脱原子力の21世紀へ


1、原子力発電の危険

チェルノブイリ原発事故

 ウクライナ(当時:ソ連)のチェルノブイリ原発で1986年4月26日、核分裂のコントロールに失敗して原子炉が暴走し爆発する事故が起きました。チェルノブイリ事故による汚染地域は日本の総面積の4割に当たる38万平方キロメートルに及びます。被害者として国に登録された人の数は、ベラルーシで200万人以上、ウクライナでは約400万人、ロシアで約100万人で、合わせて700万人ほどです。95年秋に国連がまとめた報告では、なんらかの被害を受けた人の数は約900万人とされています。
 ウクライナの保険省は95年4月、被害者のうち12万5000人以上が、88年から94年までの6年間に死亡したことを明らかにしました。ベラルーシでも、少なくとも同じくらいの数の人が死亡していると言われます。もちろん、これらの人たちがすべて、ウクライナの保健大臣が言うように「チェルノブイリ原発事故のために死亡した」ものかどうかは、厳密に言えばわかりません。放射線の被ばくによってひき起こされる病気は特別の病気ではないので、被ばくによって起きたのか他の原因で起きたのか、区別ができないからです。
 しかし、事故の前と後で比べると、明らかに事故の後で、しかも汚染のひどかった地域ほど多く、病気にかかる人が増えています。放射線被ばくは、がんを発生させ、さまざまな病気に対する抵抗力を弱め、老化を早めるのです。86年と90年を比べると、心臓などの病気で10倍、脳などの病気で5倍というふうに、病気にかかる人の割合が大きく増えています。
 とくに深刻なのは、子どもの被害です。子どもたちの間でも、心臓や脳、肺、胃腸などさまざまな病気が増えており、子どもの白血病も発生しています。なかでも甲状腺のがんは、場所によっては「欧米各国や日本に比べ数十倍から数百倍」(長滝重信・長崎大学医学部教授)になるなど、発生率が急増しています。
 しかもこの被害は、今後さらに大きくなっていくと考えなくてはなりません。時間がたつにつれてどんどん被害が大きくなるのが、放射能災害のおそろしさなのです。おまけに、今も汚染された土地に住んでいる人が、ウクライナとロシアでそれぞれ300万人、ベラルーシで180万人(95年国連報告)いるといわれます。事故の発生当時に被ばくしただけでなく、その後も被ばくをつづけているわけです。汚染された食べ物による被ばくもつづいています。放射能のチェックを受けない食べ物が市場に出回っているとか、立ち入り禁止区域の放射能汚染廃材が家を建てるのに不法使用されているといった報告もあります。最終的にいったいどれだけの被害になるのか、まったく見当がつきません。
 ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三国だけでなく、チェルノブイリの死の灰はヨーロッパはもとより、遠く8000キロ離れた日本にまで降ってきました。また、汚染された食べ物も、世界中を流通していますから、いわば地球全体に被ばく者が存在するのです。
 放射能災害は時間がたった後で病気がでてきます。被ばくしてしまうと、いつ病気になるかという不安をずっと抱えて暮らさなくてはなりません。いつ爆発するか、それとも爆発せずにすむのか、セットされた時間のわからない時限爆弾を抱えて、子どもたちもおとなたちも、これから生きていくようなものです。事故は、人びとの心に傷を与えました。それも、時間がたっても忘れることのできない、日々新しくなる傷です。
 もちろん傷は、病気にかかるかもしれないという恐怖だけではありません。先祖代々のお墓や家を捨て、牛や豚や犬を残し、だれも住めなくなった故郷の村から見知らぬ土地に避難しなくてはならない人たちの心の傷、家族や友だちの命が奪われた人の心の傷は、ふさぎようもないものです。

崩れた安全神話

 95年1月の阪神大震災(阪神・淡路大震災)では、兵庫県を中心に甚大な犠牲・被害をもたらしました。「絶対壊れるない」とされてきた高速道路や新幹線の高架橋、高層建築などがつぎつぎと壊れました。同時に原発の安全神話も完全に崩れ去りました。「原発はどんな地震にも耐えられる」、「原発は工学的に万全の安全が確保されている」という神話は崩れ去り、全く通用しなくなったのです。
 プレート境界がせめぎあい、いたるところに活断層がある、世界一の地震多発地帯である日本で、しかも「豆腐の上の原発」と呼ばれるような地盤の悪いところに、ただでさえ危険な原発が建てられています。このままでは、いつチェルノブイリのような、あるいはチェルノブイリを上回る大事故が起きても不思議ではありません。
 もしも阪神大震災(マグニチュード七・二)と同じか、あるいはもっと大きな直下型地震が原発を襲ったら、基礎の岩盤がずれたり割れたりする可能性もあります。そうなれば、どんな耐震設計もひとたまりもありません。あるいは、マグニチュード八・五クラスの巨大地震が、原発からさほど遠くないプレート境界の海洋底で起きたら、やはり原発は壊滅的な被害を受け、大量の放射能がまき散らされるでしょう。
 「何重もの安全装置」があったところで、大地震は、それらを一気に共倒れさせてしまうにちがいありません。これまでそうしたことが起きなかったのは、たまたま地震活動の静穏期がつづいていた幸運のお蔭でしかないのです。

