佐為と蛙




数日間降り続いた雨もようやく止み、久し振りの太陽の下を楽しげに歩いていた二人だった…が。

「何であんな蛙が苦手かな?」

飛び退くように塀にへばりついて硬直している佐為の数メートル先の水溜りの側には、昨今の都会では珍しいアマガエルがちんまりと佇んでいた。

(い…良いから、ソレをあっちに行かせて下さい!)

悲鳴を上げる彼に呆れた溜息をひとつ吐くと、足の先で「しっしっ」と追い出すようにして反対側の草叢へと追いやってやる。姿が見えなくなると、佐為はようやく息を吐いて体の力を抜いた。

(ああ、心臓が止まるかと思いました)

幽霊に心臓がある筈も無いのだが、喜怒哀楽が激しく幽霊としての自覚があまり無い彼は自分の鼓動が本当に速くなっている様な錯覚に陥って両手を胸に当ててみせた。

「オマエなぁ。別に蛙は食いついたりしないぜ?」

(そういう問題ではありません!)

猫が毛を逆立てた様な剣幕で叫ぶ彼に、ヒカルは「うーん…」と唸って両腕を組んだまま首を捻る。蛙は自分にとって別段気にする様な存在では無いので、何故そんなに毛嫌いするのか理解不可能だった。

「何が嫌いな訳?」
(…あの醜い姿、潰れたような声、ねっとりとした体。どれを取っても忌み嫌うに十分です!)

身震いしながら訴える内容も、ヒカルにはどうでも良い事の様に感じる。彼の最も苦手とするガマガエルは確かに見た目も声も良くないが、今見たような小さなアマガエルなどは綺麗な色だし鳴き声も悪くないし割と可愛いんじゃないかなどと思うのだが。

「そうか? 虫を食ってくれたりするし、結構良い奴だと思うけど」
(……!! ヒカルは私より蛙の味方をするのですか?!)
「オマエな…」

大人気ない佐為の批難を浴びせられ、肩をガックリと下げて頭を押さえる。

何だかなぁ…。

暫し蛙の居なくなった水溜りを見詰めていると、ふと思いついた疑問をヒカルは口にした。

「佐為って綺麗なモノとか可愛いモノとか好きだよな」
(? ええ、好きですよ)

突然のヒカルの質問に、不思議に思いつつも素直に頷く。ヒカルは佐為の返事を聞いて「ふうん」と少し考える仕草をして徐に顔を覗き込んだ。

「佐為って面食い?」
(めん…?)

意味が判らず怪訝そうな顔をする佐為に、もう少し判り易く問う。

「姿形とか…外見を気にする奴な訳?」

キョトンとした顔でヒカルを見詰めると、今度は佐為が考える様に手を口元に当てる。

(そんな事はありませんよ。身だしなみはきちんとするべきだと思いますけど、人それぞれ都合がありますでしょうし、最低限他人に迷惑掛けなければ良いのではありませんか? 確かに外見も大切ですが、やはり中身がしっかりしていなければ)

人としての礼儀作法云々と真剣に口上を始める佐為に、ヒカルはそうじゃなくて、と話を引き戻す。

「この世のモノとは思えない程変な顔の人とか、蛇や毛虫にナメクジとかでも?」
(? 何ですか、その例えは。人を外見だけで判断するのは良くありません。それに虫達だって生き物なのですから、姿形に関わらず精一杯生を全うするべきだと思います)

きっぱりと断言する佐為の言葉は誰が聞いても正しいと思う事柄で、けれどそれ故にその前の彼の言動がヒカルには解せなかった。

「なのに蛙は別なんだ?」
(アレは…! アレだけはどうしても駄目なんです)

わたわたと両手を振って慌てて弁解しようとするが、どう言ったら良いのか困り果てた様な表情で俯いた彼を心底不思議に思い、悪気無く問い続ける。

「何で? 何か理由があるの?」
(………)

情けない顔をして黙り込んだ佐為の様子に、余程言い難い事があったのだろうかと首を捻る。どうしても問い質したい内容と言う訳では無かったが、一度疑問に思った事は聞かずにはいられない性格のヒカルはじっと佐為を見詰めて返事を待った。その視線に困り果てた彼は、拗ねた表情のまま渋々話し始めた。


