例えばこんな幽霊奇談





「おや、おはよう芦原くん。このところ顔を見せないから、どうしたのかと思っていたよ。旅行にでも出掛けていたのかね?」
「あ、おはようございます。いえちょっと……実家に用事が出来まして、帰省してたんです」

朝から疲れ果てながらもやっとの思いで棋院へ到着したオレは、途端に見知った顔に呼び止められて頭に手をやりつつ苦笑いで答えた。相手は実家という言葉に反応して「そうだったね〜」と思い出したように神妙に弔辞の挨拶をしてくるので、こちらもよろよろとしつつも何とか深々と返礼する。とりあえず一週間前に祖父が急逝して田舎に帰っていたというこちらの事情を、どうやら承知してくれていたようでホッとする。この上その話を説明させられようものなら、間違いなく歯止めなしに全ての事情をぶちまけてしまうに違いない。そしてその突拍子のなさに芦原株は大暴落することだろう。
ハア、と一際大きく溜息を吐いたのを、気落ちしていると思ったのか元気付けるように肩を叩いて去っていく。しかし惜しいかなボクの気鬱はそこではないのです…と見送る背中に呟いてみる。
いや勿論、祖父の他界は悲しい。祖父のことは好きだったし尊敬していたし、何よりオレに碁を教えてくれたのは彼の人だ。普通ならばまだまだ悲しみに打ちひしがれているであろうことは、ちょっと情けないが自ら断言出来る。

しかし、だがしかしだ。

この祖父は、とても普通ではない、大変な形見をオレに残していってくれたのだ。

「…原さん。芦原さん?」
「は、はいっ?」

思わず意識を遠くへ飛ばしてしまっていたところへ、更に声が掛けられる。目を向けると、目線よりも下の位置に良く知る綺麗な少年が立っていた。

「ああ、アキラ。久し振りだな」

彼もまた事情は聞いていたのだろう、子供らしからぬ丁寧な弔辞を述べると、心配げに表情を曇らせてこちらを窺う。こういうところはホント、よく出来た良い子だ。碁のことになると容赦がないんだけれど。

「大丈夫ですか? あまり顔色が良くないですよ」
「ああ、それは今朝、なかなかの大物がいて怖くて逃げてきたから……」
「は?」

気落ちしている先輩を元気付けようとしてくれる声に、ついウッカリ乗ってしまい溜息混じりの弱音を真っ正直に吐き出してしまう。それを聞いた少年が目を見開いたのを見て、しまったと慌てて取り繕ってみる。

「あ、いやいや何でもない。もう大丈夫、棋院の中は割と清浄だからヤツラも入って来ないし…って、それも何でもなくってっ! ……あーその、心配ありがとうなアキラ。あ、ホラ、新倉先生が呼んでるようだぞ?」
「はあ…」

全然取り繕えていないばかりか益々頓珍漢になっていくオレの返答に、大いに戸惑いながらも礼儀正しく一礼して立ち去って行く後ろ姿に手を振って見送る。そして直後、ガックリと脱力して更にはその後、亡き祖父に向かって泣き言を胸の内で大いに喚き散らす。

嗚呼、尊敬するお祖父様! あなたの孫はあなたのおかげで、タイトル保持者になるよりも前に立派な不審者になってしまいそうなんですが!! この形見は重荷…いえ身に余る光栄過ぎるので、是非お返ししたいので至急心当たりのあるお孫さんの元へ駆け付けてあげてください。ちなみにボクです。

念仏を唱えながら十字を切る。何だか逆に罰が当たりそうだが、心境としては神にも仏にも縋りたいというヤツだったので丁度良いと思うがやっぱり駄目だろうか。駄目なのはオレか。

――――ここまで受け取ったオレを困らせる、祖父からの形見とは。

それは、富でも名誉でも借金でもない。いっそそんなありきたりなものだったら、もっと何とでもなっただろうと思う。そんな生半可なものでなく、実は、それは…………。

――――――霊を見ることが出来る、という、所謂『霊視能力』というやつだったのだ!!

