社民党の明日をぼくたちの手で

新しい政治文化を創造するために

若手党員と支持者の座談会


社民党との出会い、そしていま

 野崎哲(司会)  九六年一〇月の総選挙で壊滅的な打撃をうけて、非常に厳しい状況にある社会民 主党が、新しい時代に生き残って、それなりの役割を果たしていくためには、この 党が若い人にとってどれだけ魅力ある党になれるのかがカギだと思います。今日は 若い世代に集まってもらって、社民党の現状と展望について、ざっくばらんに話し あってみたいと考えています。
 
まず、社民党あるいは社会党とどのように関わってきたのか、それから現在の状況 をどう感じているか、そのへんからお願いします。

 中川直人 ぼくは学生の頃に社会党に入りました。すでに学生運動の時代は終わっていました が、自分なりの思いがあって、勉強の一つみたいな感覚で当時の総支部に電話をし たんです。それからずっと社青同の運動の中であまり違和感なくやってきました。
 
いま、何より気になっているのは、これからの社会や経済システムを解明する拠り 所となる理論が希薄になっているということ。党としての「宣言」とか「ビ ジョン」はいっぱい出ます。でも、完成するまでの議論にエネルギーを費やしてし まって、実現に向けた具体的な行動には結びつかない。それを繰り返しているよう な気がします。新しい理論を再構築するためには、いままでのような作業では済ま されないだろうなと思っています。

 植田至紀 ぼくがかつての社会党の書記局に入ったのは、九一年の四月。当時は衆・参あわ せて二〇〇議席を超える昇り調子の時で、若い人を採用しようということで職員の 公募があったんです。政治には関心があって、学生時代も人権問題のサークルを通 して運動には関わってきましたから、いまの仕事は自分がこだわってきたことの延 長線上にあるということで充足感はあります。
 
とはいえ、党のいまの状況は「ダメになったな」というのが正直な感想です。何が ダメかというと、国民一人ひとりが抱えている個別・具体的な課題に対するアプ ローチが薄まってきたのではないかなと。そういうことへの積み重ねがないため に、政界全体がドラスチックに動いた時に対応できなくなったのかと思います。

 安池剛 ぼくは旅行会社のサラリーマンだったんです。お客さんに社会党の議員 秘書をされてる方がいて、会社を辞めることになった時に、手伝わないかという話 になって、ある議員の私設秘書になったんです。だから、ぼくの場合ははじめに政 党ありきじゃなくて、はじめに人ありきです。ちょうど参議院選挙で大躍進をした 八九年でしたが、あの時の社会党にはぼくのように政治のことは全く知らない普通 の働く一市民の感覚を受け入れるところがあったということだと思うんです。
 
はっきり言ってここまでくると、もう一回最盛期のような状態に戻るのはかなり困 難でしょう。けれども、いまの自民党とそれ以外の勢力という二大政党制的な状況 の中で、民主党のようなものも出てきてはいる。しかし、あれは先の長いものじゃ ないと思っていますから、社会党的・社民党的なものが求められる時代が、必ずま たくると信じているんです。その時のために、いま何をしなければならないかを考 えていけたらと思っています。

 野崎 ぼくの場合、学生時代にチェルノブイリの原発事故なんかがあって、原子力とか核 兵器の存在に強い危機感を抱くようになったのです。それで原水禁運動に関わるよ うになった。こうした運動を最も一生懸命やっていた政党が当時の社会党だったわ けです。そんなことがきっかけで社会党に入りました。
 
ぼくは、いまの状況を非常に厳しく受け止めています。この党はもうダメかもしれ ない、そんな覚悟もしています。ただ、これはいまの社民党の組織を具体的に構成 している人だけの問題ではなくて、これまで社会党・社民党に期待し支持してくれ てきた人たちへの責任ということもありますから、簡単にあきらめるわけにもいき ません。少なくとも、これまで社会党が果たしてきた役割を果たすような集まり は、これからも必要とされるはずだと思いますから、その役割を私たちの社民党が 果たせればいいなと思っています。


