25巻
「…よう、久し振りじゃねえか。…王よ」
嗤う己に、この世界の王である少年は神妙な表情で黙り込んだままだった。
「…どうした? 随分浮かねえ顔してるじゃねえか。え?」
問い掛ければ、少年は目線だけを左右に動かした。
捜している、のだ。……彼を。
その現実に、内心眉根を顰めた。
「…斬月のオッサンは……どこだ」
予想通りの台詞に苦笑とも嘲笑とも思える表情をわざと浮かべた。それに苛立ちを覚えたらしい少年は刀を手にする。
「…てめえ…」
自分が彼を隠したと思っているのだろう。それは正しくもあり誤りでもある。
「…解らねェな」
何故、この子供がこの世界の王なのだろう。何故、彼はこの少年を疑いもせずあんなにも信じ求めるのだろう。自分には到底理解出来ない。
「てめェの言う“斬月”ってのはてめえの持ってるそいつか? それとも俺の持ってるこいつの事か?」
手にした白い斬魄刀を目にした途端、少年の顔が驚愕の色を浮かべた。
いつだってそれを持っているのは自分だけだと信じている少年に苛立っていた。主などと認められない。認められる訳が無い。…自分より弱い者に支配されるなど耐えられる筈も無い。
「“斬月は何処だ”と訊いたな? …答えてやるよ」
力が漲る。今、この世界を、この身体を支配しているのは己なのだ。そして身の内にある彼すらも――。
「俺が…“斬月”だ!!」
飛び掛り、ガンと互いの刀を打ち付ける。休む間も無く続ける己の攻撃をかわしながら、少年は怒鳴って再び問い掛ける。
「てめえっ…!! 斬月のオッサンをどこへやりやがった!?」
何処へもやりはしない。手放す訳など無い。あの男は己の一部であり全てなのだから。
「しつけーな。何遍も言わせんな! “俺”が“斬月”だ!!!」
斬り付けた勢いで吹き飛ばされた少年の元へとジャンプして着地する。体制を整える事も出来ずにいる少年の前を悠然と構えた状態で見下ろしながら、無知なる我が王にわざわざ説明をしてやる。不本意ではあってもそれが己の役目でもあるからだ。
「てめえは解ってるかどうか知らねえが、俺と斬月は元々一つなんだぜ」
そう、俺達は同じモノなんだ――。
優越感と共に告げるその言葉は、己にとって甘く痺れる麻薬のようでもあった。
「俺も斬月もてめえの霊力。俺は斬月の一部だった」
それに是非を唱えるつもりは毛頭無かった。彼の身の内に潜んでいるのも悪い気分では無かったから。……それを不満に思うようになったのは。
「一つの肉体を共有するものの主従が変われば姿も変わる。生が支配するうちは肉に覆われ、死が支配すれば骨になる。同じ道理だ」
未だ粉塵に巻き込まれたまま座り込んだ少年を無表情なまま見下ろす。
…無様だ、と思った。力を使いこなせない未熟な少年と、その弱い子供に従わなければならない己自身。そして疑いもせず心酔する彼にも――。
「俺の力が増大し、支配権が俺に移り、斬月は俺の一部になった」
それがどれ程の喜びを己に与えるかという事を初めて知り、実感していた。沸々と湧き出る力を持て余す。歓喜と狂喜がない交ぜになり、かつて無い程の至福の瞬間を味わう。
――俺の、モノだ。
「俺はてめえが斬月の力を引き出そうとすればする程、てめえの魂を支配し易くなっていくんだよ!」
勝ち誇ったように言えば、よろめく身体を起こして再び構えをとる少年が呟く。
「…そうかよ。それならここで俺がてめえを倒せば、斬月のオッサンはまた俺の霊力の中心に戻って来れるって訳だ」
その台詞にピクリと神経が障る。
「てめえが? 俺を? ムリだね」
ふざけるな、と思う。何処まで過信しているのかと侮蔑の目を向けた。
「…そうか? ――無理かどうかはこいつを見てからもう一度言え!」
どうにも引き下がる気のない少年に僅か呆れる。本当に、この王はこの世界を理解していない。あの男が期待するような者になりえるとは思えない。
「――解んねえ奴だな。ムリだって言ってんだろ」
構えた己に驚きの表情を浮かべる。そして同時に卍解をした相手に不審げな顔をしている。
「てめえ…いつの間に卍解を覚えやがった…」
「決まってんだろ。てめえと同じ時にだ」
ギアン、と刀の打ち合う音が鳴り響く。
「月牙天衝!!」
放たれた力を見極め、あっさりと左手で振り払う。唖然とした表情の少年に向かって打ち付け、囁くように同じ言葉を口にする。
「――月牙天衝」
ズン、と辺り一面に響き、刃先が紅く染まった。滴る血の雫だけがやけに耳に残る。
まだ立っていられる事に些か感心し、そして当然だとも思う。そうでなければ許せない。自分に対しても、彼に対しても、だ。
「…言ったろ。てめーは下手糞だ、一護」
物覚えの悪い子供に教えるように言葉を紡ぐ。
「忘れたのか? 卍解状態での月牙天衝を最初に使ったのは俺だぜ。てめーはただ俺の戦いを見様見真似で模倣しているだけの出来の悪い餓鬼だってことだ」
