棋聖再降臨 幽霊編 4




合流した後手短に、佐為が『sai』である事、佐為が幽霊でヒカルにとり憑いている事、佐為がヒカルに囲碁を教えていた事等の説明を受けた伊角は、驚きはしたものの恐れたりはしなかった。そればかりか、じっと二人を見て

「色々大変だったんだな」

と同情の意を示して素直に受け入れてくれたので、内心緊張していたヒカルと佐為はホッと息を吐いた。
伊角にとっても信じ難い話ではあったのだが、今までのヒカルの行動を考えると納得が行く事柄だったのだ。

「それにしても、どうして今になって今まで藤原さんの姿を見る事が出来なかったオレ達に見える様になったんだろう?」

つい口に出てしまった伊角の疑問は尤もだった。他の三人も同じ気持ちだったので、それぞれ腕を組んで考え込む。

「今朝家を出る時もお母さんには見えなかったみたいだし、棋院に来る途中でも誰も佐為の姿が見えてる人はいなさそうだった。だからオレもさ、和谷に会うまで佐為がオレ以外の誰かに見えるなんて思わなかったんだ」

ヒカルの言葉に、佐為もコクコクと頷く。

「最初からオレには見えてたぜ? 研究会でも皆藤原さんの存在に疑問を持って無かったし」

うーん、と全員が唸ってしまう。佐為の姿を改めて眺めて見ても、とても幽霊とは思えなかった。向こう側が透けて見える訳でも無く、足も二本ともしっかりあるし、表情も普通の人間以上に豊かで顔色も良い。違和感があるのはその平安装束と美貌位だ。

「藤原さんが幽霊だと納得出来るのは『触れない』って事だけなんだけど…進藤は触れるんだよな?」
「うん」
「何で進藤だけ触れるんだよ」
「だからオレだって知らねェって」

不公平だと言わんばかりの和谷に、ヒカルはムキになって言い返す。

(私がヒカルにとり憑いているからではないでしょうか?)
「あ、成る程」

思いついた様に佐為がそう言うと、先程のヒカルに対する態度とは天と地程の差で素直に和谷が納得し、相槌を打つ。何となく面白くないヒカルは、不貞腐れた様に突っ込みを入れる。

「だけど今までは触れなかったじゃねェか」
(そうですよね…)

しゅん、と肩を落としてしまった佐為に、ヒカルは罪悪感を感じる。半分八つ当たりの発言だったとの自覚は流石にあって、別に怒っている訳では無いのだ。落ち込んでしまった佐為を見て和谷がじろりとヒカルを睨み、ヒカルは引っ込みがつかなくて思わず睨み返す。そんなまるで小学生レベルな三人の行動に気付かず、伊角はマイペースに話を進めた。

「今までって? 進藤はいつから藤原さんに触れる様になったんだ?」
「昨日だよ」
(再会したその日に気付いたんですよね)

何気ない佐為の台詞に、伊角は疑問を感じる。

「再会?」
「さっきも言ってたけどさ、再会って一度いなくなったって事か?」

和谷が訊ねると、ヒカルは一瞬言葉を飲み込み、俯いて唇を噛んだ。隣に居た佐為はそれには気付かず、頷いてあっさりと答えた。

(ええ、ヒカルが丁度プロになった頃、私、昇天しかけたんです)
「昇天って…成仏って事ですか?」
(はい)
「……」

佐為は幽霊なのだからそう言う事もあるだろう、と思いつつも、何だか奇妙な会話な気がしてならない伊角と和谷だった。
和谷がふと思い出した様に、黙って俯いていたヒカルに向かって問う。

「…もしかして、それってオマエが不戦敗し続けてたあの時か?」
(…え?)
「和谷っ!」

佐為が驚いた顔をし、ヒカルは慌てて和谷の言葉を止めようとする。佐為にあの時の話を知らせたく無かった。昨晩提案した事を拒否し続けた彼だ。知れば、きっと悲しんで自分自身を責めるだろう事は簡単に予想がついた。…そんなコトはして欲しく無かった。
その様子を見て、ヒカルの気持ちを察した伊角は話の矛先をさり気無く変えた。

「今もオレ達以外は藤原さんの姿が見えないみたいだな」

辺りを見回しながらそう言うと、他の皆もキョロキョロと周りを伺う。店内には沢山の人が居たが、誰も自分達を見ている者はいなく、皆それぞれ自分達の話に夢中になっている。

「そう言えば…」
「そうだな。佐為の姿が見えれば、皆絶対注目するもんな」
(どういう意味です?)

