St.Valentine's Day



まだ春と呼ぶには肌寒い、214日の昼下がり。小学生のヒカルは学校が終わると一目散にどこぞへ遊びに行こうとしたのだが、校門を潜る所で幼馴染に呼び止められ、キョロキョロと人目を気にしながら脇の方に引き摺られて行った。早く遊びに行きたいヒカルは何なんだよと不貞腐れ気味に文句を呟くが、あかりの落ちつかなげでそわそわした不自然極まりない様子に首を傾げる。
彼女は胸に手を当てて深呼吸し、「よし」と小さく自分に気合いを入れてヒカルを見た。

「ヒカル! あの…これ」
「? ああ、サンキュ」

ドキドキしながら勇気を出して勢い良く差し出した可愛らしい包みを、いともあっさりと無感動に受け取るヒカルにあかりはムッとして…それから深く溜息を吐いた。

「…それだけ?」
「何が?」
「…もう良い」

頬を膨らませてぷいと顔を反らせると、暗くなりかけた表情を隠す為に少し俯いて「私、教室戻るね」と言ってそのまま駆け足で立ち去ってしまった。

「何だ? アイツ」

顔を顰めてあかりの後姿を見送っていると、後ろから心配げな声がかけられる。

(どうしたのでしょう? 何だかあかりちゃん、とても落ち込んでいたみたいですけど)
「知らねぇ。まぁ良いか。ほら、行くぞ、佐為」
(あ、はい)

佐為はあかりの事を気にしつつも、さっさと歩き出してしまったヒカルに慌てて着いて行く。
呼ばない限り姿を現すなと言われて守っていたのは最初だけで、佐為はずっと姿を消す事無く傍らに居て行動を共にしていた。ヒカルも近頃はすっかり慣れてしまい、今ではこうして連れ歩くのが当然と言う感じになってしまっている。ただ、一緒に歩く時は小学生のヒカルとは身長の差がかなりあるので、視界の邪魔にならない様後ろを歩くのが常だった。今も一歩後ろから見守る様に歩いていたのだが、ふとヒカルの手元にある先程彼女から手渡された包みが目に映り、いつもの好奇心が沸々と湧いてきて、佐為は無邪気にヒカルに訊ねる。


(ねぇねぇ、ヒカル。それは何ですか?)
「これ? チョコレートだろ」

気の無さそうな返事を返して包みを無造作にリュックに入れる。有り難味を感じる心の欠片も無い、はっきり言って女の子にとってかなり非道な行いだったが、今この場にその事について突っ込む者は幸いにも誰もいなかった。

(“ちょこれーと”ですか。何故、あかりちゃんはヒカルにそれをくれたのでしょう?)

プレゼントをあげたり貰ったりするというのは何かの記念の日だからだと以前ヒカルに教えて貰っていた佐為だったが、だとすると今回のそれは何だろうと興味津々で問い掛ける。ヒカルの方は別段興味無い話題だったのだが、それでも後ろに着いて来る佐為に向かって律儀に答えてやる。

「そりゃ、バレンタインだからだろ」
(ばれんたいん?)
「そう。今日は女が男にチョコをあげる日なの。えっと、確か女から男に告白出来る唯一の日だとか何とか言ってた…かな」

その台詞に佐為は目を丸くして驚き、少し考え込んでから「成る程」と呟いてヒカルの隣に並んで微笑んだ。

(告白…と言う事は、あかりちゃんはヒカルが好きなのですね)
「……!!! ちっ、違う違う〜〜!!!」

いきなりの佐為の言動に、ヒカルは真っ赤になって首を横に振る。道端で立ち止まって一人バタバタと慌てて叫んでいるヒカルを、道行く人は不思議そうな顔で見ては通り過ぎる。状況に気付いたヒカルは、いらぬ人目を引いてしまった事について恨めしそうに佐為を睨む。

「オマエな〜。突然変な事言うなよな!」
(え? だって…)

