棋聖再降臨 転生編5




彩との一局はあっという間に周知の噂になり、その棋譜を知らない棋士はいないのではないのかと思われる程騒がれていた。あれから何処へ行ってもそれについて追求され、ヒカルはある程度の覚悟はしていたものの、かなり辟易していた。
そして当然ヒカルをライバルだと思っているアキラが知らない筈も無く、けれど意外にも彼はそれについて一切触れてこなかった。その事に胸を撫で下ろしつつも、しかし何も言って来ない事に不気味さを感じてもいた。

今も仕事で一緒になったこの場所で顔を合わせても、その話に少しも触れようともしない。ヒカルはこっそり様子を窺って顔色を見るけれど、無表情のその面からは何を考えているのか全く読めない。ヒカルは内心深い溜め息を吐いていた。

――だけど絶対怪しんでるよなぁ…。

ずっと誰よりも一番佐為の存在を知りたがっていた彼。いつか話すかもと言いつつ今の今まで話せなかった自分自身にヒカルは後ろめたさを感じていた。だからこれは良い機会なのだと思うけれど、言い出す勇気が未だ出て来ない。
アキラはチラチラと寄越される視線に業を煮やし、スウと息を吐いてからきつくヒカルを睨んだ。

「進藤。言いたい事があるならハッキリ言ってくれないか? さっきから気が散って仕方ないだろう」

あからさまに溜め息を吐かれて至極迷惑そうに言われたヒカルは、先程までの殊勝な考えを吹き飛ばして思わず逆切れしてしまった。

「なっ、何だよ! 言いたい事があるのはオマエの方だろ!」

怒鳴る相手を冷ややかに見下ろして目を細める。思わず怯むヒカルと対照的に、彼はあくまで冷静な声で訊ねた。

「聞いて欲しいのかい?」
「…うっ」

途端に言葉に詰まったヒカルを見て、アキラは掌を額に当てて再び深い溜め息を吐く。呆れた顔で見やるその表情は、全く仕方が無いなと言わんばかりだ。

「どうせキミは答えてくれる気など無いのだろう? 結果が判っている事をいちいち聞く程ボクは暇じゃないし、いい加減学習したつもりだよ」
「塔矢」
「……いつか、キミから話してくれるまでボクは待てるから。だから今は良いんだ」

少し寂しそうに言ってそう微笑んだアキラを見て、ヒカルは心臓を鷲掴みにされた気がした。思わずギュッと両手を握り締める。
自分が黙っていた事によって、彼をどれだけ傷付けていたのだろうか。ヒカルは意を決した様に大きく息を吸って顔を上げた。


「塔矢」

打って変わって真剣な眼差しで名を呼ばれ、アキラは無言のまま見返す。そのアキラの真っ直ぐな瞳を間近で受けて、ヒカルは一瞬迷いが生じ挫けそうになる。再び顔を俯きかけたその時、彩に言われた言葉を思い出した。

――大丈夫、塔矢は変わりませんよ。

たったそれだけの事で、体中に勇気が漲る。纏わりついていた不安を吹っ切るように頭をブンと一振りし、ヒカルはもう一度目の前に立つアキラを見てゆっくりと口を開いた。

「この仕事が終わったら…少し時間をくれないか? 話をしたい。…長い、話を」
「……」

大きく目を見開いて驚いたアキラは、その意味をしっかり受け止めるように静かに頷いた。





「つまり、あの藤原さんはsaiの生まれ変わりだと言う訳なんだな」
「…ああ」

黙って最後までヒカルの話を聞いていたアキラは、聞き終わった後確認するように一言そう呟いた。あまりにも静か過ぎる反応だったので、ヒカルは逆に恐ろしく感じるのだった。

話の途中で何時「ふざけるな!」と怒鳴られるのかと内心ヒヤヒヤしながら話していたのだ。それなのに目の前の彼は神妙な顔で考え込んでいて、怒る気配が微塵も無い事を不思議に思う。思わず止せば良いのにおずおずと訪ねてしまうのはヒカルの悪い癖だった。

「…怒らないのか?」
「何で」


キョトン、とした顔で首を傾げる。聞いたヒカルの方が戸惑う程、それは自然な仕草だった。

「だって…普通信じられないだろ、こんな話」
「確かに想像を遥かに超える非常識な話だ。だけど事実なんだろう?」
「…あ、ああ」
「だったら信じるしかないだろう」

キッパリと言い切ったアキラの言葉に、ヒカルは益々困惑した。
現実主義者としか思えない彼が、こんな不可不思議な事をすんなり受け入れるのが信じ難い。ホントに納得してるのかなぁとヒカルが危ぶんでも仕方無い事だろう。


