忍耐


「何でこんなのが判んねェんだ?」
「う…ごめ…」

頭を抱えて唸る阿部の前で、小さく縮こまって涙目で見上げる小動物のような三橋の姿は、一見するとイジメにあっているように誤解を受けがちだ。が、現在この場所は三橋の自宅で彼の部屋であり、そして家族は仕事で不在な為二人きりであった。それ故そのような心配は不要であったが、問題なのはそんな事では無い。
鬼気迫る、エースの赤点回避の為に尽力を尽くさねばならない使命が阿部にはあった。だから試験前の貴重な己の勉学の時間を割いてまで、わざわざ彼の自宅に上がりこんで勉強をするつもりだったのだが…あまりのレベルの低さに最初から躓いてしまっていた。

「あのさ。これなんか、この間授業でやったばっかだろ?」
「…はうぅ…」

ズブズブと沈み込んでしまった相手の様子に自然と眉根が寄る。

――寝てたな…。

はぁー、と盛大な溜め息を漏らした阿部に、三橋はビクリと身体を震わせた。

「お前なー。判らないなりにせめて授業中は寝ないで話位聞けって花井にも言われただろ? そんなんじゃ試合出させて貰えねーぞ」
「ふひっ!」

涙ぐんで青褪め打ち震える姿に益々頭が痛くなる。

「それが嫌ならちゃんと起きて先生の話を聞け。オレの言ってる事判るか?」
「う…うん」

コクコクと何度も頷く。本当に判ってんのかなぁ…と怪しみつつも、もう一度溜め息を吐いてノートを差し出す。

「んじゃ、次これ。さっきと同じパターンの問題だから解けよ」
「う…」

ギシッと音を立てて緊張する三橋を一瞥して、阿部は次の問題を選ぶ為に教科書を開く。その間ウンウンと唸りつつ問題と格闘している三橋を目の端で捉え眺めていた。

――ったく。毎度思うけど、よくこれで西浦に入学出来たよな。それだけ三星から出たかったんだろうけど…。

そのまま三橋の過去に思いを馳せそうになった阿部に、当の本人が勢い良く叫んだ。

「あ、阿部君! で でき…」
「ん? 出来たのか?」

コクコクと頷いて差し出されたノートを受け取る。何度も消してやり直した形跡の残る数字を目で追い添削する阿部を、じっと大人しく正座して待っている三橋の姿は犬のようだ。

「お、やれば出来るじゃん。あってるぜ」

ニッと笑顔を浮かべれば、三橋はパアッと目を輝かせて嬉しそうな顔をする。

「あ、阿部君の おかげ だよ!」

キラキラとした瞳で見詰められ、阿部は「うっ」と僅かに身を引く。

「あー…じゃあ次これな」

誤魔化すように開いていたページの問題を指し示して告げると、途端にビクッと身を震わせながらも再びペンを握り締めて一生懸命問題に取り組む。俯いて真剣に考え込む三橋の、わりと長い睫毛とか、控え目な薄いピンクの唇とかに目が釘付けになる。
ふ、と阿部の視線に気付いた三橋は顔を上げ、内心ビクリとした阿部と目が合うと何故か「ふひっ」と笑った。

――やべっ…!

バッと手で口許を押さえて慌てて立ち上がる。突然の阿部の行動に三橋はワタワタと動揺した。

「あ、阿部君?」

驚いて見上げる三橋の視線を避けるように、顔を背けたままクルリと身を返す。

「悪ぃ、トイレ借りるぞ」
「う、うん?」
「お前はそれ解いとけ」

逃げ出すように部屋から出て行ってしまった阿部を三橋はポカンと見送った。

――ど、どうしたんだろう、阿部君。オレ、何かした かな?

悪い想像にサァッと血の気が引いて青くなった三橋は、そのままグルグルし始める。

――さっさと解けないオレに、呆れたの かな? そ、それとも、試験の度に世話を焼かせる投手なんか面倒見切れないって、とうとう嫌気が差したのか…な?

ガーン、とショックで顔が真っ青になる。涙まで出そうになるのを必死で堪えた。ここで泣いてしまったりすれば、戻って来た阿部に見られて更に呆れられてしまうかもしれないし、最悪嫌われて帰ってしまうかもしれない。彼との貴重な時間を少しでも長く過ごしたい三橋は、とにかく原因を考えようと思いつく限りの自分の行動を思案する。けれど、考えれば考える程悪い事しか想像出来ず、ともかく言われた問いを早く解こうとしても既に意識はいなくなってしまった阿部が気になって全く頭に入らない。

――…? お、遅いな、阿部君。場所は判る筈だし…様子を見に行った方が良いのかな。でも問題解いておかないと…。

更にグルグルし始めてどうにもならなくなった頃、漸く阿部が姿を現した。

「お、お帰り! 阿部君」
「お、おう?」

あからさまにホッとした表情で迎えられた阿部は、居心地悪げに視線を彷徨わせて返事を返した。そんな阿部の不自然な様子に益々不安になりかけた三橋は、阿部の顔を見て首を傾げる。

「…?」
「な、何だよ」

元の位置に座った阿部をずっと眺めている三橋にぶっきら棒に問う。えっと、とどもりながらも何とか答える。

「阿部君、何で顔赤い の?」

具合悪いの?と慌て始めた三橋に、阿部はグッと歯を食い縛り、己の精神を落ち着かせる為に目を瞑った。

「何でもねェ。こっちは気にしなくて良いから続きやんぞ。出来たのか?」
「う、あ、まだ…」

誤魔化すように畳み掛ける阿部の問いに、三橋は申し訳無さそうに下を向く。落ち込ませたい訳では無かったので、努めて優しい口調で訊ねた。

「判んねートコは聞け。何処が判んねェ?」
「あ、待って。もうちょっと…」
「ん。じゃあ頑張れ」
「う、ん!」

頬染めて嬉しそうに頷く三橋を間近で見て、唇を引き結んで衝動を耐えた阿部は彼に気付かれないように小さく溜め息を吐いた。

――くそぅ。…オレ、かなりヤベェかも。

前途多難な悩みを抱える青少年としての彼の問題を、三橋が解いてくれる日はまだまだ先のようだった。




END




凄い久し振り書きました。つか、既に書いてあったんですが長らく放置してたという…。そんな物がざくざくあってアラ吃驚★(待て) え〜、ちょびっと修正&追加して漸くアップに漕ぎ着けた訳ですが、なんつーか爽やか(?)ですね! 自分で言うのも何ですが、勢いあるなと。やはりこう難しい事考えない作品は大切ですね!(待て待て) しかしこんな短いの位さっさとアップしろよって感じ…(爆)。
と、とりあえず溜まってるのを早く蔵出ししたいと思います。原作に負けないラブラブを…!(無理)←即効かよ!



20080127