ヒカルがそう言ったんじゃないですか。

悪びれも無くそう言い掛けた佐為に、ヒカルは頭をワシワシと掻き毟って先程の己の説明の足りなさを悔やんだ。

「あ〜のなぁ。…えっと、チョコを渡すってのも色々種類があるんだよ。お世話になってる人とか身近な人には義理チョコを。本当に好きな人には本命チョコをあげるんだ」
(はぁ)
「アイツがくれたのは義理なの! 後、家に帰ればお母さんからも貰える筈だぜ」
(そうですか…)

何となく腑に落ちないと言う感じではあったが、ひとまず納得した様な佐為を見てヒカルはホッと息を吐いて再び歩き出す。チョコ騒動で何となく気が削がれてしまったので、何処にも寄らずに真っ直ぐ家に辿り着いた二人は玄関を開けて家に入った。

「ただいま〜」
「お帰りなさい。今日は早いのね」
「うん、まぁね」
「はい、じゃあこれ。食べるなら夕飯の後にして頂戴ね」
「判った」

先程言っていた通り、あかりから貰ったのと同じ様な包みを母から受け取ったヒカルは、それを持って部屋に戻る。鞄と包みを足元に置くと、ベッドにドサリと寝転んだ。

(ねぇ、ヒカル)
「何?」

ベッドの傍らに大人しく座っていた佐為が呼び掛けると、ヒカルは顔だけを向けて返事を返した。

(私もヒカルに“ちょこれーと”をあげたいです)
「………」

一瞬意味が判らず、じっと佐為の顔を見詰める。そして言葉が脳に到達するやいなや、吃驚して飛び起きて思わず側にある枕を抱き締めていた。

「ええっ!? な、何でだよ」
(だってヒカルにはいつもお世話になっているじゃないですか)

どうやら『お世話になった人にあげる』と言う部分に拘っているらしい。真剣な顔でそう言われても、ヒカルとしては困ってしまう。

「だからって…。い、良いんだよ! オマエは男なんだし」
(女の子じゃないと駄目なんですか?)

首を傾げて上目遣いで訊ねる佐為に、何故かヒカルはどきりとする。動揺する自分を不思議に思いながら、ともかく視線を逸らして平静を装う。

「え? え〜っと…別に…駄目って訳じゃない…と思うけど」
(だったら良いじゃありませんか)

拗ねた様に頬を膨らます年上の幽霊に、ヒカルは呆れて頭を抱える。

「そう言う問題じゃ…。そもそも、オマエお金も持って無いし、どうやってオレにチョコをくれるつもりなんだよ」
(そう…ですよね。持っていたとしても買いに行く事も出来ませんし)

ションボリと落ち込んでしまった佐為の姿に、ヒカルは何だかいたたまれない気持ちになる。佐為に落ち込まれると、弱い者苛めをしている様な気がして落ち着かないのだ。相手はしっかりはっきり自分より大人なのだが。

「別に、バレンタインにあげるのはチョコじゃなくっても良いんだぜ」
(え?)
「相手が喜ぶモノをあげたり、してあげたりするってのもアリだって、前にテレビでやってた…と思う」
(ヒカルが喜ぶモノ?)
「そう」

う〜ん、と悩んだ後、ぱあっと表情を明るくして提案する。

(では碁を打ちましょう!)
「それはオマエが喜ぶ事だろ!」

別に佐為から何か欲しいと思っている訳では無かったが、それは幾ら何でもあんまりだと思う。碁に興味を持ち始めたとは言え、そう思ってしまうヒカルはまだまだ遊びたい盛りの子供だった。

(ええ〜。だってヒカルが喜ぶ事なんて…)

判りませんよと続けようとして少し考えた後、ふと何かを思い出した様子でヒカルを見る。ヒカルが怪訝そうに首を捻ると、佐為は名案が浮かんだらしく得意げに微笑んで立ち上がり、ベッドに座ったままのヒカルの肩に手を置く。

