棋聖再降臨 幽霊編
     /番外(前編)





外は晴天。ここの所調子良く勝ち続いていたヒカルはすこぶる機嫌の良い表情で棋院のドアを開けた。中に入って来たヒカルと佐為に気付いた伊角は、手を振って呼び掛ける。

「進藤、今…」
「進藤!」

伊角の声に重なる様に己の名を呼ぶもう一つの声にヒカルは驚いた。此処に居る筈の無い、あまりに意外な声だったので。

「…秀英?」

振り返ってこちらに駆け寄って来る洪秀英を驚いて見詰める。秀英はヒカルの前に立つと、「久し振りだな」と北斗杯で会った時より幾分柔らかめな表情で挨拶をした。そんな彼の態度にヒカルは少し笑って「ああ」と頷く。自分をライバル視して勝負を挑んで来る彼を好ましく思っていたし、会話してみると滲み出る素直で一途な所が誰かを思い起こさせるので割りと気に入っていた。けれど滅多に会う機会などあろう筈も無い彼との再会に、ヒカルは疑問を投げかける。

「どうしたんだ? 今、国際戦の予定は無い筈だろ? 日本に何の用だよ」
「観光だよ。この間来た時、時間が無くてあちこち行けなかったから又行きたいなって言ったら、永夏がプライベートで行かないかって…」
「高永夏?! アイツが来てんのか!」

彼の人の名を聞いた途端ヒカルの顔が険しくなり、秀英は困った様な途方に暮れた表情をした。彼のこの反応は予想範疇内であるのだが、しかし。

「…進藤。いい加減、永夏に喧嘩を売るのはやめてくれないか?」
「喧嘩を売ってんのはアッチの方だろ!」

否定出来ない秀英は、友人に心の中で恨み言を呟く。永夏は大好きだが、彼の子供じみた言動の所為で、高永夏の名が出るとヒカルとまともな会話がついぞ出来ない事に憤りを感じる。ライバルだと思っている相手に存在を認められていない様で、切なくなるのだ。

永夏抜きで北斗杯の後に叔父の碁会所で会った時は、対局も含めてお互いの理解を深める事が出来たのに…。

深い溜息が出そうになるのを抑えていると、そんな秀英の気も知らずヒカルは相変わらずの暴言を吐く。

「大体、観光なら棋院になんか来るなよな」

八つ当たり気味に文句を言われ、流石に秀英もカチンときてヒカルを睨んだ。

「折角日本に来たのなら、棋士として挨拶位来るのは当然だろ?」
「……」

言い返せないヒカルは秀英に当たるのは筋違いだと漸く気付き、取り繕う様にその元凶を目で捜したが見当たらなかった。

「それで、その当人は何処に居んだよ?」
「あれ? さっきまで後ろに居たのに…。あ、居た」
「えっ…」

永夏の姿を見付けた秀英の視線を辿ると、その先にはヒカルの宿敵高永夏がおり、そしてその隣には、あろう事か佐為が居た。

「……!!!」
「あれ、誰と話しているんだろ。言葉通じているのかな?」

首を傾げてそう呟く秀英の声は、ヒカルには届かなかった。






(あの時“てれび”に映っていたのは、やはり貴方だったのですね。こうやって再び会う事が出来て、本当に嬉しいです)
『何を言っているんだ?』

再会を喜び満面の笑顔で話しかける佐為の姿を、永夏は訝しげに眉を顰めて見詰める。そんな相手のあからさまに不振気な態度よりも、聞きなれない言語が彼から紡がれた事に対して酷く驚き、大きく瞳を瞬かせた。

(ああ、そうでしたか! 今はこの国の人では無いのですね? もしや生まれ変わっているのではと思ってはいましたが、異国に生まれ出でているとは想像した事がありませんでした)

無邪気に感嘆の声を上げていたが、怪訝そうに見詰めている永夏の視線に気付いて、佐為の笑顔が僅かに曇る。

(折角会えたと言うのに、この身が…声が聞こえる様になっても、言葉が通じないと言うのは不便なものですね)

何を言っているのかは判らなかったが、突然意気消沈してしまった佐為の様子に、自分の反応が相手を傷付けてしまったのかと思い、永夏はらしくもなく戸惑う。自分としては知らない相手に勝手に親しげに話しかけられたのだからいつもの如く当然の反応をしたまでだったが、佐為の表情からは悪意も敵意も無く純粋に好意と親愛さえ感じられたので、自分の方が悪い事をしている気分になり始めていた。

『オレを知っているのか?』

通じないと判っていても、自分は日本語を話せる訳では無いので疑問をそのまま口にする。佐為も何を言っているのかは判らなかったが、今までの永夏の反応と表情を見る限り、自分を思い出せていないのだと言う事を漸く理解した。

(それに…以前の事は覚えて無いのですね。仕方ありません。でも、私は覚えています。…忘れた事はありませんよ、虎次郎)

一瞬寂しそうに、けれど直ぐに懐かしげに自分を見詰めてふわりと微笑む佐為に、永夏は思わず見惚れる。間近で見るにはあまりにも幻想的な、神秘的な存在だと思った。
一瞬惚けてしまった自分に内心慌て、そして佐為の最後の一言に目を見張る。