「対策」がない原発事故

 スリーマイル島原発事故(アメリカ、1979年)もチェルノブイリ原発事故も、運転をはじめて間もない新しい原発で起きました。その意味で新しければ安全とは言えませんが、他方、原子炉の老朽化がすすんできたことは、設計の古さとあわせて、大事故の危惧を高めています。日本の原発も、30年経つものが1基、25年以上経つものが3基と、老朽化が目立つようになりました。もっと新しい原発でも、さまざまな機器が、当初の予想を超えて早々と劣化しています。蒸気発生器や原子炉容器上ぶたなどをまるごと交換することまで必要になってきているのです。
 地震と同様に、老朽化も共倒れ故障の原因となったり、イザというときに原子炉を止められなかったり冷却に失敗することにつながります。老朽化した原発を地震が襲ったら――などとは、考えたくもありません。
 しかし、そうしたことをも考えざるをえないのが実情です。残念ながら、それは反原発派の「脅し」ではなくて、原子力開発をすすめている人たち自身が現に考えていることなのです。
 94年3月31日、電力各社はいっせいに、所有する原発のそれぞれの原子炉ごとの「アクシデントマネジメント検討報告書」なるものをまとめ、資源エネルギー庁に提出しました。いわゆる過酷事故対策の報告書です。過酷事故とはシビアアクシデントの訳語で、安全審査で想定してきた事故を超える大事故のことです。チェルノブイリのような事故は日本では起こらないといいながら、科学技術庁は日本原子力研究所、通産省は原子力発電技術機構、電力業界は電力中央研究所と、それぞれの研究機関で原子炉が暴走する事故の研究をしているのです。
 最大の問題は、原発の安全神話が崩壊し、過酷事故の発生が懸念されているにもかかわらず、事故を予防する措置をとれなくなっている現実です。
 さの最大の理由は経済性です。原発一般にかかわる研究にはそれなりの金をつぎ込めても、個々の原発については経済性を優先せざるをえません。そうしないと、その原発の発電単価が高くなってしまうからです。そのためトラブルが見つかっても、なかなか原子炉の運転を止めようとしません。定期検査も、どんどん簡略化されています。過酷事故についても、個々の原発の具体的な対策となると、とたんに現有設備の手直しでお茶をにごすだけとなってしまうのです。
 原発の数が増えたことも、事故の予防策をとりにくくしています。以前は、A原発でトラブルが見つかったときに、B原発もC原発もすべて止めて総点検を行なうことがありました。しかし、原発の数が増えて発電量に占める割合が高くなった今では、そう簡単に総点検をするわけにはいきません。おっかなびっくり、それぞれの炉の定期検査まで待って、順番に点検・修理をしていくしかないのが現状です。
 老朽化がすすみ、予防措置がとりにくくなったなかで、経済性優先の乱暴な運転管理が行なわれています。それは、まさに大事故を準備しているに等しいのです。少しでも早く脱原発を果たすことが、安心できる唯一の道です。その実現までの間、事故を予防し、万一の事故にも被害を最小限にとどめる対策が、真剣にとられなくてはなりません。


2、「もんじゅ」事故

電力会社の本音

 95年12月8日に福井県敦賀市の「もんじゅ」で発生したナトリウム火災は、高速増殖炉の危険性をまざまざと見せつけました。ナトリウムを使う以上、漏れて燃えることは当然考えておくべきだったのに、漏らさない対策も、漏れを早く見つける対策も、火災を起こさせない対策も、火災を拡大させずに消し止める対策も、「日本の技術は優秀」と動燃(動力炉・核燃料開発事業団)や国が言っていたのとは大違いで、まったく役に立たなかったのです。それは、安全審査でまったく考えも及ばなかった事態です。深刻な放射能災害に至らなかったのは「不幸中の幸い」(福井県原子力安全対策課)だったにすぎません。
 「もんじゅ」の事故は、「千年以上にもわたるエネルギー利用が可能になる」という高速増殖炉の夢を打ち砕くに十分なものです。もちろん事故を待つまでもなく、高速増殖炉の実用化が非現実的であることははっきりしていたのです。
 「もんじゅ」の原子炉設置許可申請は80年のことですが、そこでは「原子炉の使用の目的」は「高速増殖炉を我が国において90年代に実用化するため」とされていました。ところが、94年6月に原子力委員会がまとめた原子力開発利用長期計画によれば「2030年頃までには実用化が可能となるよう高速増殖炉の技術体系の確立を目指していきます」といいます。15年弱で、目指される実用化の時期は30〜40年も遠退いたことになります。1年経つと2年遠退くのでは、それだけですでに「もんじゅ」は、高速増殖炉の実用化が不可能であることを実証していたと言えるでしょう。
 事故は、いわば駄目押しでした。と同時に、今回の事故は、単に高速増殖炉計画の終焉にとどまらず、やがては原子力開発そのものの息の根をとめる衝撃力を秘めています。
 実は、これまでも電力業界は、表向きの推進論とは裏腹に、ひたすら高速増殖炉の開発計画を遅らせることに腐心してきました。「もんじゅ」の建設費を出し渋り、実証炉の炉型選択で時間をかせぎ、わざわざ経験のない新しい炉型にして改めて研究開発を行なうこととし、といった具合です。放り出せるものなら、いつでもやめたいというのが、電力業界の本音ではないでしょうか。
 たとえば電力中央研究所の依田直理事長は、東京電力の常務だったときに、「電力の立場で見ると、原子力は電力供給の一手段にしかすぎない」(『エネルギーフォーラム』87年4月号)と述べています。まして、いつになったら電力供給の役にたつかわからない高速増殖炉なんて、ということでしょう。電力の立場では、「原子力自体が極めて硬直的に推進されるのは困る」とはっきり述べているのです。
 にもかかわらず、許認可権をもつ国に首根っこをおさえられてきた電力業界としては、そうそう本音をむきだしにもできませんでした。その電力業界が、31年ぶりの電気事業法改正(95年4月成立)という規制緩和の流れのなかで、ようやく一歩を踏み出すのは、95年7月に青森県大間町に建設されようとしていた新型転換炉の実証炉計画の全面見直しを国に求めるまで待たなくてはなりませんでした。
 その同じ年に「もんじゅ」が事故を起こすのは、偶然とはいえ、できすぎている感がなくはありません。電力業界にとっては、高速増殖炉計画を「聖域」から放り出す絶好の機会を迎えたことになります。「もんじゅ」は原型炉で、実験炉「常陽」の次の段階ですが、実験炉はしょせん実験的なデータを得るための炉。発電の実験すらできません。実際の原子炉としてのふりだしは、実用規模に近い試作炉である原型炉です。そのふりだしでつまずいているのですから、高速増殖炉の開発計画は、すぐに打ち切りにはならないまでも、何年も先に延期されることになります。
 実用化がますますが遠のいて、ほんとうにいつかは役に立つのかという、以前から投げかけられていた疑問がさらに大きくなります。となると、そもそも原子力の利用にどれだけの意味があるのか、その危険性はそれに見合うものなのか、との疑問もわいてくるでしょう。
 もしも高速増殖炉が実用化し核燃料サイクルが確立できないとなると、原子力発電はウランを1回燃やしておしまいということになります。そのウランは、資源の量としては石炭よりはるかに少なく、石油や天然ガスと比べても3分の1にもならないのです。そのためにウランの採掘から、製錬、転換、濃縮、再転換、燃料加工、そして使用済み燃料をはじめとする複雑かつ大量の放射性廃棄物の処理・処分といったやっかいなことをする意味があるのか、大事故、日常的な放射能汚染、核拡散……そういったもろもろの危険をおかしてまですすめる意味があるのだろうか、といったことが改めて問われることになるでしょう。
 高速増殖炉計画の挫折は、いずれ原子力利用そのものに波及することが必至だと言うゆえんです。