若い目から見た社民党

 白鳥麗子 私が政治に興味を持ち始めたのは中学生の時です。消費税導入の是非で日本中が大 騒ぎになり、当時の土井たか子委員長が「社会党は消費税に絶対反対です」と言っ ていたのがすごくインパクトがあったんです。私も選挙権があったら社会党に入れ ると思った。昨年の統一地方選挙の時にある市議会議員の選挙運動のお手伝いをし たことがきっかけで、実際に社民党と関わることができて、いまは非常に満足して います。
 
私は個人的には社会民主党に党名を変更したことで、党のイメージはよくなったと 思うんです。社会党というと社会主義をめざす人の集まりで、それ以外の人にとっ ては遠い存在という印象になってしまうけれど、社会民主党となると柔らかくっ て、もっとたくさんの人に門戸を開いているイメージになったのではないでしょう か。

 小浜田亜希子 私は政治には興味がなかったのですが、大学の先輩が社民党でアルバイトをしてい て、そのつてで今回の衆議院選挙でウグイス嬢のアルバイトをさせていただきまし た。私の家族はずっと社会党を応援してきましたが、それで社民党なら応援しても いいなと。
 
いまの新進党も民主党ももとをたどってみると自民党の人が多いですが、でもいま 社民党をやっている人は、ずっと一本でやって来たわけだし、このままぜひ生き 残ってほしいと思っています。

 野崎 こうやって聞いてみると、十何年やってきた人と、関わって半年に満たない人で は、党に対するイメージにもかなりギャップがありますね。

 植田 こういった二〇代前半の若い人にとって社民党が希望に満ちあふれた党かという と、自信がないですよね。実際の社民党がどういう実態なのか真剣に考えた時に、 「ダメになった」ということを直視すべきだと思います。


失われた「社会党的なもの」

 野崎 具体的にどんなところがダメになったんでしょうか。

 植田 社民党がこれまで支持されてきたのは、自民党支持にはどうしてもなれない人の思 いを吸収してきたからで、それがよくいう「社会党的なもの」なんじゃないかと思 います。ではその思いを果たして党が受け止めてきたのかというと、受け止めてき たら今頃土井内閣ができているはずですから、何かが欠落していたんでしょうね。

 中川 党の資料を読むと「弱者」という言葉がよく出てきますよね。そういう立場にあ る人の要求や願いを、目にみえるような形で具体的な政策に反映する機会に鈍感に なったということじゃないかな。一番わかりやすいのは消費税の問題。あんなに反 対だと言っていたのに、いまでは容認する側に回っている。選挙ではそれを説明し ろとずいぶん言われました。社民党は弱者の味方のはずなのにどういう整合性があ るんだと……。
 
現実の政治は生き物だから、時と場合によって変化するということはあるにせよ、 社会党時代に一貫していたスタンスを長い時間の中でどれだけ大事にし続けてきた のか、またこれから大事にしていくのかということは問われていると思います。

 植田 五五年体制の頃の社会党の国会議員の構成をみると、労働運動の指導者や農民運 動の指導者がいたし、中小企業の経営者のようなちょっとした小金持ちもいた。ま た学者や文化人もいて、いろんな幅広い分野から議員が出ていたんです。要するに 多種多様で、各層のなかなかしんどいなという人の思いを、議会の場で反映しよう という情熱があった。
 
それが六〇年代後半から現在にかけて大きく変わってしまった。今回でこそ幾人か 市民運動をやっている人も出ていますが、参議院の比例区なんかはっきり言って労 働組合の偉いさんがそのまま国会議員になるというのがほとんどですよね。そんな 変遷の過程で、社会的弱者の立場に立つといっても、その弱者の層が限定されてき たのではないか。いまや労働組合に加入しているということ自体が、実際の労働者 の中では恵まれた層であるという状況の中で、本当のマイノリティーに目が向かな くなってきたということもあるんじゃないかな。


