フジタクさんの自己紹介

 あのニコンF様がお生まれになられた昭和34年、私は時を同じくしてこの世に誕生しました。これも、きっとニコン様のおぼし召しだったのでしょう。 幼少の頃から写真を撮るのが大好きでした。しかし、そのころ父から与えられたカメラは、残念ながらニコン様ではありませんでした。ニコン様は私にとって「雲の上の存在」。きっと私の父にとっても同様であったでしょう。ひたすら父から与えられたカメラで写真を撮っていたのでした。

 ところが、忘れもしない小学校6年のある日。私の友人は、なんとF2フォトミック様を親に買ってもらっているではありませんか。一方このころの私はといえば、F2様はおろかニコマートFTn様すら手にすることもできていませんでした。まあ、仮にニコマートFTn様と50mmF1.4の標準レンズを買えたとしても、その後ニッコールレンズ様にお布施を続けていけるだけの財力は、とてもありませんでしたが。

 高校に入り、ニコン様にお布施をするためのアルバイトを始めました。ようやくFT2様をお迎えできる、というときに、観音様よりAE−1という邪念が発表されたのです。安価なお布施でAE撮影ができるだけでなく、パワーワインダまでも装着できる「連写一眼」というキャッチフレーズに、当時のカメラ小僧の心をくすぐられ、愚かにも心の迷いからAE−1に貢いでしまいました。

 その後もニコン様に対する信仰心は、途切れることなく抱いておりました。社会人になって、ニコン様にお布施できる金銭的な余裕ができてき、ようやくF4様を我が家にお迎えすることができました。しかしながら何か満足感が違う。なぜだろう。それは、小学校6年の頃のF2様に対するあこがれが、私の心の中で脈々と生き続けていたからでした。霊験あらたかなニコンF2様を我が家にお迎えしたい。何件もの中古カメラ屋を行脚し、やっとのことでお迎えできたF2A様は、やはり偉大でした。

 その偉大さを知った以上、F様もお迎えするのも当然の成り行きと申せましょう。それも、私と同い年のニコン様をお迎えしなければと、足を棒にして極初期のニコンF様をお迎えするに至りました。ここまでそろえ出すと、F3様、F5様もお迎えするのは当然のこと。しだいに、よろずのニコン様が我が家のお社(防湿庫)にお集まりになられるようになりました。今年になってから、さらに新たなお社までも建立いたしました。ニコン様に対する信仰心は、これからも永遠に抱き続けてまいります。

 このようなフジタクですが、どうぞよろしくお願いします。



「鵜殿の葭焼き」
(C)フジタク

ニコンF5
AF−I NIKKOR300mmf2.8
RVP

場所:大阪府高槻市鵜殿

 

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