(私が幼少の頃、母に連れられ小川を散策していた時、一人逸れてしまった事があるのです)

佐為の生前の話など滅多に聞ける事が無いので――と言っても、別に隠していると言うより思い出す事が無いと言うだけだったのだが――真剣な顔で黙って大人しく話を聞いていた。

(母を捜して歩き回り、疲れ果ててしまった私は手近な木に凭れて何時の間にか寝てしまったんです。そして数時間後に目が覚めた夕暮れ時…)

青褪めた顔で自分を抱き締める様に両手を組む。

(私の周り一面に蛙の群れがいたんです! 多分川に産卵しに来ていたのでしょう。あんなに数多くの蛙を見た事は無くて、逃げ出そうにも足元は蛙達で一杯で歩く事も出来ず。そして居場所に困った蛙が私の身体によじ登ろうとするのですよ! 恐怖で頭が真っ白になった私は、無我夢中で木に登り……近くまで捜しに来ていた母達に叫んで、漸く助けて貰ったのです)

「……」
(それからは姿を見るのも恐ろしくて…)

思い出したのかぶるると身を震わせるその様が可笑しくて、ヒカルは噴出してしまった。

(ヒカル! 笑い事ではありません。本当に怖かったんですからねっ!)
「わ、悪い悪い」
(もうっ…)

涙を拳で拭うヒカルに佐為は拗ねてソッポを向いた。

「でもさ、こんな都会じゃ蛙なんて滅多に現れないし」
(今居たじゃありませんか!)

フォローのつもりでそう言えば、憤慨して言い返される。本当の事なので反論も出来ない。

「あー…まぁたまには」
(たまにでも冗談じゃありません)

心底嫌だったのだろう。佐為の瞳には涙が滲んでいた。ヒカルは彼に泣かれるのは苦手だったので、安心させる為に約束を持ち掛ける。

「判ったよ。今度からは気をつけて、オマエの目に触れさせない様にすれば良いんだろ」
(本当ですか?)

縋る様に濡れた瞳のままじっと顔を覗き込まれ、ヒカルは何故か顔が赤くなるのを自覚して慌てた。

「ほ、本当だって! だからもうあっち行けって!」

しっしと追い立てる仕草をするヒカルに、佐為は不満げな顔をする。

(あ、酷い。絶対、絶対ですからね!?)
「はいはい、絶対な」

わざと投げやりな返事を返して歩き出そうとしたヒカルに慌てた佐為は、追い掛けて己の右手の小指をヒカルの目の前に差し出した。以前ヒカルに「約束する時にするんだ」と教えて貰っていたのを思い出したのだ。

(嘘吐いたら針千本ですからね!)

「……そんな事覚えてんなよ」

眉間に皺を寄せて佐為の小指を睨み付ける。子供っぽいから今更指切りなどしてられないと言いたい所だが、佐為相手にそれは通じない。さてどうしたものか…と悩むヒカルの視線の先には、佐為の白く細長い小指がある。

綺麗な指だな…。

在らぬ方向に考えが向き始め、ヒカルは慌ててそれを掻き消す様に頭を大きく振った。その様子を不思議そうに見詰め、佐為は控えめに声を掛ける。


(ヒカル?)
「え? わ、…判ってるって。約束、な」

動揺を何とか抑え、誰も回りにいない事を今更確認してから、ヒカルは差し出された小指に自分の小指を絡ませるフリをする。絡まった小指同士に満足した佐為は、嬉しそうに指切りを始めた。そんな佐為の笑顔に見惚れ、触れている筈の無い小指が何故か熱く感じた。

どっかおかしいのかな、オレ…。

とりあえず、これからは蛙の姿を見掛けたら注意しなければ、と自分に精一杯言い聞かせるのだった。





END



これはいつ頃の話だろう……小学生6年生位??
ともかくヒカルは間違いなく面食いでしょうね。ええ、絶対(笑)。




20041121