拙者フルタニアンと申す者でござる。 1971年8月6日生まれの原爆ボーイ(爆)。出身は広島……ではなく、愛知県でござるが、今は茨城県でカメラを振り回す毎日でござる。 拙者が正式にニコン様をお迎えいたしたのは、ちょうど今日(98/12/8)から9ヶ月前のことでござる。しかし、拙者とニコン様との初めての出会いは、遠い昔にさかのぼるのでござる。 あれは確か拙者が小学生の夏休みのころ…… ……ある日、祖父が伊吹山に登山に連れていってくれた。しかし、軟弱者の私は山の険しさに負け、頂上を目の前にしてへたり込んでしまった。 「もう歩けないよぉ」。 泣き言をいう私に、祖父はなにやらザックの中から黒いものを取り出した。 「これ覗いてみんかね?(名古屋弁)」 それはかなり大型の双眼鏡だった。興味をひかれた私は、思わず疲れも忘れて覗き込んだ、すると…… 「すっ! すげーよ、おじーちゃん、すげー良く見える!(三河弁)」思わず、そう叫んでいた。 そこには、はっきりと、くっきりと、遠景が手に取るように広がっていたのだ。 「よく見える? ははは、そりゃ当たり前だがね。なにしろ、この双眼鏡は日本光学といってレンズを作らせたら世界一の会社が作ったんだに。はっはっは」 「そーなんだ、日本光学って世界一なんだ!」 「そりゃそうだがね、ここに日本光学と書いて……おっ、今はニコンという名前にかわったんだわ。日本光学は今はニコン、レンズはニコンだわ!」 「そうかぁ、レンズはニコンなんだ!」 その双眼鏡を覗いてすっかり元気を取り戻した単純な私は、無事伊吹山の頂上まで到達することができた。改めて頂上で双眼鏡で覗いたときの素晴らしい景色は、今でも私の心に焼き付いている…………のでござる。 今考えると、私とニコン様のカメラとの出会いは、あの時にすでに運命づけられていた気がするでござる。 そういえば、カメラを購入いたす時も、まったく迷うことなく、ニコン様のカメラに導かれるようにしてFM2に決めた気がいたす。待てよ、あの時「NewFM2様+Ai50mmF1.4様」をお迎えするハズだったのに、気付くと「NewFM2/T様+Ai50mmF1.2様」をお迎えしていたのも、きっと、ニコン様にお導きに違いないでござる(笑)。 ちなみにその素晴らしい祖父は、いまだ健在でござる。先日、帰省したときに、「遠いところを良く来たがね。せっかくだから記念写真を撮らにゃあ」。そういう、祖父の手にはやはりニコン様が握られていたでござる。 レンズを作らせたら世界一のニコン様バンザイ! |
|
|
「芽吹き」 NikonNewFM2/T |
「鳥居」 NikonNewFM2/T |