乙女の祈り


失った右腕と左足を機械鎧に代える手術を無事終えたエドワードは、だがそれによって高熱が続いてしまい、ロックベル家の一室で寝込んでいた。苦しそうに眠る兄の傍らで身動きせずじっと見守り続けているアルフォンスの表情は、今の鎧の姿では到底窺い知る事は出来ない。が、自分の知る彼ならば、きっと何も出来ない自分を歯痒く感じて唇を噛み、涙を堪えているのだろうと…そう思った。そんな彼に何と声を掛けて良いのか判らず、階下の作業場で機械鎧の図面を広げながら幼馴染の少女はぼんやりと考え込んでいた。

「ねぇ、ウィンリィ」
「…え?」

突然名を呼ばれて慌てて振り向くと、いつのまに現れたのか大きな鎧が開け放されていた扉から顔を覗かせていて、周りにぶつからない様に気を付けつつ作業場に入って来た。そしてキョロキョロと辺りを見回すと、視線が彼女の後ろに止まった。

「これ借りても良いかな」

遠慮がちに指差す方向にはテーブルがあり、その上にあるのは何処にでもある何の変哲も無い硝子のコップだった。

「良いけど…どうするのよ、そんなもん」
「うん。ちょっとボクもリハビリしておこうかと思って」

えへへ、と照れ臭そうに笑うその声は変わらない少年のままで、厳つい鎧とのアンバランスさに自然と切なさが込み上げてくる。そして告げられた言葉に僅か引っ掛かりを感じて、ウィンリィは可愛らしい眉を僅か顰める。

「リハビリ…?」
「そう。じゃあ借りて行くね。あ、ボクは暫く家の裏に居るから、何かあったら呼んで」
「え、ちょっとアル?!」

アルフォンスはテーブルに近付いて、徐にコップを取り上げようと腕を上げる。しかし触れそうになった手を一旦止め、僅か躊躇したかと思うとクルリと身体を向き直して頭を掻き、小さく首を傾げた。

「……ごめん、ウィンリィ。その板にこのコップを乗せてくれる? それと其処の扉も開けて欲しいんだけど」

申し訳無さそうに紡ぐその言葉に、ウィンリィも小首を傾げて不思議そうな顔をするが、直ぐに頷いて彼の希望通りに行動を開始した。















「あの子は何処ほっつき歩いているんだろうねぇ」

夕飯の準備を終えても姿を見せないアルフォンスに、ピナコは心配げに呟いた。食事をする事が出来ないアルフォンスが同席しなければならない事は無いのだが、食事の雰囲気を味わうのも大切だよと言っていた彼が突然席を外すとは思えなかった。
病人食をエドワードに運び終えて戻って来たウィンリィは、それを聞いてハッと思い出して慌てて外へと飛び出した。
昼間伝えられた家の裏を覗いて見ると、街灯に照らされた鎧がうずくまっている姿があった。

「ア…」

アル、と名を呼ぼうとして、声を止める。屈んだまま手を動かしている様子に何をしているのだろうと興味を覚え、そっと近付いて背後からアルフォンスの手元を覗き込む。そこには地面に何かの錬成陣が描かれていて、その中央に自分が手渡したコップが置かれていた。それをその大きな手で慎重に掴み、そのまま持ち上げようとしたが……途中でパリンと音を立てて呆気無く粉々に砕けてしまった。

「うーん、まだ駄目かぁ」

アルフォンスは溜息を吐くと、砕けた破片を掻き集めて錬成陣に置き、それを元のコップへと直した。気を取り直して元通りになったコップを再度持ち上げようとするが、しかし再び割ってしまう。「うう、難しいなぁ…」と唸って腕を組んで考え込む仕草をする彼の意図が判らず、ウィンリィは困惑する。

