2009-1

関東ではお正月、松が明けるのは7日なんですって?
私の育った関西では、15日なのですけど。
鏡開きは関東で11日、関西では20日。

ずいぶん違いますね。

『ほな、なにかい、
 私の初仕事、8日やけど、
 今日はみなさま、明けましておめでとうございますやなくて
 今日はみなさま、寒中お見舞い申し上げますって言わなあかんの?
 そんなん、ふんいき悪いやん。」
・・・・などと、友人と電話で話して笑いましたっけ。


なんでかな。
関東の人はせっかち?

そんなわけで、先月、次回のなると君は
松が明けた頃にアップしますって言ったのは
決して決してうそじゃぁござんせん。
(2009年1月17日アップ)


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やっぱ、お正月。


去年、母を亡くして喪中とはいえ、
せっかくの新年、殺風景な元旦じゃ、
母だって嫌だろうと、
こんな翠流生花を飾ったりなんかしました。

しめて630円。

お正月のわりには
渋いですかに。


なるとは赤が好きなので、
南天の実も好きみたいです。





こ・こら、噛むんじゃない!





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ぼくのらいばる

おしょうがつになると
どこからともなく
やってきて

み「うそをつけ。スーパーでわしが買って来たんやろが。」

・・・・みろりちゃんはこまかいことに
すぐつっこみをいれるのだ。



ぼくのらいばる

ぼくのねだんは
いっぽん160円なのに
あいつは
980円。



ぼくのらいばる

ぼくはめんるいが
しごとば

あいつは
うるしぬりの
じゅうばこのなか。



ぼくのらいばる

あいつがぼくにいった

『わりぃけど、君には
 季節感ないやね。』



ぼくのらいばる

たまごが5つもはいってる。。。。。



ぼくのらいばる

み「わたしは、なるとのほうがすきだなあ。
  あいつって、えれえあまいじゃん?
  酒にあわねえよ。」

そうなのだ。

みろりちゃんは
なるとまきを
切らないでそのままかじるのがすき。

あ、これ、オフレコだった?
ん?
みろりちゃん。





でました!

だ〜て〜ま〜きぃ〜!



どれどれ。





伊達巻きがどうしたって?





なんたって、なると巻でしょ。





ぼくは
そんなにひまじゃないの。





み「ほんとに?」






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岡山ミニ旅行



先にも書きましたが、
昨年、年明け早々に母逝去いたしまして
遺品整理などしましたら
いろんな謎がいっぱいでてきまして、
今となっては父も母もこの世にはおらず、尋ねるわけにもいかず
日々頭の中がモヤイ像になっていましたが
何が解決するわけでもないかもしれないけれど
ともかくかすかな軌跡を探してみたくなり
父と母の生まれ故郷、岡山に
行ってみることにしました。

11月半ば、秋深い頃、ちいさな三日間の旅行です。

今まで母に会いに大阪に帰ると、
必ず一日くらいはどしゃ降りの雨に恒例のように降られていた私ですが
今回の旅は、毎日、まあなんと見事な秋晴れに恵まれましたことでしょう!

『ひょっとしたら、かあちゃん、あなたが雨女やったんとちがう?』
などと、車内でひとりごと言って・・・・・
ひとのせいにしたりして。

初日、第二名神をめざしたつもりが
間違って名阪道に乗ってしまうという
方向音痴は相変わらずでしたが
その時の名阪道某所の夕焼けの美しかったこと。

ここは日本?
ていうか、地球なの?
こんなの見たことない。

真っ赤な・・・ 深紅の・・・・?
なんて言ったらいいんだろう?
世界中がまるで静かな炎のようななかに
つつまれて在りました。

赤って色がこんなにもこころ安らぐ色だったなんて
思いもしませんでした。

このときカメラの調子が悪く
シャッターおりず写真は撮れていません。
携帯のがありますが
まったく再現できていないので
載せるのやめときます。

第二名神でもこれ、見れたかな?
道に迷うのもなかなかいいかもしれない。


その夜は京都に住む兄貴のうちに泊めてもらい
少し、お酒などいただきやした。
少しです。


翌日は、父方母方双方のお墓参りに行きました。
今回のメーンエベントです。

何度も何度もバケツに汲んできては
柄杓でさらさらと冷たい水をかけると
この日も素晴らしいお天気の中
水はキラキラ光っておじいちゃんの名前を洗っていきます。

相変わらずお掃除魔の私は、お寺のたわしなんかじゃこころもとなくて
次回は、お気に入りのハイテクスポンジと
洗剤持ち込んで、びかびかにしようと考えていました。
(脚立もいるかな)

スポンジはともかく、洗剤はだめかしら?

お墓には私の知らない名前もあって
でも推測するに、これはきっと若くして亡くなった大叔父様であるらしく
思えばすーっと身近に感じられて
あたたかい気持ちがいっぱいになります。

彼は私というものがここに来て
ごしごし、たわしでこするなんて
考えもしなかっただろうな。


この日の宿泊、岡山の倉敷に近いとあるホテル。
なんとスポーツクラブ隣接でお客は格安で施設使い放題。

そうです、プール付きってことで決めたここ。
もちろん、バタフリャーせめまくりですがな。

われながら、水泳中毒再確認しましただす。



私はずっと大阪出身と言っておりますが
厳密に言うと、違うのです。
生まれたのは岡山県の井原という小さな町で
そこでほんの数ヶ月間を(たぶん半年にも満たない)
過ごしているらしいのです。

