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191. 自らの伝言 20150201

 水道水をコップに汲みテーブルの上に置く。そして水に向かって毎日綺麗な言葉を掛ける。

「ありがとう」

 一ヶ月を経過する頃にはコップのガラスには蒸発して残されたカルシウムが白くこびり付き、水は濁りボウフラが沸いている。少し開けておいた窓から入ってきた野良猫がコップを倒してしまい濡れてしまった床の湿気はなかなか抜けず黴と苔と茸が生え始める。

「いつもありがとう」

 いつまでたっても濡れたままの床板がついには腐り始め、部屋の真ん中に大きな凹みができテーブルが吸い込まれていく。壁際の箪笥は部屋の中心に向かって傾き、部屋中に蜘蛛が巣を張り、壁には蔦が這い、窓ガラスには拭ってもとれない汚れがこびりつく。

「ほんとうにありがとう」

 薄暗くなった部屋の天井に大勢の蝙蝠がぶら下がり外が日暮れるのを待っている。空が暗いオレンジ色になる頃、蝙蝠は一斉に部屋を飛び出し、それを餌として狙っている肉食獣が庭先を彷徨き、猟友会の人達がライフルを肩に担ぎ庭を徘徊している。

「心の底から感謝します」

 射殺された月の輪熊の躯は放置されハイエナが群がる。ハイエナが去った後は狸、狐の順に訪れ更には昆虫が群がる。熊が白い骨となった頃回りには鳥が運んできた南の島の種が芽吹き、酔漢が折って持ってきた桜の枝が根付きだす。

「君が此処に居てくれることに」

 そして百年が過ぎ、部屋が大きな森林の一部となった今でも、君は/私は水に向かって感謝の言葉を囁き続ける。


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