「何してるの?」
「あ、ウィンリィ。どうしたの?」

呑気な声で訊ねるアルフォンスに呆れた顔をして、仁王立ちのまま頬を膨らませた。

「どうしたの、じゃないわよ。こんな時間まで家に帰って来ないと、ばっちゃんもあたしも心配するでしょ」
「ああ…、ごめん。何時の間にか夜になってたんだね」

今気付いたとばかりに暗くなった辺りを見回す。一度何かに集中すると周りが見えなくなるのは兄と同じで、何だかんだと本当に良く似た兄弟だとウィンリィは思う。そんな彼にもう一度溜息を吐くと、気を取り直して視線をコップに向ける。

「何してたの?」
「え?」

ウィンリィの視線がコップに向けられているのに気付いて、アルフォンスは照れ臭そうにポリポリと頭を掻く。

「これはね、ボクのリハビリ」
「昼間もそう言ってたわよね。それ、どういう意味なの?」
「……うん」

戸惑いがちの声と首を僅かに傾げる仕草だけで、今彼は困った様な顔をしているのだなとウィンリィには判った。今は厳つい鎧の姿であろうと、中身は自分の良く知る自分と同じ小さな子供なのだと改めて実感し、その事に無意識にほっとする。

「今のボクって、視覚と聴覚以外感覚が無いんだ。どんなに時間が経っても疲れないしお腹も空かないし眠くもならない。それは上手く利用すれば生活には困らないけど……触った感覚が無いのは、凄く困ってるんだ」

淡々と話す内容は、10歳の子供の台詞とは思えない事柄だった。いきなり現れた鎧を幼馴染と認識するのも未だ慣れない自分なのに、そんな体になってしまった当の本人はパニックに陥っていてもおかしくない筈。なのに感覚が無くて困るとかそういう問題では無いと思うのだが…。

「アル…」
「この姿になってからボク、よく物を壊していたでしょう? 力の加減が判らないんだ」

自分の両の手を広げてじっと見詰める。ついこの間までの子供の小さな手ではなく、鋼の鎧の大きな硬い手。それを思い通りに動かすには感覚が必要不可欠だ。けれど魂のみの存在となった自分には、それが無い。だから力加減が判らないのだ。

「物は壊しても元に戻せるから問題無いかもしれないけど…生き物はそうはいかない」
「!」

はっとしてウィンリィはアルフォンスを見上げる。だから彼は今まで必要最低限の動きしかしなかったのだと理解した。周囲の物を壊したくないと言うのもあるが、ウィンリィやピナコに怪我をさせる訳にはいかないとの配慮なのだろう。

「温もりを感じられないのは確かに辛いけど、人を生き物を傷付けてしまったらもっと辛い。兄さんだって機械鎧の手術を耐えて今も痛みや熱と戦っているんだ。いつまでも事態を嘆いているだけじゃ前に進めない。だから、ボクも自分で出来る事をやれるようになるよ」
「……」

ぐっと力を込めて拳を握るアルフォンスの声には、強い決意が篭っていた。

「兄さんが起き上がれる様になるまでに、この体に慣れておきたい。…ボクが何かを壊す度、兄さんが胸を痛めない様に。この身体でも何も傷付けずに不自由なく動ける様になりたいんだ」
「アル…」

突然身体を失くして鎧の姿になってしまった年下の幼馴染の少年。辛くて不安でたまらないのは自分の方だろうに、相手の…兄の心と身体の心配を優先する。何の疑問も無く、当然の事の様に。それは彼にとって純粋な行動なのだろうけれど、それでもそれは。

