触らせてもらえない



「ぅお館さむぁあああああああああああああ!!!!」

その逞しい姿を目にすれば、直ぐ様駆け寄って飛びつこうとするのは既に己の中で習慣と化していた。その幸村の行動に対する信玄は、包容力良く受止め…るのではなく、力の限り拳を振って殴り飛ばす。そしてそのままお互いの殴り合いに突入するか、熱く呼応し合うのが常であった。それは武田軍の中で当たり前の事であり、無くてはならぬ日常である。

…けれど。

「オレは、お館さまと殴り合いたい訳ではないのだ」
「はぁ?」

突然呼び付けられて、神妙に「相談がある」と言われて話を聞いていた佐助は、主の突然の台詞に忍にはあるまじき素っ頓狂な声を上げた。

「え〜っと、悪いんだけどさ、話は順序良く話してくれない? 幾らオレ様が優秀な部下でも、想像の限界ってもんがあるんだよね」

佐助の呆れ混じりの呟きと言うかぼやきを聞いて、幸村は不満そうに口を尖らせる。それを見て佐助は更に大きな溜め息を吐いたが、「アンタ一体幾つだよ…」という言葉はそっと心の中にしまっておいた。

「旦那でも大将と殴り合う事に不満があったんだ?」

意外そうに言った佐助の台詞に、幸村は心底驚いた様子で首を横に振った。…振り過ぎて少しフラついた姿が又童のようで情けない。

「不満など、ある筈が無い! お館さまにお相手して頂ける事、これ以上の喜びは在りはせぬ!」
「でも、殴り合いたい訳じゃないんでしょ?」
「……」

うっと言葉に詰まって俯いてしまった幸村を見て、佐助は首を捻る。常に熱血で無駄な力を漲らせている彼は、こんなしおらしい様子になる事は滅多にない。
又何か余計な事考えてんのかなぁ…とか思いながらも、とりあえず話の続きを聞く為に言葉を待つ。上司の私的な相談は果たして忍の仕事の範疇なのかという葛藤はあるものの、もう日常茶飯事になってしまっているので既に諦めがちだ。それより元気になって欲しいと思う気持ちが強いので、微力ながらも助けられる事があるなら話位は聞いてあげようと思う。

…そんなささやかな仏心が、災難を招く結果になるのであるのだが。

「お館さまのお姿を目にすると、オレは嬉しくて仕方無いのだ」
「うん」
「あの無駄の無い鍛え上げられた筋肉のついた胸に飛び込んで、抱き締められたいといつも思っているのだが」
「うん…て…は? え? ええっ?!」


思わず身を引き、目の前の主を凝視する。今、この男は何と言った?と、耳に入った言葉を拒否する己は人として間違ってはいないと佐助は思った。しかし相手は真剣そのものである。

「何だ、佐助?」
「え…と、あの、オレ今なんか聞き間違ったような…。いや、まっさかねぇ〜、幾ら何でも旦那が大将に抱き締められたいなんて事…」
「やはり女子でなければ受止めては貰えぬのだろうか」
「…あぁ〜〜〜…」

聞き間違いだと思い込みたかった佐助の気持ちを完全無視し、幸村は思いの丈を呟いていた。佐助はもう泣くしかない。泣いて心の中で前主である亡き昌幸に謝罪した。

――昌幸さま…こんな子に育ててゴメンなさい…。

項垂れる佐助に気付かず、幸村はただぼんやりと独り言のように呟いていた。
追い討ちである。

「女子であれば、お館さまのお子を産む事も出来たかもしれぬな…」
「産みたいんですか…」

もう誰でも良いから助けてくれと叫びたかった。そんな佐助の気持ちが届いたのか、話題の人物が突然現れた。相変わらずの怒声と拳とを伴って。

「幸村ぁ! このバカ者がぁ!!!」
「ぬぉおっ?!」

バキィっと大きな音を立てて頬にパンチを食らった幸村は、勢い良くその場から吹っ飛んだ。殴り飛ばした相手は当然信玄であり、フンと鼻息も荒く腕を組んで見下ろしていた。

「何を女々しい事言っておるか幸村! 女子を戦場に連れ出す趣味は儂には無いぞ。おぬしは儂と共に戦場を駆け抜ける事が不服と申すか!」
「ぅおおおおお館さま! 滅相もございませぬ! この幸村、お館さまのご上洛をお手伝いする事こそ己の使命であり天命だと思うておりまする!」
「ならば何故女子になりたいなどと申すか?」
「そ、それは…」

言葉に詰まる幸村に、もうどうでも良くなった佐助が自棄気味に言った。

「旦那はね〜、大将に殴られるより抱き締めて欲しいんですって」
「ん?」
「さ、さささささ佐助っ!!!」

顔を真っ赤にした幸村が佐助を咎めるが、もう開き直った彼はいつもの飄々とした表情で肩を竦めた。信玄が不思議そうに二人を見ていた。

「どういう事じゃ、佐助?」
「そのまんまの意味ですよ。大将って自分からは触る癖に、他人から触らせる事ってしないでしょ? 旦那はそれが不服なんですって」
「ほぅ?」
「ふっ…不服などと、恐れ多い…」
「てな訳で、たまには旦那に触らせてやって下さいよ。鬱陶しいから」

はい、代わりに言う事言ったから給料上げてよね〜と言いながらさっさと退散する。取り残された幸村は顔を上げる事が出来ず、ただひたすら俯いて赤くなった顔を隠していた。

「幸村」
「…はっ、はいっ!」

思わずギュッと身体を硬直させる。いつものように「この軟弱者が!」と叱られて殴られるものと思っていたのだが、いつまで経ってもその気配が無い。幸村は恐る恐る顔を上げ、目の前の主の顔を見た。その面には、少し困ったような照れ臭そうな色が混じっていた。

「お館さま?」
「幸村。おぬし、儂に触りたいと申すのか?」
「…は、はい」

ふう、と深い溜め息を漏らされ、己の気持ちを否定されたと思って幸村は胸がキリキリと痛んだ。

「某は…」
「実を言うとな、儂もそう思うておったのじゃ」
「…は?」

目が点になる。そんな幸村に信玄は苦笑して、その頭をクシャリと撫でた。

「しかしのぅ…まさか公衆の面前で抱き合う訳にもいかぬであろう。許せ幸村。その代わり、人のいない場では幾らでも儂に触る事を許そう」
「おお…! 有り難きお言葉! この幸村、幸せに目が眩みそうでござる!」
「幸村!」
「お館さまっ!」
「幸村ぁあ!」
「お館さまぁああっ!!!」
「幸村ぁああああ!!!!」
「うぉお館さむぁああああああっ!!!!」

結局はいつものように叫び始めた二人を遠くから眺めていた佐助は、「やっぱりこうなるのね…」と苦笑を漏らして姿を消した。

今日も武田は平和であった。



END



幸村視点も怪しくなってきたよ…あわわ(汗)。
とりあえず、お館さまはツンデレタイプの猫と言う事で!←無理矢理?


20080420