2002年6月12日
 
核兵器と憲法問題に関するメモ
 
1、政府首脳による核保有発言
○「大陸間弾道弾を持つことは憲法上は問題ではない」
○「小型であれば憲法上は原子爆弾だって問題ではない」
○「日本は非核三原則がありますからやらないが、戦術核を使うということは昭和35年(ママ)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされている。違憲ではないのだが、日本人は誤解している」
○「法律論と政策論は別であり、法律的にできることを全部やるわけではない」
○「憲法上、もしくは法理論的に(大陸間弾道ミサイルや原爆を)持ってはいけないとは書いてない。しかし、政治論としては、そういうことをしないという政策選択をしている」(5月31日・記者会見)
○「最近は憲法も改正しようというぐらいになっているから、国際情勢(の変化)や国民が持つべきだっていうことになれば、非核三原則も変わることもあるかもしれない」(5月31日・記者懇談)
 
2、これまでの政府見解
 実はこれまでも政府は核保有は憲法第9条には反しないという解釈をとってきた。1957年に参院内閣委員会を主な舞台として繰り広げられた議論や(岸総理答弁)、1978年の予算委員会での答弁(真田法制局長官答弁)などがその基礎となっている。78年2月の衆院外務委員会での土井たか子議員の質問に対して園田外務大臣が「小型の核兵器も憲法上持てない」と答弁しているが、こうした議論はほとんど無視されている。
 自民党政権は一貫して「攻撃的なものでなければ核兵器も憲法に反しない」としてきており、その意味では今回の安部、福田発言もそこから大きく踏み出したものとはいえない。特筆すべきは、安倍発言が大陸間弾道弾(ICBM)の製造にまで踏み込んでいること、福田発言は非核三原則の見直しにまで踏み込んでいることである。核保有が憲法に反しないということ自体はこれまでの政府見解をなぞったつもりであると考えられる。(後述するが直近の政府解釈は憲法第9条との関係に限られており本来は憲法一般に反しないと言い切ることはできないはずである。)
 この政府の理解そのものが誤りであり、問題であることはいうまでもない。
■核兵器の保有に関する憲法第9条の解釈要旨(参予算委78.3.11、真田法制局長官答弁)
 自衛のための必要最小限を超えない実力を保持することは憲法第9条第2項によっても禁止されておらず、したがって右の限界の範囲内にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは同項の禁ずるところではない。憲法上その保有を禁じられていないものも含め、一切の核兵器について、政府は、政策として非核三原則によりこれを保有しないこととしている。
 ※要約は作者
 
3、憲法と核兵器
1)憲法9条と核兵器 
 岸総理答弁もその後の法制局長官答弁も@憲法第9条が必要最小限の自衛のための武力の保有を認めていること、A憲法は核兵器にふれていないこと、を理由ととして「核兵器は憲法違反ではない」との立場をとってきた。憲法との関係で言えば核兵器か通常兵器かは問題ではなく、「必要最小限の自衛のための実力」であるかどうかが問題であるとして、論点をずらせてきたのである。
 これに対しては、主に「@の解釈は誤りであり一切の武力の保有が禁じられているから核の保有も当然に認められない」という立場か、「仮に自衛のための武力の保有を認めるとしても核兵器は明らかに必要最小限の自衛力の範囲を超えている」とする立場から、反論することが多かった。前者については常に水掛け論となり、後者に対しては科学技術の発達した場合の仮定の問題として誤魔化され続けてきたのである。政府答弁も「核兵器といわれているものが攻撃的性格を持つものとすれば憲法の容認するところではない」(57年4月25日参内閣委)としており、一応は現状の「核兵器」を違憲としたうえで、違憲ではない「核兵器」も論理的にはあり得るとしてきたものである。
 すでに1990年代以降、米軍は実際に使えない大型の核兵器に代わって極小型の原子爆弾の開発を進め、従来の原水爆の概念からはずれる核兵器(例えば「地表貫通型核爆弾B61―11」など)が誕生している。「違憲とはいえない」と主張されかねない核兵器が登場している状況には留意しておかなくてはならない。
 