地域のことは地域で決める

 「もんじゅ」と同じく福井県敦賀市にある日本原子力発電の敦賀原発では、いまある1、2号炉に加えて3、4号炉を増設することが計画され、環境影響調査が行なわれています。この計画に対し、21万人余の反対署名が集まるなど、県民の間に「これ以上の原発はごめんだ」という気運が高まっていました。なにせ福井県内には、「もんじゅ」をふくめて15基、計1080万キロワット余りの原発が集中しているのです。
 「もんじゅ」の事故は、こうした県民の増設反対の思いを、さらに強固なものとしました。周辺の自治体の中には、「もんじゅ」の運転凍結とあわせて増設反対の意見書を議会で採択したところもあります。原発の新増設が計画されている他の各地の反対運動にも、「もんじゅ」の事故は、はずみをつけました。ただでさえ困難だった、三重県の芦浜などの新設計画は、いっそうハードルが高くなりました。比較的スムースにすすめられていた、静岡県の浜岡などの増設にさえ、待ったがかかりました。
 そうした世論を受けて、96年1月23日には、福島、新潟、福井三県の知事が連名で「今後の原子力政策の進め方についての提言」を総理大臣に提出しています。「陳情」でなく「提言」というのは、日本の原子力開発史上初めてのことで、原子力開発についての国民的な合意をあらためてつくり直すよう求めたものです。福井県では、「国民的合意とは、国民に合意を求めることではなく、国民の主張を政策に反映させることだ」と説明しています。これまで基本的には国の言いなりだった自治体が、国と対等に発言をはじめたことには非常に大きな意味があります。国が中心になってすすめてきた日本の原子力開発体制に、明らかに変化の兆しが見えはじめたと言ってよいでしょう。
 今後、経済性を重視した政策決定、自治の原則にもとづいた計画決定が必要とされるとなれば、原子力推進には、はっきりとしたブレーキがかかります。


3、破綻している核燃料サイクル

核燃料サイクルの再定義

 98年5月13日に成立した動燃事業団法の一部改正案において 「核燃料サイクル」 という言葉が、 原子力の法体系に初めて顔を出しました。核燃料サイクルは、 次のように定義されています。 「原子炉に燃料として使用した核燃料物質を再度原子炉に燃料として使用することにより核燃料物質を有効に利用するために必要な一連の行為の体系をいう」。これは、 たとえば 『岩波理化学辞典』 第五版に 「核燃料の採鉱から廃棄までの流れ」 とあり、 再処理を行なわないワンススルー方式もふくめて核燃料サイクルと呼んでいるのと比べるなら、 あらためて再定義が行なわれたというべきでしょう。 法改正に名を借りたプルトニウム利用宣言です。
 とはいえ、 実態はあまりにかけ離れています。 そんな核燃料サイクルがまったく破綻したときになって法律に定めるとは、 時代錯誤以外の何ものでもありません。
 プルトニウム利用の中心施設である高速増殖炉もんじゅでナトリウム火災事故が発生したのは、 95年12月8日。 そして97年3月11日には、 プルトニウムを取り出す東海再処理工場で、 低レベル廃棄物のアスファルト固化施設の火災爆発事故が起きました。
 原発で燃された後の使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、 高速増殖炉で燃やしながら、 燃やした以上のプルトニウムを増殖させ、 これをまた取り出して使うことで1000年以上にわたるエネルギー利用が可能になる  というのが、 再定義された核燃料サイクルの考え方です。 相次いだ二つの事故は、 この考え方の破綻をまざまざと示したのです。
 実は、 事故を待つまでもなく、 そんな核燃料サイクルの実用化が非現実的であることは、 はっきりしていました。 再処理工場も高速増殖炉も技術的に大きな困難を抱え、 コスト高で、 しかも核兵器に転用可能なプルトニウムを取り出して使うことで核拡散につながりかねません。 そこで、 アメリカでもドイツでも、 再処理工場や高速増殖炉の計画が次々と中止されていったのです。
 世界的に見ればすでに見放されつつあった核燃料サイクルに、 日本だけがしがみついてきました。 その結果が、 もんじゅの、 そして東海再処理工場の事故です。 二つの事故は、 そうした日本の原子力政策のおかしさを誰の目にも明らかにし、 核燃料サイクルの夢を打ち砕くに十分なものでした。
 それでもまだ、 もんじゅや東海再処理工場の運転再開を強行し、 動燃事業団から変わった新法人 「核燃料サイクル開発機構」 に核燃料サイクルの夢を追わせるなら、 今度はどんな悪夢が待ち受けているか、 想像するだに背筋が寒くなります。