そして静かに屈み、…その額に軽く唇を落とした。

羽の様に軽く触れただけだったが、キスはキスだ。例えそれが額であったとしても、幼いヒカルには初めての出来事で…突然の事にヒカルの頭の中は真っ白になり、そして途端に真っ赤になってその場から飛び退いた。

「なっ!? 何すんだ!!!」
(何って。ヒカルが喜ぶ事ですよ)

キョトンとした表情で告げる佐為には、悪気は全く無さそうだった。

「何でそれがオレの喜ぶ事なんだよ!」
(前にテレビで『貰って嬉しいプレゼント特集』とかでやっていたじゃありませんか。ヒカルも一緒に見ていたでしょう?)

確かに見ていた。…がしかし、あれはクリスマスに『恋人から貰ったら嬉しいプレゼント』という名目でやっていた番組だったのだ。そしてテレビの方では当然『唇』にしていたのだが、流石にそれは躊躇したらしい佐為に内心胸を撫で下ろす。額でも十分威力があったのに、唇になんてされたらハッキリ言って立ち直れないかもしれないと思う。どういう意味で立ち直れないのかは判らないが、ヒカルはそう確信していた。
一方佐為は『唇』を『額』にしてしまった事がいけなかったのか、それとも自分からでは嫌だったのかと勘違いし、困った顔でじっとヒカルの反応を待つ。ヒカルの方は佐為に見詰められ続けて益々落ち着く事が出来ず、顔はどんどん赤くなって行く。

(ヒカル?)
「い……いけないって言うか…いけなくはないけど…っていや、その…なんだ」

しどろもどろと呟くヒカルの混乱振りに、佐為は表情を曇らせる。

(…やはり、私からでは嬉しくはありませんでした?)
「う……」

言葉を詰まらせ、視線を落とす。顔が赤いのは自分でも判っていたが、何故赤くなるのかは判らなかった。何だかとても恥ずかしかったのだが、落ち込んだ佐為は見たくなかったので、思いついた素直な感想が口をついて出た。

嬉しかった…かな」
「え? 何です?」

あまりにも小さな声だったので、聞き漏らした佐為は再度訊ねる。がしかし、照れ屋なヒカルが二度もそんな言葉を吐ける筈も無く。

「…じゃなくって! そういう問題じゃねぇ!!」
(? どういう意味です?)
「オレが知るか! とにかくもうすんな! 絶っ対すんな! ………オレ以外の人にも、絶対だぞ?!」
(…はぁ)

とぼけた返事に、肩で息をするヒカルは混乱した頭で自ら突っ込みをしていた。

何言ってんだろ、オレ。

自分にするなと言うのはまだ判るが、他の人にもするなと言うのはよく考えるとおかしい。大体佐為は触れる事が出来ないのだから、今のだって無効な筈だ。それが判っていても、言っている事が支離滅裂だと理解していても、言わずにはいられなかった。
とにかくこれは危険だと本能で悟って、佐為にきつく言い聞かせ、約束させる事に成功した。

つまり、その後佐為がソレをする事は無かったのだ。




この数年後、バレンタインデーの時期になると、プロになったヒカルの元にファンの女の子達から沢山のチョコが送られて来る事になる。その山を眺めながら、今はもう居ない彼の人を思い出して、あの日の自分の発言に後悔の溜息を漏らしたりしているのだった。





END



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初ヒカル小学生編話〜。
この頃ヒカルは自分の気持ちに自覚ありませんでした。佐為は言わずもがな(笑)。

成長してからやったら危険です。…佐為の貞操が!(大爆)
そしてあかりちゃん…不幸にしてごめんなさい(平謝)。幸せにしてあげたいのにぃ〜。←アキラ君と言い、こんなんばっか…。
14日をとっくに過ぎてのアップはご愛嬌v(殺)

20040221