First Love





「先週さ、オレの幼馴染の結婚式があったんだ」

碁会所で一局打ち終わった後、お腹が空いたと煩い進藤に連れられて近くのファーストフードで食事をしていた時、突然彼がハンバーガーを被りつきながらそんな事を言い出した。

進藤が囲碁以外の事を話すのは珍しい。

いや、全く話さない訳では無い。院生時代の仲間等と訳の判らない事で盛り上がっている姿なんかを見掛ける事も数少なくは無いので、多分囲碁以外の話にあまり着いて行けないボクに合わせてくれているのかもしれない。

そんな彼が久し振りに囲碁以外の話を振って来たので、ボクは飲んでいた烏龍茶をテーブルに置くと話を促すように進藤の顔を見た。

「二次会で気の合う学生時代の仲間と久し振りに盛り上がってた時に、あかりが…あ、幼馴染の名前な。“初恋は実らないって本当なんだね”なんていきなりしおらしく言うからさ、“初恋なんて何時してたんだよ”って言ったら思いっきり殴られてさ〜。まだ痛みが消えないんだよな」

左頬を痛そうに擦りながら、不貞腐れた様にそう言う彼には悪気が全く無さそうだった。

「………」

そう言えば、よくよく見ると進藤の左頬が何となく蒼くなっている気がする。そんなに強く殴る彼女も凄いと思うが、何故そんな事になったのか、部外者であるボクにも一目瞭然だと思えるその理由に思い至らない鈍感過ぎる彼に呆れ果てる。

進藤はコーラを手に取って一口飲むと、いきなり神妙な顔でボクに思いもかけなかった質問をした。

「なぁ、初恋って実らねぇもんなの?」
「え?」

どう答えたら良いのか判らず、ボクは固まってしまった。ざわつく店内、お互い暫し睨み合ったまま沈黙が流れ、やがて彼は大きな溜息を吐いてあからさまに落胆した様子を見せた。

「やっぱ、答えられる訳ねぇよな〜。悪ぃ、悪ぃ。オマエにそんな事聞いたオレが間違ってたよ」

掌をひらひらと上下に振って莫迦にした様に笑いながら言う進藤にムッとしたボクは、ついムキになって反論した。

「し、失礼な。そんな事、知っているに決まっているだろう」
「へぇー。んで、実らねぇの?」

ボクの言葉を信じていないと明らかに判る様子で、投げやりに聞き返してくる。

「人に依るんじゃないのか。あれは要するに『初恋は経験不足すぎて失敗し易い』と言う意味なんだろうから」
「…そう言う意味なの?」

何となく、口調が真剣さを帯びてきた気がする。そう深刻に聞かれても、あまりそう言う事に関心の無かったボクとしては困ってしまう。

「調べた訳じゃないから確かとは言い難いけど……ボクはそう思ってるよ」
「ふうん」

ボクの言葉を納得したのかしてないのか、ぼんやりとした表情で食べかけのハンバーガーを食べ終わった進藤は、周りの人達の賑わう姿を黙って眺めていた。ボクも黙ってポテトを摘んでいると、彼が突然先程の続きを又話し出した。

「絶対実らないって訳じゃねぇんだったら、初恋を実らせた奴も居るんだよな」

何時に無い真剣な口調でそんな事を言い出す彼を、まじまじと見詰める。

「……何だってそんなに初恋に拘るんだ、キミは?」
「え」

驚いた顔をしてこちらを見る彼は、昔よく見た表情とそんなに変わらない様に思える。出会った頃、よくこんな顔でボクを見ていたものだ。あの頃、そんなにボクは彼を驚かす様な事をしていたり言っていたりしていただろうか?

…今はどちらかと言うとボクの方が彼に驚かされっぱなしなのだけれど。

「オマエさ」
「何?」
「オマエの初恋もやっぱ駄目だった?」
「な…!」

何て事を聞くんだ、コイツは! デリカシーってものが無いのか?……と思うが、あったらその可哀想な幼馴染相手に暴言は吐いて無かっただろう。
怒る気も失せて進藤を見ると、彼は期待の眼差しでこちらを見詰めていた。

何なんだ、一体?