市民のための社民党へ

 白鳥 確かに最近は私なんかの目から見ても、労組のための党になっていたように見えま した。社会党は「働く者のための党」ということを掲げていたはずなのに、一部の 労働組合のための利益団体になっていた部分もあったかもしれません。私のように 働いていない者にとっては、なおさら遠い存在になっていたところがあります。
 
今度、土井さんが「市民との絆」というスローガンを掲げて市民運動をやっている 人を引き入れてきて、やっと私たち一般市民にも開かれた党になったんだなと感じ たんです。むしろ、社民党はこれから始まるんじゃないでしょうか。

 野崎 先ほどの党名変更についての意見もそうだけど、こうした白鳥さんのような見方は 非常に新しいセンスだと思うんです。でも、そもそもそう考えてくれるのは、若い 人の中でもごく少数ですよね?

 小浜田 そもそも党名が変わったことも、みんなあまり知らないですよね。

 野崎 普通の友達に社民党で働いていると言って、いい反応が返ってきたことないです よ。

 白鳥でも、自民党の議員は何億円という政治献金を受け取り、汚職議員もいる。たぶん 社民党には汚職議員はいないですよね。だから信用ができるという気がします。

 野崎そうなんです。にもかかわらず、「まだあるの?」くらいのイメージしかないのは 悲しいですね。そんなにひどくないじゃない、もう少しよく見てよ、という気持ち はありますね。

やっぱり、労働組合と一体のようなイメージが悪いのでしょうか。

 植田 労働組合は労働組合としての固有の要求があるわけで、それはそれでいいんです。 でもそれ以外の人たちの要求というのもあるわけでしょう。そういういろんな話 を、同じ目線で受け止めないといけないと思うんです。そこがどうだったかという と、大きい労働組合がねじ込んできたときの対応と、非常に小さい、例えば在日外 国人の団体が指紋押捺問題できたときの対応では、やはり違ったと思うんです。決 してそうでない場合もあっただろうけど、そのことを検証・反省する必要があるん じゃないかな。つまり、労働組合以外の市民と語る回線がなかったという状況を考 え直してみなければならないと思うんです。

 野崎 いまの状況は、その労働組合から見捨てられちゃって、仕方がないから市民と手を 結ぼうというところがあるんじゃないですか。その市民とはいま植田さんが言った ように十分な回路がなかった。そこにいきなり絆をつくろうといっても、すぐには できません。

 植田 労働運動なり平和運動なりに各層の思いがある程度凝縮されてきた時代もあったん だけれども、最近はそれに代わるような広汎な運動が失われつつあります。
 
じゃあ、市民とつながり合う新しい運動をどう創るかという時に出てくるのは、い ままでやってきたものを残しつつ、新しい血を入れようという発想です。でも、そ れでは絶対にできないと思います。とりあえずいままでやってきたことを白紙にす るくらいの勇気を持って、ひょっとしたらいまのぼくたちの頭では理解できないよ うな各層の思いがあり、市民の動きがあるんだということを色眼鏡をはずして見な いと、新しい運動は生まれてこないと思います。


党をダメにした二つの体質

植田 その時代時代を象徴する広汎な思いを抱え込むことができなくなった体質を、長い 間に党はつくってきたんじゃないでしょうか。具体的に言うと二点あると思うんで す。一つは社会党はずっと社会主義−−最近では社会民主主義という言い方をして いますが――を標榜する党として、やってきた。けれども、その前に、民主主義と いうことを本当に真剣に考えてきたんでしょうか。社会主義を名乗ることが、民主 主義よりもランクが上なんだという意識はなかっただろうか。民主主義の理念とシ ステムを、きっちりと社会党がふまえて行動してきたのだろうかと思います。
 
