蜜月


一緒に暮らし始めて少しずつお互いの生活習慣にも慣れ、同居すると仲が悪くなるというありがちなジンクスもどうやら杞憂に終わりそうだった。お互い仕事が不規則故に、一緒に暮らしていても顔を合わせる事が少ないという所が利点であるのかもしれない。それが実際に良いのか悪いのかは判らなかったけれど、ともかく以前よりは一緒にいられる時間が多くなった事に感謝して、貴重なその時間を気持ち良く過ごして生活したいと思っていた。そして多分相手も同じ気持ちでいてくれていると感じていたから、その互いの調度良い気配りがうまくいっている秘訣なのだろうかと釘宮は思った。

「うわぁ、朴さんの誕生日までもう日が無いよ。せめてその日位お祝いしたいのにぃ」

追加された仕事を手帳に記入していた釘宮は、二重丸のついた日までの日数を先程から何度も数えていた。結局クリスマスも正月も二人の都合がつかなくて何も出来なかったから、今回で何とか名誉挽回したいのだった。

「でも何あげたら喜んでくれるのかな…」

当日は何とかスケジュールを調整して一日休みにして貰っていた。当の本人は仕事が入っているが夕方には帰ってくる予定だったので、腕を奮ってご馳走を作るつもりではあったのだが…問題はプレゼントなのだ。

「無難な生活用品とかは同居してる今じゃ意味無いし」

欲しい物があったら我慢せずにその場で買ってしまう彼女の事。今更欲しい物があるとは思えなかった。彼女に似合う身の回り品をと思っても、彼女のセンスに自分が打ち勝てる筈も無く。どんな物でも笑顔で受け取ってくれる人だと判っていても、やはり本心から嬉しいと思ってくれる物を贈りたい。悩みに悩んで思わず眉間に皺を寄せて唸ってしまう。

「う~ん…しょうがない、本人に聞くか」

確か本日の彼女の帰宅はpm8:00の食事無しだとホワイトボードに書いてあったなと記憶を辿り、午後の仕事が終わってしまった釘宮は食材を買って急いで帰ろうと立ち上がった。





「ただいま~」

疲れた声でドアを開けた朴を、パタパタと音を立てて釘宮が出迎えた。

「お帰り朴さん、お疲れ様。ご飯出来てるから一緒に食べよう」
「え、待っててくれたの?」
「うん。ちょっとお腹空いたから摘んだけど」

同居する事になった時、お互い相手の予定を把握して余裕のある方が家事をする事、でも不公平にならないようにゴミ捨て等簡単な事は出来なかった方が自ら率先してやる事、掃除洗濯は各自でなるべくするようにしようと取り決めていた。食事の時間が重なる事は殆ど無かったので作り置きが大半だったから、今回のように待っていてくれた事に朴は大いに感激していた。食事は一人で食べるより、やはり誰かと一緒の方が嬉しいに決まっている。それが愛しい人の手作りであるなら尚更だ。

「ありがと、理恵!」

思わずぎゅっと抱き締める。いきなりの抱擁に釘宮は内心大いに焦った。

「ちょ、痛いよ朴さん」
「あ、ゴメンゴメン」

慌てて開放すると、釘宮はふうと息を吐いた。

「お風呂も沸いてるから先に入っておく?」

上目遣いで首を傾げて問われ、朴は呼吸が止まりそうになった。おお、もしやこの展開は新婚さん?!

「それよりあたしは……」
「じゃあご飯にしよっ。理恵、もうお腹ペコペコだし!」

クルリと身体を反転させてさっさと部屋の奥に戻って行った釘宮の耳が僅かに赤い事に気付いて、朴は宙に浮いたままの行き場の失った手を上げて頭を掻きながらも顔はニヤけていた。




