一緒にお散歩



「何処かへ向かわれるのでござりまするか?」

厩番と話をしている姿を発見され、ヒョコヒョコと近付く愛弟子を振り返る。今まで鍛錬をしていたのか額には汗が薄らと浮き、両手には練習用の槍が収まっていた。

「ん? …ああ、まぁ、ちと私用でな」

言葉を濁した己の反応に首を傾げ、キョロキョロと辺りを見回す。

「……もしや、供を着けずにお一人で?」

むぅ、と眉間に皺を寄せる様は、まだ幼さの残るその顔には似合わず迫力を出す処か愛嬌があると思わせ、つい口許を緩ませてしまう。それを見咎め、幸村は更に詰め寄った。

「この幸村、お館さまの行動をお咎めする立場にはございませぬ。が、武田家臣の一人として、危険を伴うお振る舞いは控えて頂きとうお願い申し上げまする」

キュウと顔を歪ませてそう告げる瞳は切なさに揺れ、彼が見当違いな誤解をしている事を悟って苦笑を浮かべた。

「そうではない。側室の顔を見るに甲斐を一人で出たりはせぬ」
「ですが…」
「近くの村でな」
「はい?」
「祭りをやると知らせが来たのじゃ」
「はぁ」
「それをちと覗いて来ようと思うたまでよ」
「そ、それならば尚の事、供を…」
「供を引き連れては楽しむ事も出来ぬわ」

口を尖らせて不服を表す信玄に困り果てたような顔で幸村は見上げている。主君の子供のような我儘に戸惑っているのだろう。板垣や勘助辺りが聞いたのならば、容赦なく小言を並べ立て連れ戻されるであろう。

「しかし…」
「己の国も自由に歩けずば、領主と言えぬであろう? そのように危険があるならば尚の事、治世を改めねばならん」

我ながら詭弁だとは思うが、此処はどうしても我儘を通したい。素直に楽しみたいというのもあるが、自分の目で己の治める国の姿を確認したいというのが本音であった。供を引き連れては目立ちすぎて、町の人々の自然な暮らしぶりなど見る事が出来ないと信玄は知っていた。

「ですが…」
「ならば、おぬしが供をするか?」
「え」
「修練は終わったのであろう? 儂に付き合え、幸村」
「そ…某で宜しいのでござりまするか?」
「おぬしなら気も使わぬですむ。しかしその形では目立つのぅ」
「た…! 只今急いで着替えて参ります! 暫しお待ち下され…!!」

だだ〜っと一目散に駆けてくその後姿を笑って見送る信玄の隣で、厩番が微笑ましげに声を掛けた。

「幸村様は相変わらずでございますなぁ」
「そうじゃのぅ」
「それでは幸村様の馬のご用意も致しますれば」
「ああ、すまぬな」
「いえいえ、お館さまをお一人で送る事に比べれば、歓迎致しまするよ」
「ほぅ?」
「あの方がご一緒であれば、お館さまの身も安全でございますでしょう」
「…そうじゃな」

幸村への純粋な信頼を持つ厩番に、信玄は嬉しそうに笑った。



活気ある庭場には、溢れんばかりに人が集まっていた。派手な猿楽の芸を見て楽しそうな笑顔を浮かべる人々の姿が信玄の心を穏やかにさせる。

「お館さま! あちらの店は目の前で煎餅を焼いておりますぞ!」

目をキラキラと輝かせてあちらこちらの的屋を興味深げに覗く幸村を、信玄は苦笑しつつ後をついて歩いていた。本来ならば主の前を歩くなどという考えは幸村の念頭には存在しないのだが、信玄自身が興味のある物を好きに見よと許可を出した為にすっかり有頂天になっていたのだった。

「幸村。あまり先に行くと迷子になるぞ」

笑いながらそう言うと、幸村は慌てて信玄の下へと戻って来た。

「も、申し訳ありませぬ! つい羽目を外してしまいました」
「良い。おぬしが楽しければ、儂も楽しい。だが…」

つ、と信玄の大きな手が幸村の手を掴む。幸村は突然握られた手をキョトンとした表情で見詰め、目の前の信玄の顔を見上げた。

「人が多くなって来た。逸れては共に来た意味が無いぞ?」

意味ありげに笑う信玄の言葉と握られた手の温もりに、幸村は顔を真っ赤に染めて俯いた。恥ずかしくて穴に入りたい位なのに、嬉しくて飛び上がりそうなのだ。

「では、行くかのぅ」
「お、お館さま!」
「何じゃ?」
「幸村はお館さまのお姿を見失う事などありませぬ! …ですから、その…」

手を離して欲しいと口にする事は出来ず、幸村の声は掻き消えてしまった。子供では無いのだと主張したいが、大きく包まれたその手を離したくないのが本音だった。そんな幸村の心の葛藤に信玄が気付かぬ筈は無く、だが聞こえないフリをしてそのまま歩き始めた。幸村は慌てる。