2)第9条以外の憲法の条文と核兵器
 仮に憲法第9条の条文に反しない防衛的な核兵器があったとするならば、核兵器は憲法に反しないといえるのであろうか。いかなるものであっても核兵器の使用は国民に非人道的な損害を与えることをは明かであるから、第13条の幸福追求権をはじめ国民の生命と財産を守る多くの条文に反すると考えるべきである。また日本は核拡散防止条約に非核兵器国として加わっている(後述)から、98条の国際法規の遵守義務にも反する。そしてなにより平和憲法全体の趣旨に反することも明かである。このことはすでに1978年の衆議院外務委員会での土井たか子質問に対する園田外務大臣の答弁、これを再確認した80年の伊東外務大臣答弁からも明らかである(別紙資料参照)。核兵器の特徴は単にその破壊力の大きさだけにあるのではなく、無差別性、放射能障害による世代を超えた影響など、その非人道性にあるのである。
 
3)国際法と核兵器
 その桁違いの破壊力、無差別性、非人道性から、核兵器は当初から国際法に違反するのではないかと考えられてきた。「陸戦の法規慣例に関する条約」付属規則(ハーグ陸戦規則、1907年)、「戦時における文民の保護に関するジュネーブ条約」などのジュネーブ諸条約(1949年)、その追加議定書(1977年)によって、無差別破壊、不必要な苦痛を与える外敵手段、自然環境の重大な破壊などが禁止されているからである。
 この問題に結論を下すために国連総会が、ハーグの国際司法裁判所(ICJ)に「核兵器による威嚇、使用は国際法に違反するか」を問うて提訴した。ICJは慎重な審理を進めた上で1996年「勧告的意見」を示し、「核兵器による威嚇とその使用が一般的には国際法に違反する」との判断を示したのであった。この際ICJは各国に諮問したが、これに対して日本政府は「核兵器の使用は国際法上、違法とはいえない」との陳述書を提出しようとして、国際的な批判を浴びた経緯がある。被爆国として核廃絶を目指すといいながら、具体的な局面では核兵器を擁護し続けてきたのが日本政府のこれまでの姿勢であった。
国連憲章第96条第一項に基づく核兵器の使用・威嚇の違法に関する国連総会決議49/75に答える国際司法裁判所勧告的意見(1996年7月8日)の結論部分
 国際慣習法にも国際条約法にも核兵器の威嚇または使用を特定して許可したものはない。
 国際慣習法にも国際条約法にも核兵器そのものの威嚇または使用についての包括的かつ普遍的な禁止はない。
 国際連合憲章第2条第4項に反し、かつ第51条のすべての要件を満たさない核兵器を用いての武力による威嚇または武力の行使は違法である。
 核兵器の威嚇または使用はまた、武力紛争に適用される国際法とりわけ国際人道法の原則および規則の要件、ならびに、核兵器について明文で扱っている条約その他の取り決めの下における特定の義務に、両立するものでなければならない。
 以下に述べた要件から、核兵器の威嚇または使用は、一般的に、武力紛争に適用される国際法、とりわけ人道法の原則および規則に反することになる。
 しかしながら、本裁判所は、国際法の現状および利用しうる事実の証拠に立って考えると、国家の存亡が危険にさらされている自衛の極端な状況において、核兵器の威嚇または使用が合法であるか、違法であるかについて、確定的に結論を下すことができない。
 厳密かつ効果的な国際管理の下における、あらゆる点での核軍縮に導かれる交渉を誠実に遂行し、完結させる義務がある。

 
4)核拡散防止条約と日本
 日本は「核兵器の不拡散に関する条約(NPT)」に非核兵器国として加わっている(1970年発効、日本の批准は76年)。同条約第2条で、「核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しないこと、核兵器その他の核爆発装置を製造せず又はその他の方法によって取得しないこと」を義務づけられており、同条約から脱退することなく日本が核兵器を持つことはできないのである。同条約は非核兵器国が核兵器を所有しようとしないことと引き替えに平和目的の原子力技術の移転を認めている。技術も燃料も輸入に頼っている日本の原子力発電は、NPTを抜ければ事実上運転できなくなると考えられる。原発が止まること自体はかまわないとしても、このようなずさんな議論をすること自体許されることではない。
核兵器の不拡散に関する条約・第2条
第二条 締約国である各非核兵器国は、核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しないこと、核兵器その他の核爆発装置を製造せず又はその他の方法によつて取得しないこと及び核兵器その他の核爆発装置の製造についていかなる援助をも求めず又は受けないことを約束する。
 