ヒカルのからかう様な言動に、佐為はむくれた顔をする。先程の話題の事はすっかり忘れた様子の佐為に、ヒカルは内心ホッとした。

「でも、オレや和谷には見る事が出来る」
「森下先生や他の皆も見えてたぜ」
「うーん…」

拳を口元に当てて悩みながら佐為をじっと見詰める伊角に、和谷が首を傾げる。

「伊角さん?」
「もしかして…藤原さんの姿は、オレ達碁打ちにしか見えないのかもしれない」
「え?」
「何故かは判らないけど、多分そうなんじゃないかな。そう考えると全部辻褄が合う気がする」

総合的に考えると、伊角の話は尤もだった。

「確かに…」
「とりあえず、藤原さんはとり憑いている進藤の側から離れる事は出来ないのだろう? 碁打ちには彼の姿が見えるって事なら、その格好のまま棋院をうろつくというのは不味いんじゃないかな」
「って言ってもどうすんだよ、伊角さん。なぁ進藤、幽霊って着替え出来んの?」
「…出来んの?」

突然そんな事を聞かれても、佐為が着替えるなんて事はヒカルも考えた事が無かったので、素直にそのまま佐為に訊ねた。聞かれた佐為の方も想像した事すら無かったので、首を捻って難しい顔をした。

(さぁ? やった事無いですから。そもそも換えの服がありませんし)

困った顔で自分の服をしげしげと見詰める佐為に、ヒカルも改めて佐為の衣に触れてみる。滑らかでつるりとした柔らかな感触は、生地の高級さを感じさせる。

「服は買えば良いんじゃん?」

和谷の当然と言えば当然の発言に、ヒカルは溜息を吐く。

「それをどうやって佐為に着替えさせるんだよ。佐為はモノが触れないんだぜ」

そうだった、と一斉に溜息を吐く皆を他所に、伊角は思いついた事をヒカルに提案する。

「それなんだけど、進藤。進藤は藤原さんに触れるんだろう? だったら進藤から着替えを手渡せば、それを受け取って着替える事も可能なんじゃないかな」
「あ…」
(成る程)
「そうか! その手があるよな。伊角さん冴えてる〜」

一斉に皆が感心して褒めると、伊角は照れたように笑った。

「でもサイズは? 試着室に藤原さんだけが入って着替えるのって、傍から見たら変じゃないか?」
「うーん。多分オレのサイズと同じ位じゃないかと思うけど、やっぱり一度着てみた方が良いだろうな。進藤、帰りに皆で店に寄って買って行かないか? 試着室には誰か一緒に入れば変じゃないし」
「一緒に?!」

思い切り驚くヒカルに、和谷は怪訝そうな顔をする。

「何だよ。別に男同士なんだから問題無いだろ?」
「そ、そりゃそうだけど…。で、でも狭いじゃん!」

何故か慌てて反対し始めるヒカルを呆れた顔で見詰めた和谷は、ちらりと佐為の様子を窺う。戸惑った表情で見守る彼の様子に何となく保護欲をかき立てられ、だったら…と言葉を続ける。

「オマエが嫌ならオレが入ってやろうか?」
「……!!! 良い! オレが一緒に入る!」

予想していたとは言え、案の定即行できっぱりと断るヒカルに和谷は呆れた顔を向ける。

(ヒカルが一緒なら安心ですね。良かった、ヒカルの着替えを見ているから何となくは判るのですが、現代の服を自分一人で着替えるのはあまり自信が無かったんです。着付け、手伝って下さいね)
「……」

無邪気に笑う佐為に、他の三人は様々な思いで深く溜息を吐いた。

とりあえず、佐為の服装を何とかすれば棋院に居てもそんなに人目を引く事は無いだろうとの伊角の案でヒカルも佐為も安心したのだが、果たして常にヒカルの傍らに存在する彼に対して好奇心を持たない人間がいるのだろうかとか、見るだけでは我慢出来ずに一度でも対局してしまえば佐為が『sai』である事などプロ棋士であれば必ず気付いてしまうだろうと言う問題については深く考えず語られなかった。単に無意識のうちに考えようとしなかっただけなのかもしれないが。