母は、或ることで父と離婚しようかと思い迷い、父の元を離れ、
臨月間近であったにもかかわらず
親友を頼って井原に行き、
彼女の家で、私を産みました。

その方も母より少し先に逝ってしまわれた。
母はその報をどんな気持ちで聞いたことやら。
私はといえば、ほとんどお礼らしきこともせず。

だから、これも今回この旅の理由。

井原に行く。





たぶん、このあたりのどこかで私は生まれたらしい。
もう番地も変わってるし、家もないだろうけれど。

・・・・でも、なんだろう。
あんまり感慨なかったですね。
それより、私を産んで大変だったであろう母のことを思ってましたね。

熱をだしたら、この辺の医者に走ってたんだろうとか。


母は、岡山の旧家の出なのですが
遺品の中から大阪の女学校?(だったかな)の通信簿がでてきて
なぜか転入生となっています。

ずっと岡山にいなかったのはなぜ?
旧家のお金持ちのお嬢さんはあんまり転校とかしないんじゃないの?
実家に帰らずに友人の家で私を産んだのはなぜ?
それはおじいちゃんの何かの理由?




これも今回の旅の目的

おとうさん、おかあさん、どんなこども時代?
青春時代は?



岡山市役所の係の人は私が身分証を見せると
丁寧に説明をしてくれました。
ここでは私は祖父母の謄本までしか取れないということ。
ここからは、さらに曾祖父たちの記録が残っているところまでいって
ひとつづつ、探していくしかないこと。

でも大変だけれど、なかなか素敵なことだと。

つとめて事務的な対応をしているようで
実はとてもやさしいひとつひとつの彼女の言葉に
私は自分の気持ちが澄んでいくのがわかりました。

また会えるといいなと思いながら、彼女にさよならを言って
それから車に戻って謄本を広げてみてびっくりしました。

父の出生地は、神戸となっていました。
『え。うそお。。。おれは岡山やっていつも言うてたやん。』

母の出生地は、
『横浜ぁ!? 西戸部ぇ!? オーマイガッ!』

それって、某ピアニストのすぐそばじゃん。

なんかふたりして、
ハイカラじゃん? じゃん?

そして、父と母が出会ったのは大阪。
結婚して岡山に戻り
母は家出して井原に行き
私が生まれてほどなく、またふたりして大阪に来た・・・・の?


なんだ、謎が謎を呼ぶだけじゃん。
もっともっと頭ん中がモヤってしまいましたわい。

みんな、郷里を離れて放浪してるなあ。
父母だけでなく
もちろん、おじいちゃんもおばあちゃんも。





3日目。最終日。なるとの待つうちへ帰る日。





今回、カメラの調整ちゃんとできてなくて
エラーがいっぱい出て、撮った映像がこわれてしまったり
シャッターがおりなかったりで
いい写真があまりありません。

父の育った海辺の町、笠岡もいっぱい撮ったのに
データ破損のためほとんど消えちゃいました。

かろうじて残っていたこの写真は
笠岡の祖母のお家に遊びに行ったとき
帰りに必ず父が車でつれてってくれた古城山公園です。


私と兄は城山(しろやま)と呼んでいて
その頃はもっとワイルドでこんなに整備されてなくて
公園という感じではなかったですね。

かつてここにあった笠岡城は
海に浮かぶ小島に建てられた水城で
村上水軍の前線基地だったそうです。

知ってか知らずか、小山の上で私と兄はチャンバラごっこやってました。

今は大規模な干拓工事が進んでいて
昔の海上の城のイメージは全くありません。

城山をおりて国道を走っていると
見えちゃったのが
カブトガニ博物館の案内表示。

だめ! 行ったら帰りが深夜、いや、朝になる・・・・
と、わかっていても
たった12キロ、近いし・・・・・

行っちゃいました。。。。。



カブトガニ博物館は2000年設立だから
ここじゃあないんでしょうけど
ひょっとしたら記憶違いかもしれないんですけど
こどもの頃、父と一緒にカブトガニを水槽の中で見た覚えがあります。
ここ、笠岡で。
たぶん、城山の帰りか何かだと思うんですが。
そのときのカブトガニのかっこよかったこと!
それ以来、ファンになりました。


血液が医療に使われて私たちの命を救ってくれている彼ら。
エイズをおさえる薬とか・・・・

一年の3分の2を眠って暮らし(冬眠ともいうけれど)

川と海の混じり合う清らかな干潟を好み

二億年以上も同じスタイル。

こんな瞳で見つめられたら
誰だって・・・・・・・

ちょっとつり目の・・・・





朝帰り覚悟、睡眠時間を犠牲にしてまで来てしまったカブトガニ博物館。
いとおしくひとつひとつの水槽をながめていましたら
ひとり、へんなやつがいる!

ひっくりかえったままで
もがいてるのがいる。
じたばたあせってる。

『あ、だいじょうぶかな。起き上がれないんじゃないかしら。
 このままだと、ご飯も食べられなくて弱ってしまう。
 早く知らせなくっちゃ。』

私は、急いで入り口方向にもどって、

「あの、裏返しになってるのがいます。
 あのままじゃ、弱って死んでしまうかもしれないから、
 助け起こしてあげてください。」

と、受付の女性スタッフに言いました。

彼女は、にっこりと笑って、

「心配してくださってありがとうございます。
 そう言ってくださるお客様がたくさんいらっしゃって、
 私たちも大変うれしいです。
 でもね、大丈夫です。
 彼らは移動するときああやって動くのです。
 あれはね、泳いでるんですね。
 カブトガニは背泳ぎするんですよ。」

私は、自分の頬が赤くなるのを感じました。
そのあと、ちょっとうれしくなりました。

『背泳ぎ?  なんだ、ますます私とおともらちじゃないか。』

それから、再びその問題のやつの水槽の前に行って
のぞきこんで言いました。


「ねえ、君さあ、バタフライやってみたくない?」