二人の距離



近付く相手の顔をぼんやりと見ていた。至近距離で見るその顔は、見慣れている筈なのに改めて綺麗だと素直な感想が頭に浮かんだ。そしてその整った唇が、己のソレに軽く触れるのをどこか他人事のように感じていた。
ようするに、何が起こったのか理解出来ずに硬直したままの永倉は、身動き出来ずに目の前の友人――相棒である原田をただ見詰める事しか出来なかったのだった。

あまりにも無反応で瞬きすら忘れている永倉に、原田は怪訝そうな表情で睨んだ。

「おい、起きてるか?」

掌を目の前でヒラヒラとさせながら悪びれずに問う原田の声で、やっと己の置かれた状況を認識した永倉は、目を丸くしたまま呆然とした様子で声も出せずに口をパクパクと動かした。それがあまりに間抜けな表情だったのか、原田は思わずププッと噴出してしまった。

「お…お前、すっげー変なカオ」

口を押さえて笑い出した原田を真っ赤になった顔で睨み付けた。

「お…お前がっ! へ、変な事するからじゃろ!」

どもりながら文句を言った永倉に、原田はニヤリと含みをこめた笑みを浮かべる。

「隙だらけなのが悪いんだろ。そんなんじゃ、簡単に誰かに襲われるぞ」

手を伸ばして永倉の頬をペチペチと叩きながら憎まれ口を叩く。そんな全く悪気の欠片も感じて無さそうな相手に呆れた溜め息を吐いた。

「…こんなデカイ男を襲う奴なんかおる訳無いじゃろ」
「とりあえずココにいるぞ」

不思議そうな顔をする原田に益々脱力した永倉は、頬に触れられている掌を軽く振り払うと神妙な表情で眉間に皺を寄せたまま相手を見る。

「……あのな、巧」
「ん?」
「あんまし人をからかうのも大概にせえよ」

お前のギャグはつまらんのじゃ、と少し怒ったように忠告する永倉に、原田はまじまじと見返した。

――からかっているつもりは無いんだけどな。

心の中でそう呟き、口に出しては違う言葉を告げた。

「何だよ。キス位でそんなに怒るなよ」
「キス位?! お前、そんな経験あるんか?!」
「あるよ」

あっさり言い返した原田に永倉はうっと言葉が詰まる。確かに性格に目を瞑れば女にもてるだろう事は周知の事実だが、バッテリーとしていつも一緒にいる自分の知らないうちに何時の間に彼女なんか作っていたんだろうか?と苦々しげに心当たりを探ってみる。

――知り合う前か? いや、確か前にファーストキスは女が良いとか話した事があった筈じゃし…。

状況は忘れてしまったが、何故か押し倒すような体制になってしまった自分に向かって原田がそう言ってからかったのだからそれは無いだろうと思った。

――付き合ってないけどキスだけしたってのは…巧ならあり得るかもしれん。そういうのはおれは好かんが…おれが口出しする問題じゃない。じゃが…。

「……おれはファーストキスじゃったんじゃ」

項垂れて思わず零れた永倉の台詞に一瞬キョトンとした原田は、そのまま僅かに嬉しそうな笑みを浮かべた。

「そうなのか? おれはてっきり伊藤さんと済ましてるんだと思ってたんだけどな」
「ば…! そんな事しとらん」

真っ赤になって否定する永倉に、益々嬉しそうに笑った原田は意地悪気に永倉の唇を指でなぞる。

「勿体無い。キス位しとけば良かったのに」

そしたらおれに奪われる事も無かったのにな、と心の中で呟いた原田は、そのまま永倉の唇に触れた指をぺロリと舐めて満足げに笑む。それを見た永倉は更に赤くなって歯を食い縛った。