「もう少し練習してるよ。どうせボク、眠らないし…」
「駄目よ」

間髪入れずに俯いたまま震える声で、それでもきっぱりと言い切った。そんな彼女にアルフォンスは吃驚した様に顔を向ける。

「え?」
「駄目よ。今日はもうこれでお終い。アルはあたしと一緒に家に戻るの」

顔を上げないで強い口調でそう言われ、困惑した様に首を傾げる。

「ウィンリィ」
「部屋に戻って身体を休めて、続きは明日やるのよ」
「だからボクは…」
「駄目よ、帰るのっ!」

大声で叫んで顔を上げたウィンリィの瞳には、透明な雫が流れ落ちていた。それを見たアルフォンスは頭の中が真っ白になった。

「う、ウィンリィ?!」

どうして泣いているのか判らなかったが、とにかく自分の所為だと言う事は間違いなくて、慌ててバタバタと手を上下に振る。

「ご、ごめん! あの、その、お願いだから泣き止んでよ」

触れるのを恐れて近付く事をしないアルフォンスに、ウィンリィはボロボロと涙を流したまま悔しそうに自分の拳を鎧の胸にぶつける。

「アルの莫迦! あんたは人間なのよ? 疲れなくたって眠らなくたって…休息は必要でしょう? 自分をそんな、機械みたいな風に言わないでよ…」

ポカポカと両手で殴り続ける彼女に、アルフォンスは大きな身体を縮こませて項垂れる。

「ごめん、ウィンリィ」
「バカアル」
「ごめんね」
「……バカ」
「ごめん。…ありがとう」

そっとウィンリィの拳を自分の手の平で受け止める。彼を叩いていた手を止め、片方の手で涙を拭うと無理矢理笑顔を作ってアルフォンスに向かって笑いかける。

「帰ろう。ばっちゃんとエドが待ってる」
「…うん!」

一緒に家に向かう為に立ち上がろうとして、ふと先程のコップが目に映った。アルフォンスは再びそっとそれに手を伸ばすと、大切なモノを包み込む様に持ち上げる。
それは壊れずに、本来の形を保ったまま彼の手の中に納まっていた。











エドワードが寝ている部屋の扉を開けると既に起きていたらしく、僅かに顔をこちらに向けた。ランプの微かな灯りだけでは顔色は判らなかったが、熱の所為で少しやつれた顔をしているとウィンリィは思った。……それだけでは無いだろうけれど、それには気付かないフリをした。

「ちゃんと食べた? 食べないと下がる熱も下がらないんだから、しっかり食べて寝てよね」

食べ終わった食器を見て半分以上残っている料理に溜息を吐く。

「ウィンリィ。……アルは?」
「下に居るわよ。何? 呼んで来ようか」
「…いや、居るなら良い」
「………」

姿が見えないと不安だけれど、生身の姿を失った現実を見るのは辛く。何より今の自分をどう思っているのか……聞く事も出来ない。元の身体に戻してやると約束したけれど、怨まれていて憎まれていて当然だと理解しているから。

―――早く。早くあいつを元の身体に戻してやるんだ。

「寝る。…早く起きて動ける様にならなきゃならないんだから」
「エド」
「おやすみ」

無理矢理眠ろうと布団を頭まで被る。掛ける言葉も思い浮かばず、ウィンリィは食器を手に取る。

「…おやすみなさい」

そっと戸を開け部屋を出て行く。エドワードはああ言っていたが、彼が安らかに眠っている姿をもう何日も見ていない。

毎晩熱に浮かされて紡ぐ言葉は弟への謝罪の言葉。罪の重さに苦しくて、でも手放す事も出来ずに嘆き恐れている。とっくにアルフォンスは許していると言うのに。
…いや。許しているのではなく、最初から兄の所為だとは思いもしていないのだ。自分の身体より相手の身体を案じる姿は、誰よりもお互いを大切に思っている証拠。けれどそれ故に相手の本当の気持ちに気付けないでいる。

「あんた達はバカで、幸せ者だわよ」

流れた雫を片手で拭う。




願わくば、この兄弟に再び安眠が訪れる事を―――







END


鎧になってしまった直後のアルの心境という描写が無いなーと捏造話を書いていたら、原作で(ちょこっとだけど)出て来てしまいました。

そんなもんだよな、人生って(苦笑)。

でも原作は相変わらずとっても良かった!!!のでコレはゴミにしようかと思ったんですが…まぁこれはこれで良いかと(開き直りか)。
ともかくウィンリィが沢山書けて楽しかった〜vvv 原作ウィンリィは可愛くて大好きです! アニメウィンリィは問題外ですが(苦笑)。しかしエドアルから遠退きました…ね。たまにはこんな兄弟&幼馴染話もアリという事で(爆)。



20050301