「兄さん! 兄さん! 兄さんっ!!!」
涙を浮かべて必死に叫ぶ弟の声を振り切り、エドワードは機体へと姿を消して行く。マスタングに抱き留められたまま追い掛ける事も出来ないアルフォンスは、溢れる涙を止める事も出来ずにガックリと膝を地に着けた。
「アルフォンス」
優しく声を掛けるマスタングに返事を返す余裕も無い。俯いたまま声を押し殺して泣いていた。アルフォンスはただひたすら悲しかった。突然置いて行かれた事に対して、見捨てられたのだと…嫌われたのだと思って。
――これは罰なの? 沢山の人や物を犠牲にしてまで門を開いたボクへの…。
ただ兄に会いたかったと言う願いが招いた惨状は最悪だった。知らなかったでは許される事では無いと自覚はあった。けれど、誰に責められても兄にだけは許されたかった。そう考える事自体が罪なのだろうか。今のアルフォンスには判らなかった。
「アルフォンス」
もう一度マスタングが名を呼ぶ。今度は幾分声に力が篭っていて、アルフォンスは流れる涙をそのままに、拭う事もせずに顔を上げた。マスタングは同じように膝を折ってその場に屈み、アルフォンスと視線の高さを合わせる。眼帯で隠されていない右の瞳が優しく自分を見詰めていた。
「泣いている場合では無いだろう。今ならまだ間に合う。…行きたまえ」
「……マスタングさん?」
とめどなく溢れていた涙が止まる程驚いて、まじまじと顔を見詰めるアルフォンスに苦笑すると、そっと手を伸ばして零れた雫を指で拭ってやる。
「まだ門は閉じられていない。君なら一人で潜る事が出来るだろう」
「…どうして」
離れて行く兄の機体の方へ咄嗟に飛び移ろうとしたアルフォンスを引き止めたのは、他ならぬマスタング本人だった。それなのに今は追い掛ける事を勧めている。彼の真意がアルフォンスには判らなかった。
「あの場は仕方ない。少し位彼の顔を立ててやらねば私が恨まれるだろう?」
悪戯っぽく目を細めて笑いかけるその姿はアルフォンスに昔の兄の姿を思い出させて、痛みで悲鳴を上げていた心が少し癒される気がした。
マスタングは視線をエドワードの乗る機体へ移すと真顔になる。親しい者との別れの辛さは、大人になって耐える事は出来ても消える事は無い。それが心から愛する者なら尚更だ。
「…だが、な。強がりをそのままにするのは忍びない。正直、奴の本心が私には痛い程判る。不本意な事だが、私達は似た者同士だそうだからな」
嫌がる自分にそう言っては、度々からかっていた親友を思い出す。自分は彼の元に行く事は出来ないし追い掛ける気も無いけれど、方法があるなら取り戻したいと思う気持ちはこの兄弟と変わりない。彼を失っても自分が前を進んで行けるのは、彼との約束と信じてくれる仲間が居るからだ。例え立ち止まっても又再び歩き出す事が出来る。けれどこの少年の兄にはそれが無い。門の向こうの世界で一人生きて行く事が出来るとは、マスタングには到底思えなかった。
「でも…兄さんは…ボクを嫌いになったんじゃないの?」
素直に頷いて彼の言葉を信じる事はアルフォンスには出来なかった。罪悪感を一人で乗り越えられる程、今のアルフォンスは経験を積んでいないのだから。不安げに呟かれたその台詞に、マスタングは驚愕の表情でアルフォンスを見た。
「なる訳無いだろう。世界中の人間が君を嫌っても、奴だけは君を愛し続ける」
――奴にとって唯一の希望、生きる意味なのだから。
きっぱりと断言され、アルフォンスは瞳を丸くして濡れた睫を瞬かせた。その仕草に、マスタングはふっと笑みを零した。
エドワードが彼を愛しく感じる気持ちが理解出来た気がする。そんな事を聞いたら殴られる事は確実だろうが。
「虚勢を張ったは良いが、君と言う光を失って一人で生きて行く事に奴が耐えられるとは思えん。精々、もぬけの殻状態で彷徨う人生を送るだけだ。そんな風に生きて行くだろう彼が私には許せない。奴にとっては余計な世話だろうがな」
