棋聖再降臨 転生編2




いつからか、同じ夢を見ている事に気付いた。金の前髪にあどけない表情を浮かべた幼い少年に囲碁を教えている夢だ。

最初は全く興味を示さなかった少年だったが、自分は一生懸命囲碁の楽しさを訴えていて、何故か自身では打つ事の出来ない己の代わりに頼んで打って貰っていた。宥めすかしておねだりしてと、暫くはそんな調子だったけれど、少年と同い年の棋士に出会って触発された彼は、次第に碁に興味を持ち始めてやがて進んで自分と共に打ち合う様になる。
自分の姿は夢では見えないけれど、視線の高さから察するに、少年より大分年上の様だ。

最初はそれが囲碁である事が判らなかった。現実の自分は少年よりもっと小さな子供だったし、周りに囲碁をやっている人は居なかったので。それでも繰り返されるそれに次第に興味を覚え、いつの間にかルールは完全に覚えてしまっていた。それは、夢の中で自分が少年に教えている内容を元に今の自分が学習しているという、何とも不思議な状況だった。
やり方を覚えたら、今度は打ちたくなってくる。けれど碁盤も碁石も無く、更には相手をしてくれる人が側に居ないので、夢の中で少年がやっていた様に囲碁サロンに行く事を考え付くと、お小遣いを握り締めて早速近所の店へと向かった。其処で初めての対局をした時の手付きはたどたどしかったものの、店内の客が舌を巻く程の腕だった。

強い相手が居る店を紹介されて出向いた其処で、丁度出入りしていたプロ棋士により院生募集の話を知る。夢の中の少年も通っていた場所に自分も行きたくて、家に帰って驚く両親を説得する。特殊な習い事程度にしか認識せずに許可を出した親だったが、囲碁サロンで打った棋譜を持って面接した子供にただ感嘆した師範は、締め切りの差し迫ったプロ試験を直接外来で受ける事を勧めた。子供も特別に見せて貰った院生の棋譜に物足りなさを感じて、そのまま試験を受ける事を決めて周りを驚かせた。

何故自分がそれ程までに強くなったのか、何処で囲碁を知ったのかと不思議がられたが、本当の事を話しても信じて貰えないだろうし、夢の中で出会う少年の名もその時の自分の名も何故か名前などの重要な部分だけはちゃんと聞き取る事が出来なくて判らなかった為、ただ曖昧に笑うだけで誤魔化していた。

そして試験を受ける数日前。コンビニに置かれた週間碁を何気なく見つけて手に取ると、其処に大きく載せられた写真に目を見張る。其処に写っている青年は、自分がいつも夢で見ていた少年の、大人になった姿だったからだ。

そして、その時全てを思い出した。
自分が藤原佐為という幽霊であった事。
共に居た少年は、今現在本因坊のタイトルを持つプロ棋士の進藤ヒカルである事。

自分が消えてしまった後も碁を続けていてくれた事に喜びを感じ、会いたいと望む気持ちに偽りは無かったが、ふと夢の中の出来事を思い出す。

幽霊であった時は碁を打つ事に必死で、子供のヒカルを散々振り回していたのだ。優しい彼は文句を言いながらも付き合ってくれていたが、果たして自分と同じ様に懐かしみ、会いたいと思ってくれるだろうか。今更過去を掘り返すのは、彼にとって迷惑なだけかもしれない。

そう、勝手に取り憑いて勝手に消えた存在等。

それに『sai』の存在が周囲に漏れる危険性も高くなる事は、彼の立場を再び悪くしてしまいそうだった。今はその存在も忘れかけられ、口に出す者は滅多にいないようだったが、目立てばきっと思い出して結び付ける者が現れるだろう。佐為との関係を怪しまれていた彼の事だ。自分が『sai』だと疑われた時にヒカルが側に居たら、その時困るのはきっと彼だろう。

