博士と助手の会話(2001年1月現在)

助手(桜上水鮪子/メガネっ娘):RPGってなんですか?(笑)

博士(瀧澤仁哉/オタク):むう、このコーナーで言うRPGとは所謂テーブルトークRPGを指しておる。そうじゃない場合もあるけど。

助手:テーブルトークRPGって何ですか(笑)

博士:んー、数人のひ弱な男子が集まって(男子でない場合もあります 注♂)、それぞれが架空世界のキャラクターを演じながら、物語を構築する遊び。

助手:うわー、危険な感じがしますね。

博士:むう。まあ、集まった男子のうち(男子でない場合もあります)一人が「ゲームマスター」という、物語の進行役になり、他の人は「プレイヤー」として一人一体のキャラクターを受け持つのが一般的なスタイルかな。

助手:「じゃあオレはレイちゃんね」「ボクはアスカ」とかそんな感じ?

博士:……まあ。でもほとんどのRPGは、自分でキャラクターを作るところから始める。ドラクエみたいなファンタジー世界を舞台にしたRPGを例にとって説明すると、プレイヤーはその世界に住む「戦士」や「盗賊」「魔法使い」という役割を持ったキャラクターを作るんだ。

助手:そのキャラクターを「演じる」わけ。

博士:まあ。架空世界の中でのキャラクターの行動などは、すべてマスターとプレイヤーたちの会話で進行する。そして、モンスターとの戦闘とか、「結果はどうなるか分からない」出来事は、その世界の「ルール」に従って、サイコロを振って解決するんだ。

助手:サイコロの勝負で勝てば、モンスターを倒せるわけ?

博士:簡単に言えばそう。ここでキャラクターの「役割」が関係してくる。例えば「戦士」は敵を殴り殺すことは得意だけど、「盗賊」はあまり得意じゃない。「ルール」ではサイコロの勝負で「戦士」のが「盗賊」より(敵を殺す場面では)有利である、って決めてあるんだ。逆に「盗賊」は偵察をしたり、鍵を開けたりといった場面では、「戦士」よりもずっと優秀なんだ。キャラクターは人ができることならおおよそ「試みる」ことができる(時にはそれ以上のことも。魔法使いの「魔法」とか)けど、それが成功するかどうかは「ルール」にしたがって、サイコロを振って判定するんだ。

助手:そういうことはデジタルで(プレステとかで)やったほうが早いのでわ。

博士:うむ、その通り。でも、TRPGのいいところは、「自分たちだけの」オリジナルの物語が作られるということ。コンピューターRPGなどより(今のところ)選択肢は広いので、様々な発想で困難を解決できる(可能性がある)こと。そして、人同志のコミュニケーションで、物語が膨らみ、愉快さが増すこと。

助手:うーん。そんなにいいなら、何でみんなやらないわけ?

博士:第一の弱点は「すごくオタクっぽい遊びである」ということ。

助手:(笑)

博士:それと、コンピューターRPGはプロの物語の作り手が創る作品であるのに対し、TRPGの物語は素人のマスターによって提供されるものである点。TRPGは「想像力の遊びだ」なんて誉める人がいるけど、逆に言えば、マスターとプレイヤーの「貧弱な想像力」の内側の物語でしかないということ。

助手:うーん。まあ、素人じゃあねえ。

博士:でもそこで、「プロの」RPGの作り手が「プロレベルの」シナリオやワールドを提供して補えばいい、はずなんだ。でも、今はそうなってなくって、基本ルールが出て、それでおしまい。あとはマスターが一から適当に作ってください、ってな感じ。(注)

助手:?? 何で?

博士:なんか他のとこで書いたような気もするけど、オタクのそれもほんの一部のみが購買層では商売にならないから。追加ルールやシナリオは、基本ルールよりは少ない数しか売れないので。基本ルールだけがかろうじて商売になるってことでしょ。

助手:ダメじゃん。

博士:ダメだよ。別に解決策はないもん。あと、時間と場所、そして一緒に遊んでくれる「友達」を複数要求されるところとかもダメだね。

助手:(苦笑)

