Love Call




進藤が携帯で話しているのを目撃している人間は数多く存在する。その殆どが仕事関連か友人相手と言った類のモノであるらしいが、ごく稀に……普段見せない蕩ける様な甘い表情で話をしている事があると噂で聞いてはいた。

…けれど、実際にその稀な場面をたまたま出向いた棋院の人気の無い廊下にて目の当たりにしたボクは、驚愕してその場に立ち尽くしてしまった。

「そうなんだよ。すげぇだろ?」

嬉しそうに話す進藤は、普段ボクが知っている彼とは別人の様だった。もの凄く親しいと言う訳じゃないけれど、出会った頃はともかく知り合ってから数年が経っている今は生涯のライバルとして碁会所で検討をしたり普通の会話をしたりもする。…まだ時たま喧嘩もしたりするけれど、そう、笑顔を全く知らない訳じゃない。

それでも、今の彼の表情は今まで見た事が無かった。あんな風に彼が笑えるのだと、見ている今でさえ想像する事すら出来ない。それはボクだけじゃなく、院生時代からの仲の良い友人達も同じ意見だと言う事らしい。それ程、今の彼の顔は輝いていた。

「何だよ、信じねぇのか? …うん。……ば〜か」

ボクには全く気付かずに、壁に凭れたまま絶えず笑っている。

相手は誰なんだろう、恋人だろうか?とボクには珍しく好奇心が沸き立って、彼から見え辛い位置に下がってつい聞き耳を立ててしまう。

いけない、これでは立ち聞きじゃないか。

ボクは進藤の事となると何故か冷静さを欠いてしまう傾向がある。彼には謎が多すぎるのに加え、出逢いが悪すぎた所為なのだろう。
立ち去ろうと踵を返した瞬間、進藤の台詞に息が止まるかと思った。

「だったら試してみるか? オレはいつでもオッケーだぜ、佐為」

………sai?!

今、彼はsaiと言ったのだろうか?
進藤とsaiの碁はとてもよく似ている。証拠は何も無いけれど、彼とsaiには何か繋がりがあるのだと前々から確信してはいた。その碁を打つ彼の口から出た“さい”は、紛れも無く“sai”である筈だ。だとしたら…。

「進藤!」
「…え?」

突然現れたボクの姿を見て、進藤は驚いた顔で携帯を握り締めていた。まさかボクがこんな所に居るとは思ってもいなかったのだろう。何でここに、と言いたげにこちらをじっと見詰めて固まっている。

「今、君は“さい”と言っただろう? その電話の相手は、ひょっとしてあの“sai”なのか?」

千載一遇のチャンスとばかりに、思い切り彼に詰め寄る。いつか話すと言われてからもう長い月日が経っている。最近では本当に話す気があるのかと疑い始めていたから、今ここで彼に話して欲しかった。

…けれど、ボクの期待は又もや裏切られた。

「な、何の事だよ? 今電話中なんだから後にしてくれよ」

慌てた様に言い繕う進藤にカッとなり、つかつかと彼に近付くと徐にその携帯を奪い取った。

「な!」
「もしもし?」

携帯を己の耳に当てて相手と直に話そうとした……のだけれど、耳に当てたソレからは何の音もしなかった。不思議に思って画面を見ると、それもその筈だ。その携帯は何処にも繋がっていなかったのだから。

「え…」
「返せよっ!」

呆然と携帯を見詰めていたボクの手から、進藤が素早く奪い取る。
何処にも繋がっていない筈のその携帯に慌てて出る彼は、先程と同じ様に誰かに向かって話しかけていた。

……誰もいない筈なのに。

「ごめん。…うん、そう、塔矢だよ。いきなり引っ手繰るんだもんな」

拗ねた様に、けれど甘えた様に愚痴る姿は、とても偽りとは思えなかった。大体偽りだとしても、この行動は彼にとって何の得があると言うのだろう?

「……オマエな。ま、良いけど。……え?! 良いよ、放っとけよ。だってまだ全然話してねぇじゃん! すっげー久し振りなのに!!」

焦って引き止めようと言葉を紡ぐ進藤の姿に、ボクの頭は混乱し、動揺する。
あまりの彼の真剣さに、先程の繋がっていないと思った携帯はボクの見間違いだったと言うのだろうか?

「ホントに? ……判った、絶対約束守れよ」

渋々といった様子で何事かを話す進藤を呆然と見守る。これは一体どういう事なんだ?

「あ、待てよ。いつもの、まだ聞いてないじゃん。……良いって、言えよ」

強気でねだるその声は、最初に聞いたあの声と同じだった。

「……うん。オレもだよ。じゃあ、又な」

愛しい人に告げる様な甘い声でそう言うと、名残惜しげに携帯を耳から話して暫く笑みを浮かべたままじっと見詰める。とても声を掛け難い雰囲気だったが、このまま黙って立ち去るつもりは無かった。是が非でも真実を明らかにして貰うつもりで問い詰めた。

「どういう事なんだ?」
「…何が?」

答える進藤の声は驚く程低く、先程とは打って変わった彼の様子に一瞬戸惑う。

「キミは“sai”と話していたんじゃなかったのか?」
「だったら、何? 人が話してる携帯を奪って勝手に出ようとして良いと思ってんのかよ」

その指摘にぐっと詰まる。彼が怒るのは無理も無い。けれどこちらにも事情がある。

「それは…悪かったと思ってるよ。だけどキミは何も話してくれないじゃないか」

ボクの言葉に、進藤は冷たく笑うと突き放す様に言った。

「オマエには関係無い」
「! ボクには…話してくれるって言ったじゃないか!」

だから今まで聞きたくてもずっと自分を抑えていた。無理矢理聞き出すのでは無く、彼が自分から話してくれた方がボクだって嬉しいんだ。

「話すかもしれないと言っただけだ。オレの邪魔すんならそれは永遠に無いぜ」
「邪魔って……今の電話は誰にも繋がって無かっただろう?!」

あんまりな言葉に、言ってはいけないかもしれないと思って躊躇していた言葉を投げつける。すると、彼は慌てるどころか自慢気に答えた。

「オマエには聞こえないんだよ」
「…?」

何を言っているんだ?

「アイツの声はオレにしか聞こえない。アイツの姿がオレにしか見えなかったのと同じで」
「キミにしか聞こえない? 見えないって何故?」

進藤が何を言っているのか理解出来ない。昔からそうだ。時々彼はボクが理解出来ない言動を起こしたりする。一体何故こんなに意思が通じないのだろう?

「教えない。オレは今、物凄く機嫌が悪いんだ」
「進藤!」
「良いか、塔矢」

凍りつかせる様な視線でこちらを睨みつけながら顔を近付けると、耳元で小さく呟いた。

「今度アイツとの電話を邪魔したら、……殺すぜ」
「……!」

殺意の篭った目で睨み上げられ、血の気が引いた。
進藤は本気だった。

黙り込んで固まってしまったボクを冷ややかな目で見やると、そのまま背を向けて歩き出して行った。

…その後を追う気にはなれなかった。

もう、何が何だか訳が判らなかった。

ただ、判った事は。




…彼は狂っているのかもしれない。




それでも、進藤ヒカルは塔矢アキラのライバルなのだ。




彼が、自分が存在する限り。



Fin


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ゴメン、アキラ…(嗚咽)。
私らしくない話ですね。だって思いついちゃったんだもん!(爆) 狂気の人を書いてみたくなったらしいです…。こんなに怖い話になるとは〜(汗)。
ま、たまには良いか、夏だし?←盆も過ぎて今更…。


20030915