棋聖再降臨 転生編7




「あの、進藤さん! これ受け取って下さい!」
「良いけど、オレお返しってしないよ?」

それでも良いなら貰うけど、と、凡そ男としてバレンタインデーに最低な受け取り方をするのが進藤ヒカルその人であった。

ヒカル本人としては、その気も無いのにチョコを受け取るのは悪いから、と最初は受け取りを拒否していたのだが、粘り強く押し付けられる事に疲れを感じてそうなってしまったらしい。判って渡して受け取っているならお互い様だという事らしいが…。

それを前以って聞いていた彩は、昔と変わらないデリカシーの無さに頭を痛めていた。



そしてバレンタインデー当日。やはり毎年恒例の如く同じ台詞を繰り返し告げるヒカルに、勇気ある女子の一人が尋ねた。フワフワの巻き毛を肩まで伸ばした可愛らしい女性である。

「進藤さんは、本命だったらお返しをしたりするんですか?」
「…え?」

突然の問いに、ヒカルは一瞬黙ってしまった。真剣な表情で見詰める目の前の女性ではなく、幼い愛らしい美少女の笑顔と淡い微笑を浮かべる麗人の顔が同時に重なってヒカルの脳裏に浮かぶ。

「……そうだなァ。貰えたら、ね」

苦笑を浮かべて独り言のように呟いたヒカルのその言葉は、本人の知らぬ間に瞬く間に世間に広がっていたのだった。

今年は佐為と再会して初めてのバレンタインである。実は内心ヒカルは緊張していたのだ。

――果たして佐為はオレにチョコをくれるのだろうか?

うっかりしていて会う約束もせず、仕事の予定も重なってはいなかったので、ヒカルは今更ながらにかなり焦っていた。
未だに連絡も貰ってないので、もしかして郵送?などと思い込もうとするけれど、貰えない確率の方が高い気がして考えれば考える程気持ちが暗くなる。まさか自分から連絡する等という事は催促するようで出来ず、ヒカルは悶々とした時間を過ごしていた。


――アイツが幽霊だった時なら簡単に言えたのに…。いや、やっぱ言えなかったか?

そんな時、立ち寄った棋院のロビーの脇で、凛とした輝きを放つ黒髪の少女を見つけた。ドキッとしているヒカルに気付いたのは、少女と話していた青年だった。

「よ! 進藤。久し振りだな」
「本田さん…と、佐為」

慌てて近くに行くと、二人は何やら誰かの一局を検討していたらしく、メモ用紙に沢山の数字を書き散らしていた。その紙をじっと考え込むように見詰めていた彩は、近付いたヒカルに漸く気付くとハッとした表情を浮かべた。

「あ、ヒカル!」
「?」
「良かった、丁度配っていた所なのですよ」
「え?」

佐為はニッコリと笑って隣に置いていた紙袋を取り出すと、その中に手を差し込んで然したる困難も無く一つの箱を掴み取った。

「はい、ヒカルの分」

ポン、と手渡された箱をヒカルは思わず反射的に受け取る。

「あ、…サンキュー?」

それは綺麗に包装された、どこから見てもバレンタインのチョコレートの箱である。

……そう。どこから見ても、完璧な、市販品の、義理用。

「佐為、これ…」
「お返しはいりませんから」

ニッコリと極上の笑みを浮かべて告げられたその台詞に、ヒカルの表情は強張り身体が固まる。

「あ、伊角さん!」


ヒカルの様子に全く気付かぬ風で、じゃあ又後でと本田に会釈をして立ち上がり、タタタッと伊角の方へと駆けて笑って手渡したそれも、どう見てもヒカルと同じ箱だった。

「これって…」
「オレも貰った。義理とはいえ、やっぱ可愛い子から貰うと嬉しいな」

照れながら本田が見せたその箱も、ヒカルの手の中にある箱と寸分の狂いもない同じ箱である。

「……マジかよ」

愕然としているヒカルの様子を、本田が不思議そうに首を捻って見詰めていた。



あの後、実は手違いだったと、もっとしっかりした本命用のを貰えるんじゃないかとささやかな期待をしていたが、空が暗くなっても彩は現れず、家に帰っても連絡があった兆しも無かった。

――佐為にとって、やっぱオレってただのお友達…?

ガックリと項垂れてベッドに倒れこむ。沢山のチョコが入った袋は、しかしヒカルにとって意味の無いものだ。
折角待ち続けた本命から貰えたというのに、少しも喜びを感じる事が出来ない。お返しはいらないと念を押されてしまったのだ。ヒカルには返事をする権利すら与えられない程、完璧な義理チョコだと告げられたも同然である。
それでも未練がましく彩から貰った箱を真っ先に手に取ってしまうのは、もうどうしようもなかった。


――今は義理でも仕方無い。これから頑張れば…。

むう、と眉間に皺を寄せて、ファンの女の子達が見たらガッカリしそうな位情けない表情でガサリと包みを開けてみる。

「…あ」

すると、その小さな箱の中には予想していた市販のチョコではなく、一目で手作りと判る、小さな可愛い丸いトリュフチョコが二つ入っていた。白と黒の綺麗な二つのそのチョコは、彼女の大好きな碁石を模っているのだろう。
その上にピンクのチョコで描かれた文字に、ヒカルは思わず目を丸くする。


「……敵わねェな、やっぱ」

苦笑してベッドの上にひっくり返る。段々と笑いが込み上げ、やがて腹を抱えて笑い出したヒカルを階下にいる母が見上げて訝しげに顔を顰める。

そのチョコレートの上には、大きく『バカ』と書かれていた。







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話すっ飛ばしている上に短くてすみません…。これを逃すと又来年になっちゃう!と、季節物ネタは時期を選ぶので大変です。←そういう問題かよ。
そんな訳で、ずっと暖めていたバレンタインデー話です。ヒカルの酷さが光ります。私はヒカルを何だと思って…(爆)。
6は早めにアップしたいと思ってます。ちょっと長めなんで時間がね…(殴)。



20090130