●○ 恋人 ○●




「ねぇ、青島君」
「ん〜、何? すみれさん」

珍しく机に向かって真剣に書類を書き殴っていた青島は、振り向きもせず返事だけを返した。すみれも同じく書類を書きながら声を掛けていたのだが、口調は天気の話をしているかの様に何気ない調子だったけれども、その内容はこの場にはとても不似合いな質問だった。

「青島君の恋人って誰?」
「…へ?」

何気なくいきなりそんな風にそんな事を訊ねられて、青島は走らせていたペンを落としそうになった。

「いきなり何聞く訳?」

恐る恐る振り向く青島に、すみれは「ん〜」と呻きながら書類を睨み付けていた。

「だから青島君の恋人。最近出来たでしょ?」

振り向きもせずきっぱりと言い切られて、青島は言葉も無くすみれの背中を見詰めていた。

「え、青島さん、彼女出来たんですか?」
「先輩、何時の間に!」

今迄外に出ていた雪乃と真下がちゃっかりと会話に参加をして来た。

「あら、お帰りなさい」
「ただいま、すみれさん」
「課長、ただいま戻りました」

挨拶をして上着を脱ぐと、二人は興味津々で青島に視線を向けた。

「…何で君達迄会話に参加する訳?」
「え、だって…」
「気になるじゃないですか、やっぱり」

うんうんと頷き合う雪乃と真下を眺め、すみれはチロリと視線を青島に注ぐ。

「……だそうよ」
「あ、あのねぇ!」

ちなみに、脱力しつつ叫ぶ青島を期待を込めた目で見ているのは実は二人だけでは無かった。よく周囲を見てみると、さり気なく聞き耳を立てている人やじっと見ている人等があちらこちらにいるのだった。しかもそれは警察官だけで無く、連れて来られた被害者や被疑者の視線も加わっていた。そんな事に全く気付いていない青島に、思わず溜め息を吐いてしまうすみれだった。

「でも青島君もいけないのよ」
「…何で」

ぶ〜たれた30男なんて可愛くも無いわよとつれなく呟かれ、益々膨れた青島にすみれは容赦なく言った。

「だって『俺、恋人が出来ました!』って言わんばかりに幸せそぉ〜うな顔して出勤して来るんだもん、交通課の女の子達に『噂して下さい』って言ってる様なもんよ」
「……そんな顔してた?」
「してた」

雪乃と真下も「そう言えば…」と最近の青島を思い出して納得していた。

「だからって何ですみれさんが聞く訳?」
「別にあたしは青島君のプライベートを聞くつもりなんて無かったわよ。だけど皆が揃ってあたしに聞いて来るんだもん。……あたしだって迷惑してるの!」

不機嫌な表情で睨み付けられて青島は一瞬怯んだが、どうにも疑問が残ったので遠慮がちに訊ねる。

「……何ですみれさんに聞くの?」
「知らない。本人達に聞いてよ」

にべも無いすみれの台詞に青島は項垂れた。そんな彼に追い討ちを掛ける様に、悪気の無い真下は気楽に質問した。

「良いじゃないですか先輩、名前位教えて下さいよ。僕達の知っている人なんですか?」
「……あのね。女の子達はともかく、何でお前迄聞くの」
「だって気になるじゃないですか」
「何で」
「何でって言われても……身近な人や親しい人の恋人って結構気になるじゃ無いですか」
「そうかなあ?」
「そうですよ。ほら、先輩だって室井さんに恋人が出来たって聞いたら気になるでしょう?」
「………え?」

驚いたのは青島だけで無く、すみれや雪乃迄目を丸くして真下を見た。

「え、何それ初耳」
「本当なんですか、真下さん」

青島の時よりも更に興味を持った二人は、じりじりと真下に詰め寄った。

「え…、ええ。この間本店に居る友達が教えてくれました。最近室井さんが時々プライベートらしき電話をしてたり、何となく帰る時間も早くなったとか…」
「別にそれだけで恋人が出来たって思うのは何じゃない?」

すみれの言葉に、真下は少しムキになって言った。

「それだけじゃ無いんですよ。前の日と同じ服で出勤して来たりとか、彼の趣味とは明らかに違うと思われるネクタイをしてたりとか、他にも人当たりが以前より大分良くなって表情も穏やかになって来たって、本店じゃ結構噂になってるんですよ」
「あの室井さんに…」
「そう言えば、時期的に先輩に彼女が出来た時と同じ位ですね。やっぱりこれも名コンビだからなんでしょうか」
「腐れ縁じゃない?」

悪戯混じりの表情で悪態を吐けば、青島は引き攣った笑みを浮かべて素直に同意した。

「…そ、そうかもね」
「…………………?」

呟いた後慌てて明後日の方向を見る青島を訝しそうに見詰め、ふと何かを思い付いたすみれは思わず眉間の皺を寄せ、そして徐に机に向かい直して書類に取り掛かった。

「すみれさん?」
「もう良い。判った、青島君の恋人」
「……すみれさん?」
「え、判ったんですか?」
「ええっ、誰なんですか、教えて下さいよ」

二人に詰め寄られて聞かれたすみれは、チラリと少々焦った様な表情をした青島を見て言った。

「駄目。あたしは自分で考えたんだから、二人とも自力で考えて」
「ちょ、ちょっとすみれさん!?」

判ったって誰だと思ってんの?とは恐くて聞けない青島は、ただただ焦るばかりであった。そんな青島を他所に、雪乃と真下はすみれに質問を繰り出す。

「自力でって言われても…」
「あ、て事は僕達が知っている人って事ですか?」
「う〜ん。知ってるけど……知らない人」
「何ですか、それ」
「謎謎みたい」
「これ以上ヒント無し。じゃ、そう言う事で」

あれこれと考え出した二人を他所に、すみれは黙々と書類に取り掛かった。取り残された青島は、暫し呆然としつつ果たしてすみれの思った相手が合っているのかどうか確かめるべきかどうか悩むのだった。

「あ、真下さん。もしかして、室井さんの紹介とかじゃない?」
「そ、そうか! そうですよね。さっき室井さんの恋人の話をしていてすみれさんは気付いたんですもんね」
「室井さんの彼女の知り合いとか、ひょっとしたら姉妹なのかも…」
「凄い! それだったら先輩と室井さんって義理の兄弟になるんじゃないですか」
「……あのね」

当らずも遠からず、と言うかそれは全然違うだろ!とは心の中で叫ぶ青島の背後から、更に勝手に盛り上がるギャラリー達が姿を現した。

「何っ? 青島君、それ本当?!」
「何だって、君、それは大変だよ。そう言う事は早く言ってくれないとこっちも色々とね」
「ああ、署長! それでしたら一度我々も御挨拶に伺わないと」
「そうだよね。袴田君、室井君のスケジュールは今どうなってるの」
「あ、はい。ええっとですね…」
「あ〜、もうっ! 課長達迄何言ってんスか! 頼むから勝手に会話に参加しないで下さい!」

頭痛を押さえて怒鳴る青島を無視して話はどんどん大きくなって行く。
……今日も湾岸署は平和であった。


END





リハビリ用に書いてみたんですが、私って本当に湾岸署メンバーが好きなんですねぇ(苦笑)。