リサイクル燃料資源

 そしていま各地の原発は、 地元が受け入れを決めた際には考えもしなかった、 さまざまな問題に直面しています。 その一つが、 使用済み燃料が発電所にたまってしまうということです。
 97年3月28日に通産省、 科学技術庁、 電気事業者の三者が設置した 「使用済燃料貯蔵対策検討会」 が、 1年後の98年3月24日、 報告書をまとめました。 そこに、 これまでの使用済み燃料の発生量と各原発からの搬出量、 原発サイトでの貯蔵量が概観されています。
  「軽水炉発電を行なっている電気事業者全体の使用済燃料の発生累計量は、 一九七〇年の商業用軽水炉発電の開始から一九九七年末までの約三〇年間で約一万二九四〇トンUに達している。 このうち、 約九四〇トンUは動燃東海再処理工場において再処理が行なわれ、 約五六〇〇トンUは海外の再処理事業者に再処理を委託し、 残りの六四〇〇トンUは各発電所内で貯蔵されている」 (トンUのUはウランの略。 使用済み燃料の量は燃料中のウランの重量で表わす)
 発生量の半分は、 各原発にためこまれているのです。 東海再処理工場は、 前述の火災爆発事故で操業が停止されてしまいました。 イギリスとフランスの再処理事業者への委託も契約の残りは一〇トンUほどで、 九八年度中にすべて運びきってしまいます。 日本原燃が建設中の六ヶ所再処理工場は、 二〇〇三年一月に操業開始の計画とされていますが、 遅れは確実です。 また、 仮に順調に動いたとしても、 年間処理能力は八〇〇トンUであり、 使用済み燃料の発生量に追いつきません。
 同工場では、 使用済み燃料の貯蔵用プールを急いでつくり、 九六年一〇月には水が張られました。 しかし、 青森県知事が日本原燃との安全協定の締結を遅らせているため、 使用済み燃料の搬入ができずにいます。

 あわてた電力各社は、 各原発内の貯蔵施設の貯蔵間隔を詰めて強引に貯蔵容量を増やしたり、 比較的余裕のある新しい原発の貯蔵施設に古い原発の使用済み燃料を移送したり、 新たに貯蔵施設をつくったり  といった弥縫び ほう策に追われています。
 それだけでは対処しきれないので、 大規模な中間貯蔵施設が必要、 と報告書は結論づけました。 これは、 事実上、 再処理路線からの方針転換なのですが、 せっかく核疑惑を否定する中身なのに、 政府はそういう宣伝をしていません。
 それはさておき、 中間貯蔵施設の引き受け手がおいそれと見つかるはずもありません。 少しでも受け入れられやすいように、 報告書は使用済み燃料を 「リサイクル燃料資源」 と呼びかえ、 「リサイクル燃料資源貯蔵施設」 と命名しています。 リサイクルとは、 再処理をしてプルトニウムを取り出し、 利用することです。 リサイクルができなくなって、 ただただ貯蔵するだけになって 「リサイクル燃料資源」 の名がつけられるとは、 さきの核燃料サイクルの再定義と同様で、 何とも皮肉な話です。

苦しまぎれのプルサーマル

 新たな問題としてもう一つ、 先に触れたプルサーマルがあります。 MOX燃料は、 ウラン燃料と比べてさまざまな特性の違いがあり、 原子炉の停止余裕など安全の幅をより小さくするものです。 電力会社や国は、 その安全余裕の低下はごくわずかで、 炉心の3分の1まで、 プルトニウムの富化度8%までなら従来のウラン燃料と同等に使用しうるとしていますが、 そのためには、 燃料の種類や配置を複雑なものとする必要が生じます。 コンピュータ計算をいくつも積み重ねることの信頼性はきわめて薄弱であり、 安全を証拠立てるデータは示されていません。
 97年以降、 プルサーマル計画が急に激しく動きはじめました。 そして98年5月11日、 関西電力は、 高浜原発3、4号炉でのプルサーマルの実施に向けて、 通産大臣に安全審査の申請を行ないました。 8日に福井県知事、 高浜町長の了解をとりつけてのことです。 プルサーマル実施の事前了解ではなく、 安全審査に入ることの了解だというのですが、 実施へ大きく踏み出してしまったことは否定できません。
 MOX燃料の製造も、 見切り発車で行なわれています。 東京電力の福島第1原発3号炉用の燃料はベルギーのデッセル加工工場で、 関西電力の高浜原発4号炉用の燃料はイギリスのセラフィールド加工工場で、 製造中といわれます。 ただし、 燃料の被覆管は、 日本で製造したものをわざわざ運んでいます。 東京電力では、 MOX燃料と組み合わせるウラン燃料は国内でつくって、 ベルギーに運ぶことまでしています。 それだけ海外の加工技術を信用していないのでしょう。
 おっかなびっくりながら、 電力会社も、 懸命に計画を推し進めているように見えます。
 その背景には、 余剰プルトニウムの蓄積に対する国際世論の批判をかわすこと以上に、 各原発に使用済み燃料がたまり続けている 「国内事情」 があります。 六ヶ所再処理工場の建設は遅らせながら、 プールは早くつくって使用済み燃料を搬入し、 少しでも苦境を緩和しようというのが、 電力業界の考えです。 そのためには、 プルトニウムの使いみちがなく再処理ができなくなり、 単なる使用済み燃料の貯蔵場にされるのはごめんだという青森県側に対し、 プルトニウムの使いみちを明らかにする必要があったのです。
 使用済み燃料を原発サイトから運び出すためにはプルサーマル計画をすすめなくてはならず、 プルサーマル計画を拒否するためには使用済み燃料をため込むことを覚悟しなければならない  というのが、 いま各地の原発が抱える大きなジレンマです。 「こんなはずじゃなかった」 と、 原発既設地は頭を抱えています。 はじめから分かっていたら受け入れをしなかったかもしれない原発を受け入れてしまったばかりに、 思いもよらなかった事態が拒みきれない形で押しつけられてきているのです。
 これを拒むには、 既設原発の閉鎖を求める以外に道はありません。