「〜〜〜〜!!」

原田は茹蛸のように赤く染まった永倉を見て腹を抱えて笑い続ける。からかわれている事に段々腹が立ってきた永倉は、拗ねたように顔を背けた。

「お前なんかもう知らん」

からかい過ぎてしまった事に気付いて、原田は無理矢理笑いを納めて永倉を見詰める。

「怒るなよ、豪。それに違う。さっきのはお前もファーストキスじゃないよ」
「は? 何言って…」

おれにはそんな記憶無いぞと言い返そうとした永倉の言葉に重なるように口を開いた。

「前に、お前が寝てる時におれがしておいたから」
「………は?」
「だから安心しろ」

ぽん、と肩に手を置いて神妙に頷きつつ言われても、そうかと素直に頷く事など出来よう筈も無かった。

「あ? ちょ…、ど、どういう理屈じゃ! つか、勝手に何しとんなら!」

憤慨して怒鳴る永倉を不思議そうに見る。

「いや、あんまり無防備に寝てるからさ。ちょっと好奇心で」
「好奇心で人の唇を奪う奴がおるか! 大体何時の間に…それよりお前、ファーストキスは女が良いって前に言っとったじゃろが! 自分は女としておいて、おれには男相手にさせるんか」

永倉の言葉に原田はキョトンとした顔で見返した。そんな相手に永倉も戸惑った顔をする。

「お前にはって…おれ、女となんかしてないぜ」
「へ? だってさっき…」
「だから寝てる時にしたそれがおれとお前のファーストキス」

しれっと告げた衝撃の事実に、永倉はこれ以上無い程大きな口を開けて驚いた。

「……っ!!! お…お前…」
「何?」
「何時から、男でも良いって事になったんじゃ?」

恐る恐る訊ねる永倉に、原田はムッとした顔をして睨んだ。その顔は正に『心外だ』と言わんばかりだ。

「なってねぇよ。今だってこれからだって男相手なんて冗談じゃない」
「じゃあ何で…」
「男としたかった訳じゃない。おれはお前としたかったんだよ、豪」
「……」

あまりの殺し文句に、折角戻りかけた顔が益々赤くなってしまった。
原田は初めて会った頃から相手の気持ちを考えて行動する等といった事を思い付きもしない男だった。自分のしたいようにするし、したくない事は絶対しない。自分勝手で我侭で、プライドの高過ぎる手に負えない奴。けれど彼の実力は疑いようも無い本物で、その球に魅せられた自分はそれを捕る誘惑に打ち勝つ事が出来ずに苦しみもがき……ようやく向き合う事を覚悟したのだった。
けれど、一年の横手との試合の頃から緩やかに、しかし確実に変化している原田の感情の起伏を永倉は未だ受け止め兼ねていた。

「お前の考える事は判らん」
「おれもお前が判らない。嫌だったのか?」
「……っ」

それをおれに聞くなと言いたかったが、神妙な顔で問われたので永倉は困った顔で見返した。そんな風に相手の気持ちを聞くなんて彼らしくないと思うけれど、そこに確かな成長の兆しが見えて密かに嬉しく感じる。
…内容が内容だったのでなんなのだが。

永倉は頭をガリガリと掻いて小さく溜め息を吐いた。

「よう判らん」
「……?」
「ただいきなり許可無くされるのは、おれとしても気に入らん」
「許可貰えばしても良いのか?」

ぬっと顔を近付けられて思わず永倉は身を引く。

「…! 又するつもりなんか?」
「悪いかよ」

逃げられたのが気に入らなかったのか、不機嫌そうに睨み付ける原田に困った顔をして問う。

「何でそんな事するんじゃ?」

心底判らない、と言う顔で訊ねる。そんな永倉に、原田は何とも言えない僅かに情けない表情を浮かべた。

「何でって……そ、そんな事位判れよ」

プイと顔を背けた原田の耳が僅かに赤く染まっていて、それを見た永倉も再び顔を赤くして小さく首を傾げた。




一歩近付いた距離。けれど、マウンド以外で判り合える日が来るのは、まだまだ先のようだった。




END




血迷ったかとしか思えないCPです。王道は勿論逆ですが、萌えとはそんなものなので致し方ありません。つか、本が無いから自ら書いてみよう等と思うんですしね(凹)。ビバ、マイナーカプ!(泣) 映画で人口増えないかなぁ…と願っておりますがどうでしょう(聞くな)。
とりあえず一本書いて満足しました。青波とか海音寺とか東谷や沢口とかも書きたかったですけどまぁ良いか(笑)。

20070202