二つ目に体質をはっきりと示したのは、鳩山さんの新党旗揚げの際の党内の反応で した。彼が「この人はこれから私たちが創ろうとしている党に来てもらったら困り ます」と堂々とテレビで発言した際に、党の中では排除の論理はけしからん、とい う大合唱になりました。でも考えが全然違う人が、一緒になって新しい党を創れる はずがないのは当り前じゃないですか。なのになぜか、みんなでオロオロしちゃ う。
 
なぜかと言うと、排除の論理は社会党の中にもあったからです。鳩山さんは公然と 言っただけすっきりしている。これは事務局に勤めているとわかりますが、たとえ ばある日の夕方になると、なんとなくおじさんたちが抜けていく。どうも何かあ るんじゃないか、と思ってると、なにやら内々に打ち合わせなんかをしていて… …。気がつくと、そんなとこで方向性が決まっていたりする。みんなで議論すれば いいのにと思うんですね。
 
要するに排除の論理を表に出さないで、口に出して言うか言わないかだけの差だっ たのです。それでなんとなくカヤの外にいる人たちができるわけです。とすると、 だれだって仲間はずれにされたくないから、どこかの閥に身を寄せる。閥も閥同士 で仲間はずれになりたくないから主流になりたがる。みんなが平場で議論すること から逃れてきた党の体質というものがあると思います。民主主義を真剣に考えるの であれば、そういう構造自体を変えていかなきゃと思うんです。

 小浜田 外から見ていると全然わからないことですね。

 野崎 例えば、ここにいる中川さんと安池さんだってもともとグループが違って、政 治的には足を引っ張り合うような関係にあったんですよ。それが、こういうふうに 同じ場所でにこやかに話ができるようになったというのは、実は比較的最近のこと なんです。次第に古いしがらみが緩んできて、若い人で集まって何かできるんじゃ ないか、という雰囲気ができたところで、全体がガタガタッときてしまったんです よね。

 安池 そうなんです。ただでさえ若者が少ない中で、昔は社青同、全青連、青年フォー ラムが三分割されて、それぞれがそれぞれの運動を行なっていた。それじゃダメで す。だから、いまやっと当たり前に近づいて、一からスタートするところなんだと 思うんです。


連立政権の功と罪

 野崎 党が「ダメになる」方向にいったのは、やはり自民党と連立政権を組んだ時から でしょうか。

 小浜田 自社さきがけの連立政権になって、その時に消費税の問題で一気にイメージダ ウンしたという人は多いですけど、私は政権を取ったら仕方がないんじゃないかと 思います。

 安池 ぼくはそうは思わない。掲げた信念を貫き通していたら、国民はもっと理解して くれたと思いますよ。
 
もっと引っ張れないのかと、非常に歯がゆい思いでいました。例えば、森井(忠 良)厚生大臣の時代に薬害エイズの問題が出ましたけど、政権を離れる覚悟でやっ ていたら、もっとできたと思うんです。実際に、連立を組んでいたさきがけの大臣 はやったわけですから。HIV問題は若者が一緒になって世論を盛り上げましたか ら、ああいう時に社会党の大臣が、いままで自民党ではやらなかったことをやって いたら、若い人の見る目も違ったと思うんですよ。
 
政権に入ったんだから仕方ないと思うのは政治をかじった人であって、普通の人 は、中に入ったんだから中からどうにかしていけばいいじゃないかと考えますよ。 期待していたのにがっかりしたという人は多いです。

 植田 けれども村山政権の時に、数は多くないけど、社会党が政権を取っていたからこ そできたということもいくつかありますよね。一つは「被爆者援護法」。それから 一連の戦後補償の問題ですね。戦争中にやって来たことに対してずっと目を覆って きた自民党を、土俵に引きずり出して議論するところまで持っていって、いくつか の到達点を得られたことは評価されていいと思います。