3、後始末の時代

東海原発の廃炉

 98年3月31日、 東海原発が閉鎖されました。 これにより日本で初めて、 運転中の原発の数が減少したことになります。 次に営業運転入りが見込まれているのは女川3号炉の2002年1月ですが、 直後の2003年度末までに 「ふげん」 が閉鎖となります。 そのころには、 敦賀、 福島第1の各1号炉、 美浜の1、2号炉が運転開始から30年以上経っています。 日本原子力発電、 関西電力、 東京電力の各社では、 原発の寿命を60年に伸ばすと言い出している ものの、 15万キロワット以上の商業炉では、 40年動かした実績すら世界に一つとしてありません。 日本の原発の劇的な減少がはじまるのも遠くはなさそうです。
 現に各原発で、 老朽化が目立つようになってきました。 老朽原発どころか、 もっと若い原発でも、 さまざまな機器が、 当初の予想を超えて早々と劣化してきています。 蒸気発生器や原子炉容器の上ぶた、 あるいはシュラウド (燃料と圧力容器の仕切り板) などをまるごと交換することまで必要になってきているのです。

スソ切りの本格化

 廃炉の解体で問題になることの一つに、 厖大な放射性廃棄物の発生があります。 そこで、 ある放射能レベル以下の放射性廃棄物は 「放射性」 として扱わなくてよいとするスソ切りが、 実施されようとしています。 スソ切りの本格化に向けて97年5月27日、 原子力安全委員会の放射性廃棄物安全基準専門部会に 「クリアランスレベル検討ワーキンググループ」 が設置されました。 クリアランスとは規制解除、 すなわちスソ切りです。
  「本格化」 と書いたのは、 スソ切りはすでに行なわれているからです。 一つは、 一定の時間が経てばスソ切りができるとして放射性廃棄物を埋め捨てにする、 先送りのスソ切り。 そしてもう一つ、 「放射性廃棄物ではない」 と強弁してのなし崩しのスソ切りがあります。
 前者は、 青森県六ヶ所村で日本原燃が行なっている低レベル廃棄物のドラム缶の埋設から始まりました。 埋設終了後300年ほど経てば年間に10マイクロシーベルトを超える被曝を与えることはなくなるとして定められた放射能濃度以下の廃棄物を地下の施設に収納し、 その間は管理をするというものです (実際には、 管理らしい管理をするのは30年程度)。 さらに続いて、 50年くらいで年間10マイクロシーベルトを超える被曝をもたらさなくなるとされる放射能濃度以下の廃棄物については、 素掘りトレンチに簡易埋設をすることが認められ、 日本原子力研究所が動力試験炉の解体廃棄物の一部をこの方法で処分しています。 50年間は管理を続けるとのタテマエは同じです。
 奇妙なのは、 放射能レベルの高いものから先に捨てられるようになったことでしょう。 いや、 実は奇妙でも何でもなく、 「いますぐ捨てたことにするのでなく、 300年間は管理をします」 と言うほうが捨てやすかったからです。 先送りのスソ切りと呼ぶゆえんです。 そうして既成事実をつくってきた上で、 いますぐ捨てたり再利用したりしても年間10マイクロシーベルト以下の被曝にしかならないとされる放射能濃度のもののスソ切りが法令化されようとしているのです。
 一方、 なし崩しのスソ切りは、 蒸気発生器の交換からスタートしました。 交換に際して格納容器の一部が取り壊されますが、 そこで発生した廃棄物を、 もともと 「放射性でない」 と言いだしたのです。 スソ切りとは、 本来放射性廃棄物として規制の対象だったものの規制を解除し、 「放射性」 として扱わなくてよくすることです。 それに対して規制の対象外だと主張されたのです。 しかし、 これまで管理区域内で発生する廃棄物はすべて放射性廃棄物として規制してきたことからすれば明らかに規制の解除であり、 なし崩しのスソ切りといえます。 原子力安全委員会はこれを、 何らの法的整備も行なわずに認めてしまいました。 「放射性でない」 とする基準も、 確認の規制もありません。
 こうして、 廃炉の解体によって膨大な量の放射性廃棄物の大部分は、 スソ切りをするまでもなく 「放射性でない」 として、 処分や再利用ができるとされてしまいました。 スソ切りを必要とする量はごく一部にすぎません。 にもかかわらずスソ切りに躍起になるのは、 それによってなし崩しのスソ切りを合理化し、 世間に認めさせようとしているからでしょう。
 そのスソ切りのためのクリアランスレベルの試算値が、98年4月24日の専門部会に、 ワーキンググループから提示されました。 被曝に至るシナリオをさまざまに想定し、 日本人の食物摂取データなどにあわせて試算したものです。 とはいえ、 それは、 数多くの仮定を掛けあわせたあてにならないもので、 ほんとうに10マイクロシーベルト未満に抑えられるという保証は、 まったくありません。 また、 百歩ゆずって10マイクロシーベルトなる年被曝限度と核種ごとの放射能濃度との整合性があるとしても、 膨大な廃棄物の放射能測定が正しく行なわれることは、 とても期待できないでしょう。 なにせ自然放射線の100分の1のレベルを測定しようというのです。 ガンマ線を出さない核種も多く、 測定は困難をきわめます。
 そんな測定だから、 コストの問題を無視できません。 きちんと測定しようとしたら、 途方もない時間と費用がかかってしまうのです。 再利用しようにも、 余りに高価なリサイクル品となって、 引き取り手はないでしょう。 それを避けようとしたら、 荒っぽい抜き取り検査だけにして、 測定には時間をかけずに 「検出限界以下」 とする手抜きをするしかありません。 しかも、10マイクロシーベルトなら安全とも言えません。 否、 安全であろうとなかろうと、 放射性廃棄物を産業廃棄物扱いで埋設処分したり、 日常用品に再利用したりなんて、 そもそも願い下げにしたいものです。

