誕生日
「来月の13日、電話くれませんか」
唐突に投げ掛けられたその言葉に、らしくもなく室井は一瞬反応が遅れ、一重の瞼を幾度か瞬かせて大きな瞳でまじまじと相手を見詰めた。対する青島の方は気にした風も無く、廊下を行き交う人々の邪魔にならないように端の方へとさり気無く移動をして室井をも誘導した。
ここは湾岸署では無く、室井のテリトリーである本庁だったのだが。
「13日に何かあるのか?」
周りを気にしつつも、首を僅かに傾げて怪訝そうに問い返す。途端に眉間に皺が寄せられたが、見慣れたものなので青島は気にも留めない。本人は自覚すらしていないだろうが、年齢の割りに綺麗な肌をしている室井だったから、これでは跡が消える暇も無いなぁ等と検討違いな心配はしていたが。
「俺の誕生日なんスよ」
アッサリと告げた真実に、室井の皺が益々深くなる。彼の眉間の跡の責任の半分は彼にあると言っても差し支えないかもしれない。
「何故、私が君の誕生日に電話をしなければならないんだ」
「え。だって俺、その日仕事なんスよ」
「私も仕事だ」
「だから、電話下さい」
「……」
益々不可解な押し問答になり、室井は顔を顰めて睨み上げる。けれど相変わらず青島は動じない。
「私が電話を掛ける事に、何か意味があるのか?」
溜め息混じりに問えば、青島は困ったように苦笑した。
「ありますよ。少なくとも俺には十分」
「……」
真面目な顔で断言され、室井は反論する言葉を飲み込んでしまった。何故、胸が騒ぐのだろうか?と己の身体の変調に困惑すらしていたが、直ぐ様『働き過ぎだろうか』と考えてしまう辺り、仕事病というより朴念仁過ぎていてどちらもどうにも報われない。
「…判った。13日だな」
まぁ良いか、と深く考えるのを止めた室井が了承の意を唱えると、青島の方が息を止めて驚愕の目を向けた。
「え。良いんスか?」
自分で言った癖に、大層驚いた顔でまじまじと自分を見詰める青島に溜め息を零す。
一体何を考えているのか理解不能だと、何度も思い知らされる男だと思う。
「確約は出来ない。仕事中は当然論外だが、時間が空いた時に忘れていなかったら電話してやる」
「良っスよ、それで」
嬉しそうに笑って「ありがとうございます」と礼を述べる青島に、室井は大層複雑な表情を浮かべた。
「…君の言動は、いつも理解に苦しむ」
指先を眉間に押し当てながら愚痴らしき言葉を口にする室井を面白そうに眺める。
「ミステリアスな方が魅力を感じるっしょ?」
悪戯っぽく笑んで訊ねれば、室井は僅かに唇の端を上げて小さく答えた。
「……そうだな」
「え?」
珍しい室井の表情と予想外の呟きに、今まで動じなかった青島が焦ったように室井を見た。
「話がそれだけなら仕事に戻る。君もいい加減戻り給え」
「あ、はい」
誤魔化すように話を断ち切られ、問い返したい気持ちを抑えて頷く。室井はいつもの官僚の雰囲気そのままで、颯爽とその場を立ち去りその後姿をぼんやりと見送った。
「…約束、忘れる人じゃないんだよね」
緩む顔を掌で押さえ、込み上げる笑いを必死で留める。
「おっしゃ! そんじゃ、頑張りますかね」
その約束を思い出せば、これから怒涛の様な忙しさに襲われる予定の年末も軽々と乗り越えられそうな気になれる。
足取りも軽やかに、鼻歌を歌いながら自分も署へと戻る為にその場を後にした。
数時間後、すこぶるご機嫌な青島を見た湾岸署の面々は、その不気味さに一日中遠巻きにしていたのに気付かないのは本人だけだった。
END
|