RUSH! /2

「コースは、此処からあの柵にタッチして戻って来るっていうのでどう?」

すっかり場を仕切っているすみれが、コースの説明を二人にしていた。そんな中、何時の間にか署の裏手の道を、刑事課及び交通課他沢山の野次馬が周囲を固めていたりする。

「署長。お止めしなくて良いんでしょうか」
「しかしねぇ、君。室井さんが走るって言うんだから、この場合はお止めしたら余計に不興を買うんじゃないの?」
「上手く青島君に乗せられちゃいましたからねぇ。大丈夫でしょうか…」
「君、何かあったら上司である君の責任だからね。僕は知らないよ」
「ええっ、そんな、署長! これは青島君が勝手に仕掛けた事で、私は全く関係無いですよ」
「部下の監督不行届きでしょ。青島君の失敗は、直接の上司である袴田課長の責任。これ常識」
「良い事言うね〜、秋山君。座布団一枚」

呑気に掛け合い漫才をしている三人を余所に、青島と室井は睨み合ったまま動かなかった。

「俺、手を抜きませんからね? 止めるんなら今しか無いですよ」

ニヤリと意地悪く言う青島に、室井はキッと睨み付けて言い返す。

「誰が逃げるんだ。君こそ、恥をかく前に止めておいた方が良いんじゃないのか?」

二人の睨み合いに、すみれは肩を竦めながら「ほら、始めるわよ」と言って先を即した。
室井は上着を脱いで、シャツとベスト姿になる。滅多に見られない室井の姿に、周囲が暫し騒然となる。が、当の本人は全く気がついていなかった。
青島は室井の細腰を間近に見て内心クラリときていたが、何とか平静を保ちつつ、自分も上着を脱いで真下に向かって放り投げた。ネクタイを緩め、準備万端になる。

「準備良いわね? 行くわよ」

すみれの声に、二人はお互いスタートの姿勢を取る。

「用意……」

真剣な表情の青島と室井に、周囲の人間も息を飲んで見守る。

「スタート!」

綺麗にスタートを切る二人に、ギャラリーの人々も一斉に声を出して応援し始めた。青島の走る姿は、湾岸署の人間であれば殆どの者が見ている筈だったのだが、真剣になって無心で走る彼の姿に、何となく頬を染めてしまう婦警も何人か出ていた。そして多分誰もが想像した事も無かった室井の全力で走る姿を間の辺りにした全ての人が、呆然と見蕩れてしまったのも致し方ない事であろう。室井は速かった。手加減しないと言った言葉通り、青島は全力で走っているのだが、室井は負けずに青島と並ぶ様に走っていた。
Uターン地点の柵に、先に手を付いたのは青島だった。間を置かずに室井も手を付き、自然な動きでターンする。自分にしっかりと付いてくる室井に、青島は内心舌を巻いていた。

室井さん、格好良過ぎ…。

思わず見蕩れそうになってしまう己を叱咤し、必死になって走る青島だった。
室井も自分より少し前を走る青島に負けまいと必死になりながらも、青島の真剣な表情や鍛えられた身体を間近で見詰め、つい魅入ってしまいそうになる自分を頭を振って意識を走る方へ集中させていた。

ゴール近くに戻って来た二人は、殆ど距離の差が無かった。騒ぎ立てるギャラリーと全力で走る二人。その間、数秒であったのにも関わらず、全ての人間が何時間も経っている気を起こさせる一瞬だった。
後一歩、もうゴール、と言うその瞬間、ほんの僅かな差で先にゴールをしたのは、何と室井の方だった。

「青島さん、負けちゃった」
「室井さん、速い! やっぱり僕の憧れの人だ!」

残念そうな雪乃と嬉々とした真下、そして頭を抱えた袴田課長に責任を押し付け合う署長と副署長、他色々な反応をして騒ぐ湾岸署の人々だった。

「二人とも、お疲れ様」

すみれがタオルを二人に渡し、息を弾ませて呼吸を整えていた青島と室井は礼を言って受け取った。汗を拭きつつ、その場に座り込んだ青島は、息を整えている室井を見上げて苦笑した。

「室井さん、本当に速いッスね」
「……君もな」

僅かに微笑した室井に、青島はドキリとして視線を外す。汗で濡れた肌やほつれた前髪、ほんの少し上気した頬に動揺してしまう青島だった。

「前言撤回します。失言のお詫びに、何か命令して下さい」
「青島?」
「何でも良いです。俺に出来る事なら何でもしますよ」
「……」

にっこり微笑んで言う青島に、室井は暫し考え込む。ゆっくりと視線を青島に向け、じっと睨み付ける。

「何でも、か?」
「ええ、何でも、です」

ふう、と息を吐いた室井は、柔らかい表情で青島に命令した。

「だったら、今度酒に付き合え」
「……はぃ?」
「君は結構強いと聞いたんだが」
「はぁ、まあ多少は」
「最近、私に付き合える程酒に強い人間がいなくてな。一人で飲んでいるのも良いが、たまには人と飲み明かしたいと思っていた所だ」
「……」
「…無理か?」

