風に乗る

8/16/2000

お盆休み

バイクネタは久しぶりです。そんなに長く冬眠してたわけでもないんですが、タートル号に手がかかるもんで。。。

世間はお盆休みです。私もお盆休み。
カミさんとあーやは1週間ほど実家へ帰っていますので、しばしの独身気分です。 残っている仕事を片付けるために半日ばかり出勤した以外は、休みらしくノンビリと過ごすことにしました。 このところ仕事が忙しかったこともあってちょっと精神的に疲れていたため、丁度良い休息の日々です。

持続力の無い私がセカセカと働くための集中力を維持するには、十分な休息が必要なのですな。少なくとも一日7時間の睡眠と、数ヶ月に一度のバカンスが必要。でないと、すぐに息切れしてしまいます。体格に似合わず繊細ですよって。
いい仕事はいい休養から、ってね。

家でゴロゴロするのにも飽きてきたところで、久しぶりにフラリとバイクに乗って出かけてきました。
家にいても暑いし、ゴロゴロしてると飲み食いばっかりしちゃうし、WWFの観戦記はたまっているけどいまひとつ書く気にもなれないし、キーボードに向かっていると手が汗ばんできて気持ち悪いし。。。
ちょっと雲が出ていますが天気はいいし、バイクで走っていればとりあえず風に当たれるから涼しいだろうし、どこか面白い場所が見つかるかもしれないし。フラフラとバイクで走っている最中に見つけたところに、後から車で家族を連れて行く、というパターンは非常に有効なのです。

バイクに乗るということ

移動手段以外でバイクに乗るのは久しぶりです。
そもそも私は、無目的に公道を走り回る、つまり、いわゆる「ドライブ」というものに実はあまり興味が無いんです。車やバイクで走るというのは私にとって「移動手段」なのですね。

学生時代によくバイクでツーリングに行きました。ちょっとしたショートツーリングにもちゃんと「目的」を設定していました。「○○へ△△を食べに行く」とか、「□□を見に行く」とか。 日本一周ロングツーリングのときも、お金の無い私が時間と費用をかけず、しかも行きたいところに自由に行ける、そんな旅をするための移動手段がバイクだったのです。

もちろん、バイカーにありがちな自己表現意識もありましたね。 金も無いのにデカいバイクに乗り、肩で風を切って走る、というのがカッコいいと思ってましたから。音楽をやっていたこともあって、「他人とは違う自分」を演出する格好の道具だったのです。
だからレプリカ全盛時にアメリカン一辺倒だったりしたわけでして。「流行に乗る」ことが自分の美学に反するのと、もちろんレプリカが自分に似合わないことを知っていたからと、理由はイロイロとありますが、やはり「他人とは違う」というところを見せたかった、カッコつけたかったんだろうと思うのです。

ですから、出来ればホントはH.D.なんかに乗ってアウトローを気取りたかったのです。しかし、そこまでの財力はありません。 かといってスティードにやかましいマフラーを付けて走る気にはなれません。それだと何だかH.D.に対する憧れをあからさまに出しているような気がして。信号で隣にH.D.に並ばれると悔しくなるような気がして。
シャドウ750やV-MAXがほぼノーマルだったのは、カスタマイズされたH.D.に対する対抗意識を隠すためだったのかもしれません。「オレはツアラーだからな。いつ壊れるかわからんH.D.なんぞに乗ってられんのだよ」「オレは速いのがスキだからな。V-MAXの加速力は別次元だぜ」とね。理由をつけたかったのだと思うのです。

もちろん走る楽しさもありました。美里の山の中の峠道。猪苗代湖の南側にある茨城街道の長い直線道路。東北は気仙沼あたりの山道。北海道の海岸沿いの道道。四国の山岳道路。九州は阿蘇の牧場道。限界まですっ飛ぶわけではありませんが、微妙にバランスを取りながら走らせる楽しみというのは確かにあったのです。
でも、4気筒400cc、2気筒750cc、そしてV型4気筒1200ccというモンスターを「走らせる楽しみ」を得られる道というのは、それはごくごく限られたところでしかなかったのでした。

移動手段と見栄と自己表現と、そしてわずかな楽しみと。
それでも私にとってバイクは欠かせない「道具」だったのです。

しかし、就職して結婚するときに、V-MAXを手放しました。
気に入ってはいたのですが、所有する理由の半分を「見栄」が占めていた1200ccの図体は、借金の返済のために売られていきました。ホントに気に入っていれば売らずに何とかするはずですが、調子があまりよくなかったこともあって、そこまでの存在にはならなかったのです。 それ以上に、バイクが私にとっての「道具」としての価値を失いつつあったのかもしれません。