そう考えると身動き出来なくなった彩は、最終的に自分が佐為だと名乗るのは止めようと思い至る。碁を打っていれば…プロになれば、いつしか彼と対面する事があるだろう。その時、改めて知り合えば良いのだ。


今度は藤原彩という名の一人の棋士として。







目の前に座る、誰もが美形と認める新人プロ棋士を見詰める。
長い艶やかな黒髪が透き通る様に白い滑らかな肌を一層際立たせ、同じく漆黒の大きな瞳を縁取る長く豊かな睫毛を幾度か瞬かせて自分を見詰め、潤いのあるピンクの唇が緩やかに弧を描いていた。

「進藤本因坊。見惚れて手を抜いたりしないで下さいよ」

からかい混じりにこっそり耳打ちされ、ムキになって「しねェよ!」と否定するヒカルの姿は記憶にある子供の頃と変わらないと彩は心の中で思う。けれど今の自分より遥かに伸びた身長だとか、幼さの消えた精悍な顔付きや引き締まった筋肉の付いた身体だとかを目の当たりにすれば、彼が女性に人気が出るのも仕方の無い事だと実感する。

――あかりちゃんとはうまくいっているのでしょうか…。

女性関係の噂は不思議と聞かないのだと、院生の子達が言っていたのを思い出す。自分が知る限り確かに彼はそういう事に疎いタイプではあったが、あの頃は子供だったし今でもそうだとは流石に思えない。彼に純粋な好意を抱いていた幼馴染の存在は彩の中で強く印象に残っていたから、最終的には彼女の気持ちに応えてあげたのだろうかと記憶を思い出した頃はよく考えてみたりしていた。少し寂しい気もするが、あかりに好感を持っていた昔の自分…佐為だったらきっと素直に喜んであげた筈だろう。
ふとそんな事が頭を過ぎり、今はそんな場合では無いと慌てて考えを打ち消す。

――とにかく今は集中しなければ。彼が何処まで成長したのかを知る、又と無いチャンスなのですから。


一方、ヒカルの方も戸惑っていた。目の前の子供が佐為なのか、しかと確認する為にわざわざ立候補したのだ。しかし…。

――女の子なんて聞いてねェ!

てっきり男の子だと思い込んでいたので、内心かなり動揺していた。子供とはいえ類を見ない美少女で、からかわれるのも仕方ない位だと確かにヒカル自身も思うが、それより何よりこの可愛らしい少女が果たしてあの彼なのだろうか?と頭の中を疑惑と困惑がグルグルと回る。顔立ちも雰囲気も確かに似通っていて、きっと彼の小さな頃はこんな風だったのかもしれないと思うけれど、この際外見は関係無いだろうと自分を戒める。
彼が彼であれば、ヒカルにはどんな姿をしていようと構いやしなかった。反対に、どんなに彼に似た姿をしていても、彼で無ければヒカルには意味は無い。それに、この少女に佐為が憑いているという可能性もある。その場合、自分は彼を見る事が出来ていないと言う事になり、結果直接佐為と話す事が出来ない。
…いや、それより何より、彼が自分で無い他の誰かに憑いている等という現実を目の当たりにして、その事実に耐え得る事が出来るかどうかは果たして自信は無い。相手が可愛らしい少女だとしても許せない。彼が自分以外の誰かを選ぶのは絶対に。…例えどんなにそれが自分勝手な気持ちだとしても。


――そもそも佐為本人だったとしたら、記憶は無いんじゃないのだろうか。

生まれ変わり等という非現実な事を本気で想像する自分は大概どうしようもないと思うが、幽霊と一緒に生きていた自分なのだからそれも不思議は無いと自ら納得する。そして例え記憶が無かったとしても、彼女が佐為であるのなら…もう一度側に居たいし居て欲しいと願うのは、長年培った執着心故なのだろう。彼を忘れた事など一度たりとて無かった自分なのだから。

「それではお二人共宜しいですね?」

声を掛けられて漸く現実に戻ったヒカルは、手元にいつもの物が無い事に気付いて慌てて周囲に視線を巡らす。部屋に顔を出した古瀬村が、ブンブンと手を振った。

「進藤君、忘れ物!」
「あ、すいません」

差し出された扇子をほっとした顔で受け取ったヒカルを見て、彩は大きく目を見開く。

――あれは……!