…………引いただろう? オレも冗談だと思いたかった…。が、そうもいかない。

事の起こりは、当の祖父の臨終時だった。自室で寝ていたオレの夢枕に立った祖父は何だかやたらとリアルで、悲壮感とは無縁だった。いつも田舎に帰った時のように豪快に笑ってて、酒呑んで、一局打って、もう一局やろうかと言ったら「しばらく他の連中と打ってるから、お前とはまた今度な」と言われたところで目が覚めたのだ。
そうしたら何故かその日から、オレのアンビリーバボーであなたの知らない世界な生活がお断りする暇もなく始まってしまった。
もっとも、後天的なものだからか元々素質はないからなのか、そんなに頻繁に「見える」訳ではなく、それがせめてもの救いになっていた。何故なのかとか難しいことはよく判らないけれど、基本的にはほとんど見えず、見えるのは余程強い未練だか力を持つ霊だけなのである。
……しかしながらそれはつまり、見えている霊はとてもとても霊として厄介ということで。元々その手のモノが怖い…いや、ちょっとばかり不得手な身としては、非常に困った事態となっていた。
そして今朝も丁度そんなヤツに出くわしてしまい、怖…もとい大変な思いをして逃げ出してきたばかりだったのだ。棋院の中は何か清浄な力が作用しているのか落ち着けて、ようやく一息入れることが出来たが、しかしこのまま棋院に暮らす訳にもいかない。今後どうしたものかと頭を悩ませていると、またも後ろから声を掛けられた。

「おはようございます」
「ああ、おは…」

反射的にクルリと振り返って返事をしようとしたが、途中で無様に途切らせて、オレは息を飲んで一瞬の内に固まった。
振り返った先には、顔見知りの――――進藤ヒカルくんという、アキラと同い年の少年がいた訳だが、問題は更にその後ろの人で、それは見た事のない人だった。

なんと美しい……と感嘆する。
平安時代のような衣装を身に纏った、髪の長い綺麗な面差しの佳人だ。

でも、フワフワと浮いてて、おまけに向こう側が透けて見えるのは何故なんですか教えておじいさん!!

こういった類いには『知らぬ存ぜぬ』が一番いいらしいのだが、まだ経験の浅い……と言うか青天の霹靂でこの世界に不本意的に参入したばかりのオレには、咄嗟の驚きを隠す技なんて身についている筈もない。そんな訳でしばし見惚れた後、ソレが何であるかを認識した途端、目を見開き口をあんぐりのあまり美しくもないアホ面を曝け出してしまう。

「あの…?」

不思議そうな進藤くんの呼び掛けに、ようやくハッと正気を取り戻した。

「あ、ああ、確か進藤くんだったよね! 元気だったかい! 調子はどう!?」

妙なテンションで話し掛けつつも、目がその幽霊から―――幽霊だろう、どう見ても!!―――離れない。
こんなオレにすらこんなにハッキリ姿が見えるということは、綺麗な無害そうな顔をしていても相当力の強い幽霊に違いない。そんな強敵をオレなんかが除霊出来る訳がないのだが、このまま幼い身に取り憑かせていては彼が気の毒ではないだろうかと、とりあえず様子を窺ってみることにした。

「その……進藤くん。最近、頭とか肩とか重いなーとか痛いなーとか思ったことはないかい?」
「え? ないですけど」
「じゃあ、何か気分悪いなーとかヤル気出ないなーとかは?」
「ないです。……ええっと、オレもう行っていい?」

うお、ひょっとして早くも不審者扱いか。

多少へこみつつ、とりあえず怪しくないアピールをしてみる。

「ええっと、オレのことは判るかな? 塔矢先生のとこの芦原っていうんだけど」
「ああ! 森下師匠がよく冴木さんに言ってる「塔矢んとこの芦原には負けるな!」の芦原さん!」
「……あー。多分、それだね」

そんなこと言われてんのか、オレ。

「それで、その芦原さんがオレに何の用なの?」
「いやその、用って言うか何と言うか……」

適当に喋りながらも、目がそちらへいってしまうのを止められない。チラチラと美貌の幽霊を―――直視は怖かったので目の端で見ていたら、不意にその美貌が目と鼻の先に唐突に移動してきた。

「――――うっわあああああ!!」

一瞬見つめ合ってしまった後、盛大に後退る。いくら顔が綺麗でも、向こう側が透けて見えるのは怖いんだ!!

