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双虎、邂逅(前編)



「…さま!」

名を呼ばれ、些か荒々しく進み出でていた足を止め、ゆるりと声のする方へ振り向いた。美丈夫な顔を不機嫌色に染め、歳に似つかわしくない程鋭い眼光で見据える青年の前にて壮年の男が恭しい態度で頭を下げた。その態度に青年は益々苛立ち、端整な顔を顰める。
男の言いたい事は判っていた。自分が取るべき行動すらも理解していた。けれど、その抑えきれない感情の高ぶりを宥める為には暫し時間を必要としていた。

「判っておる。…大事無い」
「しかし…」

気遣う男の態度が青年の気を苛立たせた。この男が悪い訳では無いのは重々承知であるから、無様に八つ当たりする前に一人になりたくてあの場を退出したのだったが。
すうと一呼吸置き、静かな口調で言葉を続けた。

「下がれ。戻ってあの人の相手をしておるが良い」

叱責を受ける前に戻れと、言外に含まれた気遣いを感じて男はハッと息を呑んだ。確かに、彼を追い掛け退席した者をあの人がよしとしないであろう事は想像に難くない。この若さで己の感情を呑み込み冷静な判断を下せる青年の思慮深さに、男は尊敬の念と自国の未来への希望を胸に抱いた。

「……は」

感謝を込めて頭を下げ、今来た道程を足早に戻っていく男の姿を青年は無表情で見詰めた。
姿が見えなくなるのを確認すると、ふう、と軽い溜め息を吐いて目の前の整えられた中庭を眺める。
降り注ぐ陽射しによって輝く緑の木々と心地好い風に吹かれ、気を取り直したかのように表情を穏やかな物へと変える。
そして先程よりかは穏やかな足取りで歩を進め始めた。

まだ、陽は高い、青天の一日だった。






気がつくと、深い林の中に一人立っていた。所用にて街に出ていた際得た情報を持ち、急ぎ館へ戻ろうと数人の供と一緒に馬を走らせていた筈であるのだが、その乗っていた馬も供の姿も今は無く、この状況を教えてくれる者は誰も見当たらなかった。

「むぅ…しまった。此処は一体何処であろうか?」

キョロキョロと辺りを見回すけれど、心当たりのあろう筈も無く。暫し途方に暮れていると、ガサリと一本の杉の木が揺れ動いた。

「旦那、捜したよ」

風と共に空から舞い降りて来たのは、己が一信頼を置いている忍であった。

「佐助! 何処におったのだ?」
「それはこっちの台詞だよ。まぁったくさぁ〜、幾ら早くお館さまに報告したいからって、供を振り切って先に進むなんてどうかと思うよ?」

ふう、と呆れ顔で嗜める部下を相手に気を悪くするでもなく、主である幸村は素直に恥じ入り神妙な面持ちで謝罪した。

「う、うむ、すまない。して佐助、ここは甲斐の領地であろうが、オレとした事が何やら見覚え無く迷ってしまったみたいなのだ。どの辺りなのか教えてはくれまいか」
「え? あー…それがですねぇ」

幸村の問い掛けに苦い顔をして、途端佐助は口籠る。いつもの飄々とした彼らしくない態度に、幸村は不思議そうに首を傾げた。

「どうした?」
「実はオレもさっきから捜索してたんだけどね。…どうも判らないんだよ」

ぽりぽりと頬を掻きながらバツの悪そうに返答する佐助の言葉に、幸村の目がまん丸に見開かれて驚きの表情を浮かべた。

「何と。忍が迷子になるのか?」
「面目ねぇ」

肩を竦めて神妙に頭を下げた。
元々躑躅ヶ崎館は杉の木立に囲まれており、丘下からは見えない位置にそれは在る。忍が高い場所から見渡せば建物の一部位は見えるのだが、生憎今は珍しく一帯に薄い霧が一面広がっており、上から辺りを見渡す事は不可能で、場所を特定するのは難しかった。

「な〜んか嫌な天候だよ。周囲は見た事ある気もするんだけど、オレの記憶してる景色と少しずつ違うって言うか…。そう、妙なんだよねぇ」

警戒した面持ちで呟く声を聞きながら、幸村は思考を廻らした。

「ふむ。とすると、ここは甲斐ではないのだろうか。しかしそれ程遠い所へ迷い込んだとは思えない。まぁ気にするな佐助。歩いていればその内見知った場所に辿り着けるだろう」