思わず立ち上がりそうになった彩を記録係が不思議そうに声を掛ける。

「どうしました?」
「え? あ、いえ…何でも無いです」

誤魔化す様に曖昧に笑って俯く彩を、ヒカルは訝しげに見詰める。
今や進藤ヒカルの必須アイテムと化している白い扇子。持ち始めた当初は若い棋士が持つには珍しいとあって密かに憶測が流れていた事もあったのだが、タイトル保持者となった現在のヒカルにその存在は当たり前過ぎていて誰の会話にも上らなかったので、彩は今の今まで知らなかった。
昔の自分が持っていたソレと寸分違わないその扇子。対局の時は必ず身近に置いているという意味を正しく理解出来るのは、多分本人であるヒカルと彼にそれを手渡した人物だけだろう。


「「お願いします」」

最初に彩が右上スミ小目に黒を置く。ヒカルは間を置かずに白を置いた。パチン、と小気味良い音が鳴り響く。

―――姿を消した後、一度だけ夢の中でヒカルと出逢った。

パチン、と又一つ黒を置く。

―――私の意志を、心を引き継ぐ様に手渡した扇子は夢でしかなかった筈なのに

パチン、と返される白。

―――貴方は形にして今でも持っていてくれているのですね。

パチン、と黒が置かれる。
幼い頃、この広い盤上を宇宙だと言った彼は、今躊躇いもせずに星々を創り織り成していく。ずっとこうして打ち続けていたのだろうか。……神の一手に近付く為に。

彩は掴んだ石をぎゅっと握り、静かに瞼を伏せた。


名乗るつもりは無かった。自分と同じ様に会いたい等と思ってくれていると思える自信は持てなかった。けれど彼は今こうして彩の目の前に座ってあの時と同じ様に碁を打ってくれている。彼自身、自ら名乗り上げてまで。

―――…多分、彼は気付いている。

自分の名と棋譜を見てしまえば、どんなに誤魔化して姿を変えようと打ち筋に変化を加えても気付かない筈が無いのだ。共に歩んでいたあの時間は浅いものではない。そんな簡単な事に、今まで気付きもしなかった自分を心の中で笑う。

―――私が判りますか? …ヒカル。

手を止めてじっと盤上を見詰めて動かなくなった少女を不思議に思ったヒカルは彩の顔に視線を移す。気配に気付いた彩が面を上げ、目が合った瞬間鮮やかに微笑んだ。
ヒカルは思わず息を呑み、彩は視線を盤上に戻すと一瞬にして凄まじい程の気迫を身に発し、周囲の人間を身震いさせる。凛としたその姿と神々しいまでの気配は、ヒカルにとって懐かしい想いを呼び起こさせた。


本当は気付かれないように手加減をするつもりだった。けれど、昔の自分の意思を大切にしてくれている彼に対して誠実でありたいと思った彩は、自分の持ち得る棋力を今の彼にぶつけようと決心した。

――貴方が私に気付けたなら、私はもう一度佐為として貴方と出逢いましょう。

パチン、と力強く放たれたその一手は、これからの戦いを予感させた。







close

早く会わせてやって!とご要望に応えまして、漸く二人は逢いました…が会話してませんすいません(汗)。まぁ色々葛藤があるんだよーって事で……(爆)。実はまだこのシーンうだうだと続きます。そして当初考えていたギャグが入り辛くなっていたりして(空笑)。どうしよう…あの阿呆ネタはお蔵入りした方が良いのか…(自分の為にはそうした方が/殴)。
もうちょっと先を見据えておかねば!(今からかよ)


20060721