風に乗る

那須に引っ越してきて、社宅の隣に住んでいた方のDT200を借りたときから、私の新しいバイクライフが始まりました。

現在の私には「見栄を張る」という気持ちがありません。もはや女の子の尻を追いかけることもありませんし、無目的に自己表現する必要もありません。それに目立ちたいという意味ではタートル号が目立ちまくっていますしね。 むしろバイクはもっと静かにして、目立たなくしたいくらい。そうして走りたい。 それでもバイクに乗りたい。

よく、「風に乗る」または、「風になる」 という表現をします。
渋滞している国道や観光道路を避けて、町道や村道へ歩くような速度で入っていくとき。
前にも後ろにも車も人もいない、田んぼやトウモロコシ畑の中を走るまっすぐな一本の農道を走っているとき。
田んぼの稲穂が風にゆらゆらとなびいて海のようにうねる中を走るとき。
その先を山に向かって登っていくと、そこにはひんやりとした木のトンネルの中を走る林道が。
森を抜けると、そこには那須岳の麓のゆるやかな稜線を望む河原があったり。

目的もなくフラフラとこんなところを走っていると、ふと自分が風の中にいるような気になれるのです。 自分が景色の中に溶け込んでいくような気になるのです。 こんな瞬間を得られるなんて、バイクはなんて素晴らしい乗り物なんだろう、と思うのです。
目的が無いからこそ、こんな景色に出会えるのです。行く場所を決めていないからこそ、思いもよらない素晴らしい風に出会えるのです。

つまり今は、「バイクで走る」ことそのものが目的になっているのですね。
今日走っていて、それを実感しました。

理想のバイク

無目的にトコトコと走り回るために必要な装備はなんでしょう?

幹線道路での合流や信号ダッシュで怖い思いをしないで済む程度のパワー。
残りのガソリン容量を気にせずに走れるだけのタンクと燃費性能。
眺めを楽しみながら走れるポジション。
ダートを気にせずに入っていけるタイヤとサスペンション。
歩くような速度でトコトコと走れる静かなエンジンとギア比。
広い農道を風のように駆け抜けるための滑らかなエンジンとギア比。
適当に荷物を積めるだけの積載能力。
夜間でも快適に走れるライト。

排気量の大きさもスタイルもどうでもよくて、乗ることそのものが楽しければよいのです。
クマの曲芸と言われようが、似合わないと言われようが、かまわないのです。

そこで、カミさんを拝み倒してセローを買ったのですが、2ヶ月で現在のレイドに乗り換えました。
セローはいいバイクです。自転車のように感じるくらいコンパクトで、気負わずに乗れて、歩くような速度こそ気持ちよくて。 ダートだろうが石がゴロゴロしてようが気にせずに入っていけるし、スピードを出さずに楽しめるのが素晴らしいです。
ただ、絶対的なパワー不足と、シートの細さだけがどうにもガマンできませんでした。まあ、体重ハンデ、体格ハンデですけどね。

レイドはそこそこ気に入っています。
大柄な車体と言われますが、私には丁度よい大きさですし。何よりケツが痛くならないのがいいですね。シート高も体重があるおかげで丁度良いくらいですし。 行き止まりになったときにもちっと簡単に切り返せるくらい低ければいいかも。TWのような形で今のエンジンならいいですね。タイヤはバルーンでなくてもいいんですが。

加速時にちょっとやかましいのと、低速での粘りがいまひとつなのが難点です。
音はナンバープレートに排気が当たってやかましかったのを突き止め、ナンバーの位置をずらすことで解決しました。低回転の粘りはプラグを交換すると多少良くなりましたが、1年経過してまたちょっと調子悪くなってきています。 でも、ダートを探して走る林道小僧というわけでもないので、高回転で振動が少なく伸びのあるDOHCエンジンは那須の農道を気持ちよく走るのは丁度良いです。

心地よい疲労の中で

帰宅するとすぐに雨がポツポツ。シャワーを浴びて出てくると既にザーザー。洗濯機をまわしてジュースを一気飲みする頃には、もう滝のような夕立が降っていました。少しタイミングが遅れたら濡れ鼠になるところですが、このあたりはもう慣れたもんです。ちゃんと夕立の前に帰宅するように計算してるんですってば。

夕立のおかげで少し涼しくなった部屋の中で、心地よい脱力感に包まれて、脳は半分ばかり眠った状態に。
両手に少しあった痺れももう感じなくなってきています。

さあ、明日からまた日常へ戻ります。


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