普段から斬魄刀と語り合えば、そんな簡単な知識など直ぐ手に入る事だ。しかしこの少年はそれをする術を知らない。いや、はなから念頭に無いのだろう。だからいつまで経っても無知なままなのだ。一人で戦い、力だけに頼る。そしてそれによって自分達を失望させる。繰り返されるそれに嫌気が増す。
「諦めな。――てめえに卍解は使えねえ」
ザアッと少年の持つ刃が塵のように舞い消えた。茫然自失している少年を楽しげに嗤いながら見詰める。
「…ざ…斬月……が…」
「――斬月じゃねえよ。言ったろ、“俺が斬月だ”ってな」
勝ち誇ったように笑む。
「…てめえ…」
睨む少年の無防備さに腹立たしさを感じ、瞬間移動して少年を吹き飛ばす。
「…相変わらず呆れるぐらい脳ミソのユルいヤローだ。武器無くしたままなにをボーッとしてやがんだ?」
自分が手加減するとでも思っているのだろうか。否、今の己の状況を正確に把握出来ていないだけだろう。だから弱いままなのだと心底嫌悪の感情が増す。
「…一護。“王とその騎馬の違い”は何だ?」
「…何だと…?」
己の問い掛けに、不審げな顔を向ける。ボロボロの姿がざまあねえなと思う。
「“人と馬”だとか“二本足と四本足”だとかそういうガキの謎かけをしてんじゃねえぞ。姿も能力もそして力も! 全く同じ二つの存在があったとして! そのどちらかが王となって戦いを支配し、残りのどちらかが騎馬となって力を添える時、その違いは何だと訊いてんだ!」
勢いよく問い掛ける己に、少年はただ黙って言葉を聞いている。満足げに男は言葉を続ける。
「…答えは一つ。本能だ!」
ジャラっと刀を括り付けた鎖を手にし、振り回す。ずっと己が溜め込み、考えていた事を少年に対して吐き出した。
「同じ力を持つ者がより大きな力を発する為に必要なもの。王となる者に必要なものは、ただひたすらに戦いを求め、力を求め、敵を容赦無く叩き潰し、引き千切り、斬り刻む。戦いに対する絶対的な渇望だ!」
そう、それこそが王たる条件。王たりえる者の条件だ。
「俺達の皮を剥ぎ、肉を抉り、骨を砕いた神経のその奥。原初の階層に刻まれた研ぎ澄まされた殺戮反応だ!」
高らかに叫ぶ己を呆然とした表情で少年が見上げる。まだ判らないのかと腹立たしさも超えて消える。その程度の存在なのだ、と。
「てめえにはそれが無え! 剥き出しの本能ってやつがな! てめえは理性で戦い、理性で敵を倒そうとしてやがる。剣の先に鞘つけたままで一体誰を斬るってんだ!?」
甘過ぎる王はこの世界に必要は無い――。
「だからてめえは俺より弱えェんだよ! 一護!」
勢いよく投げつけた剣は、少年の身体を突き刺した。少年は信じられないという表情で己の身体に突き刺さった剣を見詰めていた。
「…俺は御免だぜ、一護。斬月の奴はどうだか知らねえが、俺は自分より弱えェ王を背中に乗せて走り回って一緒に斬られるのは耐えられねえ」
自分が、あの男が、こんな少年に振り回されるなんぞ許せる訳がない。あの男の願いがどうであれ、自分はそれを認める事は出来ない。
悠然と近付いて、少年に突き刺さったままの剣を握る。
「てめえの方が弱えェなら、てめえを潰して俺が王になる」
不敵に嗤い、それを抜き出そうとする。その瞬間、少年の気配が一気に変化する。柄から殺意が伝わり、慌てて手を離す。
――何だ?
突然の変わりように、男は怪訝そうに距離を取って眺める。
少年は己の手で剣を抜き取り、その表情は今まで表れる事も無かった程の力を感じる。握り締めた剣を男目掛けて突き刺し、男は舌打ちをしてそれを甘受する。
――目覚め、さしちまったか…。
身の内から歓喜を感じるのは、果たして己の意思なのか、はたまた潜んでいる彼の物なのか。
「…くそっ…。どうやらてめえにも……少しは残ってやがったみてえだな…。戦いを求める本能ってやつが…」
消え散る己の身体を感じつつ、不敵に嗤う。
「…しょうがねえな。俺を倒しやがったんだ…取り敢えずはてめえを主と認めてやるぜ。…だが忘れんなよ。俺とてめえはどっちが王にも騎馬にもなれるってことをな。てめえに少しでも隙があれば俺はいつでもてめえを落としててめえの頭蓋を踏み砕くぜ!」
脅しにも最早怯まない。その精神力があれば乗り越えられるかもしれない。
……悔しい事だが、やはりこの少年はこの世界の王なのだ。あの男の望む通りに。
大人しく消えるのも癪に障るのか、捨て台詞は忘れない。
「…それからこいつは警告だ。本当に俺の力を支配したけりゃ、次に俺が現れるまで…せいぜい死なねえよう気をつけな!」
瞬間、暴発して辺りは煙に撒かれる。
現世に戻った少年は、最後の男の言葉を脳裏に呼び起こすと剣を握り締める。
「…悪りィな…」
渡さない。この身体も、この心も、そして己の半身も――。
「させねーよ」
好きになどさせるものかと心の中で固く決意する。
これからの己の成すべき事を想い、少年は静かに目を閉じた。
END
20070428