《ヒカル。この方、私のこと見えてるんですか?》
「……みてーだな」
《何故です? 他の人に見えたことなんてないのに》
「知らねーよ。お前がちゃんと消えてないんじゃないのか? どうすんだよ、芦原さん」
《え、私のせいですか? それは言い掛かりですよ、ヒカル》

妙に仲良さそうに喋っている。それを見ていたら、安心する所かオレには進藤くんまで得体が知れなく思えてきた。

「進藤くん……にも、見えてるのかい? ソレ…」
「ああ、コレ。そりゃもうバッチリ」
《……ソレとかコレとか、人に向かって失礼じゃありませんか?》
「『人』じゃねーじゃん」
《それはそうですけど》

……やっぱり『人』じゃないらしいことに、儚い希望を抱いていたオレは大いに眩暈を感じてしまう。何故彼はそんなすっかりと馴染んでしまっているのか。これが子供特有の順応性の高さというヤツなのか?
……それはまあ、綺麗で怖くはなさそうだけど。でも幽霊は幽霊だろうと大人は思ってしまう訳で。

「し、進藤くん、君は平気なのか?」
「え? 何が?」
「だから、その……その人が、君の傍にいて」
《聞きましたか、ヒカル! 今、この御人は私のことを人だと言ってくれましたよ!》
「ああもう、判ったからちょっと黙ってろって。……別に、何も問題ないです。コイツは、単なる囲碁好きな、ちょっと喧しいだけの幽霊だから」
《あ、ひどいですよヒカル、喧しいだなんて。それを言うなら三度の食事よりも碁が大好きな、千年越しの立派な幽霊です、って言ってください》
「お前飯食わねーじゃん」
《……もう! ヒカルはどうして一々私の言うことに突っ掛かるんですか!?》
「何言ってんだ、突っ掛かってるのはそっちじゃんか。だいたい…」

…………おいおい、痴話喧嘩ですかー?

若干呆れつつも安堵の溜息を吐き出した。どういう経緯で彼に取り憑いているのかは知らないが、どうやらこの綺麗な幽霊は人を害する気はないらしい。それならボク如きが口を差し挟まずとも放っておいて良いんじゃないかと、いつまでも続きそうな痴話喧嘩紛いの言い合いから逃れるべく退散することに決める。少々無責任っぽい感じがしないでもないが到底オレごときの手に負えるレベルではないし、第一取り憑かれている本人が納得付くなのだから、外野が言うべきことは何もないだろうと自分を納得させたのだ。
……が、残念ながら向こうはそうでもないらしかった。

《あ、ヒカル。芦原さん行っちゃいますよ》
「あ、ホントだ。それじゃあ…」

進藤くんも軽く別れの挨拶を告げてその場を後にしようとしたところへ、当の幽霊さんがとんでもなく思い切りその穏便な空気を阻んでくれた。

《ヒカル。私、今日はちょっと芦原さんに着いて行ってきますね》
「……な」
「何ですとおおぉぉ―――っ!!」

突然の幽霊さんの宣言に、声を掛けられた進藤くんではなく、にじり逃げようとしていたオレの方がマッハの勢いで戻っていって盛大な抗議の声を上げてしまう。

な、何を仰るウサギさん(古い)ならぬ幽霊さん!
ぼ、ボクに取り憑いたって何の旨みもありませんよ〜。どうかそのまま…は進藤くんに悪いような気もするから、どうかおとなしく成仏してくださいませ〜!

しかし、この内なる声が聞こえる筈もなく、何故か二人…否、一人と一幽霊は、再び目の前で痴話喧嘩を繰り広げ始めた。

「ええ!? 何だよソレ! 勝手に人のトコに押し掛けといて、今度は勝手に相手を変えんのかよ!」
《勝手にとは酷い言い草ですね、だからこうして断っているのでしょう? 大体この間ヒカルは私を邪魔者扱いしたじゃありませんか》
「それは…っ! ……邪魔、とまでは言わなかったぜ。ちょっとうざいな、って言っただけで」
《その『うざい』という言葉の意味が『邪魔』という意味だって、教えてくれたのはヒカルじゃないですか》
「だってお前が人が宿題してるってのに、あーだこーだとうるさいから、」

…………おーい。もしもーし。ボク帰っても良いですか〜?