「ねぇ、朴さん。今何か欲しい物って無い?」
「? 別に。何で?」

食べ終わった食器を洗っていた朴は、お皿を棚に戻している釘宮を振り返って首を傾げた。

「そろそろ誕生日じゃん」
「あ、そっか」

すっかり忘れてたと言わんばかりの朴の様子に、彼女らしいなと苦笑する。

「理恵にあげられる物なら何でも言って。今回はうんと奮発しちゃうから」

勢い込んでそう言った釘宮の言葉に考える素振りをし、濡れた手をタオルで拭いてから彼女に向き直った。黙ってじっと見詰められ、釘宮は不思議そうに首を傾げた。

「無いの?」
「ある…けど、怒らない?」

遠慮がちに問う朴の様子に少し警戒した面持ちで見返す。

「……何?」

真剣な顔で見詰めた朴は、慎重に口を開いた。

「――裸エプロン着て出迎えて下さい」

思わず口をポカンと大きく開けて、目をまん丸にして驚いていた。その顔が見る見る真っ赤になり、キッと睨んで抗議した。

「バカッ! 真面目に聞いてるのにっ!!」

手元にあったタオルを投げつけて怒った釘宮は今度は手近にあった箱ティッシュを投げつけようとして、朴は慌ててその腕を両手で取り押さえて落ち着かせるように顔を覗き込んだ。

「真面目に言ってるんだってば! だから前にも言ったでしょ? あたしの夢なんだって」
「だったら自分がやれば良いでしょー!」
「あたしはやって欲しいんだってば!」
「他を当たってよ! 私は絶対にやらないから!」

傍から見たらアホらしい事この上ない遣り取りであるが、本人達は至って真剣だった。肩で息をする程大声で怒鳴った釘宮の台詞に、普段では想像出来ない程無表情な顔で冷静に問い返した。

「――『他の人』にやって貰って良いの?」
「……」
「良いの? 理恵はそれで?」

要望を却下されるのは仕方ないとしても、今の言葉は朴の心を酷く傷付けていた。

「良いよ」
「……っ」

頷かれて朴は思わずぎゅっと奥歯を噛み締めた。要するに、例えるなら奥さんが亭主に「相手をしたくないから浮気しても良い」と言っているようなものだ。まさかそんな風に言われるとは思っていなかったので、返す言葉が咄嗟に見付からなかった。

「良いよ、して貰ったら? でも、そしたら朴さんとはゼッコーだからねっ!」
「……!」

目を赤くして拗ねたように顔を背ける釘宮に、朴は見惚れてしまった。

(うわっ、もしかして妬き餅? 妬いてくれてるの?!)

嬉しさに、舞い上がりそうになる。今にも泣きそうになっている釘宮の両肩に手を置いて、覗き込むようにしてじっとその目を見詰める。必死になって涙を我慢する釘宮の姿が愛おしいと思った。

「しないよ。だってあたしは理恵にして欲しいんだもん。他の人なんて意味無い」
「~~~~~っ!」

ポロポロと涙を零した釘宮に、自分も彼女を傷付けていた事を知って胸が痛んだ。そっと唇で滴を吸い取ると、そのまま額に口付けた。

「ごめん、理恵。強要するつもりじゃなかったんだけど…。嫌なら良いよ。ゴメンね、変な事お願いして」
「……ちが…。朴さん…は、謝らな…くて…良い、の。理恵が…ムキ、になった…から」

一生懸命言葉にする釘宮の頭を撫でて、軽く背を叩いて落ち着かせてやる。

「ね、理恵。他にお願いしても良い? それも嫌だったらそう言ってくれて構わないから。あたしは理恵が嫌がる事を無理矢理させたりなんて絶対しないから」

優しく告げる朴に、釘宮は濡れた瞳を向けた。

「なあに?」
「ん。あのね…」

そっと耳元に囁いた言葉で、釘宮の頬が赤く染まった。

「駄目かな?」

甘えるように見詰められて求められ、釘宮は赤くなった顔を俯けて小さく頷いた。




1月23日の朴が異常にご機嫌だったのは、言うまでも無い。





END




一体何をお願いしたのか?と色々想像を巡らしましたね? 一応答えは「理恵の方からキスして?」でした。それ以上を妄想した方は…まぁそれもアリかなと言う事で。←え。
もう書かないとか言って書いててすんません…。流石にこれ以上は…ええ(笑)。


20060924