博士:他にもある。成功したTRPGはプレイヤー間では大変愉快で充実した遊びなんだけど、残念ながらその仲間内以外ではその体験は共有性をもたないんだ。つまり、今週の「おジャ魔女どれみ#」を観たということではいろんな人たちとその話題で盛り上がれるけれど、TRPGはそうした機能をもたない全く閉じた体験でしかないんだ。いくら自分たちのプレイが楽しかったことを力説してもそれは膨大な説明を要する(それゆえに聞く方は面白くも何ともない)個別的体験だから、非常に伝わりにくいでしょう。そんな「閉じた体験」に忙しい人々は投資できるのか? っていうこと。(注♪)

助手:うーん。ダメですねえ。

博士:うん。ダメなんだ。コミュニケーションと共有性を満たす(かのような)ネットゲーム(注∂)や、人数や場所を要求せず、簡潔でゲームとしては完成されたTCGに人が流れるのもむべなるかなって感じ。(注#)

助手:じゃあ何で博士はTRPGにこだわるの? パソコンがヘボで「エヴァークエスト」が動かないから? 家に電話線を引いてないから? 論理的思考が著しく弱いので「マジック:ザ・ギャザリング」で勝てないから?

博士:さあ、なんでかなー?

助手:何でですかねー。前世の因縁ですかねー。

博士:ネットゲームやTCGと比べて、女の子のプレイヤーが多いような気がするからかなー。

助手:ギャフン


注♂:女性の構成比率は決して多くはないはずですが(統計的資料は皆無なのですべて憶測)、コミケ等では、女性のプレイヤー、女性のみでやってるサークルなどもみかけますし、女性のみでRPGを遊ぶイベントなんかも(わずかながら)あるようです。先日もイエローサブマリン新宿店で買い物をする女の子集団に遭遇。みんなわし好み♪

注煤Fずっと前に「オフィシャルワールドは必要か?」という話題がありましたが、今頃回答が出ました。別にマスターが創ってもいいけど「これがプロのワールドじゃあ!」というようなものは必要。才能のある(注ゞ)のマスターならともかく、「分かりやすい形で」素材がないとだめだし。また、だめなマスターが既製のワールドとシナリオでややましになるということ。つまり、だめなマスターがだめな世界を作るより、だめなマスターが「オフィシャルでは、オフィシャルでは」と言ってた方が実はましなのでは、ということ(注〒)。もちろん、やる気のマスターは自分のものを、どんどん作ればいいのである(実は他者との共有性は下がるが)。

注ゞ:「映画や小説から刺激を受けて自作のワールドやシナリオに反映させること」も「才能」に含んでます。この「才能」もないようなバカチンはマスターやるな、とか言わないように。

注〒:そういう意味では、清松みゆきはだめなマスターのだめな質問に答え続ける義務がある。「ケイオスランドワールドガイド」も出す義務がある。

注♪:我々は個々の自分の娯楽のための行為、体験を「ただ純粋に自分が楽しむ」だけではなく、「他者とのコミュニケーションに利用する」意図を持って行っているという前提でこう言ってます。我々は「ただ面白いから」ドラマを見るのではなく、「明日会社で話題にするから見る」という側面を持っています。特に知識や情報を披瀝する傾向の強いオタクにおいては、「コミュニケーションに利用する」側面は強いのではないでしょうか(「ラブひな」が面白くて買ってるのか、「ラブひな」の話題についていくために買っているのかよくわからない、とか、「ドラクエ、どこまで進んでる?」とか)。また、その他にも一見ただの娯楽と思える行為は、自分を「こういう人間である」と演出する(自分はカラオケではラルクやラクリマを歌いこなす人である)、機能もありますが、この面もRPGは皆無といってよい。純粋な娯楽に近いのはオナニーとかかしら?(注∀)

注∀:自分一人が楽しむために行い、共有性は限りなく低いから。テーブルトークRPGは一種の集団オナニーと言えなくもない。

注∂:インターネットを介して多くの人間が参加するコンピューターゲーム。「ウルティマオンライン」「ディアブロ」「ファンタシースターオンライン」など。「蓬莱学園」「クレギオン」などの郵便を介したメイル・ネット・ゲームを指してはいません。

注#:そういう意味では、流行りもののアニメとかとタイアップしたRPG(「おジャ魔女どれみ#RPG」「デジ・キャラットRPG」とか)でもいいのかと安易に思ったりするけど、だめなんだよね。一連の「MAGIUS」、「エヴァンゲリオンRPG」、「CLAMP学園RPG」…。まあ、「エヴァならなんでも買う人」が買うけど…。

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