「……」
じいっと濡れた澄んだ瞳で自分を見続けるアルフォンスの視線に、何となく居た堪れない気持ちになってくる。ゴホンと咳払いをして視線を彷徨わせると、ボソリと呟いた。
「単なる私の我侭だ。君の幸せを思えば、此処に残った方が良いのだろう」
無理強いをしている訳では無いと困った表情を向けるマスタングに、アルフォンスは慌てて首を横に振る。
本当に、自分達兄弟は周囲の人達に恵まれていると思う。これだけ想いを掛けてくれる人が居る事に、アルフォンスは深く感謝した。けれど……それでもただ一人が居なければ、アルフォンスにとってこの世界は暗闇でしか無い。昔も今も、きっとこの先もずっと。
「ボクの幸せは…兄と共に生きて行く事です。それだけで良い」
決意したアルフォンスの瞳と言葉を聞いてマスタングは頷き、手を差し伸べて彼を立ち上がらせる。離れて行くエドワードを追い掛けるなら一刻も早い方が良い。
「ならば行きたまえ。こちらの門は私が壊しておく」
「マスタングさん」
「…鋼のに、宜しく伝えてくれ」
優しく微笑むマスタングに頷くと、アルフォンスは残された材料で兄が乗っていた一人乗りの飛行機モドキを錬成する。ついでにマスタングが無事下に着けるよう、気球を錬成する事も忘れない。飛行機はこの世界には無いので見よう見真似だが、兄の機体に届けさえすれば問題無い。
「これを着て行くと良い」
転がっていた鎧を見て、兜を拾い手にする。中身は空だ。
「身を守ると共に、奴に見付からずに乗り込める」
悪戯げに笑うマスタングに、アルフォンスは首を傾げる。
「少し驚かしてやりたまえ。散々心配させた挙句、君を泣かせた罰だ」
茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる。そんな場合では無いと言うのに、つい笑みが零れる。そんなアルフォンスを見て、マスタングも嬉しそうに笑う。
「やっと笑ったな。本来男に言うべき言葉では無いが、君は特別だ。アルフォンス、君は笑っていた方が良い」
「マスタングさん」
「忘れるんじゃない。彼はいつでも君を愛している。…さ、早く」
言われるままに、鎧を運んで機体に乗り込む。窓から顔を出してマスタングの顔を見詰める。この人と言葉を交わすのはこれが最後だと思ったアルフォンスは、再び涙を浮かべながら微笑んだ。
――ボクはこの人を知っている。そう、兄さんに似た強く優しい魂を持つこの人を。
「ありがとう、……大佐」
「……アルフォンス?」
問い掛ける間も無く、アルフォンスを乗せた機体は勢い良くその場から飛び立った。暫し呆然とその姿を見送ったマスタングは、口元に浮かんだ笑みを濃くする。
「心配は無用のようだな、鋼の」
身を翻して気球に乗り込むと、錬成した空気を入れてその場から離れ、自分を待つ人々の許へと向かった。
愛する人と生きる事の出来る世界。それがシャンバラなのかもしれない。
自分が自分である為に―――。
END
アルがどうやって兄の機体に紛れ乗り込んだのか、大佐がどうやってあそこから脱出したのかかなり謎です。思わず適当に理由付けてみましたが…何てご都合主義!(笑) 突っ込み所満載ですがそこはそれ、同人はそんなもんだと諦めて下さい〜♪←開き直りか。
アルが記憶を取り戻すまでの過程と罪悪感を書きたかったんですが、やはり上手く書けませんでした(爆)。私なんかが書ける筈もない…か(遠い目)。映画でそういうのをちゃんと描いて欲しかったんですよねー。特に後半。まぁ所詮アニメですから贅沢は禁物ですねぇ…うむ(と自分を納得させてみる)。
20050901
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