本格的に痴話喧嘩にしかみえない会話を繰り広げている二人を前に、言いようのない脱力感を覚える。犬も食わないものを、どうしてボクがいただけましょうか。

《だから、ちょっとの間だけですが離れてあげます、と言ってるのでしょう。私はヒカルに取り憑いているから本当なら離れられないのですが、この棋院内で、私が見える人の傍なら少しの間くらいはヒカルと離れていられるみたいなので》

えーと。見える人の傍って、つまりボクのことでしょうか。そうなんですね。

「え。芦原さんに取り憑くことにしたんじゃないのか?」

えーと。困ります。すごい困ります。怖いこと言わないでくれませんか進藤くん。

《? いいえ。それは無理です。私はヒカルの幽霊ですから》

えーと。少し安心致しました。

「……何だ」

拍子抜けしたような進藤くん。何やら納得した模様です。

「つまりそれって、とりあえず今だけ、ってことなんだな?」
《はい。帰る時には声を掛けてください》

まあ棋院を出れば判りますけどねと言う幽霊さんに、そんならまあいいや、オッケーわかった、じゃあまた後でなと、先程の剣幕とは打って変わって軽い足取りで、久し振りの一人を満喫するべくこの場を後にしてしまう進藤くん。
くるり、と幽霊さん。
ビクリ、とボク。

《それでは、今日はよろしくお願い致します》

ペコリと礼儀正しく御辞儀をされ、はいこちらこそ、と返してしまう悲しき長年の習性。

………………ええーと。
何がどうしてこうなったんだっけ?

美しい笑顔の幽霊を前に、狐に化かされた心地で内心呆然としつつも、ニヘラ〜と笑顔を返していたりする悲しき長年の習性。




「ええっと、この大理石の碁盤は明治初期に実際に使用されていたもので…」
《つい最近ですね。やはり今の時代は作りがどことなく洒落ています》
「最近……かなあ?」

どうよろしくして良いのか途方に暮れた挙句、とりあえず棋院内に設けられている常時ひと気がない何とも都合の良い資料館に案内してみたのだが、意外と反応が良くて少しホッとする。若干、その反応が普通と違うことはこの際置いておくことにするけれども。
藤原さん、と名乗ったこの幽霊さんは、『三度の飯より碁』と言っていただけあって碁に関するものなら何にでも興味津々に熱心に聞いてくれるので、こちらも段々ノッてきて相手が幽霊だという緊張感が薄らいでくる。人懐こい瞳を向けられると、何やら可愛らしくさえ見えてきて……って、いやその。
それでも、案内し終えてしまうとどうにも手持ち無沙汰になりそうで、この後の展開について考えを廻らせ始める。
普通ならここで「お茶でもゆっくり飲みに行きましょう」とか「一局打ちましょうか?」とでも誘うところなのだが、何しろ相手は普通ではないのでお茶は飲めないし、碁の相手をするには生憎と随分落ち着いたとはいえ、ナイーブなオレのハートではまだちょっとそんな気分にはなれなかった。
さてどうしたものだろうかと考えていると、最後のガラスケースの展示品を覗き込んでいた藤原さんが声を掛けてきた。

《ヒカル。これは…》

そこでハッとしてこちらに顔を向けた。その表情が、いかにも自分の方が吃驚してますという大げさな顔だったので、なまじ元が綺麗なだけにその変貌にオレは思わず声を立てて笑ってしまった。

《……もう! 今のは確かに私に非がありますから謝りますが、そんなに笑わなくても良いでしょう!?》
「すみません…。いえ、そんなの気にしなくていいですけど、何て言うか……仲が良いんだなあと思って」

よっぽどいつも一緒にいるんだろうなあ。……まあ、取り憑いてるんだから当たり前だけど。

あまりの微笑ましさに悪気なくそう返したのだが、何故か藤原さんはそれを聞いて項垂れてしまった。その様は、思わずこっちが慌ててしまう程のしょんぼりっぷりだった。

「ど、どうしました? ボク、何か変なこと言いました?」
《いえ…そうではないです……》

綺麗な人が陰鬱な雰囲気を醸し出すと、いっそ壮絶な美しさを身に纏うのだなあと、只今絶賛実感中でございます。ちょっと見蕩れ…ってそれはともかくとして、そんな顔をされるとちゃんとした幽霊に見えてちょっと怖くも…って、それもともかく。

