森紀のおやじと道祖神祭

 野沢の道祖神祭りは「一度見ない馬鹿、二度見る馬鹿」と云われた奇祭で、江戸中期から盛大に行われて来たと云われています。 爾来、星霜を重ねること百八十年。時は移り人は変われども祭りの伝統は守られて来ました。 村人が何より大切にしてきたものは、信仰に裏付けられた「祭りの心」です。
 その規模の壮大さと伝承を崩さない民族的価値により国の無形民俗文化財に指定され日本の「三大火祭り」とも云われています。


 森紀のおやじがこの祭りに深く関わったのは四十二歳の厄年の時で、道祖神祭りの終わった三月に当時の社殿棟梁であった坂井さんが急逝し、その翌年から社殿棟梁として社殿の建設の指揮を執ることになりました。

 図面も何もない位置からのスタートでしたが、ただ一つの救いは前の年の見習いで坂井棟梁に教わりながら一生懸命、社殿組を勉強出来たことでした。金物は一切使わず、すべてが荒縄縛りで、筋交いもないため、社殿を組みながら崩れてしまうのではないかと不安でたまりませんでした。
 何しろ一年に一度しか建てないので、四方から燃えてクライマックスには社殿の棚が落ちるような社殿造り目指して試行錯誤の繰り返しでした。
 雪の降る中、冷たくて、切なくて、腹から絞り出すような声で歌う坂井棟梁の道祖神唄や胴突き唄を思い出しながら六年程棟梁を続け技術の修行を積みました。

 昭和六十年に道祖神保存会を立ち上げ初代の顧問に就任して後継者に引き継ぎ、以降この祭りの総元締めである野沢組惣代の協議員として現在も関わっております。
 平成六年に国の文化財に指定の調査の際、担当官だった神野氏とも出会い貴重なお話を聞くことが出来、地方の文化伝承の尊さを知りました。

 くしくも、1998年長野パラリンピックの聖火台として野沢の道祖神祭りの社殿が指名され、村外不出だった社殿を長野エムウエーブにすることになり、時の副惣代として指揮を執る光栄に預かりました。

 機会が有りましたら道祖神祭りの話を肴にお酒を飲みましょう。おいしい地酒もありますよ。

道祖神火祭りを訪れた指揮者の小澤征爾さんと

道祖神火祭りについての詳しい情報は、「地縁法人 野沢組」のHPをごらんください。