落ち着いた所でヒカルが冷めてしまった残りのポテトを再び食べ始めると、じっと見ていた佐為に摘んでいたポテトを差し出し「食う?」と問うた。佐為は不思議そうにそれを手に取り、恐る恐る口に運ぶ。幽霊になって初めて口にするその食物の味に、驚いた様に目を丸くして感動し、そして子供の様にはしゃいだ。対するヒカルも嬉しそうに笑い、袋ごと佐為に差し出す。無邪気にじゃれている二人を複雑そうに見ていた和谷は、ふと思いついた疑問が口を突いて出る。

「でもさ、今は進藤だけじゃなくてオレ達にも藤原さんが見えるって事は、藤原さんが進藤にとり憑いている理由はもう無いって事になんねェ?」
「え…」

いきなりの和谷の発言に、ヒカルの笑顔が凍った。和谷はそんなヒカルの様子に構わず、追い討ちをかけるかの様に続ける。

「碁打ちには見えるって訳だから、神の一手を目指す為の対局相手には事欠かない訳だろ? 幽霊だって事に拘らなければ、藤原さんと打ちたがる人は多いと思うぜ」
「ちょ、ちょっと待てよ、和谷!」

焦るヒカル。佐為も困った顔をして言った。

(確かに私の姿が棋士の皆さんにも見えるのでしたら、望んでさえ頂ければ対局は出来るでしょう)
「佐為?!」

佐為にまで同意され、ヒカルは思わず悲鳴を上げていた。今更お役御免だと言われても、はいそうですかと頷ける筈も無かった。そんなヒカルの気持ちを知ってか知らずか、佐為は微笑んでヒカルを振り返り、そのまま和谷に視線を向ける。

(でも、私は人や物に触れる事が出来ません。出来れば再び自分の手で碁を打ちたいと望んでいましたから、ヒカルを通して触ることが出来るならそうしたいです)

佐為の静かな声に、焦っていたヒカルの心も落ち着きを取り戻す。が、しかし。

「確かに今は進藤しか藤原さんに触れないけど、それって藤原さんが進藤にとり憑いてるからであって、例えばオレにとり憑いたら今度はオレが藤原さんに触れるとかって事にならないかな?」
「なる程。その可能性はあるかもな」

成り行きを見守っていた伊角まで同意し始め、ヒカルは再び焦り始める。

「ちょっ…伊角さんまで」
(それは…そうかもしれません)
「佐為っ!」

目を伏せて考え込んでしまった佐為に、ヒカルは堪らず非難の声を上げた。

(ですが)

静かに目を開け、ついと三人に視線を注ぎ、真剣な面持ちで想いを告げる。

(私は、自分が碁を打つ事を望むのと同じく、ヒカルの成長も見守りたい。ヒカルが迷惑だと、嫌だと言わない限り、側に居たいのです)
「……」

その言葉に、三人は声も無く佐為を見詰めた。
佐為の純粋な囲碁への想いとヒカルへの愛情を感じ、深い感動すら受けていたのだ。

(ヒカルは私が側に居るのは迷惑ですか?)

ふと、遠慮がちに問う佐為の台詞に、ヒカルは慌てて首を左右に振る。

「そっ…、そんな事有る訳無いだろ!」
(嫌じゃありません?)

確かめる様にもう一度問い返す佐為に、力強くきっぱりと答える。

「嫌なもんか! ずっと居ろよ。約束したろ? もう消えたりしないって。オレの側にずっと居るって」
(ヒカル…)
「オレ、絶対ェオマエの事、離さないからな」

ヒカルの言葉に、佐為は嬉しそうに微笑む。ヒカルも又、佐為の笑顔を見て笑う。
そう、いつでも傍に居て笑っていて欲しいから、その為なら言葉など惜しまない。ヒカルはそう決心していた。
そんな二人の世界をまざまざと見せ付けられ、和谷と伊角は居心地悪げに視線を彷徨わせる。

「…何だか、オレ達、凄いお邪魔虫みたいなんだけど」
「藤原さんの身の為には、進藤にとり憑いているのはあまりお勧め出来ないと思うんだけどな」

何たって触れるし、と言う言葉は、今の二人には(特にヒカルには)言わない方が良いだろうと思ってしまう辺り、結構冷静に現実を受け止めている和谷と伊角だった。





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20040125