そうは言っても時は既に陽も傾きつつある様子で、暗くなる前にせめて一晩泊まる宿を探さねばと歩を進める。とにかく前に進まねば話は始まらないのだ。
その時、遠くで人の気配を感じた。気配、と呼ぶには些か不十分過ぎる程か細いそれも、鍛え上げられた兵と忍である彼らはその研ぎ澄まされた神経によって僅かな気配すらも感知する。二人は同時に足を止め、互いに視線を交わした。

「このような所に人がいようとは。近隣の百姓であろうか?」
「それにしては気配が尋常じゃなくない?」

 距離の所為、と言うよりは、敢えて気配を押し隠しているようなそんな気がして、佐助は緊張した面持ちでその方向を見詰めた。対照的に、幸村は暢気な風情で笑顔になった。

「それはそれ、とにかく会ってみなければ判らぬ。どんな輩とて、相手がいなければ何も得まい。行くぞ、佐助」

人に出会えて助かったと、単純に意気揚々と気配のする方向へ駆けて行く主の後を呆れた顔で眺めた。

「敵かもしれないんだから注意してよね〜」

そうぼやきつつ、佐助は後を追った。


〜続く







上田城は大騒ぎ


一人馬に乗って風を切るように突き進んでいた男が居た。その若い男は蒼い鎧に身を包み、鋭く光る目の右側に黒い眼帯を着けていた。
その男の名は伊達政宗。奥州の竜と呼ばれ、その地を治める領主である。

「Ha!」

見晴らしの良い崖先で手綱を引いて馬を止まらせ、馬上にて眼下に聳え立つ城を見下ろし口の端を上げる。

「Hum…なかなか良い城じゃねぇか。さぁて、オレをどれだけ楽しませてくれるか…お手並み拝見とするかな?」

口笛を吹いて軽く嘯く。そしてそれを合図に、再び彼は馬を走らせた。




城内に入る前から幾多の兵士に見咎められ、戦い続けた挙句に目的地に辿り着くだろうと意気込んでいた政宗は、しかしアッサリと門を潜り抜けて城への道程を今堂々と歩いていた。

「あんだぁ? 随分手薄じゃねぇか。舐めてんのか?」

もしかして自分が誰だか気付かれていないのだろうかという考えが脳裏を過ぎったが、蒼い鎧に眼帯、そして六本の日本刀を腰に下げた男など目立ち過ぎる事この上無く。そんな人物は彼以外にあり得ないと断言出来るだろう。けれど実際政宗は誰に止められる事もなく簡単に街の中に入り込めており、彼は呆れを通り越して怒りさえ感じていた。

「真田の野郎…。生意気に城を持ったって言うからこのオレが直々に様子を見に遥々来てやったのに、こんなんじゃガッカリだぜ」

肩を竦めて周囲を見渡しながら歩く政宗は、ふと前から走って集まって来た幾人かの武装した兵士の姿に気がついて足を止めた。

「Oh、漸くお出ましってか? オレを相手にするにはちと数が足りなさ過ぎるが…」

キラリと瞳を輝かせて嬉しそうに哂い、腰の刀に手を掛けようとしたその時。

「奥州の伊達政宗どのでございまするか?!」
「ようこそおいで下さりました!」
「お目にかかれまして光栄にございます!」
「………What?」

突然真田軍兵士から歓迎の言葉を受け、政宗は訝しげに眉を顰める。しかしそんな相手に怯む事なく、兵士達は満面の笑顔で次々政宗を歓待する。手を合わせて拝む者や、感激して目を潤ませている者までいた。

「遠路遥々お疲れでしょう。ささ、どうぞこちらへ。お茶でも飲んでのんびり一休みなされて下され」
「な、何なんだお前ぇら、何企んでやがる! オレは真田幸村に会いに来たんだ!」
「はい、無論存じておりまする。我々がご案内致しますれば、こちらに着いて参り下され」

殺気は微塵も感じないが、何やら切羽詰った感のある彼らの態度に政宗は目を細めて思案する。


――罠か? …ふん、まぁ良い。それなら乗ってやろうじゃねぇか!

周囲の人間が驚いた顔で見守る中、一同は連れ立って城へと向かった。




「幸村どのはあちらにおられますので、ゆるりとご談笑下さいませ」

城の手前でペコリとお辞儀してさっさと退却してしまった兵士達を呆然と見送り、思わず一人首を傾げる。

「…いつの間に、オレ達伊達軍は武田と同盟組んでたんだ…?」

とりあえず示された方向を見やった政宗は、城から僅か離れた広場の隅に見慣れた姿を発見して更に困惑した。

「おいおい、本当に案内しただけかよ!」

誰かに突っ込みを入れたい気分だった。

「あれぇ〜、竜の旦那じゃないの〜。こりゃ又遠路遥々いらっしゃ〜い〜」

間の抜けた調子でヒラヒラと手を振りながら笑うのは真田忍隊の長、猿飛佐助である。そしてその隣…というか足元で蹲り大きく項垂れているのが政宗の本来の目的・真田幸村その人であった。

