事件

瀧澤ニャー


 わたしは久美子のことはあんまり好きじゃなかった。多分わたしだけじゃなくって、みんなもそんなに好きじゃなかったんじゃないかなーって気がする。けれどなんか、わたしたちのグループ仕切ってるみたいなとこがあって、もめるといろいろめんどくさいから、はいはい、って感じだった。
 久美子とは二年生の時から同じクラスだった。最初のうちはけっこう音楽の趣味とか話とかあって仲良くしてたんで、そのまま今までなんとなく一緒に過ごしてきた。
 久美子は基本的に仕切ったり、管理したりするのが好きな性格だった。だったら、クラス委員とか生徒会とかになって苦労すればいいのに、わたしたちにケチつけたり命令したりで満足して、そのことで先生の覚えもめでたかった。
 私たちと仲いい男子とかは、ウザい奴だってそれなり分かってたけど。他のクラスの男子とかけっこう可愛い子だと思ってたんじゃないかな。
 けれど、それも確か…修学旅行までだった。
 中三の秋、わたしたちは神戸に修学旅行にきていた。昼間の自由行動は、分厚いガイドブックを片手に持った久美子に引っ張りまわされた。解説つきで。その久美子のご満悦の姿と、私服のセンスの悪さにわたしと親友の真理は後ろで陰口を言っては、笑いをこらえていた。とくに首から下げてる通信販売で買ったらしいラピスラズリのペンダントなんか爆笑ものだった。
 わたしと真理はそのうちこっそりと集団を離れて、前から相談していた、「久美子の観光ルート」にはいっていないお店で買い物して、遊んでホテルに戻った。当然久美子は超怒ってて、「あんたたちのせいでみんなに迷惑がかかるんだから!」とか、ありがちなセリフをわめき散らした。
 さらに先生にひとしきり怒られた後、ディープな気分になりながら(久美子とは部屋一緒だし)部屋に戻ると、久美子がテーブルに向かって何か書いていた。アホの静香とかオタクの川崎とかが面白そうにみてる。二人とも「久美子っていいひとじゃん。」とか言う救いがたい人種だ。他の子たちはいない。さらにディープだ。
「あ、ちょうどよかった。こっち来て座ってよ。」
 久美子が首だけ向けて、わたしたちに言った。
「えーっ、なによ?」
 また説教されるのかと思ってわたしはすっげー嫌な顔をした。つもりだったんだけど、久美子は「ほら、真理も裕子も早く、早く。」と言った。これ以上久美子怒らせてもそれこそ「みんなに迷惑」だと思ってわたしは「はいはい、」と静香のとなりに座った。
 テーブルの上にはワラバンシが広げてあって、ひらがな五十音と、その上にYES、NOという文字が書かれていた。そして全体の真ん中には何だかよくわからない模様が描いてあった。
「久美子ー、これってさー…」
「コックリさんじゃないよ、もっと本格的なやつ。」
 わたしは「てめー小学生じゃないんだからさー」と言いかけてやめた。真理を見ると、「わかる、わかる」という気持ちの電波が伝わってきた。
「じゃ、いくよ。みんなこの上に右手の人差し指をおいて。」
 本格的な割には、ただの五百円玉だった。
「くとるう様、くとるう様、遠き海底の都より、私たちをお導きください。ふんぐるい、むぐなうる、ふたぐん。」
 わたしはいよいよ嫌になってきた。けれど、わたしもなにか、こういうもの、コックリさんとかそういうたぐいのものは、信じてないけどやっぱり恐いんで、指は離せずにいた。コックリさん途中でやめて、鉛筆が目に刺さったりとか、狐がついたりとか、聞くし。
「くとるう様って?」
 真理が聞いた。真理勇気あるぅ。
「海の神様なの。人間が生まれるずーっと前の神々の戦争で負けて海の底に封印されてるの。だからこういう手段でしか、人間と交信できないの。」
 頼むから、マジな顔でそんなこと言わないでほしい。
「さて、くとるう様、今裕子に好きな人はいますか?」
 いきなりわたしのことネタにするか?
「な、なによそれ!?」
 そりゃいるけどさ、二年の時からつきあってる彼氏がさ。噂とか入ってこない久美子とかは知らないだろうけどさ。
「真理、笑うな。」
 吹きだす真理に、わたしは言った。
 本格的なわりに、聞くことといえば、誰が好きだの嫌いだのといった、わたしと真理には分かりきったことばかりだった。
「ねえ、もうやめない?」
 真理がしびれを切らして、言った。久美子は口をとがらした。
「もう少しだから、集中を乱さないでよ。」
「は?」
「くとるう様、私たちの未来をお教えください。」
「だからあ…」
 真理は異を唱えようとしたけれど、久美子は紙の上を滑る五百円玉の軌跡を追うのに必死だった。
「こんなことしてるの先生とかに見つかると、やばいんじゃん。」
 わたしは久美子が文句を言いにくい形で攻めた。
「わかったよ。」
 久美子は不機嫌そうだったけれど、久美子を不機嫌にするのは最近のわたしたちには日常茶飯事だ。
「くとるう様、くとるう様、海の都にお帰りください。いるぐんふ るうなぐむ んぐたふ。」
 けれど、五百円玉はふらふらと、文字の上を行ったり来たりするだけだった。
「あ、帰ってくれない。」
 五百円玉の行く先をそれでも律儀に目で追いながら、感情の抜けきった声で、久美子は呟いた。なにバカなこと言ってんの、とは思っても、恐くて指を離すことはできなかった。でも、真理は違った。
「いい加減にしろよな!」
 真理はあいている左手でテーブルをひっくり返した。どっちかというと、私の座っている方にテーブルが転がってきて、太股におもいっきりぶつかった。
「痛っ!」
 いくら何でもと思って、真理の方を睨むと、真理は腕をお腹に抱き込んでかがみ込んでいた。
「痛いーっ!」
 久美子達はそれを見るでもなく、ぼんやりしりもちをついていた。
「真理、だいじょぶ?」
「痛い。指が。」
「見して。」
 見ると、真理の右手の人差し指―五百円玉の上にあった指の第二関節から先がきれいに切れ失せて、血がだらだらと流れ出ていた。
「ゆ、指、指さがしてよ!」

 そのあと、先生やクラスの人を加えての大騒ぎになった。けれど、真理の指はついに見つからなかった。
 そして、この騒ぎのさなかに、久美子は宿を抜け出し、行方不明になった。
 しばらくは、久美子が海岸の方に歩いていくのを見たとか、久美子と一緒に、なんだかぎょろりとした目の人がいたとか、いろいろの噂があった。
 けれど、そのうちに、わたしもみんなも久美子のことを忘れた。