「そんなあっさりで良いのかよ。普通疑うだろ? からかってんのかとかさぁ」
「キミに関してはどんなに非常識な事でも受け入れる事にしているんだ」
「ひでェ」

苦虫を潰したような顔で呻くヒカルにアキラは苦笑を浮かべた。

「キミには散々振り回されていたからね。…それに、その話が本当だと思えば今までの辻褄がしっかり合う。信じない訳にはいかないだろう」
「……」
「それに」
「?」

一拍置いて真剣な眼差しを向けるアキラを見て、ヒカルは首を傾げながらも続きを待った。

「ボクが少しでも疑う素振りを見せたら、キミは二度と真実を語ろうとはしないだろう?」
「!」

ヒカルは驚いてアキラの顔を思わず見詰めた。アキラはそんな相手の反応を予測していたようで、穏やかな表情をしていた。

「信じるよ。それがボクに出来る只一つの事だから」
「塔矢…」

アキラの度量の広さを改めて実感し、ヒカルは彼が自分のライバルである事を心から感謝した。
長年の肩の荷が下りて晴れ晴れとした気分に浸っていたヒカルだったが、流石にアキラもそれだけではすまなかった。再び真面目な顔で訊ねる。

「ただ、どうしても聞きたい事がある」

「…な、何だよ」

油断していた所で追い討ちかと、思わず身構えてしまう。そんなヒカルの態度を気にもせず、アキラは疑問をそのまま口にした。


「どうして今までそれを言おうとしなかったんだ? 幾ら信じ難い事だとはいえ、其処まで隠し続ける必要が何処にあったんだ? …それともキミはそんなにボクが信じられなかったのか?」

次々と畳み掛けられる質問に、ヒカルは焦って首を横に振る。最後の言葉を口にした彼の表情は、傷付いている心を僅かに面に出していたからだ。

「違う」
「…どう違うんだ」
「違うんだ! 塔矢を信じるとか信じないとか、そんなんじゃないんだ」

どうしたら伝わるだろうかと必死で言葉を探すヒカルを、アキラは黙って待っていた。追い詰めると逆効果であると学習したアキラの行動である。その甲斐あって、ヒカルはポツリと口を開いた。

「オレは――怖かったんだ。疑われる事よりも何よりも、真実を知ってオマエがオレに関心が無くなる事が」

「……え?」
「佐為の存在を知ったら、誰だってアイツと打ちたいって思うだろ? オマエだって…オレの中に佐為が居るって思ってたから興味を持ってただけで、ライバルだと思っていた人間が他に存在するって判ったら…」

彼は一体何を言っているのだろう?と、アキラは最初呆然と聞いていた。そして沸々と怒りが湧いてくる。ヒカルが本気でそう考えているのなら、アキラにとって耐え難い事だ。見る見る顔が険悪な表情に変わる。

「ふざけるなっ!」
「…と、塔矢?」

お決まりの剣幕と共に鋭く睨まれ、ヒカルは思わずタジタジとなる。相変わらず今でもアキラに叱られるのが苦手なヒカルだった。しかしアキラの怒りは収まらない。

「キミはボクをバカにしてるのか? ボクがそんな事でキミの存在を軽視するとでも思っていたのか! 随分と見縊られたものだな」
「……」
「確かにsaiの存在を知れば打ちたいと思うさ。でもそれは棋士なら誰でも思う事だ。それとこれとは全然違う。ボクのライバルは進藤ヒカル、キミだけだ。それは今も昔も変わらない。これから先もずっとだ」
「……」
「キミは違うのか?」

見据えるアキラの瞳は揺らがない。疑う事など微塵も無く、心からヒカルを信じてくれているのだ。

「ち、違わない! オレのライバルは塔矢だけだよ!」
「だったら構わない。…話してくれてありがとう」

思わず零れたように嬉しそうに笑ったアキラを見て、ヒカルも漸く笑顔を浮かべた。

“塔矢は変わりませんよ”

彩の言葉が再び胸に蘇る。

――オマエの言う通りだったよ、佐為。塔矢は本当にオレを…オレ自身を認めてくれている。

対等に打ち合える相手がいる喜びは何にも勝るものだと誰かが言っていた。そしてその相手に求められれば尚更。

佐為を通して巡り会えた、自分だけのライバル。


「塔矢」
「何?」
「……何でもない」
「?」

――ありがとう。

口に出したら又怒られそうなので、ヒカルは心の中で呟き微笑んだ。







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又々遅くなってすみませんでした…。更に今回は佐為出てこなくてすみません(ペコリ)。
今回はヒカルからアキラに言わせてみました。でも、原作のアイツは最後まで言わなさそうですよね…私的には言っても良いと思うんですが(苦笑)。ヒカルが言わない理由を考えてみたら、こんな事になりました。こういう理由もありかな〜と。ホントの所はどうなんでしょ? 単に独り占めしたいだけな気もします。←台無し(爆)



20080420