イチビ

ここ数年、畑の中や道端に咲く気になる野の花があった。 比較的大柄で、黄色の目立つ花を付け、変わった朔果が目立つ植物であるが、野の花の図鑑を調べても分からず、あきらめかけていたところ、たまたま、トウモロコシ畑の雑草の本を見ていたらこの花があり、イチビと呼ばれる事が分かった。
イチビの名で調べてみるとインド原産の植物で日本には中国経由で繊維を取るための栽培種として入ってきており、900年代前半に書かれた 「本草和名」 に記述があり、江戸時代の貝原益軒の書 「大和本草」 には 「皮をとり、麻として布を織り、縄を編み、茎に硫黄を付けてつけ木として用いる」 とある。
別名、ボウマ(ぼう麻)、キリアサ(桐麻)とも呼ばれ、いわゆる麻の一種として用いられ、又皮をはいだ芯は火縄にされることから 「打ち火」 がなまってイチビになったとされる。
アカソやカラムシ、ヤブマオ等いわゆる麻の繊維が衰退した時にこのイチビも栽培される事は無くなったが、アカソやカラムシ、ヤブマオが現在でも野草として繁茂しているのに比べ、イチビはほとんど見られなくなった。( 「麻の名の付く花たち」 の項参照)
野の花として認知されていないのにもかかわらず、近年、日本各地でイチビが雑草として目立ち始めたのにもれっきとした理由が有るようである。 それは中国経由で入ってきたイチビではなく、近年アメリカ経由で入ってきたイチビが目立つようになった事である。
インド原産のイチビは東回りで4000年前頃中国に入り、繊維植物として改良を加えられ、日本に入ってきたが、その時は既に栽培種として野性味を失っていたと思われる。 一方、西回りでアメリカに渡ったイチビはトウモロコシ畑の雑草として大きいものは2メートル近くにもなり、野性味豊かなまま残った。 近年このイチビの実(み)がトウモロコシと一緒にアメリカ経由で日本に入り、牛がそれを食べ、その糞が畑にまかれ、イチビが日本各地に雑草として姿を現し始めたということである。 イチビの実は硬い殻に覆われ、20年後でも発芽能力を維持するほどで、いわゆるシードバンク(種の銀行)として機能し、あちこちに姿を現し始めた。
ノヂシャの項でも述べたように、同じ植物が東回りで入ってきてチシャになり、西回りで入ってきてレタスになったように、イチビも東回りと西回りでその性質が少し変わったように思われる。( 「ノヂシャとグリム童話」 の項参照)


インドを発したイチビが東回りと西回りで地球を一周して日本で出会い、東回りは古くから住み着いているものの細々と暮らし、西回りの新人が大手を振って闊歩し始めたと考えると面白い。

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