「おい手前ぇら、何だこの守りは! やる気あんのか?」

訳が判らないという苛立ちも手伝って、ズカズカと近付きドスのある低い声で睨みを入れた。しかし佐助はそんな事では全く怯まず、肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

「まぁそう言わないでよ。彼らも気を使ってんでしょ。竜の旦那と顔を合わせたら、ウチの旦那も元気になるかもって」
「Han? …何だ、どうかしたのか?」

胡散臭そうに佐助を見た後、警戒しつつも未だに立ち上がらない幸村に向かって声を掛ける。政宗に呼び掛けられた幸村は初めてピクリと身動きし、そろそろと顔を上げた。

「……うう、伊達どのぅ〜」

だぁ〜〜っと涙を滝のように流す幸村を見て、政宗は思わず「うっ」と呻いて身を引き、顔を強張らせた。

「なっ、何だ何だ?!」
「あー、もう泣かないのっ!」

驚く政宗を放置して、佐助は取り出した手拭いで幸村の顔を無造作に拭う。涙と鼻水で滅茶苦茶になったその顔は、どう見ても幼い子供にしか見えない。

「……おい」
「ああ、竜の旦那。悪いんだけど、今立て込んでるから用事があるなら出直して来てくんない?」

プチッと堪忍袋の緒が切れた政宗は、幸村の胸倉をグイと掴み上げて強く引き上げ立ち上がらせた。

「ふざけんなっ! おい真田幸村! 何だその腑抜けた面はっ!」
「あ〜もう、しょうがないでしょ。旦那は今、燃料切れを起こしてんだから」
「Han?」

意味が判らず問い質そうとした政宗の言葉より先に、胸倉を掴まれたまま項垂れていた幸村がポツリと口を開いた。


〜続く






双虎、邂逅(中編)


倒して意識の無い信虎を彼の自室へとこっそり運び、今までの事は夢であったかのように細工して事なきを経た二人であった。が、この時既に数人の忍を持つ晴信の目を誤魔化す事は出来ず、真相を問い質す意味も含めて幸村は部屋へ呼びつけられていた。

しかしそれは殆ど言い訳のようなもので、幸村の姿を目に留めた晴信は、実際は単に彼の顔を見たかっただけなのだろうかと心の中で思っていた。

…疲れていたのかもしれない。

「それで、事を荒立てる真似はしなかったのだな?」
「勿論でござりまする!」

開け放たれた戸の側まで歩き、縁側にて庭を眺めながら鹿爪らしい表情で確認する晴信に、幸村は元気一杯に頷いた。咎められて処罰を受けても仕方無い状況だったのだが、久々に晴信と対面出来た幸村は嬉しい感情を隠すつもりは毛頭無く、ひたすら全身で喜びを表していた。その飼い主を前にした子犬のような明け透け無い好意を前面に出した態度に、晴信は真面目に問い質しているのがバカらしい気持ちになっていた。

「あい判った。しかしいつもこううまく行くとは限らぬ故、無用な接触はせぬ事じゃ。今後も彼の相手にはくれぐれも注意して…」

言い聞かせる晴信の横顔に見惚れて眺めていた幸村だったが、日の光に照らされて彼の首筋に薄らと浮かび上がる赤い痕を見付けてしまい、一瞬の内に凍りついた。その固まったままの幸村に気付き、晴信は顔を顰めて拳を強く握った。

「この、戯け者がぁあああー!!!」

バキイィ!と大きな音を立てて幸村の顎に拳がヒットし、空中を舞うようにその身体が跳ねて庭へと転げ倒れた。

「オレの言葉を鵜呑みにするとは度胸があるのぅ? 何ぞ、申し開きたい事でもあるのか」
「…うおお…滅相もございませぬ…」

久し振りの主の拳に感激しつつも、しかしすっかり意気消沈してしまっていた幸村は蹲ったまま顔を上げる事が出来なかった。彼のその感情の起伏の原因に気付かない晴信は、突然失われた彼の元気の無さを不思議に思って首を捻った。

