位に上機嫌な青島を見て、小さく舌打ちをした室井は、その後気を取り直してボソリと声を掛けて来た。

「どうだったんだ」
「はぃ?」

唐突に始まった会話に青島が面食らっていると、室井はむっとした顔で言い直した。

「研修だ」
「あ、ああ、はい。良かったッスよ。しっかり勉強させて頂きました」

にっこり笑顔で言った青島を、室井は疑わしそうな顔で睨み付けた。

「…本当ですよ。刺激的な毎日で楽しかったッス」
「遊んでばかりいたんじゃないだろうな」
「酷いなぁ、そりゃあ、まあ、ちょっとは…」

何か思い出したのか、ちょっと言葉を濁した青島の様子に室井はジロリと睨み付け、青島は叱られた子供の様に首を竦ませた。

「…ちょっとだけですってば。観光したりもしましたけど、学ぶべき事が多くて時間が幾ら有っても足りない状態だったんスから、そんなに遊んでなんていらんなか
ったッスよ。室井さんだって行った事が有るんですから知ってるでしょ」

青島の台詞に、室井は目を大きく見開いて驚いた。

「まあ、キャリアとノンキャリの研修じゃ、内容は天と地程の差が有るんでしょうけどね」

室井の様子に青島は全く気付かずに話し続けた。

「良いッスよね〜、キャリアは。行きの飛行機からして全然俺達と扱いが違うんだもん、嫌になっちゃいますよ」
「青島」
「はい?」
「……何故君は、私が研修に行った事が有ると知っているんだ?」
「はぃ〜?」
「私は君に言った覚えは無いのだが」

『あ、やべ』と呟いた声が室井の耳に入り、更に眉間の皺が深くなる。青島は誤魔化す様に笑顔を向けたが、そんな事で誤魔化せる様な室井では無かった。白い冷た
い目で睨まれて、青島は困った様な顔をした。

「向こうで仲良くなった連中と喋っていた時に、ふと室井さんの名前を出したら反応した奴が居たんスよ。それで……その、俺の言っている『室井さん』は、同じ『ムロイ』なのかって話になりまして…」

段々と声が小さくなっていく。

「何を聞いたんだ?」
「え。いや、そんな大層な事を話していた訳じゃ無いッスよ。ホント、全然くだらない事ッス!」
「だったら言っても良いだろう」

詰め寄って来る室井に慌てた青島は、何とか誤魔化そうと違う話題を振ってみた。

「ほ、他にもいろんな事を教えてくれましたよ。向こうの警察の話とか、生活習慣や物の考え方とか、日本の警察との違いから女の話まで」

最後の一言で、より一層室井の眉間の皺が深くなった事には、幸い(?)な事に青島は気付かなかった。

「いや〜、こういう研修って勉強になりますよね!」
「……女性の話は話だけで終わったのか?」
「は?」

じろりと睨み付けられている事にようやく気付いた青島は、慌てて首を振った。

「は、話だけッスよ、勿論! そんな、研修中に不謹慎な事したりしませんよ」
「どうだかな」
「室井さん〜、それ酷いッスよ」
「研修中でなければ何をしてきたんだか、想像したくもないな」
「信用して下さいよ〜、室井さん…」

殆ど涙ぐんだ顔で訴える青島に、室井もふと表情を綻ばせた。

「話題を反らそうとしても無駄だぞ、青島。向こうで私の何を聞いて来たんだ?」
「うっ」

泣き真似をしていた彼に容赦なく室井は問い掛けた。
問い質す室井の視線を避けて、青島は態とらしく外を見る。

「あ、着きましたね」

天の助け!と青島が思ったかどうかは不明だが、胸を撫で下ろしたのだけは確かだろう。
門の少し手前で車が止まり、青島はさっさとドアを開けて外に出た。

「青島」

荷物を運転手から受け取りつつも、呼び止める室井に振り返り、鞄から袋を取り出して差し出す。

「……何だ?」
「お土産です」
「あのな、」
「送ってくれて有難うございました。向こうで教わった感謝の仕方で表しましょうか?」
「何?」

ドアを開けて今にも外に出ようとしていた室井に、ゆっくりと近付いて軽く抱き締めた。

「――!」
「流石にキスしたら怒られそうですからね。これ位なら良いっしょ?」

固まってしまった腕の中の室井ににっこり微笑んで言う。

「君は!!」

真赤になって青島の腕を振り払う室井に逆らわずに解放した後、呆然としている運転手に愛想の良い挨拶をするのを忘れない青島だった。

「それじゃ、本当に有難うございました」
「あんまり問題起こすなよ」
「…それってあんまりじゃないッスか?」

上目遣いで情けない表情をする青島を一睨みし、室井は大人しく車のドアを閉めた。
遠離る車を見送り、青島は久し振りの我が署へと足を向けた。


END
   






夫婦漫才…。私はこの運転手になりたいかも。(莫迦?)
ちなみにお読みになってお判り頂けたと思いますが、二人
の関係はまだまだです。…駄目だ、コリャ。(ガクッ)