「えーと。……じゃあ、進藤くんと何かありました?」
《………………》

どうやら的を射た様子で、藤原さんはますます俯き加減になってしまう。幽霊の悩みを聞くなんて、字面だけみれば一見霊媒師っぽいけれども、実際のところはかなりな割合で只の痴話喧嘩の仲裁だと思う。
ともあれ割とこの手の相談を受け易いオレは、放っておくことも出来ずに話を聞いてみることにした。

「ええーと…。もし、先程のことだったら、別に進藤くんも本気で藤原さんのことを邪魔者扱いした訳じゃないと思いますけど?」
《……そうでしょうか…………》

お、反応あり。

「そうそう。あの年頃の男の子っていうのは、年長者の存在を煩わしがる時がありますから。よく、母親とかにもそんな態度を取っているでしょう?」
《そうですね、そう言われてみれば…》

思い当たる節があるらしく頻りと頷く藤原さんに、オレはここぞとばかりに勢い付く。

「でも実際には本当に傍からいなくなって欲しいと思ってる訳じゃないんですよ、そういう場合。むしろ、いなくなるなんてことは絶対にないと思ってて、だからこそ安心してそういう風に言うんです。まあ、ようするに甘えてるんですね」
《成る程!》

突然元気に顔を上げるや否や、藤原さんはオレの手を握らんばかりにして感謝の眼差しを向けてきた。

《そうですよね、素晴らしいご高説です! そう考えると、度々意地悪めいたことを言われたりそれで私が怒っているのに何故だか楽しそうな顔をされたり私がテレビばかり見ていると拗ねられたり時折何かをねだろうとでもしているかのように物欲しそうに見られたりしていたことにも、全て納得がいきますね!》
「そうそう……って、ええ!? そ、そんななの!? それはちょっと何かがどうかと思いますけど、それで納得!?」

何だか事態はオレが考えていたよりもおかしな方向にいっているらしい。でも正直、突っ込みたくない。
内心引きまくっていたけれど、藤原さんはすっかり波に乗って止まらなくなっていた。

《そして私もいつの間にかお恥ずかしながら母君の心境が芽生えかけていたと考えれば、ついヒカルの顔を見ていたり気に掛けてもらえると何だか微笑ましいような心地がしたり触れられないのを何だか寂しく思える時があったりするのにも納得がいきます! 素晴らしいです芦原さん!》

あー。
やっぱりボク、帰ってもいいでしょうか。

まさか本当に痴話喧嘩だったとは、という展開に一気に疲労を覚えてしまう。内心もしかしてうまく話を誘導すれば、取り憑くのを諦めて成仏してくれたりするかもと画策めいたことも考えてはいたのだが、あらゆる意味でオレの手には余りまくっている。
でもまあ、進藤くんも藤原さんのことは納得尽くのようだし(それどころか自分以外に取り憑くのが嫌な様子…。いや、深くは考えまい)、とりあえず今回は余計なことをしなくて良かったと思っておくことにする。
それにしても、取り憑いている幽霊が取り憑くことに疑問を感じるというのもおかしな話だったけれど、とりあえずは元気になったようで陰鬱な幽霊らしさが消えて胸を撫で下ろす。雰囲気を出されるとちょっと怖…じゃなくて、気の毒な感じがするし。
更に駄目押しでオレは彼の興味を引きそうな提案をした。

「えーと。藤原さん、この間の碁聖戦の棋譜見ますか?」
「え、いいんですか!?」

思惑通りにどうやらお気に召して戴けたらしい。どーぞどーぞと来客用の会議室に移動して、物体に触れないので棋譜が捲れない藤原さんの為に会議用テーブル一面に用紙を敷き詰める。
嬉しそうに覗き込む藤原さんは、本当に碁が好きなんだなーと丸分かりだ。その様子を微笑ましく窺っていたが、ふと時折、何やらおかしな表情をすることに気付いた。
それは、はっきり言ってしまえば、物足りなさそうというか、寂しそうというか。

……藤原さん。それじゃ母の心境というよりは、置いてかれた子供みたいですよ?