「どうした幸村。腹でも痛うなったか?」
「い…いえ…。何も…ござりませぬ」

弱弱しく立ち上がった幸村の元へと近付いてきた晴信は、その項垂れた頭をグイと己に向けてしっかりと目を合わせた。

「そのように萎れた顔をしていて何をぬかすか。…何じゃ? オレは何かおぬしの機嫌を損ねるような真似をしとうたか?」
「そ、そのような事は…」

間近にある晴信の顔を正視する事が出来ず、逸らした視線の先に曝された彼の首筋から又もや目が外せなくなる。幸村はただ泣きそうな顔で後退った。

「おっと大将。お盛んなのは結構ですが、旦那には目の毒なんで、こういうのは見えない所に付けてもらって下さいよ」

カラカラと笑いながら木の枝から飛び降りてきた佐助は、自分の首筋をトントンと突いてみせる。その台詞と仕草で晴信は漸く合点がいった。

「ん? おお、痕が付いておったか」
「昨晩の閨の契りはさぞかし激しいものだったんでしょうね〜。羨ましいこった」

明け透けない佐助の言葉に幸村は顔を真っ赤にする。

「なっ…。佐助、破廉恥であるぞ!」
「出た! 旦那の十八番『破廉恥』」

からかい混じりに苦笑する佐助と赤い顔のまま怒る幸村を、晴信は不思議そうな顔で見やった。

「幸村? よもやおぬし、その歳で未だ女子を知らぬのか?」

晴信の言葉に、幸村は飛び上がりそうな程驚き慌てた。顔は茹蛸のように真っ赤だ。

「なっ…! ななななな、何を申されまするか! 某にはそのようなものは必要ござりませぬ!」
「それこそ何を言う。立派な成人男子たるもの、女の一人や二人モノにせずして何とする。よし、なればオレが誰ぞ紹介して…」

生真面目に考え込む晴信に、幸村は泣きそうな顔で悲痛に叫ぶ。適当な女を宛がわれてどうにか出来る程、幸村は器用では無い。何より、彼に紹介されるのだけは耐えられない。

「晴信さまっ! 某は…っ」
「あ〜、もう。あんまりこの人苛めないでくれる?」

見兼ねて、佐助が助け舟を出す。が、その理由を知らぬ晴信は神妙な顔で反論した。

「しかしこれは由々しき問題であろう。おぬしの家督は何とするつもりじゃ」
「ご心配には及びませぬ。幸村には立派な兄がおります故」

頑なに拒み続ける幸村の態度を晴信は訝しげに見詰める。

「誰ぞ、好いた女子でもおるのか?」
「……っ」

さっと頬に朱が混じる。本当の事なぞ言える筈も無く、ただ俯いて黙ってしまった幸村の代わりに佐助が困った体で唸る。

「あ〜のさ、大将…」
「なんじゃ、おるのか。ならばさっさとモノにしてしまえば良かろう」

気の抜けた様子の晴信の言に、非常に単純且つ複雑な事情を秘めている幸村の現実を知る佐助としては、苦笑するしかなかった。

「そう簡単に落とせるお人じゃないんだよね」
「何と? 相手は身分違いか人妻か?」
「…中らずも遠からずってね」

あくまでも白を切るつもりの佐助に、仲間外れにされた感のある晴信は面白くなさそうに眉を顰めた。

「ふん。道ならぬ恋なれば、そのように報われぬ想いなど忘れて新しきモノを捜すが良かろうて」

晴信の言葉に幸村は慌てて顔を上げて必死に弁明をした。彼に、己の想いを否定された気がしたのだ。

「そっ…そのような事は出来ませぬ! 某がお慕い申すのは…」

そこでぐっと言葉を押さえ込む。続きを黙って待つ晴信に本音を言う事は出来ず、幸村は熱い瞳でその人を真っ直ぐ見詰めるしかなかった。

「お慕い申しておりますのは、…あの方だけでございますれば」
「……他は無いと申すか?」
「ありませぬ。某の全てはあの方の為。生きるも死ぬもあの方の為に」
「……」

キッパリと言い切った幸村に呆れる、というよりも僅かに寂しげな表情をした晴信に、佐助は「おや?」と首を捻った。そしてそれは拗ねているという表現がしっくりと合いそうな表情に変わっていた。

「ならばこんな所におるのではなく、その者の所へ戻るが良かろう。…オレは忙しい。下がれ」
「お…晴信さま?」

慌てる幸村を振り返りもせずに、晴信は其処から立ち去ってしまった。置いて行かれた幸村と佐助はそのままポツリと部屋に居た。

「……あ〜…旦那?」
「佐助…オレは何か不味い事を言ってしまったのだろうか」
「へ?」
「お館さまを怒らせてしまった」

クニャリと顔を歪ませ、今にも泣き出しそうな声でそう言われたので、佐助は大いに慌てた。

「い、いやあ〜、あれは怒ってんじゃないんじゃないかな〜?」
「だが、不機嫌なお顔をなされておられた」

見えない耳と尻尾が下に垂れているかのような深い落ち込みように、佐助は内心苦笑した。本当にこの人は主君である彼しか見えていないのだなぁ、と呆れつつも微笑ましく感じ、とりあえず慰めの言葉を捜した。

