七夕



「今日って七夕じゃないですか」

湾岸署での仕事を終え、毎度の如く青島の運転する車に乗って本庁に戻る途中、突然青島がそんな事を言い出した。彼の会話が突然なのはもう慣れたつもりだったが、それでも室井は何気に眉間に皺を寄せてしまう。

「それがどうした?」

普通の人ならば不機嫌だと認識する表情で答えても、青島は気にする風でもなく思いついた話をそのまま続ける。それは室井を酷く安心させる行為なのだが、幸か不幸かお互いそれには気付いていない。

「いえね。ついさっき、すみれさんと雪乃さん達が、この時期って大抵天気悪いから二人が可哀想だって話してまして…。あ、室井さん、織姫と彦星の話知ってます?」
「……莫迦にしているのか?」
「いえいえ。室井さんってそういう話に興味無さそうだから」

悪びれもせずあっさりと言い切る青島に、僅かムキになる室井の口調はきつめだった。

「一般知識として知っているだけだ。それでそれが何なんだ?」

通勤ラッシュも落ち着いてきた時間だと言うのに、まだまだお台場の交通状態は悪くて車の進みは緩やかだ。青島はちらっとバックミラー越しに室井の顔を見て、人好きのする笑顔を浮かべた。

「えっと。毎年この時期になると天気悪いでしょ。雨が降らなくたって曇り空で星なんか見えやしない。…ま、天気だって東京の空じゃ天の川なんて見られる訳無いんスけど。その問題は置いといて、折角一年に一度しか会えない二人なのに会えないなんて可哀想だって、すみれさん達がそう言うんスよ」
「……」

何をどう答えて良いのか判らず、室井は只青島の言葉を黙って聞いていた。

「でもね、俺思うんスよ。天気が悪くたって天の川が見えなくたって会えない訳じゃないだろうって。ほら、だって二人は空に居る訳だから、雲のずっとずっと上に居る連中が地上の天気なんて関係無いじゃないかって…室井さん、そう思いません?」
「……」

どう答えろって言うんだ?

と喉元まで出掛かっていたが、青島の大真面目な顔を見ていると、何故か段々笑いがこみ上げて来た。それを必死に抑える為無表情を貫こうとするが、声を出すと噴出してしまいそうだったので押し黙る事で精一杯だった。そんな室井の気持ちを知らない青島は、あまりに返事が返って来ないのを訝しんで再度呼び掛けた。

「室井さん?」

気付かれない様に小さく息を吐くと、じろりと目の前の男を見た。

「君は…」
「はい?」
「見掛けによらず、ロマンチストなんだな」
「はいぃ〜?」

間の抜けた反応に耐え切れずに小さく噴出して笑う室井に、青島は怒るより何より恥ずかしくて落ち着かなくなった。
室井は笑いを収めて微笑を向けた。

「じゃあ、君の案を採用すると、織姫と彦星は毎年必ず出会っている事になるんだな」
「…まぁ、そうっスね」

実際、物語では『天気が悪いと天の川の水が氾濫し、船で渡る事が出来ない為に二人は逢う事が出来なくなる』と言う事なのだが。確かにそれは何処の天気を基準にすれば良いのかと言う規定は無い。雲よりもずっと上の宇宙の天気なぞ、地上に住む人間に解ろう筈もないのだから当然と言えば当然だ。

「たった一晩の逢瀬か。例え一年に一度しか会う事が出来ないとは言え、お互いを信じ合い想い合ってさえあればそれで幸せなのだろうな」

窓の外を見詰め何かを思う様に呟く室井の台詞に、青島も神妙な顔で頷く。

「ですよね。……でも」
「?」
「多分、俺だったら一年に一度しか逢えないなんて我慢出来ないかも。やっぱ、好きだったら声聞きたいし、顔見て抱き締めたいと思うじゃないっスか」

力の篭った青島らしいぼやきに、室井は複雑な顔をして目を閉じる。

「……そう、かもな」
「……」
「年に一度の逢瀬か。だが私は……」

会えなくても、気持ちが通じ合えていればそれだけで良い……等と思うのは、余程自分の方がロマンチストなのだろうか、と室井は思った。

「……え?」

黙り込んでしまった室井を、青島は運転席から振り返って不思議そうに見詰める。

「いや、何でも無い」
「室井さん」
「渋滞が酷くなってきたな。ここで降ろしてくれ。そこから電車に乗った方が早そうだ。君もまだやる事が残っているのだろう? 行きたまえ。私も仕事に戻る」
「…はい」

進まなくなった車から降りて足早に去って行こうとする室井の後姿を眺め、青島は咄嗟に呼び止める。

「室井さん!」
「?」

立ち止まって振り向いた室井の顔に僅か赤みが差している気がして一瞬動揺するが、それによって言えずにいた己の本音を意を決して告げる勇気が出た。

「年に一度じゃないけど。間に流れているのは天の川なんかじゃないけど。信じて…想ってて良いっスよね?」
「……っ!」

目を剥いて驚く室井を見て、青島は笑った。
彼が今、自分と同じ事を想っていたのだろう事が判ったから。

―――だって、室井さん、顔真っ赤だし。

逃げる様に背を向けて歩き出した室井を見詰め、誰にともなく呟く。

「さぁて、俺も頑張りますかな」





その後、上機嫌で署に戻った青島を見た人々は、口を揃えて「気味が悪い」と囁いた。







END



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昨年書き終えられず、ようやく今年お目見えする事が出来ました。こんな短い話なのに何故…(遠い目)。


 20040707