『……“トラジロウ”?』

どういう意味だと問いかけようとした永夏だったが、駆け寄って来た人物に遮られる。

「佐為!」
(ヒカル)
『…進藤』

ヒカルの後ろから、秀英も歩いて着いて来ていた。心配げな顔をしているのは、多分自分が何か問題を起こしているのではないのかと思っているからなのだろう。永夏は心配性な友人に苦笑する。

『秀英』
『何してるの? 日本語判って無いんだからあんまり勝手に行動しないでよ』

溜息交じりにそう言われ、永夏は軽く肩を竦める。
ヒカルも佐為に文句を言おうと口を開きかけたが、それより先に佐為がしげしげと秀英を見詰め驚きの声を上げた。

(貴方はもしや洪秀英では無いですか?)
「…え? あ、はい。そうですけど…お会いした事ありましたっけ?」

突然声をかけられて、秀英は驚いた顔をしながらも礼儀正しく応対した。
秀英の戸惑いに気付かず、佐為は昔の秀英と今の秀英の姿を思い比べて感慨深げに見詰めた。

(大きくなりましたね! そうですか、貴方もプロ棋士になったのですね。ええ、会ったというか…一方的に見ていたと言う方が正確でしょうか)
「?」
(そう言えば秀英は日本語が話せるのですね。凄いです。ヒカルなんて未だに英語すら満足に覚えられていないと言うのに…)
「佐為! もう、置いて行くぞ。これから家で一局打つんじゃなかったのか?」
(あ、はい)

いつまでも話し続ける佐為の関心を無理やり自分に向けさせて、強引に引っ張ってでもその場を去ろうとするヒカルに、秀英は慌てて呼び止める。

「進藤! ボク達明後日まで日本に居るんだ。その間に、又対局出来ないだろうか」

直向な目でそう告げられると、無下に断る事も出来ない。そもそも自分も彼とは久しぶりに対局したかったのだから、問題の有る筈も無い。
……問題が有るのはその隣に存在する人物なだけで。

「…良いけど」

素直でない口調ではあったが、了承を得られて秀英は嬉しそうに笑った。その笑顔を隣で見ていた高永夏は僅かに不機嫌な顔をしたが、気付いた者はいなかった。

「じゃあ、明日。叔父さんの碁会所で待っている」
「ああ」

言葉は判らずとも二人が何を話しているのか予想がついた永夏は、ヒカルの後ろに黙って佇む佐為に視線を移してからさり気無く秀英に頼みごとをする。

『ついでにオレも一局相手して貰えるか聞いてくれないか? 秀英』
『永夏?!』

永夏の予想外の頼みごとに、秀英は目を丸くして驚いた。

「…何?」

怪訝そうに問うヒカルの視線を無視して、佐為を見詰めたまま告げる。

『進藤じゃない。もう一人の……佐為、さんに』
(私?)

自分の名前が永夏から出た事に、佐為は純粋に驚く。秀英は突然の頼みごとに戸惑いつつ、永夏の台詞を二人に通訳する。

「えっと…。永夏が佐為さんと打ちたいって言っているんだけど、佐為さんも明日一緒に来て相手して貰えるかな」
「なっ…!」
(はい! 是非打ちたいです!)

驚くヒカルを他所に、佐為は間髪入れずに元気良く了承した。







日本棋院から出て来た秀英は、黙って隣で歩く永夏を見上げて訊ねた。

『どうしたの? 永夏が自分から打ちたいなんて言うの、珍しいよね』
『そうか?』
『そうだよ。何? 知り合いだったの?』

日本人に知り合いが居るなんて聞いた事無いけど、と思いつつそう聞けば、肩を竦めて否定する。

『知り合った覚えは無い。…オレ自身、彼の名前は知っていたが、向こうがオレを知っているとは思わなかった』

永夏の言っている意味が判らず、秀英は首を捻る。

『永夏は有名人だから、記事とかテレビとかで知ったんじゃない?』

案外ファンだったりして?とからかい混じりにそう言えば、少し苦い顔をして視線を外した。

『最初はオレもそう思った。だが、表情を見る限り、そう言う感じじゃなかった。…旧知の人間に話しかける様に話しかけられていた気がする』
『?』

益々判らない、と難しい顔で見詰めてくる友人に微笑を向ける。

『オレの事を虎次郎と呼んでいた』
『虎次郎?』

聞いた事ある気がするが、思い出せない秀英は永夏の考えている事がいまいち理解出来ない。

『佐為…彼はあの“sai”だろう。“sai”は秀策と良く似た打ち方をする棋士だった』
『“sai”って…ネットで塔矢先生に勝ったあの?!』

驚く秀英を他所に、永夏は不敵な笑みを浮かべた。

『何故オレを虎次郎と呼ぶのかは判らないが…相手にとって不足は無い』






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こんな設定も面白いなと、つい余計な話を追加披露して自分の首を絞めております(爆)。
しかも続いてますが、大した進展も無く終わると思います〜…って、どうなの自分(殴)。


20050430