「ん〜…悔しかった、とか?」
「悔しい?」
「ほら、自分は旦那みたいにそういう一途な恋なんて出来る立場じゃ無いからさ、羨ましかったんじゃないの?」
「そのような事…」
「お館さまも負けず嫌いだしね」

ふざけたように言う佐助の台詞にも、元気を出せなかった。

「しかし、お館さまは…」

ある出来事を思い出し、幸村は沈んだ表情になる。佐助も同じ事を思い出したらしく、肩を竦めて苦笑いした。

「今の大将にはまだ無いって事だろ。オレ達の知るお館さまは、もっとずっと歳とってんだから。そりゃ〜もう、オレ達の想像を絶する程経験豊富でしょうよ」
「これから…か…」

益々凹んでしまった幸村に、佐助は深い溜め息を吐いた。


〜続く






現世の恋は、乱出武愛

突然だが。現役大学生のオレ猿飛佐助は、今現在、かの有名な『鼠の国』とやらに来ている。隣にいるのは嬉し恥ずかしオレの彼女……などでは残念ながら無く、非常に不本意であるのだがムサイ男子高校生二人とテーブルを囲んで水分補給をしていた。

「おお〜、良いね良いね! オレああいうの大好きだよ。いっちょ、皆であれ乗らねぇかい?」
「HA! バカ言ってんじゃねぇ。あんな子供騙しのより、あっちの方が面白いに決まってんだろ?」
「え〜、それはマーくんの趣味じゃん。あっちの方が断然面白いって。ね、佐助のお兄さん?」

暢気に言い争う二人の様子に、佐助は本日幾度目かの溜息を吐く。

「……アンタらさ、遊びたいだけなら勝手にあっち行って遊んでてくれる?」

佐助の言葉に政宗は気分を害して眉を顰める。

「AN? 寝惚けた事言ってんじゃねぇよ。たかがATTRACTIONに乗る為だけに、あんな行列に並んでられっか」
「いや、普通は並んで乗るもんだろ」

慶次の突っ込みも政宗は華麗にスルーした。

「ったく、VIPで入りゃああんなモン、並ばずSMOOTHに乗れるってのによぅ。何を好き好んでこの混雑の中並んでんのかねぇ」

肩を竦めて呆れた調子でぼやく政宗の言葉に、佐助も大いに頷いていた。
そう、彼らの視線の先には、長い行列に並んで仲良く会話をしている二人の男…幸村と信玄の姿があった。



発端は、幸村の爆弾発言からだった。

「佐助! お館さまをデートとやらにお誘いするのに成功したぞ!」
「へぇ〜、そりゃおめでとさん。で、何処に誘ったの?」
「鼠の国だ!」
「ふぅん…って…ええっ?!」
「どうした、佐助?」
「え、いや…、どうしたもこうしたも…」

何処から突っ込んで良いものやらと悩みつつ、とりあえずキラキラと目を輝かせて報告している相手に恐々と訊ねてみた。

「あのさ、其処に行くのかはまぁ…百歩譲って良いとして、それって手筈は大将に任せたんだよね?」
「何を言う! 誘ったのはオレの方だぞ。責任を以ってお館さまをご案内致す所存!」

チケットも購入済みだと胸を張って自信満々に言われ、佐助は眩暈を起こしかけた。

「…もしかして、あの行列を大将と一緒に並ぶ気?」
「無論! ム、こうしてはおれぬ! 粗相の無いよう、早速準備を致さねば! うぉおおおお、見ていて下されお館さむぁああ!!!」