党の良さを知ってもらうために

 野崎 そういう成果が成果として正当に評価されな いっていうのは……。

 安池 PRベタなんですよ。水俣病だってそうでしょう。数えたらきりがないけど、あ まりわかってもらっていない。

 植田 今度「人権擁護施策推進法」という法律ができますし、「アイヌ新法」もでき る。いずれもマイノリティーの問題なんです。となると、アピールしても広汎な理 解を得るのは難しいところがあるのは確かだと思うんです。でも、一方でうちがそ のことを真剣にアピールしようとしてきたのかということも問われるとは思う。
 
PRの仕方の問題というより、どういう構えでやっているか。国民運動局にいて、 「君がやっている反差別・人権の問題は党の中では傍流の問題なんだ」ということ を言われたことがあるんです。主流は原水禁運動であり護憲運動だというわけで す。でも、社会運動の中にランク付けはないはずです。そうやって分けて考るな ら、じゃあいま市民運動と向き合った時、党がこれまでやってきた運動との関連で これは主、あれは従と考えるのかということになりますよね。もっとトータルに考 えていたら、アピールの仕方だって違ったんじゃないかと思いますね。


若い人たちとつながり合う回路

 野崎 実際に関わってもらって、きちんと説明をすると、いいところもわかってもらえ るんだけれど、若い人が政治に関心が少ないこともあって、若者の入ってくる回路 がほとんどない。それでは未来がないわけで、少し具体的な展望について意見を出 してみてもらえませんか。

 中川 政治と自分がどこでどんなふうに関係しているのかということを具体的に感じる きっかけ、そこに触れる場を提供することが必要だと思います。
 
戦後五〇年にあたり、沖縄や広島に行く企画をたてて、若い人たちと一緒に行動し たんですが、始めは今風の感じ方をするんです。沖縄は遊びの島、観光の島と。そ れが行ってみて戦没者の慰霊の石碑になんて書いてあるかを見たりするうちに、自 分なりに平和とか戦争を考えるきっかけになる。どこそこの反戦集会に参加したと か、デモ行進に参加して拳を振り上げたとかいうことじゃなくて、どこにでもある 何気ないものに触れて、自発的に考えるきっかけを一緒につくっていきたい。

 野崎 昔は党の側がそういう場をもっとつくれていたんでしょうか。

 中川 いまよりはあったでしょうけど、昔はわざわざ意識してつくらなくてもよかっ たんじゃないですか。

 植田 ぼくもそうだと思います。自民党がえげつないことを言えば、それをけしからん ということで世論を沸騰させることができた。消費税だってそうだし、もっとさか のぼれば安保もそうでしょう。学生だっていまほど豊かじゃなかったから、自分の 生活実感と目の前の政治課題が結びついていたと思うんです。だから黙っていても 運動が盛り上がる前提条件が昔はあったんじゃないかな。

 安池 でも、若い人に限らず政治自体に魅力があるとは言えないよね。

 植田 いまの学生や若い人だって不満はあるはずです。政治に関係なくても、例えば自 分のアパートの前にごみの車が来ないとか、そんなことでもいい。そもそもそうい う事を政治に直接・間接に関わることによって、良くできるということを誰も思っ ていない。
 
でも最近の若い世代は政治に関心がないから、いかんともし難いというふうに考え るんじゃなくて、政治の側にいる人間が自分たちとは違う文化、自分たちには分か らない文化があるんだということを理解し、それを受容しなければいけないんです よ。そこで初めて、新しい政治文化というものが創れるんだと思うんです。

 安池 ぼくが青年組織にいた頃なんかは、一八歳選挙権を実現して、とにかく政治に関 わる機会を増やすのも手だと考えたりしました。

 白鳥 今回一緒に選挙を手伝った友人は、いままでは選挙があっても行かないような人 だったんですけど、小さなことでも政治に関わったことで、少しずつ興味を持ち始 めて最後には社民党の支持者になった。地道な方法だけれど、そうやって着実に支 持者を増やしていくしかないのかなと思いました。
 