考え込んでしまった青島に、室井は自信無さ気に訪ねる。そんな室井に青島は慌てて首を振る。

「いえ、そうじゃなくって、……何か予想外の命令だったもんで驚いちゃったんです。良いんですか、そんなんで?」

小首を傾げて言う青島に、室井は微笑した。

「ああ、楽しみにしている」

一瞬惚けてしまった青島に、コホンと咳払いをして二人を現実に戻らせるすみれだった。

「ちょっと、こんな場所で二人の世界を作らないでよね」
「……別にそんなの作って無いでしょ」

慌てて取り繕った様に言った青島だったが、何となく至近距離で見詰め合ったまま話していた自分達に今更ながら気付いて、二人は視線を彷徨わせた。

「室井さん、そろそろ戻らないと不味いんじゃない?」

すみれに言われて、室井は我に帰って時計を見る。

「今日は警視庁に戻るだけッスよね? 今、車を回して来ますんで、玄関で待っていて下さい。課長、良いッスよね?!」
「え、ああ」

課長に許可を貰い、上着を真下から受け取って颯爽と駆け出して行く青島を見送った室井に、すみれは笑って言った。

「珍しいモノを見せてくれて有難う。青島君に勝っちゃうなんて、室井さんもまだまだ若いわね」

からかう様に言うすみれに、室井はチロリと視線を向けて、一つ溜め息を吐いた。

「……後もう少し距離があったら、きっと私は負けていただろう」
「え?」
「良い運動になった」

そう言って、室井はスタスタと玄関に向かって歩いて行ってしまった。

「すみれさん! 凄かったですね、二人とも」

駆け寄って来た雪乃に気付いて、すみれは小声で訊ねた。

「間に合った?」
「ええ、バッチリ。でも、又怒られたりしませんか?」
「大丈夫、今度はちゃんと許可を貰って来るから」
「許可……貰えるんですか?」

不思議そうな顔をする雪乃に向かって、すみれはニンマリと悪戯な笑みを向けた。

* * *



一一一 翌朝

「ちょっと、すみれさん!」
「何、青島君?」

部屋に入る早々、青島はすみれの側に行き、慌てた調子で言った。

「何で昨日のあの現場の写真が撮ってあんの?! …ってそれより、署の掲示板に貼ってあるってどういう事だよ! あれ、本店の人間に……室井さんが知ったらどうするんだよ」

焦った様に言う青島に、すみれはシャラリと澄ました顔で答えた。

「あ、大丈夫。室井さんの許可なら貰ってるから」
「……へ?」
「売買しなければ良いって。利益無しで焼き増しだけなら許可するって言われたから、ちょっと痛いけど皆に配付する事になったのよ」
「室井さんが? ……だからって」

いまいち納得がいかないと言う風情の青島に、すみれはニヤリと笑って一枚の写真を差し出した。

「何?」
「青島君用」

其処には、過去のではなく『現在の室井』がゴールした瞬間場面が写っていた。

「それ、欲しいでしょ? 掲示板にも貼って無いし、他の人には配らないから安心してね」
「……無料じゃ無いんでしょ?」
「そうね、ランチ3日分で手を打つわ」
「3日分?!」
「安いモンでしょ? 写真と、それにデート迄取り付けたんだから」

不満?と言う風に睨まれ、青島は天を仰いで己の不幸を呪った。断れない自分が恨めしい。

「室井さんからはどうやって許可貰ったの?」
「内緒」

笑いながら話を切り上げるすみれに青島は顔を顰めていたが、後で本人に聞いてみようと気を取り直して席に着く。そんな青島を横目で見つつ、すみれはペンをクルリと回した。

「あの写真が良いなんて、室井さんも良い趣味してるわよね」
「…何、何か言った?」

小さく呟いたすみれに青島が振り向いて訪ねると、すみれは「何でも無い」と素っ気無く答えた。
実は写真が出来た後、直ぐに室井に許可を貰いに見せに行ったのだが、其処でワイロ代わりにどれか一枚室井専用であげると言ったすみれに深い溜め息を吐いた室井は、徐にその中の一枚を取り言った。

「こんなモノが売れるとは思えないが、利益無しなら許可を出そう」
「ええ〜、利益無し?」
「当然だろう。何を考えているんだ」

眉間に皺を寄せて睨み付ける室井に、すみれは肩を竦めて溜め息を零した。

「まあ、仕方無いわね。ところで、その写真で良いの?」

ニンマリと笑うすみれに、室井は眉を顰めた。

「普通、走っている姿の方が良いって思うと思うんだけど?」
「……」
「確かに走り出す瞬間って、獲物を狙う野生の動物みたいで色気はあると思うけど」
「……」
「この表情、事件に夢中になって追い掛ける時と同じ顔してるし」
「……」
「しかも相手が室井さんだったから、青島君も気合い入り捲りだったしね」
「君は…」
「じゃ、その青島君の写真は室井さんだけにあげるから、後の写真については文句言わないでね」

室井が照れて怒り出す前に、すみれは早々にその場を後にした。

「…やっぱり、3日分じゃ割に合わないかしら?」

こっそりと呟いたすみれは、グルメマップを広げつつ、せっせとチェックをし始めるのだった。


END



ん〜、メインが青島君の写真だった筈なのに、私はどちらかとい
うと室井さんの写真の方が見たいです(爆)。実際走ったらどち
らが速いんでしょうね。やっぱし青島君かな…(笑)。