幸村の宣言通り、二人は朝早くから一般人と同じく行列に並んで入場し、そして今人気のアトラクションに入る為に長い長い列を並んでいるのだ。……それはとても仲睦まじく。

「あの様子じゃ、心配いらねぇんじゃないか? 楽しそうだよ二人共」

佐助の心を読み取ったかのように、慶次が笑ってそう言いながらペットボトルの水を煽った。

「アンタも相当過保護だよな」

佐助自身自覚はあったが、政宗からバカにしたような口調でそう言われるのは心外だった。シレっとした調子で言い返す。

「右目の旦那よりはマシだと思うよ」
「……」

思わず黙り込んで暫し睨み合う二人の間で、その緊縛した空気に気付かない慶次が暢気に言った。

「しっかしさぁ、ユッキーてば、オレらと居る時と表情が全く違くて当てられちゃうね! やっぱ恋する人間は輝いてるよ」

うんうんと頷く慶次に、政宗が面白く無さそうな表情を浮かべながらわざとらしい溜め息を吐いた。

「オマエは本当にHAPPYな奴だな。どう見たって傍から見たら異様な二人組みだろ、アレは」
「ん〜〜、確かにユッキーが女だったらエンコーだと思われそう、かな?」

何だかんだと言いたい放題の二人の会話に心の中で同意しつつも、佐助は力無く笑いながら注意する。

「あえて否定はしないけどさ。ソレ、旦那が聞いたら烈火の如く怒るから止めてよねー…」

つい老婆心で幸村の後をこっそり付いてきてしまったのだが、純粋に楽しんでいるらしい二人を見て佐助は一先ず落ち着きを取り戻した。

――あ〜あ。嬉しそうに頬赤らめちゃってまあ。見てるコッチが恥ずかしいって〜の。

オレもそんな楽しみを味わいたいなぁと一瞬思い出した気丈な顔を苦笑で打ち消す。誘った所でつれなく振られるのがオチだろうと、判っていても諦めがつかないのか自分はと、今更ながら呆れてしまう。信玄をデートに誘うのを躊躇していた幸村を煽ったのは、他でもない自分であると言うのに。

――オレも旦那を見習うかな。

うーん、と腕を伸ばして首を回すと、ほうっと一息吐いて一人ごちる。

「お館さまも好奇心旺盛だからなぁ。もうほっといても大丈夫そうだし、オレ様は此処で退散するわ」
「あれ? もう帰るのかい?」
「デバガメは終いか?」
「馬に蹴られる前にね」

立ち上がって肩を竦めて苦笑いする佐助に、政宗はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「じゃあテメェらオレに付き合え。これから良い思いさせてやるぜ」
「おっと、何企んでんの?」
「いや、オレは…」
「良いじゃねぇか、折角此処まで来たんだ。手ぶらで帰るなんて勿体ねぇだろ? VIP扱いなんて滅多に味わえねぇだろうオマエらに良い目見せてやるからよ。次の本命とのDATEの参考にでもしろよ」
「へぇ〜! マーくんもたまには良いコト言うね! でも片倉サンはこういう場所って絶対付き合わなさそうだけど、参考になんのかい?」

悪気無くそう言った慶次を政宗が冷たい目で睨む。

「OK、オマエは来なくても良いんだぜ?」
「え、何で? …いてっ!」

天然な反応を返す慶次に、政宗が軽く蹴りを入れる。そして席を立ち上がり、その場で二人の攻防が始まってしまった。

「ふぅ…ヤレヤレ」

結局子守をする羽目になんのね…と肩を竦めて苦笑を浮かべ、チラリと視線を遠くの幸村達に向ける。

――楽しんで来なよ、旦那。



「ほぅ…此処も随分と人が並んでおるな」
「某、何か買って来るでござる! お館さまは何をお召し上がりになられまするか?」
「ん? そうじゃのぅ。ふむ、此処はおぬしに任せるとしよう」
「は! では行って参りまする!」

タタタッと元気よく駆けて行く幸村の後姿を見送った信玄は、タイミング良く空いた席に座ってぼんやりと道行く人々を眺めていた。
周りはほぼ家族やカップルでひしめいていた。学生達の集団や友人同士と思われる人々も多数いたが、自分達のような年の離れた二人組みは見掛けなかった。
それはそうだろう、と信玄は思う。年齢も立場も凡そ交じり合う事の無い存在である。戦国の記憶が無ければ、互いの事など一生知る事もなく終わっていたのだろう。

――こんな風に“待つ”という事など、儂には縁も所縁も無かったのであろうな…。

ふ、と苦笑を浮かべて幸村が向かった列に視線を移すと、丁度購入した大量の食べ物を乗せたトレイを受け取っている姿が目に映った。
可愛らしい店員の娘が幸村に営業以上の笑顔を向けている。彼は黙っていればアイドル顔負けの容姿をしていたので、娘のその反応は素直に頷ける。そして周囲の女性達のことごとくが隣に連れ添う彼氏よりも幸村の方に視線を向け、羨望を持って見詰めていた。

――……。

常識で考えれば、幸村にはあの周囲にいるような綺麗に着飾った女性とこういう場所に訪れるのが似合っているのだ。信玄は記憶を取り戻してからいつも考えていた。彼は、もっと別の人生を歩むべきなのではないのかと。