楽しくやろう野崎これから関わってくれる人にとって魅力的な党にしたいんだけ ど、若い人たちからはどういうものが求められているんでしょうか。

 小浜田 そもそもこの党がどういう党かということがわからない。それを明確にしていく こと、例えば大学に行って話をするのもいいと思います。

 安池 楽しいイベントとかね。楽しくなけりゃ若い人は来ないよ。

 白鳥 九六年の九月に屋形船で青年党員交流集会というのがあって参加したんですが、 ああいったイベントにもっといろんな人を呼べるといいと思うんです。あと四月に 船を借り切って、そこに村山さんが来てパーティーをやる企画があったんですけ ど、ただでクルージングができると言ったら、すぐに大学の友達が一〇人くらい集 まったんです。社民党が主催だと言ったんだけど。ああいう開かれた党のイメージ をPRしてもいいんじゃないかと思いました。

 野崎 あれ金かかるから、もう無理じゃない?(笑い)

 植田 政治に関心のない若い人は、社民党が何をやってるのかわからないわけだから、 とにかく党を知ってもらうということが大事でしょうね。「社民党探検ツアー」 なんていって、国会の中を見てもらって、議員会館でお弁当でも食べて、最後には 党首とお茶を飲んで話をする。三カ月に一回でも半年に一回でもいいから、そんな ことがあってもいいんじゃないかと思います。


自分たちがやっている、という党に

 野崎 最後に、社民党のこれからについて一人一言ずつお願いします。

 中川 一人ひとりがどんな課題でもきっかけでも、呼びかけて創った運動や場、それが 持ちよられた所が社民党、となればいいよね。社民党が呼びかけて何かをするとい うだけじゃなくて、自分たちがやってるんだよ、という感じでやっていければ、大 きな力になるだろうと思っています。

 植田 これから党をどういう党にしていくかということを考えた時に、ある大先輩に 「市民との絆を結び直してゼロからの出発というんだから、いままでの常識やヒエ ラルキー(ピラミッド型階層組織)を一旦白紙に戻して一から創るという気持ちで やらなければいけないんじゃないか」と言ったら、「それは土井党首は辞めろとい うことか。党というものを全部否定するということなのかね」と問い返されて、新 しいものを創ろうということに対して素直に受け止めてもらえない世代の断絶を痛 切に感じたんです。これからは、上の世代とケンカをする場面も必要なのではない か。そのことで、ぼくらも乗り越えていかなければならないことがあるんじゃない かと思います。

 安池 おたかさんに倣って「やるっきゃない」というところかな。魅力ある党になれば 魅力ある人が集まって、さらに魅力ある党になる。若い人が社民党を完全に土台に するんじゃなくても、ちょっと寄りかかるくらいでも、やる気のある人が集まって 飛び立てればと思います。

 白鳥 九月の日経新聞で誰に首相になって欲しいかというアンケートがあって、一位が 菅直人さんで、二位が土井たか子さんだったんです。社民党がどうなったかわから ない人はいても、土井さんはみんな知っている。私も土井さんはとても親しみの湧 く人なので、彼女を先頭に出していろんなことをしていけば、党のPRにもなると 思います。

 小浜田 少ない人数だからこそできることもあるはずです。すべてポジティブに考えるこ とが大事ではないでしょうか。

 野崎 いまの状況は古い枠組みの崩壊という意味では、ぼくら若い者にとって有利な面 があると思います。過去のしがらみの少ない私たちの世代が、かつての社会党が築 き上げた成果をなるたけ引き継ぎながら、残った悪い部分を壊していく。そして一 から新しい社民党をつくるつもりで頑張って、いい世の中をつくっていきたいもの だと思います。

(一二月二日・文責編集部)


この対談は「月刊 社会民主」1月号に掲載をされたものです。