何だかやたらに可愛らしくて可笑しくなって、オレは苦笑しながら棋譜から目を放さない藤原さんをそのままに、静かに会議室を抜け出した。事務員さんにでも進藤くんを呼んでもらおうと思ったからだ。彼もそろそろ帰る時間だろうし、もし万が一藤原さんを置いて行かれても困るし。……まあ、そんなことはないだろうと、今なら思えるけれども。
幸い、そんな心配はあっさりと杞憂に終わることになった。
出入り口のロビーで、手持ち無沙汰な進藤くんが所在無げに佇んでいたからだ。その表情は誰かさんとそっくり同じで、また可笑しくなる。
気楽だなどと言ってはいたものの、実際最初はその通りだったのだろうけれども結局は物足りなかったのだろう。代わりにこっちはクタクタな気分だけど、少しだけその気持ちも判る気がして、オレは笑ったまま今度は藤原さんを呼びに会議室に戻っていった。




《ただいま、ヒカル♪》
「お帰り。……って、何か変じゃね?」
《え? でも帰った時にはそう言うんでしょう?》
「……そうだな」

滲むように、嬉しそうな表情をする進藤くん。見ているこっちの方が赤面しそうな臆面のない顔なのに、本人はそんな表情をしているという自覚はなさそうだ。
それにしても、これが元の鞘に納まるって奴なんだなあと、手を振る二人を見送りながらしみじみとしてみる。色々前途多難な予感も窺えるが、あの様子ならうまくやっていくのではなかろうかと、なんだかんだ言いながらも馴染んだ雰囲気を醸し出す二人を見て自然とそう思う。……まあ、他人事の楽観的な物言いと言えばそれまでだけれど。
でも出来ればもう痴話喧嘩は勘弁して欲しいなーと思いながらも、でももう少しだけ見守ってみたい気もしていたら、迷う間もなくそれは叶わなくなってしまった。
何故なら、それからしばらくして、オレには藤原さんが見えなくなってしまったからだ。
祖父が四十九日の晩に再び夢の中に現れて「すまん、忘れ物を取りにきたぞ」と言い、立ち去った姿を見送り目覚めた朝には、もうこの世の者ならざる者の姿を見ることは出来なくなっていた。
そのことにホッとしながらも少しだけ寂しく感じたりしつつ、元の生活に戻っていった。




更にしばらくして、進藤くんに会った。藤原さんは?と訊ねたら、彼は一瞬何とも言えない顔をした後、表情を隠すように俯き「今はいない」と言った。その台詞がとても沈んでいて何と声を掛けたらいいのか判らなくなり、オレまで同じように俯いてしまった。その時流れた空気が祖父の葬儀に参列した時のものに似通っていて、同じほろ苦い気持ちが胸を一杯にする。
「でも」とポツリと呟かれた声に、顔を上げる。進藤くんが、先程とは打って変わって強い瞳で、真っ直ぐにこちらを見ていた。

「でも、前の時はアイツが来てくれたから、今度はオレが会いに行こうと思ってるんだ。…今はまだ無理だけど、いつか、必ず」

そういう進藤くんの表情がやけに男くさくて、ああ彼ももう子供ではないんだなと自然と笑みが浮かぶ。彼も笑い返してきた。
以前の時と同じように手を振り別れるその背に、あの綺麗な後姿はなかったけれど、いつか彼の言う通りになるんじゃないかな、なるといいなと神様と仏様とお祖父様にお願いしてみる。チャンポンはいい加減止めるべきだろうか。
そして、その姿を見る為にまた怖い思いをしてでも再び霊を見る力が欲しいかどうかを、もらえる宛てもないのに道々真剣にオレは悩む羽目になったのだった。









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あし…芦原さんサイコー!(感涙) うわー凄い良い人! てか全てが凄いノリだよ! 吃驚だよ! 長い年月念願してただけあったよっ!(落ち着け)

よもやこんな素晴らしいモノをくれるとは思いもよりませんでした。スゲー私のツボだ〜(笑)。子供(佐為がいた頃)のヒカルをこんなに好みに書いてくれるとは恐ろしい奴だとしみじみ思いました。私には絶対書けない…(え)。ホントにありがとう! お礼に花田頑張るね〜そのうち(笑)。

20060831