らしくなく迷う己に自嘲を漏らす。そんな事を口にすれば、相手がどんな顔をするのかは想像に難くない。常識を語った所で彼の気持ちが揺らぐ事はない事は先刻承知の上だ。過去散々己への想いを断ち切らせようと苦慮したがままならず、結局現世にまで引き摺らせてしまったのだから。

――もう、悲しませたくは無いからのぅ…。

トレイを持ってキョロキョロと周囲を見渡す幸村に、片手を上げて居場所を知らせる。信玄の姿を認めた幸村は、これ以上ない程の嬉しそうな幸福そうな笑みを浮かべた。その顔を見る信玄も又胸が温かくなり、自然に笑みを漏らした。

「お待たせ申しました。…このような物で宜しかったのでしょうか?」
「ん? ああ、これは米国でよく見たハンバーガーなる代物じゃな。どれ」

信玄は躊躇無くそれを手に取りパクリと口に頬張った。そして今まで味わった事の無いそれに目を丸くする。幸村は信玄の反応を恐々と見守っていて、その真剣な様子に苦笑を漏らす。

「ど、どうでございましょうか?」
「おお、なかなか美味いものだと思うていたとこじゃ。ほれ、おぬしも冷める前に食わぬか」

ヒョイとポテトを一つ摘んで幸村の口に差し入れる。それだけで幸村の顔は茹蛸のように真っ赤に染まった。

「どうじゃ、美味かろう?」
「は、はい…」

――味など判りませぬ…。

フワフワした気持ちのまま隣に座り、顔を赤らめて大人しく食べ始める幸村の様子を、信玄は楽しげに眺めていた。


〜続く






紅蓮恋歌

時は戦国。
群雄割拠の時代、尾張の織田信長に対し謀反を起こした明智光秀。その男を共に力を合わせて葬った政宗と幸村は、互いに再戦の約束を交わしてその場で別れた。そうして幸村は着いて来てくれた仲間と共に急ぎ馬を走らせ、甲斐へと帰還したのだった。
命を取り留めたとはいえ、決して油断の出来る状況では無かった主君の容態を思い起こして、幸村は逸る気持ちのまま馬を走らせた。

無事を喜び彼らの活躍を称える周囲の者達には一切構わず、廊下を小走りに歩いて先を急ぐ幸村の前に、一人の家臣が道を塞ぐ様に立って待ち構えていた。

「お館さまは…!?」
「ご無事でいらっしゃいます」

直ぐにでも目通りしようとしていた幸村の行く手を阻んだのは、信玄の懐刀である軍師の山本勘助だった。

「勘助殿、其処を通して下され。某はお館さまに一言ご挨拶を…」
「なりませぬ」
「勘助殿…!」

幸村の必死な懇願にも勘助は固い表情を緩めず、右目の鋭い眼光を真っ直ぐ向けたまま厳しい口調で言った。

「お館さまのご容態は落ち着いてあらせられます。されど、そのお姿のまま目通りを許す事敵いませぬ。どうか身を清め、改めてお出ましなされよ」

勘助の言葉に幸村はハッとする。

「……そ、そうでござるな…」

気が急いていた為に、己が甲冑を着たままの汚れた姿である事に今更ながら気付いた。負傷し床に臥したままの信玄の元に僅かな病原菌すら持ち込む訳にはいかないと、そんな簡単な事にも思い当たらぬ程動転していた己を深く反省する。
幸村は直ぐにでも会いたい気を抑え、「では、出直して参りまする」と素直に頭を下げて踵を返した。
傍目から見てもションボリと肩を下げて歩くその後姿を苦笑を浮かべて見送った勘助は、幸村とは反対の方向…信玄の許へ、彼の来訪を伝えに向かって行った。



湯殿へと向かい、甲冑を投げるように脱ぎ捨てて用意された湯に浸かる。あちこちに出来た傷に湯が沁みて思わず顔を顰めるが、あの過酷な戦いで然程深い傷を負っていない己の頑丈さに、正に信玄の教えの賜物であると一人感動に打ち震えた。
……実際には、幸村とて度重なる強敵との戦いにて満身創痍であったのだが、昂ぶった気持ちはその痛みなど些細な事と気に留めていないだけだった。医師に診せれば床に縛り付けられ、佐助に気付かれれば大きな雷が落ちるであろう事は明白である。
だが、幸村は己の状態よりも信玄の容態の事で頭が一杯だった。

「…お館さま…」

深手を負い、倒れて気を失ったままの信玄の姿を見たのが最後だった。勘助は容態も落ち着いたと言っていたが、逸る気持ちはどうにもならない。こんなに近くにいるのに、顔を…姿を一目すら見ていないのだ。どうして不安を抑える事が出来ようか。
信玄に会いたかった。あの力強い瞳で己を見て、不敵に笑い、豪快に吼え、手加減なく拳を交し合いたい。
そしてあの低く胸に染み渡る声で名を呼んで欲しい。

