闇と月
――手を貸したいか?
身の内に響く声に振り向きもせず、黒衣を纏った長身の男はただ遠くを見詰めていた。
何も無いその先を、真っ直ぐに目を逸らさず。
――そのもどかしさをいつまで抱えて過ごすつもりなんだ?
更に嘲笑うように続く言葉にも微動だにしなかった。吹き荒れる風に煽られるまま、今にも粒が零れ落ちそうな程敷き詰められた雨雲を眺めている。
声の主は、何が面白いのか愉快そうに笑う。
――どんなに強い能力と力を持っていようが、使いこなせなければ意味が無い。悟るまでに寿命の方が尽きるのがオチだ。お前は時を無駄にしているだけだ。それが判らねえのか?
問い掛ける己の言葉に僅かな動きすら見せない男の反応に、声に微かな苛立ちが含まれる。
――酔狂なお前にいつまでも付き合ってはいられねえな。
突き放すように吐き捨てた言葉も男を動かす事は無かった。それが余計に声の主を苛立たせたようだ。
――俺はあんなガキの中で埋もれて眠るのは我慢ならない。自分より弱い王と共に斬られるなんざ御免だ。だったらあいつを倒して俺がこの世界の王になってやる。
今にも崩れそうな建物があるだけの不安定な世界。常に暗雲が立ち込めていて、降りしきる雨は尚も冷たい。…それが今の主の力を現実として映し出している。否応も無く。
声の主はただ、孤独なこの世界で独り濡れる辛さをこの男に味わわせているのが許せないのだ。
「この世界の主は一人だけだ。成り代る事など在り得ない」
身の凍るような冷たい雨に打たれ、濡れ続ける事すらも甘受する。感情の見せない男の情の深さが苛立たしくもあり、愛しくもある。
漸く反応した男に、声は一転して気を良くした。
――そうかな? 戦いに意識を飲み込まれて容易く身動きすら出来なくなる程度の男だ。俺が本気でかかれば押さえ込む事など造作も無い。
こ馬鹿にしたようなその台詞に、男は表情を変えずに問う。この男にとって、何故これ程までに声が主を否定するのか理解出来ないのだった。
「主に背いてまで、お前は一体何を望む?」
――何を?
不気味に嗤う声が辺りに響く。ゆらりと黒衣の男の姿が揺れ動き、それは少年の姿に変わる。狂気を帯びた瞳と歪んだ笑みを口許に浮かべる少年は、白い髪に白い衣を纏っていた。そしてその手には大きな黒い斬魄刀。
――望むのはただひとつの事だけだ。
少年には不似合いな、愛しげに歪んだ表情で握り締めていたその刃に口付けを落とす。
何故、自分達はひとつに混ざり得なかったのだろう?
そうであったならば、この切望する想いも、渇望する狂おしい願いも等しく共有出来たであろうに。
主に焦がれる月と、その月を乞う白い闇。想いの深さだけは共に在る――。
END
20070428