5)国内法と核兵器
 「原子力基本法」など国内法が原子力の軍事利用を禁止している。平和利用に限定し、原子力利用のための制度を整えているのである。「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」などの法律の中でも平和利用に限定する条文がある。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)の前文でも核廃絶への決意が示されている。国内法上も明確に核兵器を保有することはできないのである。
原子力基本法・第2条
第二条 原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)・前文
 (前略)我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
 ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。

 
6)非核三原則
 日本政府は核兵器を「@作らず、A持たず、B持ち込ませず」の非核三原則を国是として掲げてきた。「国是」とまでいわれる「原則」は、単なる政策として政権の都合で変えられるものではない。世界に向けた国際公約ともなっており、非核三原則の見直しはいかなる意味でも日本の利益となるものではない。佐藤首相は非核三原則の確立の功績によってノーベル平和賞を受賞したのである。1981年の「ライシャワー発言」が、アメリカ軍による日本国内への核の持ち込みを示唆して以来、非核三原則の実効性に対する疑問は根強い。こうした現状を受けて、非核三原則を法制化しようという「非核法」制定運動も行なわれてきた。
 
7)その他
 大陸間弾道弾が攻撃的兵器であることは明かであり、憲法に反しないという安部発言はまったく認められない。ただ、攻撃的か防衛的かという判断は兵器の種類だけではなく、その使われ方も含めて判断せざるを得ないので、水掛け論となるおそれもある。
大陸間弾道弾は憲法違反との答弁(参・予算委64.3.9、林法制局長官答弁)
 大型の攻撃的な核兵器、まあ例をあげれば原水爆とか大陸間弾道弾、すなわちICBMとかIRBM、そういうようなものは、それ自身自衛権の、自衛のために必要な限度として持ち得る実力の範囲にはこれは入らない。
 
4、まとめ
 前述したように核兵器の保有は、「非核三原則」という「政策」選択上あり得ないというだけではなく、国際条約上も国内法上もそもそも持つことができない。国際司法裁判所の勧告的意見によって、国際的にも核兵器が国際法に違反するという解釈は確立しており(ただし核保有国はこれを受け入れておらず、日本政府の態度もあいまいである)、戦力の不保持を定めた日本国憲法に反することは明かである。土井質問に対する答弁(別紙参照)で、政府も核兵器は憲法第13条、98条をはじめ憲法の精神に反することを認めているのである。
 核兵器の保有それ自体が憲法第9条で明文的に否定されていないことは事実だが、だからといって法律的に可能であるとはいえない。憲法が直接核兵器の問題に触れてはいなくても、国際法上も、国内法上も、人道的にも、許されないことは明らかであり、政策的に持つ持たないの前に法理論としても持つことができないのである。安倍、福田両氏の「法理論上は核兵器の保有が可能」とする認識は完全に誤りである。政府の責任ある者として不見識極まりないだけでなく、「国益」にも反することは明かである
 日本政府は94年の第49回国連総会以来、毎年「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮」決議を提案し、圧倒的多数で採択されてきた。この日本決議には核廃絶を「究極の目標」に棚上げするものという批判もあったが、この決議の文言がNPT再検討会議での決定文書「原則と目標」にも盛り込まれるなど、日本発の国際合意となっているものである。その後も日本政府は、2005年までのカットオフ条約締結と2003年までのCTBT(包括的核実験禁止条約)発効という期限を設定した「核兵器完全廃棄への道程」決議を2000年国連総会に提出(圧倒的多数で可決)するなど、アメリカの核の傘の下という限界を持ちながらも、国際社会から一定の評価を受けてきたところである。ブッシュ政権発足後の昨年の日本決議は2000年「道程」決議から大きく後退してしまったものの、CTBT発行促進のための活動など日本の核軍縮外交は、ヒロシマ・ナガサキの体験を持つ被爆国であることとも相まって国際社会に大きな影響力をもってきたのである。
 政府中枢にある福田・安倍両氏の今回の発言は、世界に大きな衝撃を与えている。日本の軍縮外交が積み重ねてきた成果と国際社会からの信頼を台無しにするものであり、両氏の認識が法律の理解として誤っているにとどまらず、政策論としても大きな失策と断ぜざるを得ないのである。
 
以上