又振り回されているな、と一つ溜息を吐くと、それに慣れてしまったボクは諦めて小さく答えた。

「ボクの初恋は4歳の時だったから。その時の自分の年齢も含めて、叶えるのは無理な状況だったよ」
4歳!」

心底驚いた様に繰り返す彼の態度に、更にムッとする。

「何だ?」
「いや、…オマエが初恋してたってのも驚きだけどさ、4歳って随分マセたガキだったんだな〜。で、相手はどんな奴? 可愛かった?」

興味津々で身を乗り出して訊ねる彼の顔は輝いていた。全く、そんな事を聞いてどうするって言うんだ。話を逸らそうかと思ったが、そうすると何時まで経っても不機嫌になっていそうだったし、この先会う度ずっと聞かれるだろう予感がしたので諦めて教える事にした。


「……お母さんだよ」
「お母さん〜〜〜?」

心底呆れた様な顔でそう言うと、思い切り椅子に凭れる。

「オマエな。母親相手に初恋もねぇだろ?」
「失礼な事言うなよ! ボクは4歳でも本気だったんだ。お父さんの前では毅然としてたけど、側に居る事が出来なくてあの頃はとても淋しそうで……大きくなったらボクがお嫁に貰ってずっと一緒に居てあげるんだと子供心に決心したりしてたんだ」
「へぇー」
「結局5歳になったらボクもお父さんから囲碁を習い始めたんで一緒に居てあげる事も出来なくなって、…母子では結婚は出来ないんだと知らされたのもその時だったかな。…あの時は結構ショックだった」
「……そっか」

莫迦にされるかと思いきや、意外な事に真剣な面持ちで頷かれてボクの方が驚いた。

「キミは?」
「え?」
「ボクにばかり話させてないで、キミはどうなんだよ? キミこそ、初恋なんてした事あるのかい?」

照れ隠しに挑発する様にそう言うと、思った通り彼はムキになって言い返した。

「莫迦にすんなよな! オレだって初恋位あるぜ」
「へぇ。その人、可愛かった?」

こんな話をする事があるなんて、今まで想像した事も無かった。けれど、彼の事を知るのは何だかとても楽しい気がする。
進藤は一瞬詰まった後、その人を思い出しているのか少し微笑んで答えた。

「うん。可愛くて、綺麗で、優しくて。オレより年上の癖に子供みたいで、泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり、…騒がしくってずっと振り回されてたな」
「年上?」

意外だな、と思った。何となく、彼なら年下の方が好みだろうと思っていたので。

「そ。でもすっげー我侭で、何かと直ぐねだられてばっかで大変だったんだぜ」

言葉とは裏腹に、声が弾んでいる。それにその顔は…。

「進藤」
「何だよ」
「顔、笑ってるよ」
「……! っ、るっせーな!」

真っ赤になって怒鳴り返すが、あまり迫力は無い。こんな進藤は初めてだったので、興味深げにしげしげと見詰めた。
何となく居心地が悪くなったのか、彼は視線を彷徨わせると徐にコーラを手に取り一気に飲み始めた。

「それで、キミはまだその人の事が好きなのかい?」


ゲホッ


ボクの言葉に動揺した進藤は、飲んでいたコーラを噴出した。

「うわっ、何するんだ、進藤!」
「げほっ。……お、オマエこそ、なにいっ…げほげほ」

苦しそうに咳き込む彼に、仕方なく立ち上がってペーパーナプキンを幾つか掴んで手渡してやり、軽く背を擦ってやる。
幾分落ち着いた進藤は、恨めしそうに睨みつけてくる。

「あー、酷ぇ目に遭った」
「ボクの所為にするなよ」
「オマエの責任だろ!」
「只、質問しただけだろう?」

うっ、と黙り込むと、拗ねた様にプイと顔を逸らした。こんな所はまだまだ子供だな、と思う。同い年だと言うのに、彼は時々物凄く子供っぽい仕草をする時がある。そうかと思えば吃驚する程大人びた表情もするのだが。

