清水 翠

出身地:大阪市内南部

行ってみたいところ:アイルランド、竜飛岬

好きな食べ物:ビール、串カツ、たこやき、蕎麦、和食全般

音楽って?:光ってるのやら、鈍いの、風みたいの、色とりどりのやらが
      ひとつに集まって時間の流れをつくっていくこと




物心がつく以前から、兄がターンテーブルにのせる
マディ ウォーターズ、ビートルズ、ブリティッシュロック・フォークの流れる家庭に生まれ、
そのなかで、おままごとをして育つ。

高校生のとき、自分で初めて買ったレコードが、ビリーホリデイで
今まで聴いてきた音楽とはかなり違っていて、なんだかよくわからなかったのだけれど、
ふしぎな衝撃を受ける。
このころから、自分 が、歌いたいという気持ちをもつ。

両親を説得して、上京する。
でもなぜ、東京なのか。
これは、いまだに自分でも謎である。

そしてやはり、始まりは、ロックバンドで(これで育ったわけですから)、
全てオリジナル曲で構成されたアルバムを発表し、
クロコダイル、ルイード、バーボンハウスなど、全国のライブハウスを演奏旅行する。

しかしながら、メンバー間の音楽の感覚の違いなどから
結成五年を待たずに 残念ながら、あえなく解散。

・・・・しばらく、途方にくれる・・・・

失意の中、やたら フィジカルに はしる。

バイクの技術を磨くため、多摩川近辺に引っ越して、
暇さえあれば、トライアラーを河原でころがす。
休日になれば、遠出をして、林道を攻めた。(攻められたこともある。バイクごと水没事件等々)
また、クラシックバレエとモダンダンスのクラスに通いつめ、
発表会や、公演の練習に明け暮れる。

よって、毎日が、筋肉痛と打ち身の日々。
清水 翠の腹筋が割れていた唯一の時代。(今は脂肪の彼方)

そんなある日、友人が借してくれた一枚のCD、”Kind of Blue” が 流れを変える。
音に、色と立体を感じた。
圧倒された。
マイルスとコルトレーンのCDを買いあさり、
即興演奏のすばらしさに身体ごと浸りきる。

特に、コルトレーンへの心酔 甚だしく、
彼のアルバム、”BALLAD" を毎日エンドレスでかけ続け、
一緒に歌っていた。
コルトレーンならではの、あの不思議な速いフレーズには
もちろん ついていけなかったけど、
始めと終わりだけ合わせて ダーッと歌っていた。

そのうち、コルトレーンと一緒に歌った、言葉の無い歌と
長年続けてきたダンスとを融合させて
パフォーマンスをやることを思い立つ。


*1993年 横浜のSTスポットに於いて。
” Synchronicity"
 馬場 高望(percussion) 清水 翠(dance、voice)


*1995年 同じく、STスポット

" Cryptograph 〜暗号〜"
 このときは、自分で創ったり、録って来た S.E.で、すべてを演じる。


しかし、今、ふりかえると、じつに尖っていた清水である。


1997年、1st CD ”Remains"を発表。
アルバムデザイン、ミキシング、マスタリングなど、
ほぼ、全てを自身で手がけて 大変苦労したせいか、
今までに 出した3枚のアルバムの中で
もっとも愛着がある。

スイング ジャーナル誌で、ミキシングがほめられる。
こんなに うれしかったのは
行方不明になった猫を探し当てたときに匹敵するかもしれない。(実話)


























未だ自分の道は旅路の果てに霞んであり。日々精進を心がけつつも、愛猫なるととの生活に埋没す。


(つづく)