高レベル廃棄物処分計画動き出す

 一方、 放射性廃棄物の中で最も放射能レベルの高い高レベル廃棄物の処分計画が、 動き出しました。 原子力委員会の高レベル放射性廃棄物処分懇談会は、 97年7月18日、 『高レベル放射性廃棄物処分に向けての基本的考え方について』 の報告書案をまとめて公表、 8月5日から98年1月末日までの約半年間にわたって意見を公募しました。 また、 その間に全国5ヵ所で 「意見交換会」 が開催されました。 意見交換会が開かれなかった東京では、 2月24日に開かれた懇談会で、 意見聴取が行なわれました。
 それらは、 従来の原子力行政のあり方からすれば大きな変化です。 96年9月25日に原子力委員会が政策議論の公開を決定して以来、 原子力委員会、 原子力安全委員会、 その両委員会の下部の専門部会や懇談会などの傍聴ができるようになり、 報告書などは案の形で公表して意見を公募することになりました。 なかでも、 高レベル放射性廃棄物処分懇談会の意見公募の姿勢は、 他の専門部会などが、 短期間 (1ヵ月程度) のきわめて形式的な公募と一方的な意見の採否でお茶をにごしているのにくらべ、 最良のものでした。
 とはいえ、 これが結局は、 破綻した旧来の手法に代わって既定の方針をもっともらしく押しつけるだけに終わるとしたら、 かえって悪質になったとすら思えてしまいます。
 高レベル放射性廃棄物処分懇談会の報告書案は、 これまでに発生した高レベル放射性廃棄物の量は、 96年現在でガラス固化体に換算して約1万2000本に相当するといい、 今後2030年までに約7万本相当になるとしています。 「したがって、 今後の原子力政策がどのような方向に進められるにせよ、 少なくともすでに存在する高レベル放射性廃棄物については、 その処分を具体的に実施することが必要である」 というのです。
 最大のごまかしは、 約1万2000本相当を仮にすでに存在する高レベル放射性廃棄物の量として認めるとしても、 それを2030年までに約7万本相当に増やしていく (さらに増やしつづけることすらありうる) ことの是非を棚上げにしながら、 「少なくともすでに存在する」 ものは何とかしなくてはいけないと主張し、 事実上、 これから発生するものをふくめた処分をすすめようとしていることです。
 まず必要なのは、 放射性廃棄物を増やしてでも原発を続けたほうがよいのか否かを議論し、 原発の廃止時期を定めることです。 そうして初めて、 後始末すべき放射性廃棄物の総量がわかるからです。 この議論に際しては、 高レベル放射性廃棄物ばかりでなく、 すべての放射性廃棄物について、 どんなものがどれくらい発生せざるをえないかが、 具体的な数字で示される必要があります。 もちろん、 再処理をするのがよいか、 使用済み燃料をそのまま高レベル放射性廃棄物とするのがよいか、 といったことも評価の対象となります。 そうしたことを、 「後世代に残す負担を少しでも小さくするにはどうしたらよいか」 という観点から評価し、 議論し、 結論を出すことこそが、 まさに現世代の責任ではないでしょうか。
 そうした評価をせずに、 すでに存在するものがあるからという理屈だけで 「その処分を具体的に実施することが必要である」 と言うのは、 問題のすりかえです。 また、 すでに存在するものは何とかしなくてはいけないとしても、 それを 「地層処分」 しなくてはいけないと決めつけるのは、 やはりすりかえです。
 後世代に残す負担を少しでも小さくすることを考えたとき、 高レベル放射性廃棄物は地層処分するのが最善であると、 果たしていえるでしょうか。 深い地層に処分したあとは、 後の世代は何もしなくてよい、 後世代に負担を残さないことで、 現世代の責任をまっとうできる  というのが、 地層処分論です。 しかし、 実際には、 後世代にまったく負担を残さないなどということはありえません。
  「後世代に負担を残さない」 と地層処分を急ぎ、 あとになって事故が起きたり、 ガラス固化体の回収が必要になったりしたら、 かえって莫大な負担を強いることになります。 「負担を残さない」 ことに固執するのでなく、 少しでも負担を小さくすることを考えるべきではないでしょうか。
 電力会社には、 発生責任者としての自覚がないのです。 電気事業連合会の荒木浩会長 (東京電力社長) の記者会見を伝える98年1月26日付の電気新聞を引用しましょう。
 「国のエネルギー政策で原子力をやっているのだから、廃棄物も国が全責任を持ってほしい」
 放射性廃棄物の後始末は、 収入はまったくなく、 膨大な費用がかかるだけの事業です。 その責任の所在がはっきりしないのでは、 不安が募るばかりです。 誰も本気になって放射性廃棄物の後始末に取り組まないとしたら、 原発が動いているときより止まってからのほうがはるかに恐ろしいとすらいえます。
 とすれば、 せめて私たちにできることは、 その量を増やさないこと、 少しでも安全な管理の方法を用意すること、 そして、 将来の世代が原子力にも化石燃料にも依存せずに豊かな生活ができるような社会をつくることではないでしょうか。