今も又、その人を思い出しているのか酷く淋しそうな瞳で外を眺めている。

「…まだ、その人の事好きなんだ?」
「……好きだよ」

素直に答えが返って来た。
驚いた。又誤魔化されるかと思っていたので。
突っ込み過ぎかなとは思ったけれど、好奇心が先立ってつい訊ねてしまった。

「告白はしないの?」
「出来ねぇよ。したくたって、アイツもうこの世にいねぇし」
「え…」

しまった、と思った。そうか、だからそんな表情をするんだと、自分の迂闊さに内心舌打ちした。
あっけらかんとした口調で返されたが、だからと言って気にしないではいられない。頭の中で色々言葉を捜してみるが、結局何と言って良いのか判らずに、とにかく謝るしか出来なかった。

「ごめん」
「? 別にオマエが謝る事じゃねぇだろ。話題を振ったのもオレだしな」
「でも…」

反対に気を遣われてしまったと思い、ボクは動揺する。無神経な事を聞いてしまったのだから、いつも通りに責めてくれれば良いのに。
そんな風に思っていると、進藤は何を思ったのかフッと笑って言った。

「…そういうトコ、似てるかも。アイツも直ぐ気にする性格だったし」

嬉しげに笑いかけられ、思わずドキリとする。

「ボクに、似てる?」
「そうだな。後、囲碁の事になると周りが見えなくなっちまう所もソックリかも。アイツ、すっげー囲碁莫迦だったからな」
「……その人、碁を打つ人だったの?」

ボクの質問に一瞬黙って真顔で見詰め返すと、今まで見た事も無い大人びた顔で笑った。

「さて、と」

大きく伸びをして、勢い良く立ち上がる。

「進藤?」
「又碁会所に戻って、もう一局打たねぇ? 何だか打ちたくなって来た」

突然の進藤の言葉に驚く。本当にボクは彼に驚かされてばかりだ。

「何だよ、嫌なのか?」
「そ、そんな筈、無いだろ!」

慌てて立ち上がると、怒ったように言い返した。

「勿論願っても無い。キミとなら何百局でも何千局でも打てる限り打つよ」

ボクの言葉に、進藤はニヤリと不敵に笑った。いつもの進藤の顔だ。

「だけど進藤。さっきの話の返事をまだ聞いて無いぞ。その人は碁を打つ人だったのか?」

もしかして、その人って…。
詰め寄るボクに、彼は苦笑する。

「そうだな。オマエが勝ったら教えてやるよ」
「! ……良いだろう、その言葉、忘れるなよ」
「オマエ、オレが勝てないと思ってんだろ」
「キミが勝てないんじゃない。ボクが負けないんだ」
「…ったく。そんなトコまでソックリなんだもんな」
「何か言ったか?」
「何でもねぇ! ほら、それじゃ行こうぜ」

促される迄も無い。
食べ終わったトレイを片付け、ボク等は急ぎ足で店を出て碁会所へと向かった。



***




プロ棋士の特集を組まれていた雑誌が目に留まり、そう言えば先日進藤がインタビューに答えていたなと思い出して何気なく手に取ってページを捲る。

あった。

進藤の写真と一緒に、プロフィールと簡単な質問の答え等が掲載されていた。

そこにある一つの文章を読んで、つい苦笑が零れた。





ズバリ、初恋の相手は?

囲碁の神様です!








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どうやら教えて貰った様です(笑)。良かったネ、アキラ!(……)
一応アキラリベンジ編として書いてみました。いえ、
Love Callでの扱いがあまりにも可哀想だったんで…。

初恋が実らないと言う理由については本気で正解は知りません。ので嘘八百書いてます。嘘吐き野郎ですみません(弱気)。

20030924