「お、お館さま…」
「ぬ?」

信玄は突然足を止め、一つの店に視線を奪われていた。幸村は信玄に手を引かれたままその店の前に立ち、そして僅かに不快気に眉根を寄せた。
其処に並ぶ品々は女性達が喜びそうな櫛や髪飾りだったので、幸村は信玄が誰かに贈り物をしようと考えているのだと思ったのだ。ジクジクと胸が痛む。

「何か、お気に召した物でも…?」

なるべく普通に振舞うように息を落ち着けて問うと、信玄はじっと幸村の首元を見詰めた後、再び商品に視線を移して小さく唸った。

「ううむ…やはり換えておくべきじゃの」
「は?」
「へい、どれに致しやすか?」
「これを貰おう」
「ありがとうございやす」

信玄が指したそれは、赤い革紐だった。
それを受け取って歩き出した信玄は、黙り込んでしまった幸村に首を捻る。

「どうした、幸村。又腹でも空いたか?」
「い…いえ。何も…」

信玄の持っている先程の品物が気になって、でも聞く事も出来ずに幸村はグルグルと考え込んでいた。信玄は彼の視線が手元の品に向かっている事に気付いて、思い出したように笑った。

「おお、そうじゃったな。幸村、それを外しなさい」
「…え?」

信玄が指したのは、幸村の首に下げられた六文銭だった。幸村は首を傾げながらもそれを外して信玄の手に渡す。すると信玄はその紐をスルリと抜き取り、先程購入した革紐に通し直した。

「うむ、これで良い。それ、返すぞ。着けるが良い」
「え…」

吃驚して身動きの出来ない幸村に、信玄は「仕方無い奴じゃのぅ」と呟いてそれを着けてやった。更に幸村の驚きは頂点に達する。

「お、おおおおおおおおおおお館さまっ?!」
「何じゃ」
「な、何故にこのような…」
「よう似合っておるぞ」
「は、有り難き幸せに存知まする! が、その…」
「何じゃ、気付いておらなんだか? おぬしの紐は大分草臥れておったからの。突然切れれば不吉に思えよう」

確かに、今まで身につけていた紐は汗や埃で痛んでおり、いつ切れても可笑しくはない状態であった。以前、佐助に注意された時に曖昧に返事を返した事を思い出し、よもや信玄までが気にかけていてくれたとは、と思わず恐縮するばかりである。

「し、しかし、幸村がお館さまにこのような物を戴いては…」
「何、供をした褒美だと思えば安いものよ」

カカと豪快に笑う信玄を見て、漸く幸村も素直に受け取る気になったらしい。嬉しげに笑い、大切そうにその革紐を撫でた。

「お館さま。この幸村、益々以って精進致し、お館さまのお役に立つ所存!」
「うむ、良い心掛けじゃ」

ぐぅううう〜〜〜。

途端、満足げに笑った信玄の前で幸村の腹の音が大きく鳴った。幸村は真っ赤になって慌てて腹を抑え、信玄は思い切り噴出して笑った。

「ハッハッハ、やはり腹を空かしておったか!」
「ごっ…ご無礼をっ!」
「いや、良い。では何か買うて帰るとするか。そろそろ帰らねば、勘助辺りが肝を冷やしておるやもしれんからな」

楽しそうに笑う信玄を見て、楽しい時間が終わったのを残念に思うと同時にこの想い出を大切にしようと幸村は思った。

「たっぷりとお叱りを頂く事になりそうでございますな」
「何か手土産でも買って行くかのぅ」
「あの団子はとても美味でございました」
「そうか。ではあれを買うて行くか。おぬしも後で佐助と食すが良い」
「おおおお! 有り難き幸せ!」
「おぬしはほんに団子が好きじゃのぅ」
「はい! ですが、幸村は団子よりお館さまが大好きでござる!」
「……」

満面の笑顔で言われた言葉に、信玄は一瞬キョトンとした表情を浮かべた。そして思い切り噴出した。

「…全く…おぬしは、愛い奴よのぅ」
「…は?」

笑いの止まらぬ主君に首を傾げる幸村だったが、再び手を握られ顔を上げた。其処には笑いを収めた信玄の優しい眼差しがあった。

「では、館へ帰るぞ」
「はい!」

交わす拳の熱さと等しく、触れ合う掌の温もりも又愛しく感じる二人であった。


END




散歩と言うか、お祭りデート? そして新しい首輪をプレゼントされました(笑)。
一応お題通りになった気はしますが、館幸みたいになったような…(汗)。まぁ、もうどっちでも良いか…。←投げた!


20080721