4、脱原発の未来社会を

脱原発が地球を救う

  「原発をつくらなかったらエネルギーの供給はどうなる」 という脅しは、すでに通用しなくなっています。ふつうの原発は今後数十年しか使えないので、プルトニウム利用が必要だという宣伝が、かえって脅しのウソを明らかにしてしまいました。
 プルトニウム利用計画が破綻したいまとなっては、 石油や天然ガスよりもはるかに早く枯渇してしまうウランを燃やす原発は、 将来のエネルギー供給の主役どころか、 脇役にもなりえません。 原発に頼ろうとしていては、 それこそ 「エネルギー危機」 を招き寄せるようなものなのです。
 原子力発電は炭酸ガスを出さないので地球の温暖化が防げるというウソも、 化けの皮がはがれてきました。 事故のときはもとより、 日常的にも放射能を放出し、 大量の放射能のごみを残す原発こそ、 最大の環境汚染源といってよいでしょう。 放射能をまきちらす原子力発電が 「地球にやさしい」 などということは、 ありえません。
 地球の温暖化を本気で防ぐには、 大量のエネルギーを浪費する現在の産業や生活のあり方を見直すことが、 どうしても必要です。 ところが原発は、 エネルギーを効率よく利用し、 エネルギーの使いすぎをなくすことの邪魔をします。
 原子力では電気しかつくれないので、 原発を増やすことは、 エネルギーの使用を電気中心に移していくことで初めて成り立ちます。 また、 原発では電気の使用量の変化にあわせた調整が難しいので、 原発を増やすときには、 火力や水力の発電所も増やさなくてはなりません。 そこで、 ますます電気中心になるのです。
 しかし、 省エネのためには、 発電をするときのエネルギー・ロスが大きい電気から、 別のエネルギー源に変えていくことが望ましいのです。 何にでも電気を使わせようとする原子力発電は、 省エネに逆行します。
 原発を増やせば火力発電所も増えるのだから、 結局は大量の炭酸ガスを発生させることにもなるわけです。
 国や電力会社が地球環境のことをまじめに考えていないことは、 「プルトニウムは千年エネルギー」 などと宣伝をし、 エネルギーの大量消費をいつまでも続けてよいかのように印象づけていることにはっきり示されています。 電気新聞などの業界紙誌には、 「電力需要開拓」 という言葉がいつも大見出しに踊っています。
 電力業界にとっては、 プルトニウムの利用はしたくないが、 プルトニウムで 「永遠のエネルギー」 をうたうことで電力需要開拓の正当化ができると考えているのでしょう。 100年先、1000年先のエネルギー利用のあり方をエネルギー供給産業の側から考えていたのでは、 エネルギー危機は必至であり、 その前にも地球環境は死を迎えるしかありません。
 原子力開発にはたくさんのお金がかかるので、 エネルギーの研究開発費が原子力に集中し、 エネルギーの有効利用や自然エネルギーの研究開発に使う分がなくなってしまうことも、 問題です。 原発があるお蔭で、 自然エネルギーの利用や省エネルギーがしにくくされているといえるでしょう。
 確かに、 エネルギーをふんだんに使っている現状からすれば、 エネルギーを少ししか使わない社会をイメージするのは、 とてもむずかしいことだと思います。 しかし、 環境をこれ以上汚さず壊さずに、 私たちが本当の意味で豊かな暮らしをしていくためには、 原子力や化石燃料に依存する社会から、 エネルギーの消費を小さくし、 自然エネルギーを上手に利用する世の中に変えていくことが、 どうしても必要なのです。
 ここで、 現在のエネルギーの使われ方を図にしてみましょう。 おおざっぱにいって、 一次エネルギー (石油、 石炭、 天然ガス、 水力、 原子力など、 もとになるエネルギー) のうち、 最終的に利用されるのは三分の一にすぎません。 たとえば電気についてみれば、 発電、 送配電、 そして利用の各所でさまざまなロスがでて、 そのロスが一次エネルギー投入量の三分の二にもなります。
 このロスの半分を発電、 送配電、 利用の各所で有効利用すれば、 ロスが3分の1、 利用が3分の2へと逆転できます。 そのとき、 利用されるエネルギーの量がいままでどおりでよいなら、 必要な一次エネルギーの量は、 半分でよくなり、 さらに利用されるエネルギーの量を半分にできれば、 必要な一次エネルギーの量は四分の一になります。