…幸村、と。

「…? …っ!」

バシャッと音を立てて身体を強張らせる。突然訪れた己の身体の変化に、幸村はこれ以上ない程慌てていた。熱が、下半身のあらぬ箇所に集まっていたのだ。

――何と…! オレとした事が。

疲れと、会えぬ想いの深さが塞き止めていた欲を溢れさせ、誤魔化していた現実をまざまざと目の当たりにする。その熱を振り払うように、幸村は慌てて湯から出て冷たい水を被った。


〜続く







願いのその先に

――これは夢であろうか?

縁側で転寝をしていて目覚めた幸村は、現状に気付いた瞬間大声で叫び出しそうになった。が、己の口を慌てて塞いで未然に防げた事を、心底褒めてやりたいと思っていた。
…しかし、どうしてもソレを現実と受け入れるには幸村には困難であったので、何度も自分の頬を引っ張ったり抓ったりしてみたが、頬の痛みばかりが強くなるだけで目覚める気配は皆無であった。

――やはりこれは真の事だという事か。し、しかし…。

そっと手を伸ばして恐る恐るソレに触れようとしたその時。

「ん…」
「!」

小さな唸りを上げて身じろぐ目の前の主君の姿に、幸村の顔が一気に赤くなる。
そう、縁側に座る幸村の膝の上には、彼の主君である信玄の頭が乗っていたのだ。
すやすやと気持ち良さ気に眠る信玄の寝顔は、寵臣である幸村であっても滅多に見る事は叶わない。

…当然である。彼の人はこの日ノ本を司る天下人となったのだから。

起きる気配が無い事にホッと胸を撫で下ろすと、一先ず落ち着いてその寝顔を堪能する。
意外と長い睫や、年齢を感じさせない弾力のある艶やかな肌や唇に吸い込まれそうになる。久し振りに見る愛しい人の寝顔を間近に見て、幸村は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
結局、益々落ち着かなくなってきた幸村は、辺りをキョロキョロと見回して意識を逸らそうとするが、膝にある暖かい体温の存在は誤魔化しようもなく。思わず汗を掻き始めた掌を閉じたり開いたりしていた。

「……何をしておる?」

いつの間にか自分の膝の上でじいっと己を見上げている主君の瞳と視線が重なり、幸村は爆発しそうな程顔を赤くしてワタワタと両手を振った。

「お! おおおおお館さま! お、お目覚めにございまするか?!」
「うむ。久し振りによう眠れたわい」

信玄はムクリと起き上がって首や肩を左右に動かし、カチコチに固まったままの幸村を見てカカカと楽しそうに笑った。

戦国時代は武田が勝利を治め、天下太平の世を迎えていた。『民が笑って暮らせる世の中を』という同じ目標を持つ奥州や越後・三河等とは和睦を固め、他地域に於いても武田の監視下の下、戦乱の傷はほぼ順調に癒されつつあり、皆が豊かな暮らしを送っていた。
それはひとえに信玄の手腕の賜物であると、幸村は主君の素晴らしさを誇らしく思い、改めて惚れ惚れとしていた。
そんな素晴らしい人が一家臣である幸村の膝の上で寝ている暇などある筈が無い、のである。

…本来ならば。



ある日突然予告も無しに上田に現れた主君の姿に、幸村は度肝を抜かれていた。

「ど、どうなされたのですか?」
「うむ。暫く世話になろうと思うてな。何処でも良い、部屋を用意致せるか?」

軽装で供も連れずに一人訪問して来た信玄の意図が判らず、幸村はポカンと口を開けたまま訊ねた。

「へ、部屋…で、ございまするか?」

身動き出来ずに呆然とした表情で己を見詰める幸村の態度に、信玄は少し拗ねたように口を尖らせた。

「なんじゃ、空いてはおらぬのか? なれば他所を探すとするか。そうそう、弾正辺りならば快く泊めてくれるであろう。では海津城へと向かうかのぅ」
「おおお待ち下され! い、今! 直ぐ! さ、才蔵! 部屋の用意を急ぎ伝えてくれ!」

天井に向かって慌てて叫ぶと、カタリと小さな音がして人影が一瞬目の前を通り過ぎた。

「い、今準備させております故、それまでこちらでゆるりと寛いで下さりませ!」

それはもう必死で袖を掴みつつ信玄を引き止める幸村の態度に、信玄は思わず苦笑を浮かべた。


〜続く




















20080217