棋聖再降臨 転生編 序章 ワア、とざわめきが大きくなる。 沢山の人だかりの中、人並みを掻き分けて漸く列の前に出る事が出来たヒカルは、周りの人々と同じく目の前の教会から広場へと続いている赤い絨毯の上をゆっくり歩いて来る人物を眩しそうに眺めやる。 真っ白いタキシードをそつなく着込んでいる青年は、隣を歩く純白のウェディングドレス姿の女性の手を取り、照れ臭そうに周りに挨拶と笑顔を送っていた。女性の方も涙ぐみながらもこれ以上無い程の笑顔で寄り添っていて、とても微笑ましい光景だった。 その青年の方がヒカルに気付き、女性を連れて近付いて来た。 「進藤。来てくれたのか」 「ああ。オマエの脂下がった顔を是非とも見ておかないとと思って、急いで手合いを終わらせて来たんだぜ」 「失礼な。脂下がってなんて…」 「してるだろ? こぉんな美人な嫁さん貰いやがってさ」 ニヤニヤと笑ってからかい混じりに言ってやると、隣に居た女性の方がヒカルの背中を勢い良くバシッと叩いた。 「ヤダ、進藤くんったら!」 照れ隠しに思い切り叩かれて、よろめいたヒカルを青年が慌てて支える。 「市河さん…そんなに強く叩いたら駄目ですよ」 「ご、ごめんなさいっ! 大丈夫? 進藤くん」 「だ、大丈夫。それにしても塔矢。自分の奥さんに向かって『市河さん』はねェだろ。名前で呼んでやれよ、名前で」 「え…」 突然のヒカルの言葉にアキラは動揺し、茹蛸の様に真っ赤になった。隣の花嫁さん…市河も頬を染めつつ、期待の眼差しで本日夫となったアキラをじっと見詰める。困りきったアキラはニヤニヤと笑い続けるヒカルを恨めしそうに睨むが、しかし妻となった市河の期待を裏切る事も出来ず、コホンと一つ咳払いをして神妙な顔つきで言った。 「……は、晴美、さん」 「アキラくんっ!」 嬉しさに涙をためて抱きつく市河に、アキラは面食らう。一部始終を見ていた客は歓声をあげて大きく拍手をし、当のヒカルも拍手をしながら苦笑して小さく呟く。 「こりゃ、完全に尻に敷かれるな」 式が終わって祝いの席に呼ばれていたのだが、寄って行く所があるからと丁重に断ってそのまま東京に在る本因坊秀策の墓に来ていた。 人気の無い墓地に一人無言で佇む。普段の進藤ヒカルを知っている人間がこの場に居たとしたら、吃驚する程優しい表情で墓標を眺めていた。 「因島までは行けないからさ、此処で勘弁してくれよな」 語り掛ける声には愛しさがこめられている。 「塔矢が今日結婚したよ。相手はあの碁会所で働いてた市河さんなんだぜ。驚くだろ?」 苦笑するヒカルの前髪が風に吹かれて、まるでその場に誰かが居て頭を撫でてくれている様な感覚を味わう。 「揃いも揃って年上好みだなんて…オレ達やっぱ似てんのかな?」 昔、自分達が似ていると言った彼に、ヒカルは心底嫌そうに否定したモノだった。根が真面目で優等生なアキラと純真で囲碁が大好きな彼。似ていると言うならどちらかと言えばオマエの方だろ、とヒカルは彼に言い返していたし、今迄もずっとそう思っていたから、今回のアキラの結婚話を聞いて自分とアキラとの意外な共通点に一人笑ってしまった。 「これさ、欲しがってたろ? オマエの為に貰ってきてやったんだからな。ちゃんと受け取れよ」 墓の前に置いたのは、可愛くまとめられた純白の花束。そう、花嫁のブーケだった。 市河が空高く投げたブーケが、何故かヒカルの手に舞い落ちて来た。つい咄嗟に手を伸ばして受け取っただけだったのだが、側に居た奈瀬が羨ましがって「譲って!」と言うのを断ってまで貰って来たのは思い出したからだった。 彼が、昔呟いていた言葉を。 ヒカルが夕飯を食べている最中、テレビが映し出すニュース番組を見ていた佐為は興味深げに呟いた。 (今の時代の祝言は変わった身形でやるのですね) 「は?」 声に出してしまってから慌てて目の前に座る両親を見るが、二人は気付いていない様子だった。ほっと胸を撫で下ろしつつテレビに目を向けると、そこには何処かの有名アイドルが結婚したらしく、式場からの報道が映っていたのでそれを見て小声で佐為に訊ねる。 「…変わった身形ってドレスの事か?」 (どれすと言うのですか?) 「えっと、あの女の人の着てる服がウェディングドレスって言って、隣の男の人の服がタキシードって言うんだよ」 面倒臭そうに、けれど丁寧に教えてやる。この好奇心旺盛の幽霊は、新しい事に出くわすと子供の様にはしゃいでその度に尋ねては素直に驚いたり感心したりする。それがヒカルは結構好きだったりするのだが、何となく気恥ずかしくて素っ気無いポーズをしてしまう。けれどそんなヒカルの態度にお構いなく、やはり今回も感心した様に佐為は頷いた。 (ほう。昔の白無垢も素敵でしたが、こちらもとても綺麗なんですね。あ、ヒカルヒカル! あれ! 今、あの女性は何を投げたのですか?) 「ええ? ブーケだろ、ブーケ。花嫁がずっと持ってたろ?」 (ブーケって…あの白い花束の事ですか? でも何故投げるんですか? 綺麗なのに勿体無い) 「そう言うモンなんだよ」 (?) 「…オレに聞くなよ」 知識が豊富な訳では無いヒカルは、突っ込まれると弱い。佐為もそんなヒカルを知ってか知らずかそれ以上は追求せず、ただじっとテレビ画面に見入っていた。そこには必死になってブーケを手に入れ、誇らしげに笑っている女性が映っていた。 (凄いですねェ。皆一斉に受け取ろうとしてましたよ。…でも、取ろうとするのは女性ばかりなんですね?) 「そりゃそうだろ」 (どうしてです?) 「あー…。花嫁のブーケを受け取った人は、次に幸せになれるって事だからじゃん。女ってそういうの好きだろ」 (そうなんですか?) 「…多分」 怪しい記憶を辿って精一杯答えるヒカルだったが、そもそもそう言う事に興味の無い自分に尋ねられたって困るんだよと、恨めしげに佐為を睨みつける。 (そうですか…) 納得した様なしてない様な返事を返す佐為に、ヒカルは訝しげに問う。 「何だよ?」 (いえ。あんなに綺麗な花束ですものね。確かに幸せを運んでくれそうです) じっとテレビから目を離さないで呟く佐為に、ヒカルは戸惑う。 「……オマエも欲しいの?」 (女性を差し置いてまで欲しいとは思いません。そもそも私は手に取る事も出来ませんしね) こちらに向き直って苦笑する佐為に、ヒカルは切ない痛みを感じる。普段は意地悪を言って怒らせたり困らせたりしているが、本当はいつも笑っていて欲しいから…彼の願いは出来るだけ叶えてあげたいと密かに思っているのだけれど、子供の自分には出来る事は限られているので、そう簡単には出来ない。 そもそも結婚式に出席する予定なんて今の所全然無いしな〜。 しっかし…花が欲しいなんて変な奴。 そう思いつつじっと佐為を見詰めていると、不思議と何だかそんなに変でも無い様な気がしてきた。 「……オマエってさ」 (はい?) 「オマエって花が似合うよな。…男に似合うってのも何だけど」 (そうですか? ふふ、ありがとうございます) 嬉しそうに微笑む佐為を、ヒカルはテレビに映る花嫁のアイドルよりずっと綺麗だと、純粋にそう思った。 「貰ってくんの、すっげー恥ずかしかったんだからな。ありがたく思えよ」 断った瞬間「どうして?」と奈瀬に詰め寄られ、「あげたい人が居る」とヒカルは正直に答えた。すると奈瀬だけでなく、近くに居た和谷や伊角、他の周りの人間及び新郎新婦にまで驚かれ、信じられないモノを見るかの様に凝視される有様だった。友人達曰く、 あの進藤ヒカルに何時の間にそんな相手が? 言い訳もせずに抜け出してきてしまったので、今頃は色んな噂が飛び交っている事だろう。 あの頃はただ“幸せを運ぶ花束”だと思っていたが、今はその意味を正しく知っている。そして受け取ったのが男の場合、誰かにそれをあげると言う行為の意味も。 「責任とって嫁に貰ってやるからさ……帰って来いよ、佐為」 応えはある筈も無く。 莫迦な事をしていると自覚はあるヒカルは、苦笑して空を仰ぐ。一つ深呼吸をすると、踵を返して歩き出した。 出口付近で反対側から花と水桶を持って歩いて来た子供とすれ違い、何気なく振り返る。揺れる長い黒髪を暫く見詰め、直ぐに気を取り直して前を向いて歩き出す。その子供も数歩歩いてから立ち止まり、ゆっくり振り返って去って行くヒカルの後姿をじっと見送る。ヒカルはそんな気配に気付かず、子供はその姿が消え去るまで見詰めてから今迄ヒカルが立っていた秀策の墓の前に辿り着くと、持っていた花を供えて墓石に水をかけてやる。線香は生憎持っていなかったが、目を閉じて手を合わせて静かに祈った。 「久し振りですね、虎次郎。来るのが遅くなってごめんなさい」 微笑んで首を傾げた拍子に肩を流れる見事な漆黒の髪が、透き通る様な肌の白さを際立たせていた。じっと大きな黒曜石の瞳で墓を見詰めていた子供は、脇に供えてあるブーケに気付いてそっと手に取る。 「これは確か…花嫁のブーケ? どうしてこんなモノが…」 じっとブーケを見詰めてから、ぱっと後ろを振り返って先程すれ違った人物を目で探す。 「もしかして、彼が届けてくれたのですか?」 振り返り、墓に向かって呟く。返事はある筈も無かったが、子供は構わず再びブーケに視線を戻す。真っ白な可愛らしい花束は、昔見たあのブーケと同じ位綺麗だと、子供は嬉しそうに笑った。 「……覚えていてくれたんですね。もう何年も経つと言うのに」 キラキラと太陽の光を一杯に浴びて咲き誇る白い花束を、大切そうに見詰めて愛おしむ。 「虎次郎、これ戴いて行きますよ」 又来ます、と呟いて、子供は元来た道を軽やかに歩いて行く。 二人が出会うのは、まだ数年後の話。 END close 続きも数年後…もとい、数ヶ月先の話(爆)。 いえ、まだ幽霊編が終わってないから!←なら書くなよ(苦笑)。 20040613 |