エネルギー消費は下げられる

 世界的に見れば日本は省エネの優等生であり、 するべき省エネはしつくしたとする主張があります。 それはまったく当たっていません。
 あらゆる省エネの指標が一様に80年代半ばで停滞し、 近年ではむしろ逆行する動きを見せてさえいます。 技術的な限界であれば、 これほど一様になるはずはなく、 実は円高効果を含めた石油価格の値下がりと、 電力料金の需要抑制型から 「需要喚起型」 への転換が理由です。
 そのことは、 最近になって、 「もう限界」 といわれていたエアコンの五〇%省電力化など、 個別にはいくつもの省エネの成功例が現われていることからもわかります。
 現状の効率の悪さを思えば、 中小企業の省エネの余地はたっぷりあります。 たとえば工場で消費される電力量の約7割を占めるモーターでは、 アメリカでは約半分が高効率型であるのに対し、 日本での普及率はわずか0・1%ほどです。 中小企業にも省エネ投資が可能となる補助金制度などの充実が急務でしょう。 もちろん大企業に対しても、 エネルギー価格が下がれば省エネルギーをやめてしまうようなことがないように、 省エネを促進させる経済的なしくみが要ります。
 政府や自治体が省エネを重視した施設建設・製品購入をするとか、 銀行の融資条件に省エネを加えるとか、 海外で現に行なわれていて日本でも実施可能なことは、 まだまだあります。
 そうした技術的対応、 経済的なしくみと、 消費者の意識変革、 そして、 用途に見合ったエネルギー源の選択が最適に行なわれれば、 また、 都市のあり方や経済のあり方の見直しがすすめられれば、 エネルギー消費を下げることは決して夢物語ではありません。
 現在も夏と冬の省エネキャンペーンが継続されていますが、 最も肝心な、 何のために省エネをするのかがきちんと説かれていないのでは心を打たず、 効果がないでしょう。 地球が抱えている重大な環境の危機についてていねいに説明し訴えることこそが必要です。
 あらゆる製品について、 製造時・使用時・廃棄時のエネルギー消費量を表示させるなど、 省エネを意識させる工夫は、 いろいろと考えられます。 電気のメーターを室内のよく見えるところに移すとか、 使いすぎると警告を発するようにするとかしているところもあります。
 エネルギー消費を小さくできれば、 自然エネルギーの活躍の場が大きくなります。 太陽の熱や光、 風や波の力を利用する自然エネルギーは、 使ってもなくならない更新性エネルギーです。 その利用技術は成熟し、 コストも下がってきました。
 自然エネルギーの利用は、 省エネルギーの意識を高め、 また、 分散型の利点を生かした省エネルギーをすすめます。 互いに加速しあって、 自然エネルギーを中心とした、 エネルギーをあまり使わない社会をつくっていけるでしょう。 いま、 すでに、 エネルギーのつかいすぎが、 さまざまな環境破壊を引き起こしています。 それを食い止めようとするなら、 一日も早く考え方を変えて、 望ましい未来の社会をしっかり準備していくことが必要ではないでしょうか。


5、 核実験の衝撃と日本の核疑惑

核の平和利用はありえない

 98年5月11日と13日、インドはあわせて5回の核実験を強行しました。 パキスタンも、これに対抗して5月28日と30日にあわせて6回の核実験を強行、 国際社会から強い非難をあびています。
 このことはあらためて、 「平和利用」 の原子力施設から、 いつでも核兵器がつくれることを教えました。 平和利用の推進とセットになった核不拡散体制がほとんど有効性をもたないことは、 インド、 パキスタン、 イスラエルといったNPT (核不拡散条約) に加盟していない国のみならず、 同条約に加盟し、 国際原子力機関による査察を受けている国々にも 「核開発疑惑」 があり、 原発の導入にクレームがつけられている事実が、 雄弁に物語っています。
 他ならぬ日本も 「核兵器を持とうとしているのではないか」 と他の国からは見られています。それは、日本がますます多くのプルトニウムをためこんできているからです。 そこで、プルトニウムを減らすために、MOX (プルトニウム・ウラン混合酸化物) 燃料にしてふつうの原発で燃やす 「プルサーマル」 計画が浮上してきました。しかし、その一方で、 再処理計画は放棄していません。
 プルトニウムがたまって困っているのですから、 再処理をする必要はありません。 再処理を続ける限り、 プルサーマルをどれだけしたところで、プルトニウムはたまり続けます。 しかも、 再処理を行なうことは、 放射性廃棄物の種類を増やし量を増やし、それらの処理、輸送、一時貯蔵、 最終処分と、後始末をいっそう面倒にします。
 ということがわかって、アメリカ、スウェーデン、ドイツ、スイスと、 再処理から手を引く国が続いてきました。 世界中の原発で発生する使用済み燃料の少なくとも4分の3は、 再処理をせずにそのまま捨てるというのが、世界の流れです。
 そんななかで日本ひとり、 経済性さえ無視して再処理=プルトニウム利用にしがみついています。 政治家も官僚も電力会社の経営者も、 誰一人として政策転換の責任をとりたくないから、やめられない。そんな当事者能力の欠如は、 あまりに情けないものです。
 再処理をやめてこそ、 日本の核疑惑は解消されるでしょう。 それをやめないのでは、 日本を見つめる世界の目が厳しいものとなるのも当然です。
 日本は、 数週間で核兵器の製造が可能な技術と機材、 核物質をもっています。 茨城県東海村では、 高速増殖炉の使用済み燃料を再処理する試験施設RETF (リサイクル機器試験施設) の建設が続けられています。 ここでは、 超核兵器級の高純度プルトニウムが取り出されうるのです。
 しかし、 当面、 核武装はしないというのが、 日本の政策です。 核武装をして他の核兵器国の後塵を拝するより、 核を持たない圧倒的多数の国々を代表する形で核兵器国と肩を並べるほうが、 日本の国際的な地位を高める  それが、 少なくとも現状での日本の政官界主流の考え方でしょう。 もちろん、 それは、 状況が変わればすぐにでも核武装が可能だということであり、 核を外交のカードとして弄ぶこの考え方そのものが、 核武装論者の温床になっています。
 また、 このような政策が他国の核保有を促していることも、 見逃せません。 そして、 国内での受注が見込めなくなった原子力産業の輸出に向けた売り込みが、 核の拡散にさらに拍車をかけているのです。
 核の 「平和利用」 はありえず、 核と人類は共存しえないことを、 あらためて確認する必要があるでしょう。


本稿は、97年版および98年版の原水禁国民会議討議資料パンフの原稿をもとに、野崎(社会民主党政策審議会事務局/元原水禁国民会議事務局次長)が再構成してまとめたものです。原稿の原型は坂本国明氏(元原水禁国民会議事務局次長)、西尾漠氏(原子力資料情報室)の文章で、それを参考に野崎があらためて整理したものです。